作り手の顔が見える織物産地に!山梨ハタオリ産地の案内人 山梨県富士工業技術センター 五十嵐哲也さん

ヤマナシハタオリトラベル

山梨といえば何を思い浮かべますか?
富士山、ぶどう、甲州ワイン、富士急ハイランド、まだまだあります。
実は、江戸時代から続く全国でも有数の織物産地。ネクタイも山梨が日本一の生産量を誇っています!他にもストールやシャツ、エプロンいろいろな織物製品が生まれている織物産地なのです。

ええ、山梨って織物が有名だったの?と思われる方もいますよね。それにも理由がありました。

ヤマナシハタオリトラベル

山梨の織物工場の取材をしている中でどこでも耳にする五十嵐さんという名前。
どうやら五十嵐さんは、近年、山梨の織物に携わる職人さんたちを活気づけているバスツアーや、
「ヤマナシハタオリトラベル」などのプロジェクトに影の立役者として携わられている方だという話。

これは、五十嵐さんにぜひとも会いたい!
ということで、今回も「セコリ荘」の宮浦晋哉さんに五十嵐さんをご紹介頂き、お話をお聞きしてきました!

五十嵐さんは、こちらの山梨県富士工業技術センターにいらっしゃるとのことで、やってきました。

ヤマナシハタオリトラベル

今日はこちらで、山梨の生地を織る機屋(はたや)さんが参加するデザイナーさんとのセミナーがあるそうです。突然ですが、ヘルメットの二人も参加させていただきました。

セミナーでは、ブランディングの講習だけでなく、参加された機屋さんが自社製品についていろいろとアドバイスをもらう場として機能していて、こんなことが学べて聞けて、なんと羨ましい!

ヤマナシハタオリトラベル

このセミナーのセッティングも五十嵐さんの業務、記録するためにカメラ撮影をする五十嵐さんです。

ヤマナシハタオリトラベル

改めまして、山梨県富士工業技術センター 繊維部技術支援科の五十嵐哲也さんです。

本日は、五十嵐さんが山梨の織物のためにされている活動の話から、
冒頭でもちらりと出てきた「山梨って織物が有名だったの?」の理由についてもいろいろとお聞きしていきたいと思います。

「織物を知らない方にも分かりやすく説明したスライドがあるのでご説明しますね」と柔らかな笑顔で親しみやすい五十嵐さん。

早速ですが、まずは産地のことを知らないと始まらないということで、五十嵐さんによる簡単!ヤマナシ産地の織物がわかるお話のはじまり、はじまり〜。ととっても楽しい雰囲気で進んでいきます。

ヤマナシハタオリトラベル

富士山麗に息づく郡内織物を栄えた中心地域が、富士吉田、西桂一帯。
これらの山梨の地域で郡内織物が栄えた理由や特徴をお話していきます。

特徴の一つ目、山梨の大自然
山梨織物産地の東西には河口湖、山中湖、そして南には富士山がそびえています。
織物産地の真ん中には、富士吉田という地域があり、富士山に降った雨が地下水になって湧き出てくる水が桂川に流れ、水の通り道にそって織物産業が発展しています。例えると、富士山が神社の本殿、湖が杜のようなものです。
さらに、自然の恵みである軟水は、余計な成分がとても少なく、糸を染色するのに適しています。

シケンジョテキ

特徴の二つ目、分業化が進んだ地域
生地が出来上がるまで、糸商、綛上げ業、紋意匠業、撚糸業、染色業、整経業、意匠業、繰返業、セット加工業、機拵業、機屋意匠、撚りつけ業、巻き返し業、機巻業、製織業、捺染業、整理加工業、縫製業とあげると本当に数多くの職人さんが携わっていることがわかります。

何百年もの歴史の中で、積み重ねたきたそれぞれの家業が担う工程を一人では全てできません。
織物が完成するまでには分業された人々を繋げる「機屋(はたや)さん」というコンダクター(指揮者)の存在があります。

