フェリーから橋へ!本土とつながる橋の開通で変わるこれからの九島のくらし
「九島フェリーおつかれさま」の記事に続いて、新しくできた九島大橋のレポートです。
これが新しくできた九島大橋です。
九島大橋の全長は468メートル、宇和島市街と九島を結ぶ交通手段として、島民にとっての長年待ちに待った橋です。
九島はイワシ漁やハマチ・ワカメの養殖といった漁業と柑橘類の栽培が盛んな島。宇和島本土とは目と鼻の先にあります。
この九島大橋開通に伴い、島の暮らしがどのようにに変わるのだろう?ということで、今日は、九島大橋開通に関わった人、そして、九島を盛り上げようとしている人、それぞれの立場のみなさんにお話を聞くことができました。
でもその前に、九島大橋開通式典に参加!
橋の端から端まで歩くことができます。
九島大橋は2016年4月3日に開通。17時から車両の通行の規制解除に先立ち、記念式典が開催されました。
島民のみなさんも参加してお祝いムード一色で、
神主さんによる安全祈願や、
橋の上では、お神輿わっしょい!や架橋ウエディングなど様々な催しがおこなわれました。
橋の下では、地元漁師のみなさんが大漁旗を飾り立てた漁船で橋の下をくるくる。橋の開通を歓迎しています。
この開通式には、老若男女、島民全員参加!と思わるほどの人数で大盛況です。
長い橋の途中では休憩もできます。
今日が最後の運行となる九島フェリーも見下ろすこともできます(この日だけ!)
新しい橋を見上げる島民のみなさん。
島のおじいさんも「九島大橋ウェルカム!」
島の中をお散歩しながら向かった先は...
オープンガーデン!
季節ごとの色とりどりのお花を見せてもらうことができます。とても丁寧に手入れされていて、お花への愛情を感じることができます。
このお庭は、ご近所さんにとっては憩いの場で、気軽に立ち寄っておしゃべりしていきます。
こちらがオーナーの平井さん。こちらの「豊恵園」は、九島大橋のたもとにあり、なんと無料で開放。時間内なら誰でも気軽に立ち寄ることができます。
オープンガーデンは、九島大橋のたもとの「ポコッ!」と出っぱったところにあります。
実は今日お邪魔したのは、平井さんの旦那様が九島大橋の架橋協議会の会長をされているということをお聞きしたからです。
九島大橋開通に関わった平井さんのインタビュースタート!
こちらが平井利彦さん。九島生まれ、九島育ちの78歳。平井さんが生まれたのは1937(昭和12)年。もともとお家は農業を営んでいましたが、平井さんが小学生の頃、第二次世界大戦の終戦前年にお父さんが戦死。九島の中でも600戸中、160人が戦争で亡くなったのだそうですが、戦後すぐの九島の人口は引き上げてきた人や疎開中の人たちも合わせると4,800人ほどの人口、現在の5倍以上に膨らみました。
戦後はおじいさんに育てられ、戦後の食糧難の中では、すぐに食べられる作物を、ということでサツマイモやカボチャを栽培していました。農業では見込みがないということでそれからはさまざまな事業に挑戦しました。
バラ園となりにある小屋は、戦前の鉄の鋳物工場が近所にあってその建物を移築したものです。
その時の平井さんの養豚を事業にしていました。お仕事の遍歴を聞いていると、職に就くというよりも、食べるために何を売るか?がを考えながら生きてきたことがわかります。平井さんが特別なのではなく島の人みなさんだいたいそんな感じなのだそうです。
はじめて自身で手がけた事業は、真珠の養殖。リアス式海岸が広がる宇和海は、明治の終わり頃から真珠の養殖が盛んで、宇和海の良質な真珠は昭和の初めから本格的な生産が始まり、戦後、食糧事情が一段落した頃には、真珠ブームに。ブームが落ち着くと次は、タイやハマチの養殖に切り替えます。昭和40何年頃には、タイは広島、松山、大阪を中心に出荷。ハマチは東京の築地市場、遠くは青森まで卸すほど盛況でした。
九島の人はよく働いて勤勉、お金をためて堅実、という人が多いと評判なのだそうですが、頑張り屋さんの九島の人たちの中には、お金を貯めて宇和島本土側に別の家を持つ方も多かったのだとか。
「よく宇和島に飲みに行ったよー」
若き平井さんは、橋は繋がっていなくても、よく夜の宇和島本土に繰り出しました。
「昔はフェリーにもよく乗ったけど、飲みよってフェリーの時間が過ぎてしまうと、貸し船というのがあって、よう送ってもらったよ。船賃は当時で7,000円くらい。一人の日当が1,500円くらいの頃だから、そらちょっと贅沢やったね」
九島と宇和島本土をつなぐ橋の話が持ち上がったのは半世紀以上も前。賛成反対などを繰り返し、途中で事業自体が中断することもありました。その時の平井さんは、架橋促進協議会の副会長。副会長ということで気軽に引き受けましたが、就任の挨拶した後すぐに会長さんが病気になってしまい、半年後に会長に。それ以来、橋をつなぐ活動を16年続けていました。
そんな話を聞いているうちにも、昨日同様ご近所さんが集まってきます。九島大橋作りに一緒に運動した元市議会議員さんや、ご近所のみかん農家の方などなど続々と訪れます。さしずめ、九島のサミットという様相です。
しかし、フラ〜ッと立ち寄る感じで、一見茶飲み話という感じですが、中身はとっても濃い内容。
完成した九島大橋はほとんどメンテナンスしなくていい!
