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作り手に出会い、作品を見て、また来たくなる!
菰野の伝統工芸、萬古焼の産地を見学してきました。

萬古焼イメージ

全国各地にある焼き物の中でも、土鍋で有名なのが萬古焼。素朴な風合いの器はいつの時代も家族の真ん中で楽しい食事を演出してきました。

菰野町の自然

萬古焼の産地である菰野町は、鈴鹿山脈の麓にあり、年間数十万人が訪れるという御在所岳、来年で開湯1300年を迎える湯の山温泉がある観光資源に恵まれた町です。この雄大な自然の中で萬古焼も町の産業として発展してきました。

萬古焼が生まれたのは、江戸時代中期の1740年頃ですから、おおよそ300年の歴史があります。もともと伊勢天目茶碗を扱っていた、桑名の豪商沼波家の五左衛門弄山(ろうざん)さんが、桑名の朝日町小向(おぶけ)に開窯。自身の作品に「萬古」と印を押したのがはじまりと言われています。

萬古焼イメージ

その後、さまざまな系統に分かれながらも、江戸時代には茶器や急須、明治時代には洋食に合わせた食器やコーヒーカップづくりと、姿を変えながらその時代に合わせ技術が受け継がれてきました。その後、萬古焼は四日市市を中心に三重県北部の基幹産業として地域の経済を引っ張り、戦後には菰野町にも窯が生まれ、海外輸出、高度経済成長の波に乗りながらさらに発展してきました。現在もこの鈴鹿山脈の麓では多くの窯元が作品作りを続けています。
そして、今日は菰野町に萬古焼を通して町を元気にしていこうとする職人さんたちがいると聞きつけやってきました。

山口陶器に訪問

まず最初にお邪魔したのは山口陶器。

山口典宏

社長の山口典宏さんです。
山口さんは学校卒業後四日市のコンビナートに就職、その後家業である山口陶器に就職しました。今日は、よろしくお願いします!

山口陶器工場イメージ

工場の中を見せてもらいながらお話を聞きます。
萬古焼ができるまでの工程をざっくり言うと6つ。
(1)原料である土を水で溶かし泥にする、(2)その泥をろくろで成型(もしくは型に流し込む)、(3)乾燥させた後、(4)素焼き、(5)釉薬で色をつけたり柄を描き、(6)本焼き。
以上のような流れになります(ザッとです!)。

原料の土

これが原料となる土。
以前はこのあたりでも採取できたそうですが、最近は宅地化が進み現在では瀬戸の方から粘土を仕入れています。一口に粘土といってもざまざま。割れにくいもの、食器に使うので白色がきれいに表現されるもの、丸いのをつくるのに得意な土などそれぞれの特性に合わせて使い分けています。

土を計量する

この土にアフリカのジンバブエで取れるペタライトという土を半分ほど混ぜます。このペタライトという土のおかげで火にかけても割れなくなります。つまり土鍋などの加熱用の陶磁器に最適な原料なんです。

形を作る工程では、機械で型に流し込む方法と手で作る方法があります。
同じものを数多く作らなければならない時に機械が登場。水で溶いて泥にした原料を機械の口へ投入、地下の通り道を抜け、下から圧力をかけて型に流し込んでいきます。そして乾いたらパカっと型を外します。

ろくろ 山口さんしゃべる

型は石膏でできていて社内では作らず、外部の型屋さんにお願いすることになります。
最初がこんなの作りたいな、と手でプロトタイプを作り、それに合わせて型を作るという流れ。
「先ほど見てもらった土屋さん、この型屋さん、素焼きの生地を作る生地屋、釉薬屋といったように、萬古焼は分業で作られています。有田焼なんかだと『運び屋』といってあって運ぶだけのお仕事もあります。僕は自分のことは陶器屋だと思っていますが、美濃の方に行くと僕らは『窯焼』って呼ばれます」と山口さん。

