走るヨロコビの裏側に zoom-zoom ! マツダミュージアム
今日はマツダミュージアムさんにお邪魔しています。
マツダの本社!
最寄り駅は広島県安芸郡府中町の向洋(むかいなだ)駅。広島駅から山陽本線または呉線にのって二駅です。駅を降りるとすでにマツダの町って感じです。
本社に集合してから、いよいよミュージアムへ。
こちらの橋は東洋大橋といってマツダが所有する橋!当時の社名「東洋工業」から橋の名前も名づけられました。本社と宇品工場を連絡する目的で建設され、一般車両は通行できません。ときには唐草模様の開発中の車両ともすれ違うこともできます。橋を含んで町全体が工場。スゴイ!
マツダの工場の敷地面積は223万平方メートル(東京ドームの約47個分!)もあるんですって。一部の車種では開発から製造、船積みまでこの工場で行っています。
ほかにもアテンザなど最新車種が並んでお出迎えしてくれます。今日はよろしくお願いします。
マツダの最近のCMや広告では、この鮮やかで深い赤のクルマが使われています。
この赤色は最新車種のデザインテーマである「魂動デザイン」にちなんだソウルレッドという名前。実は広島カープのヘルメットの色はこの色をイメージしたものなんですよ。
ミュージアムの2Fではマツダの歴史を見ることができます。
マツダはもともと「東洋コルク工業株式会社」というコルク製造の会社でした。昭和の初めに三輪トラックが製造され車両メーカーとなり、以来この創業の地でずっとクルマづくりを続けています。
復興の牽引車になる
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
その日は、マツダの事実上の創業者である松田重次郎さんの70歳の誕生日でした。そして、マツダの従業員の多くの命も失われてしまいました。
しかし、戦後も民生用トラックなどの生産を継続。原子爆弾の惨事からの復興を目指す広島経済の牽引車の役割を担いました。
燃料タンクの側面には販売店であった三菱商事のシンボルにメーカーのMAZDAのロゴが重なっています。
MAZDAという社名には創業者である松田さんの名前と、ゾロアスター教の神であるアフラ・マズダー(「智恵ある神」の意味で最高神)の名前から取ったのだそうです。
1960年にマツダで初めて量産型乗用車として発売されたR360クーペ。当時の金額で30万円、大学初任給の年収の10倍くらい。サイドの窓はガラスではなくプラスチックです。
3代目のマツダのシンボルです。1959〜1974年まで使われたもの。
名車がズラリー。ファンならずとも懐かしさを感じさせる車ばかりです。
館長です。女性にモテた!?
マツダミュージアム館長の浅野さんと、サバンナGT。
若き日の浅野さんはこのサバンナをローンで購入。この愛車に乗ってあちこちドライブ!
きっとモテモテだったんだろうなぁ。
歴史のあとは3階技術のフロア!
マツダの技術を語る上で欠かせないのはロータリーエンジン。
1960年代の初めころから開発がスタート、小型で軽量、高出力を実現するロータリーエンジンは当時「夢のエンジン」と言われていました。
三角形のおむすび型をしたロータリーが高速でまゆ型のローターハウジングの内面を擦りながら回転するため、内面がギザギザになる異常摩耗の問題が、ロータリーエンジンが実用化できない原因でした。マツダはロータリーエンジン研究部を編成し、47人の若い技術者が挑戦。寝ても覚めてもロータリーエンジンのことを考える日々が続きます。彼らはロータリー四十七士と呼ばれました。続きはぜひ、マツダさんの「ロータリーエンジン開発物語」でご覧ください。マツダのものづくりの原点がくわしく、そして熱く記されています。
コスモスポーツ(1967年)
ロータリーエンジンを量産車のエンジンとして最初に搭載されました
マツダ・787B
ル・マン24時間レースで初参戦から13年、見事1991年に日本メーカーとして初めて総合優勝を果たしました。
マツダの開発思想の核心を見ることができます
スカイアクティブの展示。
SKYACTIV TECHNOLOGYとは一言でいうとエンジンからトランスミッション、ホディとシャシーまで貫く開発思想のこと。すべての人が走る歓びを感じることができ、優れた環境・安全性能を実現するため世界一の機能を最も効率的につくることを目的にした技術の集積です。
従来のエンジンでは、燃料が持つエネルギーの30%程度しかクルマの駆動力として取り出せていませんでした。マツダではエンジンとして世界一の圧縮比「14.0」を実現し、燃費効率を徹底的に向上。低燃費と「走る歓び」を高いレベルで両立することが可能になりました。
ボディのプラットフォームは約100kgも徹底的に軽量化されました。安全性能を保つ剛性と「人馬一体の走り」というマツダのクルマに対する理想を追求した成果です。
チャレンジングスピリットを支える組織風土 “One Mazda”
一つの目的にむかって一丸で取り組むことができる理由のひとつはマツダ本社を中心に現場が集まっていること。開発、生産、営業などが機能ごとに分散している自動車メーカーが多い中、それらが広島の同じ一つの工場に集約されているため、活発なコミュニケーションが可能となり、技術の結集が実現しています。
CX−5のクレイモデル。マツダの匠たちはこれを作るときには100種類以上の道具を使い分け、1mm単位の妥協もなく、繰り返しデザインを練り上げていきます。
下塗り、中塗り、上塗り、最終仕上げと工芸品なみに丁寧に塗り重ねられていきます。
仕上げられるまでに約8時間!
この後、実際の工場で組み立て工程を見ることができます。
いざ、工場へ!
ちなみにこれから見ていただく生産ラインと保管庫の写真はマツダさん提供です。実際の工場見学では、見学者通路から見下ろした感じで見ることができます。
メインラインとは異なるラインで製造されたエンジン・足回りや内装が、車両本体に組み立てられる工程を見ることができます。
この宇品工場ではCX−3、ロードスター、ベリーサが生産されています。
全部で3,500箇所も溶接されるんですって!
昭和35年、自動車業界ではじめて混流生産(多車種生産方式とも呼ばれます)を導入したのは実はマツダ。今はコンピュータで制御されているものの、導入当時はもちろん人力。どの部品をどの部分に取り付けるとか、グレードの差とか昔の作業者のみなさんは大変だったと思います。
そして日本全国、世界のディーラーへ。数え切れないほどの車が並ぶ風景は壮観!
マツダミュージアムでは、ハイブリッド・電気自動車・水素自動車など、これからのクルマも展示。
ハイドロジェンREハイブリッドのプレマシー。
水素とガソリンどちらでも走ることのできるロータリーエンジンを搭載。エンジン駆動で発電しモーター駆動につなげる。ここでもロータリーエンジンの技術が生かされています。
楽しく走るための“zoom−zoom”
CMやメディアで目にするzoom−zoom(ズームズーム)は「ブーン、ブーン!」と車を走らせる時の英語の擬音。広島で生み出されたクルマたちは乗る人の安全や環境への責任はもちろん、アクセルを踏み出した時の楽しさ「クルマ乗ってる感」に貪欲に応えてくれます。
今回の見学の後「今日からドライバーになるんだっ!」と僕もはじめて納車された時の気持ちを思い出すことができました。
もう一度、Be a Driver!しようと思います。
(text、photo:西村 ※いくつかの写真はマツダミュージアムさんの提供)
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