産地は、生態系に似ていて、森をつくるには微生物から植物、小動物がそれぞれに関係し合わないと成立しません。一度失われてしまえば、二度と同じ森はできません。
産地は、そういう家業にたずさわる人々が暮らしの中でものをつくるというライフスタイルに結びついて成り立っています。

ヤマナシ

スライドの「甲斐絹」は、かいきと読みます。

ヤマナシハタオリトラベル、シケンジョテキ

富士山柄の絣絵甲斐絹の逸品。

ヤマナシハタオリトラベル、シケンジョテキ

山梨の郡内地域は、江戸時代から郡内縞という絹織物の産地として知られていましたが、特に明治以降は熟練した職人技を必要とする甲斐絹(かいき)という絹織物で有名な産地でした。
甲斐絹は、羽織の裏地に用いられる高級絹織物として、江戸時代の終わりころから昭和初期にかけて盛んに生産されていました。

ヤマナシ

甲斐絹の歴史は、江戸幕府によって奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が発令され、贅沢な服装が禁じられた時代に、裕福な人たちが裏地でこっそりとオシャレを楽しむために生まれます。

ヤマナシ

山梨の郡内地域は、消費者から遠く、生地の買い付けのために商人にきてもらうために、高度な技術と手間をかけて、甲斐絹のように軽くて高価な生地を作る必要があったのだと思われます。

甲斐絹は、先染め、細番手、高密度の高技術
甲斐絹は、糸を染めてから織られ、先染めされたたて糸とよこ糸の色の違いでつくる格子柄やストライプのほか、たて糸だけに細やかな柄をプリントして立体的に表現します。また、極細の絹糸を高密度で織る甲斐絹はハリがあり、高級感ある生地にしあがります。

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甲斐絹の名前にもある「絹」は歴史上でもシルクロードが誕生したことからもわかるように、他の天然繊維よりも優れた価値をそなえています。

では、なぜ絹が他の天然繊維よりもすごいのかって!?

例えば、毛や綿、麻の糸の場合は、糸をつくる繊維の長さが、せいぜい数センチから数十センチの短い糸でそれらの糸をより合わせてつくりますが、

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絹の場合は、最初から糸の繊維が長いのです。

その長さ、なんと数千倍の1600メートルにも及びます。

今では、ナイロンやポリエステルでいくらでも長い糸が作れますが、19世紀までは、人間が手にできる長い繊維は絹だけでした。シルクロードができる理由もここにありました。

長い繊維が光沢を生む
長いとなぜよいのかというと、天然繊維で唯一、シルクサテンのウェディングドレスのような上品な光沢があります。昔の夜会や舞踏会のわずかな光しかないなかでキラリと光る洋服は貴重なものでした。

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かつては、山梨産地は高級織物産地として一般の消費者にもその名を馳せていました。
詩人の金子みすゞの「二つの小箱」という詩にも甲斐絹が謳われており、当時は小さな女の子も甲斐絹を知っていたことがわかります。
しかし戦後には、甲斐絹という名は和装の習慣が薄れるとともに消え、産地が名前をなくした時代が到来します。

ヤマナシハタオリトラベル

山梨・郡内地域は、甲斐絹の技術を持ちながら、織物が有名だったの?という疑問符がつくのには理由がありました。

それが、OEM生産です。

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業界の人しか知らない、誰にも知られない産地
OEMとは、製造を発注した取引先のブランドで販売される製品や、生地の生産を発注先の工場(ここでは機屋さん)が請け負う生産手法です。

発注元の取引先は、自社が展開するブランドによって製品を販売するため、有名な企業のブランド製品を山梨の企業がつくっていると公表することは禁じられることが多く、山梨の産地が名前をなくしていきました。

ヤマナシハタオリトラベル

山梨産地に戦後から続くOEM生産が、映画「千と千尋の神隠し」の千尋と湯婆婆の関係に似ていると五十嵐さんはいいます。

主人公の千尋という女の子が、湯婆婆の湯屋で働く際に、湯婆婆は千尋から名前を奪い、代わりに「千(せん)」という名前を与えます。
OEM生産も同じように機屋(はたや)の名前は奪われ、ブランドの生地はどこで作られているのか知られないまま商品として販売されていきます。