分業を続けるか、内製化するのか、それとも新しい体制なのか?の
ターニングポイントがきている

と、山口さん。「昔『生地屋がなくなるよなくなるよ』って言うてたんですけど、周りはそやなぁくらいでした。でも、今になって大変だと騒いでいる。一企業として生き残るためには、すべて内製しておけば、どこか協力先の一つがなくなった時の不安はなくなります。しかし、産地全体として見た時には、どこかの会社がなくなったり職人さんがいなくなると縮小になるわけで、やりにくいことが出てきてしまいます。例えば土一つを買うにしても、産地の中にある企業だからきちんと届けてくれる。規模が縮小して一企業だけだとひょっとして届けてもらえず、自分たちで仕入れ先を探さないといけなくなるかもしれません。技術が絶えてしまうこともあるわけですから、産地全体として生き残っていこう、っていうのが僕のビジョンです。仕入れの他にもたとえ内製できる設備があったとしても、技術を残していかないといけないからある程度の分業は必要。そのためにも、僕らはある程度産地のみんなに仕事をお願いしながら、産地全体として回せる努力を続けないといけません」。
できないから自分たちでやっちゃう、というのは仕方がない面もありそうですが、あえて同じ産地の仲間に仕事をふる力を持つことが、産地全体としての発展を考える上で大切なことなんですね。

山口陶器の職人さん

手で作る場合は、丸いものはろくろで。四角いものは粘土をこねるように作っていきます。
ベテランであってもやはり、全く同じものを作るのは難しいのだとか。
手で作る場合は、固い土を使わずあらかじめ柔らかめに作っておいて後でそれぞれ表情を出すために表面を削ったりもします。山口陶器としては、どちらかというと手作業を重視。機械があれば同じ品質のものが大量にできますが、仕上がりを決めるのは機械。機械によって決まってしまうので、差別化するために手で作る製法にウェイトを置いています。

カップの場合は、ろくろで成型したものを一個ずつかんなで削る。その後、水につけたスポンジで表面を滑らかにします。取っ手の部分はやはり土で接着し、口の部分は表情を出すために作りっぱなしです。ザラザラとツルツルを操る。

乾燥中の萬古焼 山口さんと萬古焼

そうして、生地を乾かしたものがこれ。まだ焼く前の乾いた状態ですが、水分がなくなり、色が白っぽくなっています。器とフタでセットになるものはこの段階で1つずつバリをかんなで削って水を吸ったスポンジで磨いて表面を滑らかにしておきます。

素焼きの萬古焼 萬古焼の窯

続いては素焼き。約800度の温度で焼きます。
素焼きの役割は、最終の焼きの工程で割れにくくすることと、続いての釉薬をつける工程で色の濃さを一定に仕上げるため。一度焼くと水分がなくなるので水分量の個体差がなくなり安定します。生地に含まれる水分量は見た目ではわからないので、素焼きを行うことで釉薬かけるのにハンドリングが良くなるという効果があります。
そして、水分量の他にも生地の中の不純物を飛ばすことで、釉薬をかけた後の不純物による荒れを防止するという役割もあります。素焼きが終わると不純物がないか一つ一つ点検。OKなものだけが、次の色付けの作業に進むことができます。

萬古焼に釉薬をかける 萬古焼に釉薬をかける手元

ハサミで挟んでドボーントつけてあげる。
先ほどの素焼きで水分量が違っていたり、不純物が混じっていると同じ釉薬をかけても黒っぽいもの、茶色っぽいものと全然違う仕上がりになってしまうのだとか。

釉薬には数え切れないほどの種類がありますが、ここにあるのは40種類ほど。今はだいぶ減らしました。
「昔は受託仕事だったので、お客さんがこの色にして、と言ったらそれを作るのにまたそのための釉薬を作る、ということを繰り返して数が増えていったのですが、余るし、つど作っていると基本的に採算が合いません。
釉薬も自社で半分くらい作っていますが、半分は外注に出しています。釉薬の会社も減っているので。困らないようにリスクに備えつつ、しかし、そこをゼロにしてしまうと産地としても困るので半分は産地のを、とバランスをとりながらやっています」