「建てるのはいいけどメンテナンスも大変だろうなぁ」と思っていた平井さん。しかし、実は新しい工法で建てられているので、100年間はたいそうな保守は大丈夫なのだそうです。
この橋がかかることになって変わったのは、フェリーの時間を気にせず本土と行き来できるようになったこと、市役所にも車で10分少々でいけるようになりました。
フェリーと入れ替わりに九島と宇和島本土をつなぐバス路線が開通。
島の人たちの新しい交通手段になります。
「2〜3日いてると『静かでええわぁ〜』と言ってくれても、いざ住み着くとなると難しい」
海岸線にへばりつくように民家が立ち並ぶ島に住んでもらうには、土地もないし、田舎ならではのご近所付き合いや事情もあるので、移住による人口増加はあまり期待することができません。
島の産業も、巻網を中心とする漁業や養殖、柑橘の栽培が中心ですが、これからは新しく架かった橋からたくさんの人が訪れることが見込まれ、観光にも力を入れていかなければなりません。
とはいえ、九島ならではのお土産はまだありませんし、宿泊してもらうところもまだ整備中。
島の観光資源といえば、空と海と静かな島の人たち、そして、島の最高峰「鳥屋ヶ森」の頂上を地元のみなさんで切り開いた展望台、その名も「望橋園」。大型バスが収容できるような駐車場に、団体客を受け入れることのできるような見晴らし最高のレストランはまだ構想段階で、まずは頂上に車が入れるようにすることが、現在、直面している課題です。
橋を望む場所には、平井さんオリジナルの記念撮影用の台も準備されています。撮影のための台はこれまで使っていた漁師道具を再利用して作りました。
「これからの九島は基本的に...変わるやろうね」
お話を聞いている間にも開通したばかりの橋はひっきりなしに車が行き交います。九島は自転車であれば1時間ほどで1周できてしまう小さな島。軽自動車でなければ通れないような細い道もあります。
活気を取り戻すために開通した島民悲願の橋からは、人も物も時間の制限に縛られることなく入ることになり、静かでのどかな島の生活が変わることは間違いなさそうです。
最後は、バラ園に訪れたみんなで記念写真。
「九島大橋、開通おめでとー!」
平井さん、今日は突然の訪問にもかかわらず、じっくりお話を聞かせていただいて有難うございました!
今日泊まらせてもらうお宿はこちら。九島でただ一つの宿泊施設です。
漁師のお家をほぼそのままの姿で借り上げ、少し手直ししてゲストハウスとして提供されています。
肉や魚、卵を一切使わず、畑で採れたオーガニック野菜が使われた、奥さまお手製のお料理「ビーガン料理」をいただく。
このゲストハウスのオーナーは加茂さんご夫妻。元は東京ご出身でに宿泊施設とカフェを作ろうと昨年からに九島にやってきました。
九島の大好きなところはずばり「なにもないけど、海・山・太陽といった自然が感じられるのと、やはり静かなところ」。
とはいえ、ゴジラ岩をはじめ、島の見どころをたくさん教えてもらうことができました。
小さい島だけど、けっこう名所がありますよ。
地元の人からは「リヨント様」と呼ばれている竜王島、竜王様を祀る祠があります。
夏至の頃には島と島の間から夕日を望むこともできます。
漁港の風景を眺めながら歩くことができます。
漁港の前の広場には、夕方になると島のおじさんおばさんや、学校を終わった子供達がなんとなく集まってきます。ヘルメットをかぶっている僕らにも「こんにちは、どっから来たのー?」と声をかけてくれます。
趣のある佇まいのお家もあるし、
クラシックカーもある!!