「千と千尋の神隠し」 © 2001 二馬力・GNDDTM

ヤマナシハタオリトラベル

ヤマナシ産地が成長するために
ヤマナシ産地は、長年OEM生産という指定されたデザインを作る依頼に特化してきたため、デザイン機能を自社にほとんどもっておらず、企画・提案や販路開拓や流通経路の拡大などのノウハウがありませんでした。
ヤマナシ産地がこうしたノウハウがなく苦労する中で、この数年間に何をやってきたのかというと、主には3つ。

1、郡内織物産地と東京造形大学とのコラボ(FUJIYAMA TEXTILE PROJECT)
2、ヤマナシハタオリトラベル
3、ヤマナシハタオリ産地バスツアー

1つ目の東京造形大の学生と機屋さんのコラボのきっかけには、テキスタイルデザイナー鈴木マサルさんとの出会いがありました。
すでに、産地の人たちが織物を並べて紹介する展示会を何度もやってはいましたが、展示会をうまくコーディーネートできる人がいませんでした。

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鈴木さんが、デザイナーとして独立した間もないころに、産地に飛び込みでデザインの営業活動をしていた時代があり、その時に面識があったこともあって、産地組合は鈴木さんに展示会のコーディネーターを依頼します。

鈴木さんは、それまでのコーディネーターとは明らかに違っていたそうです。

ヤマナシハタオリトラベル

展示に向けた1回目の会議で、機屋(はたや)さんたちが、展示したい作品を持ち寄ります。
それを受けた鈴木さんが、2回目の会議で、「みなさんが持ってこられたものは却下です。この生地を展示に出すのであれば、僕がいる意味がない。」と鈴木さんが機屋さんに言葉を放ちます。その言葉に機屋さんみんなが躍起になり、その年の展示では、鈴木マサルさんオリジナルデザインの生地を各社がそろえて展示します。
誰にでもできる仕事ではなく、鈴木マサルさんは、自分の名前を無くさないお手本を見せてくださったことで信頼関係が生まれます。

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その頃、鈴木マサルさんの指導をうける産地の若手後継者の中から、テキスタイルデザインを学ぶ学生と交流してコラボ商品を生み出せないか、という声が上がり、産地の若手たちは鈴木さんにコーディネートを依頼します。
最初は、鈴木さんはコラボなんて中途半端のものしかできない、機屋さんはただでデザインをもらえて、学生もデザインしたものがすぐに製品になると思い、責任を持たないからと断られていました。

そこを産地の後継者たちは、本気でやるという思いを伝えて、見兼ねた鈴木さんもコラボの話を承諾してくださって話が進み、鈴木さんが指導されていた東京造形大学とのコラボがスタートします。

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学生と機屋さんとがコンビを組み、学生が相手の立場での提案をし、機屋さんも提案に受けて立つというコンビプレーで製品づくりをしていったそうです。
機屋さんにとって、リスペクトをしてくれる人と対等に仕事ができることは、初めてといっていい体験だったかもしれません。

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この学生とのコラボが話題になり、産地の取組みがいろいろとうまく回転しはじめます。
学生が大学を卒業した後もコラボブランドは続き、自社ブランドが生まれていきます。鈴木さんと学生との出会いが産地を変える大きな転機になります。

売れる自社ブランドをつくる企業も増えていきます。

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TENJIN factory(テンジンファクトリー)の小林新司さんが中心となり、自社ブランドを展示できる人たちでヤマナシの織物、ヤマナシ産地をアピールしていこうと周りの人に声をかけて都内で展示を始めます。
それが、2つ目の「ヤマナシハタオリトラベル」です。

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ヤマナシハタオリトラベル誕生
普段は生地を織っている機屋さんが店頭に立ち、山梨のテキスタイル製品と山梨の素晴らしさをお客さんに直接伝えていこうという、今までにはなかった展示販売「ヤマナシハタオリトラベル」が2012(平成24)年に始まります。