萬古焼の検品

そうして、色をつけた生地を1,200度でだいたい13~14時間焼くと萬古焼のできあがりです。

これからは数の時代ではないので、
自分たちができる最適なものを作る

「今までは、中央にものを持っていけば売れる時代でしたが、三重県に行ったら面白いのやってたよ、と広げてもらう環境を作って、さらに多くの人にきてもらって品物に触れてもらわないと、行き残っていけないと思います。つまり産業観光です。
来てもらう、触れてもらうきっかけを作るために、近くに『かもしか道具店』というお店を作りました。
今までは下請けで、言われたものを言われたように言われた数だけ作ってきましたが。お店を作る、直接会ってお話しする、そして次に自分たち自身で考えてまた新しいものを作っていくというサイクルを作っていくことが、今大切なことだと思っています」と山口さん。

かもしか道具店

その、山口陶器のブランドショップ「かもしか道具店」にお邪魔しました。
畑の中に突如どん!という感じで現れます。
お店の名前にもなっている「かもしか」は地元菰野町にある御在所岳に生息する「ニホンカモシカ」にちなんで、産地ブランドを作りたい、という思いが込められています。

かもしか道具店店内 かもしか道具店4th-market

12年前に同業者4社の仲間で有限会社を作り、4th~marketというブランドを展開しました。
「ごてごてっとしたものが多い萬古焼ですが、萬古焼でもデザイン性のある食器があるんだぞ!とそういう思いで挑戦したのがこのブランドの出発点です。」

萬古焼の急須

こちらは萬古焼の定番アイテム「急須」ですが、茶葉を炒るための「焙烙(ほうろく)」の機能も兼ねそなえた「ほうろく急須」。耐熱性に優れた土を使用した萬古焼ならではの便利アイテムです。
「この急須ごと火にかけて、茶葉の色合いや香りの変化を楽しみながら、お茶をいただくことができます。また、長い時間持ってても疲れにくいように持ち手部分が長くなっていたり、一煎目で開いてしまった茶葉が注ぎ口で詰まってしまうような時にも、フタ部分の穴から二煎目を漉して注ぐことができるという、デザインと機能性を両立した急須になっています。」

らくやき

らくがき、ならぬ「らくやき」
色を塗って電子レンジでチンすると色づけした器ができてしまうという、作っても使っても楽しいお皿。

らくやきアップ

お店の中にはワークショップができるスペースもあります。
ろくろじゃなくて板状の土をたたいて作る器のワークショップを開催しています。
夏休みはお子さんの自由研究に、ワークショップ巡りをしている女性グループ。ご両親がこちらの人で、東京の在住のファミリーがご両親にプレゼントを、って言うのでみんなでやって来ました。いろんな人が参加してくれます。

溝のないすり鉢

溝のないすり鉢。
「溝があるとゴマが半分くらい詰まって嫌でしょ、って思って作りました。溝がなくても十分すれますよ。十分すぎるくらい。ストレスフリーなんです。」

かもしか道具店の商品

他にも、機能面とシンプルなデザインが特徴の楽しい焼き物たちが並んでいます。
「いいんだけどとにかく説明しないとわからない。売るために出向かないといけない」と苦笑いの山口さんですが、説明しないといけないものが多いと逆に専用コーナーを作ってもらえる、というメリットもあるそうです。

かもしか道具店で記念写真

作り手と使う人のこと双方を考えながら着実に力強く前に進んでいく山口さん。
産地を守る、という簡単ではない使命を達成するために、丁寧に、そして楽しそうに一つ一つの器の説明してくれる姿がとても印象的でした。

松尾製陶所入り口

続いての萬古焼の窯元は「松尾製陶所」。
入り口には蚊遣り豚がお出迎えしてくれました。

松尾製陶所の松尾さん

松尾製陶所の松尾徹也さんです。よろしくお願いします!

