筆の都、熊野町で100年以上受け継がれる手仕事の筆 仿古堂
ナゾの生き物を発見!
こんにちはーと、大きな筆をもってお出迎えてしてくれたのは「ふでりん」。カラフルなとんがり頭にやわらかに微笑みをたたえながら、立っています。
そんなわけで、今日の見学は筆!
今日やってきた広島県安芸郡熊野町は、古くから筆づくりで有名。実は全国一のシェアを誇っていて、町の人口約2万5千人のうちの1割程度の人が筆の製造に携わっていると言われています。
広島市内と熊野町をつなぐバイパスから、熊野町に入るトンネルをくぐると、いたるところに「筆製造」「筆工房」など筆にまつわる看板が掲げられていて、筆の町に入ったなとすぐ分かる。
ふでりんは、熊野町観光大使で、町のイベントへの参加や情報発信、町内の史跡などの紹介、さまざまなPR活動をしています。
現在、熊野筆の製造元に認定されているのは99社。熊野町で作ればなんでも熊野筆と呼ぶことができるわけではなく、経済産業大臣に伝統的工芸として認定されていること、「穂首」という筆の毛の部分の書くところを熊野町内で作り、熊野筆事業協同組合に登録していることのほか、原
料や用途まで厳しい基準を満たしたメーカーのみが「熊野筆」を名乗ることができます。
熊野町の丘の上にある榊山神社。9月に行われる筆祭りでは、役割を終えた筆が筆塚で供養されます。
今日はたくさんある熊野筆の製造元の中から仿古堂(ほうこどう)さんにお邪魔します。
こんにちは。おじゃましまーす!
お店の中には筆がずらりと並ぶ。
仿古堂の筆は、2015年広島の地域ブランドに認定されました。
この方が、社長の丹羽さん。今日はよろしくお願いします!
ところでなぜ?熊野町で筆なのですか?
筆というと、京やお江戸、大坂といった都会で作られることが多いのでは?と想像していましたが、江戸時代の末頃、農閑期にお百姓さんが今の奈良県に出稼ぎにいった際に、当地で作られていた筆や墨を持ち帰りました。その後、奈良から筆を仕入れ行商にでかけ、自分たちでも作りはじめたのだそうです。その後、明治時代からは教育の拡大とともに熊野筆の生産量も増え、全国に普及していきました。
仿古堂の創業は100年以上前で、ちょうど1,900年(明治33年)。熊野筆の歴史とともにあると言えます。
筆の看板。昭和に入ると筆だけではなく、墨・硯・紙など書画用品に拡大しました。
筆は書道や絵画のほかにも用途があります。お化粧に使う化粧筆も作っていて、熊野の化粧筆は、最近では海外からも高い評価を受けています。
熊野筆と輪島塗の化粧筆!日本伝統工芸の粋を極めたコラボです。
仿古堂の2階には工房があり、筆を作っている現場の見学や体験も可能。ということで、筆になった気持ちで、工房の見学へGO!
工房におじゃまします。
筆づくりは、毛を選別し毛質の調子を整えたり、毛を揃えたり指定の寸法に切るといった、筆を作るための穂先の毛を準備する「下仕事」、さらに束にした毛を筆の形にして仕上げ軸(指で持つ部分)にセットしていく「台仕事」があり、細かく分けていくと、なんと73(!)もの工程に分かれています!
広島県内の近隣の小学生もたくさん見学しにします。お礼のカードもすごい達筆でびっくり!
この方がこの工房のリーダーである香川さん。伝統工芸士の資格を持っていて、雅号は「香川 翆皐(かがわ すいこう)」さんといいます。
熊野筆の原料(原毛といいます)は、山羊(やぎ)・馬・鹿・豚・たぬきといった獣毛が伝統的に使われてきました。墨を含みやすくしっとりとしたものや、コシが強く弾性の高いものなど筆の調子や、書き心地によって使い分けられます。
変わったところでは、犬、猫、鶏といったものもあります。
最初のステップは、毛の選別作業である「選毛(せんもう)」という作業。製品になった筆を見ると柔らかさや長さがキレイに揃っていますが、元は動物の毛。一頭の馬から採れる毛もその部位によって毛質はさまざまなので、長さや質を人の目で見て選り分けていかねばなりません。
原毛を目で見て手でも実際に触れて感触を確かめながら行う作業ので、とても繊細な作業。機械で行うことはできず、品質を左右する大切な工程なので、経験が必要です。
今日の原毛は羊毛。しかしウールのひつじの毛ではなく、中国のヤギの毛。筆の世界では「羊毛(ようもう)」といえば、ヤギの毛を指します。
なにやらゴシゴシと手を前後に動かしています。これは「火熄斗(ひのし)・毛揉み」という作業。
動物由来である原毛は脂分を含んでいるので、毛の表面の汚れ落としと合わせて毛の質を整える必要があるため、火熄斗(ひのし)という今でいうアイロンに毛を当て、熱が冷めないうちに、毛に灰をまぶし、鹿の皮でくるんで毛を揉んでいきます。毛の種類によって温度や作業の時間を微妙に調節しなければなりません。この作業が墨の含み具合を左右するんですって!