ゴジラ岩です。
橋が開通したばかりの今日、早速変化を感じたのは、車の交通量。
ゲストハウスのある本九島の港の前の広場は橋の開通前はとっても静かだったけど、今日は車がずらりと並んでいてこんなこと初めてでびっくり!と加茂さん。
交通量が増えた理由は二つで、島民のみなさんが宇和島本土から車を島の中に持って帰ってきたことと、島の外の車が入ってきたこと、僕も島の中を散歩していて県外ナンバーの車もちらほら見かけることがありました。島の周回道路にはまだ車の通れない道幅の細い区間が残っていて、事故が起こらないか、だけが少し心配。
今はまだ、島の周回道路は車が通ることのできない細い道があるので、徒歩か自転車でポタリングするのがオススメです。
これからは、もっともっと島のみなさんや生活に溶け込んで、頑張っていくのだそうです。
笑顔が素敵なお二人、頑張ってください。また来たいと思います!
宇和島市役所観光課にお勤めの村上将司(むらかみ まさし)さんにお話を聞くことができました。今日は本土の市役所にお勤めの後、僕らが泊まるゲストハウスにわざわざきてくれました。有難うございます!
村上さんも九島生まれの九島育ちで、松山の大学を卒業後、宇和島市役所に勤めることになりました。現在も九島に住んでいて、これまでは毎日フェリーで宇和島本土に通勤。この3月までは市内の公民館などを回って地域自治を担当、この4月からは観光課に配属されました。これまでは九島の地域おこしの活動にも携わっていましたが、お仕事としてではなく、あくまで趣味。勤務時間外にさまざまな活動をしています。
お休みの日には東京に出向いて、離島の地域おこし担当者ばかりが集う「離島フェア」というファンミーティングに参加したり、地域デザインのセミナーに参加し、橋が開通する九島をもっと盛り上げ元気にしようと頭をひねっています。
九島に食べるところを作りたい。
九島で日用品を買うにはJAスーパーか、橋の開通に合わせてオープンした蛤漁港のコンビニエンスストアのみ。このお店にないものはこれまでだとフェリーで運んでもらうか、宇和島市内まで購入に行かなければなりませんでした。
橋が開通して観光客の人が来て、興味を持ってもらったら、せっかくの興味をなくさないように
思い出やお土産が必要と考えています。
現在は、島のおっちゃんおばちゃん達と一緒にカフェを作ったり、商品開発に頑張ってます。
九島で食べるところやお土産づくりができないか?と九島の地域づくり協議会で話があり、一緒に企画。橋の開通に先立ち「くしまカフェテラス」という期間限定のカフェをオープンしました。
島のおかみさんたちがお揃いの前掛けをして、自慢のお料理を提供。
島の名物はからしと麦味噌を練り合わせた「みがらし」という南予でたべられているおでんにぴったりな、からし。
島の名産、ざぼん(文旦)の砂糖漬けなどもあります。
村上さんにとって、これまではチャレンジの助走期間。4月からはいよいよ九島を盛り上げる活動を本格化していく予定です。
これからは、体験型のイベントも提供できるといい。たとえば、巻網インターンや、養殖インターンといった島の産業である漁業を気軽に体験できるようなもの。
「自分は漁師の息子ではないので、九島の産業のことについてあまり知らずに育ち、役所に勤めることになった。島の仕事を目の当たりにする機会を提供することで、外の人はもちろん、地元の高校生などの若い人達が島の生活や仕事に誇りを持てるようになればいい、と考えています」
今回のレポートは九島のこれまでと現在、そして、これからのお話までを聞くことができました。
海と豊かな自然が名物だったのどかな九島。宇和島本土とつながる悲願の橋が開通することで、不便は解消することになりましたが、島のくらしは実際どのように変わっていくのでしょうか?
ずっと九島に住んで橋を作るのに尽力した平井さん、これから島で生活を続けようとする加茂さん、観光資源をはじめとして盛り上げ外に魅力を伝えようとする村上さん、3人の方に話を聞いてみて、年齢やバックグラウンドは違いますが、新たに生まれた橋をきっかけに島をもっともっと盛り上げていこう、とそれぞれの立場で熱い志をもっているところが印象に残りました。
出来上がった橋を見ながら、島のみなさんもきっと、それぞれ何か新しい変化を感じ始めていると思います。
しゃかいか!では、九島の続報をまた、お届けしたいと思います。
九島のみなさん、今日は有難うございました!
九島フェリー最後の日の様子はこちらをご覧ください。
(text:西村、photo:市岡、加藤)
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