能登半島を切り出して作る!七輪 能登燃焼器工業
今日はモノ作り...っていうか、探検!
今回の現場は七輪づくり。原材料を採るところからスタートです。ヘルメットと長靴に身を包み、しゃかいか!がはじまって以来の重装備で安全第一を心がけたいと思います。
能登半島は珪藻土でできている!
場所は石川県の珠洲市で、能登半島の端っこにあります。
なぜ能登で七輪なのか?というと、七輪の原料に使う珪藻土(けいそうど)が豊富に採れる産地だから。
能登半島は珪藻土で出来ている!といってもいいくらい、珪藻土がたくさん埋蔵されているんだそうです。
珪藻土は、藻の仲間(=珪藻)の死骸が海の底に沈んで堆積してできたもので、それが長い時間をかけて分解され、最後に残った殻が化石化した岩石のこと。この岩石には小さな孔がたくさん空いていて、この小さな孔が集まった構造から優れた断熱性(=保温性)が生まれます。この熱効率の高い断熱性と、珪藻土の成分それ自体が持つ耐火性とが合わさり、ぴったりだ!ということで七輪使われることが多くなりました。
珪藻土からは、化石もたくさん出てきます。化石ファンにはたまらない、
七輪・コンロと呼ばれる物は、金属製品、陶器製品その他様々な種類の製品がありますが、今回取材に伺った能登燃焼器工業さんの場合は「切り出し」という製法を採用。文字の通り、珪藻土のひとつの塊を切り出して七輪に成形していく、最も原始的かつ珠洲市にしか残ってない特殊製法なんです。知らんかった。
いよいよ坑道へ。
坑道に入るとなんだか磯と草の混じったような匂いがしてきます。これは海の底の匂い。
一日に少しずつ掘り進み、壁のように平らにしてから直方体の珪藻土の塊に切り出します。
足元に水が出てきます。海の底だった珪藻土の層には水分が多く含まれているため。能登燃焼器工業では、この水が流れ込まないように坑道は上へ上へと堀り進む必要があります。
どんどん奥へ奥へ進みます。坑道はアリの巣のように枝分かれしています。一つの山で全長何キロにもわたることもあるんだとか。
切り出し作業中の「壁」に到達。
入り口から歩き始めて数分、坑道を何度も曲がって職人さんが作業をしているところに到達しました。
テッポウ(鉄砲)ノミで溝を削っていきます。きれいに溝が刻まれていきます。
できた溝に楔を打ち込み、「岩」を切り出す。
珠洲では古くから珪藻土のことを「岩」と呼んでいましたが、今は職人用語になりつつあり、能登燃焼器工業でも「岩の質が良い・悪い」といったように使われています。
入社4年目の古川さん。一日にだいたい0.5壁くらい進むんだそうです。
おつかれ様です。これからも頑張ってください!
切り出した岩が積まれている。この一つの塊に切れ目やヒビが入っていると七輪に成形する工程や、釜で焼いている時に割れてしまうため、時にはせっかく切り出しても一日筋トレして終わり、なんてこともあるんだとか。
昔はみんなだいたい珪藻土堀り!
能登地方では崖や岩場にこのような黄土色のシミを見つけることができます。
これは珪藻土が地表に現れてきたもの。
昔はこのあたりの人たちはみんな、このシミを見つけて道具を持って珪藻土を掘っていたそうです。昔といっても80歳・90歳くらいのこの地方のおじいさん・おばあさんに尋ねると、岩(珪藻土)工場で働いていた方をたくさん見つけることができます。中には自家用にかまど等を作っていた方もいらっしゃいます。
能登地方のゴールドラッシュならぬ、珪藻土ラッシュの時代。
この地域の人々は何かしら珪藻土の恩恵にあずかって生きてきた、と言えるかもしれません。
珪藻土の岩が七輪という道具になっていきます
いよいよ成形の工程へ。
能登燃焼器では坑道のすぐそばに工房が建てられます。坑道から切り出された岩を手早く運び出し作業するため。
職人さんが切り出した岩を規格サイズに大きさを整え、表面をきれいに削り出していきます。
この作業は「まなぐ」と言います。この地方の方言。
まなぐ!
