幻のハムと呼ばれる理由は、手作業へのこだわりと誇り!明宝ハム
岐阜県郡上市の明宝特産物加工株式会社の工場見学にやってきました。ここで作られているのは、あの「明宝ハム」!幻のハムとしてご存じのみなさんもたくさんいるはず。
今日は「幻のハム」と呼ばれるようになった理由を探っていきたいと思います。
明宝ハムの工場は郡上市の明宝地域にあります。周りは山々に囲まれ、郡上市の中心エリアから長良川の支流、吉田川沿いに車で30分ほど行ったところ。
明宝ハムは「プレスハム」
現在、日本で「ハム」といえば、肩から腰にかけての背の部分のお肉を使用した「ロースハム」が主流。一方、「プレスハム」は豚の畜肉を固めて作られ、別名「寄せハム」。ちょうどソーセージとハムの中間というと分かりやすいかもしれません。このプレスハムは戦後から高度経済成長期にかけて広まりました。広まった理由は、余ったお肉などを材料として利用でき、比較的簡単な設備で短い時間に大量生産、つまり日本人が貧しかった当時、比較的安価に作ることができたので、貴重なタンパク源が豊富に含まれたお肉の加工食品として重宝されたからです。
1970年代以降は、家庭用のハムとしては、消費者の高級志向によってロースハムに主役の座を奪われてしましましたが、添加物や保存料を極力使用していない点が見直され、多く利用されています。
パッケージでも「ハム類」とは区別され、「プレスハム類」と書かれています。
早速、明宝ハムの生産現場を見せていただきます。
明宝ハムの行程は大きく分けて3つ。解体、製造、ボイル殺菌です。
明宝ハムの原材料である豚肉はすべて国産。創業時には周辺のお肉を使っていましたが、現在は安定的に供給する必要があるため、7割が九州+3割が東海地方といった割合です。
明宝ハムの美味しさの秘密「すべて手作業」。
こちらはお肉を解体するエリア。国内産のもも肉から余分な脂や筋をとって、ハムになる部分だけを綺麗に細かく切り分けていきます。この作業はなんと手作業。設備は変わっても、手による解体作業は、創業時から変わっていません。たくさんの従業員のみなさんが包丁をもって丁寧に一つずつ。手も疲れますが、目も疲れます。工場長いわく「おそらく他のメーカーさんで、ここまでやってるところはない」のだそうです。やってらんない、と僕も思います。
しかし、この解体を機械ではなく手できめ細かく行うことこそが明宝ハムの真髄。美味しい部分の純度が高く保たれ、これぞ「ハム」といった味わいに仕上げる秘密なんです。
手から手へ伝わっていく熟練の技
このお肉の解体作業は、ベテランの従業員から新人の方へ、一緒に作業しながら、人から人へ伝えられます。スジの入っている場所や包丁を入れる場所を覚えるのに1ヶ月以上、全ての作業が出来るようになるまで3ヶ月以上、一人前の腕になるのはおおよそ1年くらいかかるのだそうです。
こちらで捌かれるお肉は、毎日約2トン。「本当はたくさんの人に食べて欲しいけど、品質を保つためにはやはり熟達した人の手が入ることが必要。みんな一生懸命やってもらっているが、品質を優先した結果、生産量は限られてきます」と工場長。1日にできるハムの数は約2,000本。数よりも質重視です!