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業者をまったく入れずに店舗設計から、全て手作りの展示をつくっていったそうです。思いの詰まった展示でお客様にも大変喜ばれ、百貨店からも声がかかるようになっていきます。

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会場に並んだ商品、富士山をモチーフにしたユニークなネクタイや、「甲斐絹」独特の手触りが感じられる傘、ストールなどの産地、ヤマナシの魅力を伝える「かせ繰り機」も展示されました。機屋さんならではの演出です。

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自社ブランドで作り手の名前、顔を出した製品づくりへ
今までは、グループで展示を行っていた機屋さんたちが、一人でも展示会をしていきたいと意識が変化していくようになるなど、この活動はインキュベーションプロジェクトとしても機能していきます。展示の回数を重ねるうちに、1企業が都内ホテルのスイートルームで展示会をするという前代未聞なことも起こり、とてもいい影響がありました。

「『千と千尋の神隠し』の物語では、名前の奪われた千尋は最後には名前を取り戻し、ひとまわり成長して帰っていきます。ヤマナシ産地もハタオリトラベルをしながら成長し、名前を取り戻し、湯婆婆と千尋のような昔のOEMの関係ではなく、お互いをリスペクトした関係にバージョンアップしている途中です」と五十嵐さんはにっこりです。

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3つ目に行っていることは、「ヤマナシハタオリ産地バスツアー」の開催です。

ヤマナシハタオリ産地バスツアーとは、BtoBのビジネスマッチングを目指したバスツアーです。バイヤーさんや織物・繊維に携わる方がツアーに参加し、山梨の機屋さんの工房を巡り、さらには山梨の観光まで楽しめるツアーです。

参加されたことのある宮浦さんいわく、本当に楽しい!バスツアーに参加した皆が仲良くなれてワクワクしちゃうそう!

ヤマナシハタオリ産地バスツアーの始まりは、すでに甲府でジュエリーバスツアーというバスで工房を巡る企画が開催されていたことがヒントとなり、自分たちが機屋さんの工場・工房を巡り、機屋さんの話を聞いて回って、知らなかった話を聞く面白さを体感していたので、これは機屋さんバージョンでできればきっと面白くできるはず!とアイデアが膨れていきます。

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機屋さんの新しい流通先を作りたいという声も多く、バイヤーさんをツアーに呼び込めば、ビジネスを生み出す場に繋がるはずと企画が固まっていき、2011年に始動させます。
年に3回の開催で、もう今年で18回目を迎えるバスツアー、参加されたデザイナーさんと機屋さんとのコラボが始まったりといろいろな効果が出始めています。

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バスツアーでは、ヤマナシ産地をある程度わかった状態で機屋さんを回って欲しいとの思いから、バスの中で勉強会を開催しています。

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勉強会で配布される冊子のクオリティがとにかくすごいのです!
実際に現場へいく前に勉強できるようにと、五十嵐さんの手作りでヤマナシ産地の織物についての基本知識から機屋さんの情報がまとめられ、さらに工場で作られているテキスタイルが機屋さんごとに貼られています。わかりやすいし、見ているだけでも楽しい!

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さらに、ヤマナシ産地に興味がある人たちに向けた入門書「LOOM」もあるんです!

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こちらのフリーペーパー「LOOM」には、ヤマナシ産地でのいままでの活動が網羅されており、産地の魅力がいろいろと詰まっています。
五十嵐さんは、「LOOM」の製作にあたり、山梨出身のデザイナー土屋誠さんにお願いしたいと考えていました。自らを「やまなしのアートディレクター」と名乗る土屋さんは、資金は自分で出して、山梨の人と暮らしを伝えるフリーペーパーを普段から作られている方。取材された人たちは、何かデザインすることがあった時は、土屋さんへ相談しようと思ってしまうほど頼りがいのある方なんだそうです。
五十嵐さんも、土屋さんに是非、依頼したいと交渉を重ねて土屋さんへの依頼許可を取り付け、「LOOM」を完成させます。