僕も作業を体験させてもらったのですが、ノミを持つ手を動かすのではなく、上半身を同じ型に保ちながら、体全体を上下に動かすのがコツ。これがナカナカの力仕事。腰と太ももの外側の筋肉が鍛えられます。
あまり分厚く削るとノミの刃が内側に入ってしまって。途中で止まってしまいます。
チョコレートかカレーのルゥみたいな感じでまないでっ!
七輪づくり45年の社長のアドバイスが飛びます。
外の形ができたら、炭や薪を焼べる穴の部分は機械で荒削りをしたあと、
焼く方も焼かれる方も珪藻土!
七輪をきれいに積み上げて焼きます。
この釜は社長のお手製でこの釜自体も珪藻土でてきています。
つまり、珪藻土で作った釜で珪藻土の七輪を焼きます。それくらい熱効率に優れている!ってことです。
まるまる2日間火を通します。寝ないで火の番をしないといけません。
七輪の原型を作ったのは古墳時代の人たち。
珠洲市の鵜島遺跡や七尾市の無関カキノウラ製塩遺跡など能登地域では、他にも製塩の遺構がたくさん見つかっていて、古墳時代から奈良時代くらいの人たちは、すでに1000年以上も前から断熱性や耐火性に着目し、製塩施設の炉壁として珪藻土を利用していたと考えられています。
焼きあがった七輪の重さは、焼く前と比べて約半分になります。軽く持ち上げられるくらい。
切り出しから七輪の形になるまでは重いので男性、その後の仕上げ作業は女性(軽くなるから)と作業を分担しているのだそうです。なんだか優しい分担です。
いろんなサイズ、形に出来上がります。
能登地方の人たちのバーベキューはもちろん、七輪!!
炭はつけるのが大変、だけど熱が長持ち。
最近は旅館で出てくる卓上炭火七輪や、炭火焼きを家庭で楽しむ本物志向の個人向けの需要も増えてきました。
また、炭火の料理店で素早く炭を提供するため(炭はすぐに火がつかないので)炭火保存器としての需要もあります。炭は着火するのが大変だけど熱が長持ちするので、重宝されています。
炙りの魅力、発信中!
珠洲市を含む奥能登では、丸の内朝大学2013年夏学期地域プロデューサークラス能登編の受講生との共同企画「Noto Aburi Project」の中で、七輪・炭・火おこし道具、というすぐに炙れるアイテムをそろえたご当地商品「炙りキット」をアピール中。
道の駅でも販売されているので、七輪ビギナーにはぜひ試していただきたいです。
焼きあなごに〜
(写真提供 Noto Aburi Project)
バーニャカウダー!!
(写真提供 Noto Aburi Project)
こんか鰯もどうぞ!
脂ののったうるめ鰯を塩づけし糠・麹・唐辛子を入れて一年以上漬け込み発酵・熟成させた北陸のお料理です。
(写真提供 Noto Aburi Project)
坑道の切り出し作業から、仕上げ工程までとても懇切丁寧に案内してくださった舟場慎一さん。
地元の珠洲市にUターンしてきたのは3年前。
学生時代に4年、就職して10年。東京で仕事をしていたいという思いと、実家と地元がなんだか気になってひっかかる感じがずっとしてる「矛盾」を抱えながら過ごしていました。
東京勤務時代にも故郷を盛り上げようと、東京でイベントやお祭りを実際に開催したことも。
野望は、地元と東京を通訳すること
地元と実家が「逃れられないもの」になって珠洲に帰ってくることを決心したきっかけは東日本大震災。今の野望は「地元と東京を通訳する役割を担うこと」
東京で経験したことと今の珠洲市の進行形の体験をつなぎあわせて、今ここにいる人たちがそのままのライフスタイルで気持ち良く過ごすことができるようになることを目指して、発信していくことが今の自分の与えられた使命だと考えているのだそうです。
「自分には珪藻土と七輪という生業があってラッキーを享受している」と慎一さん。七輪のようにずっと暖かい熱意を保ち続けている野望を僕らに語ってくれました。
本当に有難うございました。
(text:西村 photo:清谷)
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