ちなみに、切り分けられたハムに使用しない脂とスジの部分はソーセージに使われ、どちらにも利用できないところは飼料・肥料として再利用されます。
解体されたお肉は、均等の大きさに細切りにされ、製造工程へ。
製造とは、お肉の味付けとかくはん(かきまぜる)のこと。細かくなったお肉は約1週間、一定温度に管理された冷蔵庫内で熟成後、調味料で味付けされ、ミキサーで攪拌されます。
続いて充填へ。
かくはん機からでてきたお肉がニューッ。こちらでも人の手で一本一本丁寧に、パッケージに包装されていきます。充填されたハムは形を保つために、リテーナーという器具が取り付けられます。この取り付け作業も人がやります。手早く簡単そうに見えますが、少ないと中に空気が入ったり、逆に多すぎるとフィルムが弾け破れしまうので、力の入れ加減がとても難しい作業。
この充填機は1台の充填機で1日フル稼働で約2,000本生産することができ、工場には2台あるので、約4,000本生産できます。
そして、このリテーナーが明宝ハムのボコボコの秘密だったんです。
他のハムで糸でぐるぐる巻きにされているのを見たことはありますか?あの糸の代わりです。
明宝ハムの象徴であるボコボコはここで生まれていたんですよ。
充填されたハムたちは、ボイル殺菌室へ。ここで安心して食べることができるように加熱処理がされます。
アチチチ。しかし安全のためには必要。
ボイルされたハムは、冷却され、リテーナーが取り外されます。この時のリテーナーがハムにがっちり食い込んでいるので外すのが大変!結構な力の必要な作業なので、男性が中心の現場です。この外す時には、同時に目視で検品作業も一つ一つ行なっています。その後、X線による異物検査やウエイトチェック、もう一度目視での検品を経て、
工場の中にはお店もあります。
おなじみ、かわいい豚のイラストがパッケージになったお子さん向けの商品もある!
工場の中ではたくさんの人が働いていましたが、実はほとんどがこの明宝ハムのご近所さん。
現在では、この明宝地域の5軒に一人くらいの割合の人が、明宝ハムになんらかの形でお勤めになっているのだそうです。
地域との深い関係、その理由は明宝ハムの成り立ちに関係しています。
明方vs明宝のハム戦争!
もともと農業や養蚕、養豚といった一次産業と林業が産業の中心だった明方村に、ご当地のハムが生まれたのは、1953年(昭和28年)。この地域の産業である畜産の振興と山間地の食改善が目的でした。そのルーツは農協。
当時の名前は「明方(みょうがた)ハム」で、この地区も明方(みょうがた)村という名前でまだ郡上市に合併していませんでした。
明方ハムと呼ばれていた1986年(昭和61年)、もっとたくさん作ろう!という事業拡大のため人口の多い郡上郡(今の郡上市)八幡町への工場移設が決定。工場のあった明方村は、反発。村長の高田三郎さんが中心となり「村の大切な特産品を残すぞ!」となり、1988年(昭和63年)に第三セクターとして「明方特産物加工株式会社」が設立され、「明宝ハム」と宝の文字に名前を変えて、生産がスタート。このことで、郡上エリアの明方ハム、明方エリアの明宝ハムが二つある状態になってしまいました。これが有名な明宝VS明方ハム戦争です。
その後、明宝ハムはソーセージを始めとする積極的な新商品開発や、中部地方のみなさんにはおなじみの豚の3兄弟のテレビ・ラジオCMといったメディアの活用を行い販売も拡大、全国区の商品へと成長していきました。
そうして、なんと1992年(平成4年)には村の名前までも「明方」から「明宝」に変えてしまいました。明宝を名乗ったのはハムの方が先だったんですね!
ハム工場の移転に歯向かった!ハムかった!当時の村長の高田三郎さん。
「明宝」という名は、スキー場や温泉、トマトケチャップといった他の施設や商品にブランド名として生きています。
そして、明宝ハムは地域の工場として、雇用の創出、Uターン就職の受け皿、人口減ストップにも貢献しています。
明宝ハムの理念は「作る人も食べる人も幸せでありたい。」
明宝ハムの担当の方いわく「他の地方の素材も使っているし第三セクターだから厳密な意味では『六次産業』とはいえないんですよね」。しかし、地元の素材を見つけ、その場所で加工して売る、そして、働く人もその地域の力を借りる、ということを戦後から高度経済成長の時代を経て続けている明宝ハムの工場で、地方発の商品づくりの原点に触れることができたような気がしました。
工場長の森さん!今日はたくさんのお話をきかせていただいて有難うございました!
明宝特産物加工株式会社
電話番号: 0575-87-2454
住所:岐阜県郡上市明宝気良47-3
URL: http://www.meihoham.co.jp/
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