輝くガラス、4代目に受け継がれるDNA 江戸切子 小林
明治41年に始まり代々続く「江戸切子小林」4代目昂平さん。
20代では数えるほどしかいない江戸切子職人の道を
3代目淑郎さんの姿を見ながら工房で技術を磨く毎日です。
江戸切子は江戸末期に生産が始まり、
もともとは、透明なガラスの表面に様々な模様のカットを施し、
手摺りと磨きで仕上げていくガラス細工でした。
3代目淑郎さんの作品は全体にカットを散りばめた総柄が特徴だそうです。
「この世界は厳しいからこいつには厳しい」
実は、昂平さん、大学当時はまだ進路に迷っていたそう。
父、淑郎さんからは「この世界は厳しいからこいつには厳しい」と
継いでくれと言われて育ってきたわけではなく
職人は生きていけない時代だから
むしろ継がない方がいいと言われて育ってきたそう。
母から「折角この家に生まれてきたんだから、継ぐ継がない関係なくやってみなさい」
と言われてしぶしぶやっていたそう。
昂平さん、明治大学3年の春、
アメリカで体験したホームステイの最終日に転機が訪れます。
日本から持参していた江戸切子のぐい呑みに
ホストマザーがカットの細かさに大変感激されたそうです。
その頃から、切子への気持ちが変化していきました。
帰国し、就職活動を始める友だちが増えていく中、
工房にこもり、江戸切子と向き合う生活が始まりました。
昂平さんに再び転機が訪れます。
大学が開催していた展覧会で
見事、学長賞を授賞したことも大きな切っ掛けになったよう。
「蛙の子は蛙だと思った」
3代目淑郎さんは
「大学の展覧会にカットした切子を出したことがあってさ、教えたことなんてないのに賞とっちゃって、できたのをみたらやっぱり蛙の子は蛙だと思った」と。
「今は基本を学んでいるところで、早く一人前になりたい」と昂平さん。
3代目に相談することもなく、熟練した手元を見て技を盗み
自分で手を動かして覚えていく日々だそうです。
工房には、戦前からの
ガラスを削るために使用されていた道具がずらりと並んでいます。
江戸切子の工程の流れは
1、割り出し
2、荒摺り
3、石掛け
まずは、割り出しです。
交点と交点を結んだところを削っていくため、
割り出し機を使用し、
ペンで縦と横の線を引いて交点を出します。
削ると後戻りできない緊張の連続
3ミリぐらいの人工ダイヤの粉末がついた
ダイヤモンド盤を回転させ、
水を流しながら文様を荒摺りします。
この作業が本当に難しい。
素人が削った作品とは一目瞭然の出来映えです。
「モノづくりの世界は感覚だから理屈じゃない。説明して覚えるんじゃない」
そう語る3代目の父と背中合わせに黙々と作業しています。
未来に向けた新たな取り組みも模索しているようです。
江戸切子の世界で親子ともに活躍する小林淑郎さん、昂平さん!
本日はありがとうございました。
江戸切子の美しいカットがうまれる動画もご覧下さい。
(text:坂田 photo:市岡)
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