蚊遣り豚がいっぱい

蚊遣り豚がいっぱい。ブーブー聞こえてきそうです。
伊勢志摩サミットの時はサミットのもの。最近パンダが生まれたからパンダを作ったり。(パンダの蚊遣り豚ということです)。その時期やイベントに応じて、いろんな豚がいます。蚊遣り豚を見ていると時代が見えてくる!

松尾さんが見学スタート

「それじゃ、見学コース案内したるわな」と見学がはじまりました。

蚊遣り豚の製造過程 説明してくれる松尾さん 蚊遣り豚の説明をする松尾さん

空洞の蚊遣り豚の場合は石膏の型に泥を流し込んだ後、中身の土をドバーッと流し出します。
あれ、全部出てしまうのではないかな、と思いましが心配はご無用。
きちんと石膏の型の中面に泥が付着していて乾かすとちゃんと蚊遣り豚の生地ができています。

土の塊の蚊遣り豚

土が抜けていないと、蚊遣らない豚(写真の左)になります。
可愛らしいけど、中が詰まっているとごっつい重い。

松尾さんが喋る

松尾製陶所は、菰野町内の5つの小学校の社会見学のコースになっています。
製造工程を説明する見学するだけではなく、しかも!松尾さんは学校に出向いて実習の授業を行っています。5つの学校を順番に回って、マグカップやシーサーの置物などを製作を子どもたちに指導。造形のお手伝いが終わると、学校で乾燥していた子どもたちの作品をトラックで持ち帰って、窯で素焼き。そして、窯出しした作品たちをまた学校に持って行って色をつけたり柄をつけたり。そして、それをまた持ち帰って、窯で仕上げの焼成を行います。

小学生の作品の萬古焼 愛おしそうな松尾さん

「こうやって曲げたり、いっぱい尻尾をひっつけたり、2時間でここまで作り上げてくる。子供やけど大したもんや。もっともっと凝ってる子もいる。2時間とか子供むちゃくちゃ夢中になってやってる。最近は学校にクーラーが入ったから、気が散ることもなく集中してくれる」ともはや、職人というか学校の職員並みのかかわり方です。

もうだいぶたつぞー。もう10年近くやっている。
菰野町で育った人たちはだいたい松尾さんのことを知っていて、トラックで走っていると「松尾のおっちゃーん」と声をかけてくれます。
「でも、この間不審者と間違われたんや。私が職員室通さないで教室に勝手に入って行ったら不審者って校内放送されてしまった」

7月ごろから作品作りがはじまり、10月になった今でも授業を行なっています。明日は8時45分、1限目から行かないといけない。順番に回ってずーっとどこかの学校に行ってる。

今日も素焼きの窯の中には小学校3年生の作品が焼かれています。
菅原小学校のシーサー、菰野小学校のお皿やマグカップ。学校の頭文字と出席番号で全ての作品を管理!

小学生の萬古焼

「色々と想像力豊かやぞぉ~。よう考えとるよ。子どもたち。花柄書いて、形無しでぶっつけ本番の2時間で作らないと行けない。そのあと私が素焼きして持っていったあげたり。お金儲け離れてしないといけない。というかお金儲けの時間がない!」
とその言葉とは裏腹に子供の作品を見る松尾さんはめっちゃ嬉しそう。

この松尾製陶所と菰野町の小学校の取り組みが始まったきっかけは、昔小学生としてお世話にした先生が探検するからって挨拶に来てくれたことから。
せっかく来てくれたし、見るだけじゃダメだから、土触らないといかんで、ということで松尾さんの授業がスタート。そこからあっという間に町内の全校に広まってしまいました。

お話しする松尾さん

「小学生にとってはそういう経験が、自分らが生まれて土や物が出来て行く過程が思い出されるよね。シーサーを作ると何年かたった後も何かの機会でお邪魔した時に玄関先に飾ってくれてることもある。喜んでくれてるみたいだし、私も嬉しいねん。」