表面に何か振りかけられていますが、これは灰。
灰の原料は籾殻です。
なんだか白さが増したようです。毛揉みされた毛は、さらに細かい綿毛(わたげ、つまりうぶげ)が櫛を通して取り除かれ、長さが整えられていきます。
長さが揃った毛は「寸木(すんぎ)」という長さを決める木が当てられ切られていきます。
「毛先を切るのですか?」と尋ねると、「毛先は筆にとって命なので、毛の根元の方を切るの」と優しく教えてもらいました。
毛先がホウキのような状態になりました。
しかし、まだこの段階では筆の先の方はまだきっちりとは整っていません。
「半差し(はんさし)」という小さい刀で、毛を切るのではなく、長くぴょんと飛び出した毛を徹底的に抜き取っています。目でももちろん見ていますが、素早く行うために指先の感覚で出てる毛を検知し、抜き取っていきます。
筆の命である毛先は決して切られることはなく、この後の作業でも、何度も何度も抜き取られていきます。
これでやっと筆にする毛の下準備が終わりました。
これから筆の形になっていきます。
「ひらめ」という状態になりました。
これから始まるのは「練り混ぜ」という作業で、水に浸され、薄く広げられた毛に糊を含んだ水をつけながら、何度も毛が混ぜ合わされていきます。これじゃ毛の質と糊水を均等に整えるためです。
出来上がったように見えても...
また櫛をかけ、
また逆毛が出てきます。
細かい毛は、手の甲に触れて、肌と目、そして勘で取り除いていきます。
これを何度も繰り返すことで、毛が馴染み「べっぴんさんな筆」になっていくのだそうです。
練り混ぜられたひらめは、駒と呼ばれる筒にこの芯を通し、一本分の大きさに分けられいよいよ筆に仕上げられていきます。
しかし、この時も毛先をチェック。切ることが出来ないので抜き取るのみ。
筆になるのも大変だなぁ。
べっぴんさんになりました。根元もビシッと揃っています。
衣毛(ころもげ)という表面用の毛が巻かれます。表面を美しく高級に見せるという装飾目的のほか、墨含みを良くするという効果もあるそうです。
いよいよ仕上げ作業。
毛の部分が糸に巻き付けられ、ぎゅーっと中に含まれる糊が絞り出されていきます。
穂先は軸に接合され、乾かされ、完成となります。
このようにして、熊野筆が生まれていきます。
今日見せていただいたのは作業のほんの一部で、機械を使う作業はほとんどありません。
香川さんは、熊野町で生まれ育ち昭和36年から約55年間、筆づくりに携わっています。この世界に入った頃は、綿毛抜きから習い始め、3年は下積みの修行期間、その後1年は恩返しのお礼奉公といった昔ながらの親方さんと弟子のの世界。しかし、現在では熊野筆の業界も次の世代へ技術を継承するために、技能教育の環境も整いつつあるそうです。また、効率化や地域雇用への貢献の観点から、筆づくりの行程も分業が進み、仿古堂の8名の職人さんも女性中心のパートさん、自宅での内職などいろいろな形態で働いています。
僕たちもいろいろな業界の職人さんとお話をして、伝統工芸と職人さんの高齢化&後継者不足はだいたいセットであることが多いことを知りました。伝統工芸あるある、といってしまっていいくらい。
職人さんたちの世界でどこも頭を悩ますこの後継者育成の課題解決に向け、熊野筆の場合は、熊野筆事業協同組合と熊野町が一体となって「熊野筆マイスタースクール」という筆職人後継者育成事業を2008年(平成20年)からスタート。筆づくり関連企業や工房への就職をゴールとした職人候補を育てています。組合の理事長として仿古堂の丹羽さんも積極的に携わって推進しました。
熊野筆を守ろうという活動は、技術継承や就職支援など作る側への支援にとどまりません。町ぐるみで美術系の大学生を熊野町に招待し、筆づくり現場の見学やワークショップ、職人さんとじかに接する機会を提供し、仿古堂の3階のお座敷スペースも宿泊施設として開放。将来の書画の専門家たちに筆文化を伝える取り組みも続けています。
3階のお座敷スペースには、仿古堂の筆を使って書かれた著名な書家の作品が額に掲げられています。
焼酎のCMでおなじみだった、ばくざん先生(榊莫山)の作品もある!
熊野町のちょうど玄関口に位置する仿古堂の敷地の中、ショップ・工房のお隣には「筆の駅」を開設し、筆の他にも熊野町の魅力を伝え、町を盛り上げようと活動中。
中にはカフェスペースもあり、観光客と地域のみなさんが交流する空間になっていたり、
熊野町の観光スポットや名物を紹介するコーナーもあり、地域の情報発信拠点として機能しています。
ギャラリースペースとして、書画だけではなく版画など、いろんな分野作家さんの作品を展示。
これ知ってる?と丹羽さんの奥さまが持ってきたのは「筆草」という草。
文字通り、筆の草。海の砂浜に群生している野草で、はるか昔(いつ頃かはわからない)には実際に筆として使われていたこともあるのだとか。
奥さまのご厚意で実際に文字を書いてもらいます。
墨をつけると、まさに筆の穂先。
「穂先の方じゃなくて、難しくても草の先の方を持って書くのが、筆草の書き味が生きるのよ」
できたー「しゃかいか!」と書いてもらいました。有難うございます!
熊野筆の歴史がはじまって170年以上。以来、筆の都として熊野町は製法をほとんど変えず現在も職人さんの手による筆づくりが続いていますが、トップシェアを誇る熊野町でも技術を伝えていくことに課題を抱えています。
しかし、仿古堂はじめ筆づくりに携わる人たちが中心となって、毛筆で書くという筆文化も継いでいこう、とさまざまなチャレンジが続いていることを勉強。作ることと使ってもらうことの両輪で支えられている熊野筆、町をあげての取り組みは伝統工芸がしたたかに生きていくお手本なのかな、と感じました。
仿古堂のみなさん、今日は本当に有難うございました!
【詳細情報】
仿古堂(ほうこ堂)
電話番号:082-854-0003
住所:広島県安芸郡熊野町出来庭十丁目6番23号
URL: http://houkodou.jp/
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