ヤマナシハタオリトラベル

いろいろなヤマナシ産地の織物プロジェクトを動かす五十嵐さんの情熱は、どこから生まれているのでしょうか。

「自分だからこそできる強みを活かして、相手を驚かせたい、楽しませたい気持ちが自分を突き動かしているんだと思います」と五十嵐さん、にっこり。

自転車旅行でみた山梨の自然が決め手
五十嵐さんは学生時代、工業デザインを学んでいました。しかし、学生の頃は、暮らしに物が増えていくことよりも、物が無いほうがいいと思うタイプで、工業製品のデザインをつくる未来が自分の中に見えずにいたそうです。

山梨へやってきた切掛けは、中学生の頃から趣味だった自転車旅行。新潟から千葉に帰る経由先の山梨で見ていた自然でした。自転車を走らせながらみる景色に圧倒された五十嵐さん、自然に囲まれて暮らしている人への羨ましさを感じていきます。
都会のビルの中で工業製品づくりに没頭するよりも、山梨の自然に囲まれながらデザインに関わる仕事をするほうが輝いてみえたことと、当時、暮らしや地域をデザインするブランドセンターが各地に出来はじめた頃で、山梨にもデザインセンターができるよという話を聞き、山梨への引越しを決意し、山梨県庁に就職します。

ヤマナシハタオリトラベル

企業が求めていることを汲み取り実践
最初に甲府市に配属され、経営者向けの山梨デザイン塾を担当します。社員にデザイナーがいない分、デザインをどう考えていけば良いのかという基礎を外部デザイナーさんを呼び、今の時代にあったブランディングを学ぶ場を五十嵐さんは当時の上司の方に学びつつ作っていきます。甲府市配属から8年後の1999(平成11)年に、富士吉田市に異動になり、富士吉田の企業が、なにを求められているのかを考えながら、いろいろな取組みを続けていらっしゃいます。

「学生時代から製品をデザインすることよりも、難しいことを簡単に伝えるにはどうしたら良いのかを考えるのが好きでした。」と五十嵐さん。

五十嵐さんが作るスライド資料や、冊子、さらには場の作り方、今日お会いした1日で五十嵐さんらしさ(=モノ、コトをわかりやすく伝える特技)を随所に発揮させています。五十嵐さんたち「シケンジョ(富士工業技術センターの愛称)」のみなさんがヤマナシ産地の情報を発信しているブログ「シケンジョテキ」も大変わかりやすいですよ!

ヤマナシハタオリトラベル

五十嵐さんや、山梨の機屋(はたや)さんの想い、さらには山梨の魅力が詰まった冊子「「LOOM」」。
この「LOOM」を持ってヤマナシハタオリ産地を旅すると楽しさが倍増します。無料だとは思えないハイクオリティに驚きますよ!

ハタオリフェス

今年は、バスツアーの日にちを合わせて、はじめて富士吉田市が開催する「ハタオリ」テーマのイベント、「ハタオリマチフェスティバル」(通称「ハタフェス」が開催されました。

ヤマナシハタオリ

ヤマナシ産地、および日本各地のファクトリーブランドやクリエイターが集う初のハタフェス!この様子は、こちらでご紹介しています!

ヤマナシハタオリトラベル

山梨の織物産地の魅力をいろいろなプロジェクトで盛り上げている影の立役者、五十嵐さんにお話をお聞きし、知らなかった山梨の魅力をさらにもっと知りたいと思いました。貴重なお話をありがとうございました!

「山梨には、ワイナリーという先輩がいます。ワイン産地でも小さな工場は大きなブランドのメーカーに樽を納めていた時代がありましたが、今ではそれぞれの工場が独自のワインブランドとして確立し、ワイナリー巡りを楽しめるようになっています。いずれはヤマナシ産地も、ワイナリー巡りに続く、織物巡りができるようになっていけると思います」と五十嵐さんが語るヤマナシ産地の未来を、しゃかいか!も応援していきます!

【詳細情報】

山梨県富士工業技術センター

電話番号:0555-22-2101
住所:山梨県富士吉田市下吉田2095
シケンジョテキURL: http://shikenjyo.blogspot.jp/

(text:坂田、photo:市岡、※一部写真は、シケンジョテキからお借りしました)

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