松尾製陶所の窯 松尾製陶所作品

しかし、子どもたちに授業をしているのは理由があります。

それは萬古焼の未来のこと。
「これからは売るところまでちゃんと見ないといけない。販売先も決めて、自分たちが値決めできる立場で、自分のところでパッキングして最後まで届けるべき。
各産地の特色がなくなってしまったね。土などの原料は手に入る、石膏の型もだいたいよく似ている、どこで注文してもできる。各産地の特色がない。信楽の土も簡単に宅配でお取り寄せできるし。今までは四日市は土鍋で残っていた。土鍋だけは四日市に本当に残しておきたい。土鍋と急須だけは四日市の名物で。
だけど後継者がいてないわ。萬古焼の急須も豚も残したいけど、どこまで残っていくかわからない。」

だけど、土鍋と急須、蚊遣り豚だけは…残してやりたいわな。
「四日市名物。岐阜県に行けば徳利。常滑行けば急須の種で。萬古焼だとおなべ。岐阜県のおろし地区は寿司湯のみ、泉地区は線茶碗、汲み出し椀、各産地で特色があったけど、この頃はごちゃごちゃになりやがったで。余計にわからなくなった。土鍋と急須、蚊遣り豚だけは…萬古焼として残してやりたいわな。

松尾製陶所で記念写真 犬の置物

最後に、
「これ、今度やる窯出し市のオマケだけど..よかったら持って帰り。熱いから気をつけてな。」と松尾さんが渡してくれた焼き立ての萬古焼の犬は、ほんのり暖かでした。

クラフト石川外観

夕暮れ間近。最後の窯元はクラフト石川です。

クラフト石川店内

おしゃれな作品が並びます。

クラフト石川のご夫婦

クラフト石川は、主人の石川哲生さんと奥さまの二人で運営。
写真からもお二人の仲良しさが伝わってくるでしょ?

クラフト石川は、石川さんが25年ほど前に独立してスタート。40歳を過ぎてから独立したので、結構大変だったそうです。
「もともと先代からっていう環境のいい人だったらいいのかもしれないけど、陶器っていっても窯から、土練る機械から、設備を全部揃えるとそこそこ資金が必要。今若い人も結構陶芸家志望もいますが、なかなかこういった工房を持って独り立ちというのは難しくて。完全な陶芸家になりきれていない人がいっぱい世の中にいます。」

クラフト石川工房内

「作品は作ることができても、自活というか...そうね。本当それだけで生活ができない人が多いもので。
どちらかというと昼間どこかで働いて、夜作品作りをするとか。そういう方が結構多いんですよ。ちょっとかわいそうといえばかわいそうだし、ある程度覚悟がないとできないもので。それこそ、これで絶対に身を立てるっていう思いが強くないと。
私が独立して以降、一人工房借りて独立してますけど、菰野町ではもうそれ以降全然独立していません。」

クラフト石川の作業風景

二人でやっているからこそ、好きなものを、しかし丁寧に作ることができる
「問屋さんや商社から受けた仕事ももちろん請けているんですが、作ってと言われたものを作るだけでは、張り合いがないもので、やはり家内と二人でやってても、これちょっと違うぞ、と言う感じで喧嘩しながらでも二人だと仕上げることができますが、他人さんに任せてしまうと、その辺が難しいもので。怒らせてもいけないし、あまり甘いことをしていても品質が下がってしまうとう難しい状態はありますね。」

クラフト石川作業の手元

と、訥々と語りながら、お皿の端の方を細かく仕上げていきます。
この微妙な工程を省かないことが、仕上がりに違いを生むのだそうです。
「こんなのでも、この角のあたりを丁寧にきれいにしていくだけで、いい形になるもんで。この辺がやはり自分でやるのと他の人に頼むのとはちょっと違いますね」

「あんた、よう儲けないでほんまに職人やな~」と奥様に言われてしまう石川さんですが、自分で作りたいものを作り、その作品を行商のように全国の陶器市に自ら販売に出かけるのだそうです。

笑う奥さん

ダイレクトメールを出す数が、300人から多いときで800人!!
お礼を兼ねたDMを書くと次の会場にきてくれたり、と固定のファンもついてくれるようになりました。ハガキを持ってきてくれた人にはお礼の作品をプレゼントするなどで、お得意様の割合も向上。今では、年間8箇所くらい出店しています。

クラフト石川のイメージ

「工房も来てもらうこともあります。遠くは八王子からみえたり。大阪からも。いろんなところから来てくれますので。工房に居ることを確認してもらって来てもらえれば、応対はできます。
今日も名古屋の方がおみえになったんですけど。」
全国にファンがいらっしゃるんですね、というと少し照れくさそうにしながらポツリと「まあ、一応.」いう石川さん。作品はもちろん、石川さんの人柄にほれてみんな会いにくるのかもしれないなぁと思えた瞬間でした。

話を聞くしゃかいか!

『前にあそこのイベントで買ったんですけど、3年前くらい前に買ったやつ、あれないですか?』と言う電話がかかってくると、まあそれでも時間はかかるけど、対応はさせてもらいますわ、と言います。
前のを使いたいと言われると、やはり作る意欲も出てくるし。この年齢になると仕事も楽しくしないと、いけないもんで。

クラフト石川の作品

クラフト石川の作品の図柄は、娘さんの手によるものも多くあります。
娘さんは工房に来ると「こんなの作ろう!」と決めて、そして描いてくれます。
「うちの場合はできるだけ、日常食器というか毎日でも使ってもらえるようなものを作ろうということにしています。まあ、ターゲットも若い人に決めながら、私は年取ってますけれども..。」

クラフト石川の作品2 クラフト石川の作品3

工房の隣にあるギャラリーでは、定番の土鍋から女性が好みそうなアイテムまで。ほっとするような佇まいで並んでいます。

クラフト石川店内2

石川さんはクラフト石川の主人でもあり、「菰野ばんこ会」のリーダーでもあります。
菰野ばんこ会は、菰野町に窯を持つ7人の職人さんの集まり。「菰野ばんこ七人衆」とも呼ばれています。
実は今日お邪魔した山口さん、松尾さんもその菰野ばんこ会のメンバー。

窯出し市イメージ

主な活動は年に一度11月に行われる陶器祭りの「菰野窯出し市」。
スタート時の菰野ばんこ会の主な活動は、情報交換という名の飲み会を年1回するくらいで、これはアカンなという思いで。石川さんがこういうのをやりたいと言い出しっぺになり「やろか」、といってはじまりました。

ばんこ窯出し市

12年目の今年も盛況でした。
ここ2~3年はだいぶ増えて、2日間で4,000~5,000人も来場者があります。
菰野町役場の河川敷で行うようになって数年、駐車場があるので両手に抱えピストンで車と会場を往復し、買い物というよりも仕入れに来ているのではないか、というくらいの量を買って帰る方もいるのだとか。

陶器市のお隣の河原では、お買い物するお母さんのかたわら、子供とお父さんが河原で遊んで楽しみます。景色もすごいいいですから。天気のいい日は御在所や鈴鹿山脈がバッチリ見えます。

嬉しそうにお話しする石川さん

「地元の方も買われるけど、名古屋や大阪からとか結構遠方からも来てもらって、ちょっと若い子も多い。来てくれんですわ。その子達がまた友達連れて大阪かから来てくれてありがたいことに、バカ買いしてくれたり。屋台も一切出ないので食べ物を楽しみにくるのではない、本気の陶器市です。」

窯出し市のえと

毎年干支の箸置きのお土産を焼くんですよ。
と見せてもらったのは、松尾さんのところでも見たあのホカホカの干支の犬。形は同じで色や艶感はその窯元が自由に決めていくそうです。
窯出し市の参加もベテランになってくると、ああこの色はどこの窯のもんだなとわかるようになるそうですよ。

菰野ばんこ会

石川さんによると、この七人衆たち。仕上がりや作品としての特徴はもちろんそれぞれに個性を持っていますが、何より人もそれぞれ結構な特色があるんだそうです。
「それも、強烈な特徴ね」と石川さん。
今日お会いできたのは3人ですが、だいたいわかります!

語る石川さん

「窯出し市の時のように、誰かが何かをやろう、となるとすぐ実行できます。7人しかいないので結構まとまりやすい。40人50人規模になると、それぞれがあっち向いたりこっち向いたりするんだけど、7人だと一人がいい意見を言うとそれにひっついて行く感じで進めやすいんです。山口さんはこれからの萬古焼についてしっかり思いがあって、彼がいえばああいいことやなぁーと協力したり。今は七人衆のSNSでグループを作って、こう言うことしないか?と言ってみたりすると、賛同があって過半数あればすぐやろう、と言う感じで。そんな感じでやっています。
考え考えしているとなかなか前に進まないけど、いいことだったら見切り発車みたいな感じでばーんと行ってしまうとそれなりにみんなついて来てくれますね。良いと思ったらすぐ進められる。私も自由に楽しくさせてもらっています。」

ばんこ会は仲間でライバルで、やはり最後は仲間。
「松尾さんは松尾さんでああいう感じの人だし。面白い。みんな特徴ありますね。
やはり同業者なので、それぞれがライバルなんだけど。やはり一つのことをなすときには仲良く手を繋いでやっていかないとちゃんとしたものができない、ということがわかりました。
普段は本当にあそこの製品がいいなぁ、羨ましいと正直思いながらもライバル心を燃やす。そういうのがないとやはりいいものもできてこないし。

山口さんは若いし、菰野だけじゃなしに四日市でも先に行ってるので、みんなが見習わないといけない。顔も広いので、いろんな遠くの人たちとも異業種も人とも話をしたりして。情報もよく知ってるし、若いけどやはり僕らも注目しながら、ええ意見があれば取り入れて、という感じです。どんどん走ってもらうと周りの人間が、ああいうことやってんな、どうするんだろう、という感じで考え始めるし。彼も絶対教えない、という人間じゃないから。いいことを教えてくれます。」

インタビュー風景

「うちは他と違って二人でやっているから、後継者もできるのかできないのかわからないけど、自由に楽しんでやろうと思います。心配なのは後継者がだんだんいなくなって来ると萬古焼自体も小さくなってしまうこと。そのままであれば土や原料がスムーズに入って来るし。それが縮小すると自分のところでチャーターして土を取りに行かないといけないなどの不便な面も出て来るし。ずーっと発展性がないとそういう面では不利になって来てしまう。
繋がっていけるような体制をうまくみんなが心配しながらやって行けばね、いいと思うけど。
自分のところさえ良ければいいわ、というのは通用しなくなっている。イベントだけじゃなくて注文があった時も、良い品物つくるために協力し合わないといけないです。助け合うっていうのがないとね」

クラフト石川で記念撮影

同業のライバルだけど、尊敬し合う仲間だから一緒になって進められる、そんな良い関係こそが産地の強みなのだな、ということが実感できたお話でした。

今日お会いできたのは七人衆のうちの3人の職人さんでしたが、残りの4人にも会いたくなるようなそんな一日。産地をまわり作品を見せてもらいながら、作り手たちのお話を聞いて、また来たくなる、という旅の楽しみを発見することができた萬古焼のツアー。
みなさんも、ぜひ菰野町の窯元を巡ってみてはいかがでしょうか。素敵な焼き物と人に出会うことができますよ。

【詳細情報】

山口陶器

住所:三重県三重郡菰野町大字川北200-2
電話番号:059-393-2102

かもしか道具店

住所:三重県三重郡菰野町川北
電話番号:059-327-6555
https://www.kamoshika-douguten.jp/

松尾陶製所

住所:三重県三重郡菰野町竹成1926
電話番号:059-396-0519

クラフト石川

住所:三重県三重郡菰野町永井3029
電話番号:059-396-3731
http://craft-i.net/

(text:西村、photo:阿部)

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