ラブ&ピース&ソース! オタフクソース
お好み焼ソースで日本一、オタフクソース本社工場とお好み焼のミュージアムを見学じゃけん!!
オタフクソース本社の近隣にあるお好み焼の情報発信の拠点Wood Egg(ウッドエッグ)お好み焼館に来ました。
この中にある「おこのミュージアム」には、広島お好み焼の歴史、オタフクお好みソース誕生や原材料のこと、そしてオタフクソースの会社のことがふんだんに展示・紹介してあります。
案内してくださる牧川さん。
「広島お好み焼をご飯と一緒に食べますか?」という質問に、牧川さんは「麺があるから食べません〜!」とやさしくキッパリ。今日はよろしくお願いします!
ミュージアムのエレベータのドアがあくと…
昭和30年代のお好み焼店の展示。
広島でお好み焼が広まりつつあったのがちょうどこの時期。
お好み焼と深い関わりのある一銭洋食をかつて販売していた駄菓子屋も、
今から50年ほど前のお店なので、もちろんレプリカが多いのですが、中には地元の方から「これ使って」と本物を寄贈されることもあります。
この麺の入れ物もその一つ。実際に使われていたものなんですって。
広島のみなさんがいかにお好み焼とオタフクソースが大好きかがわかりますね。
このコテも。
使い込まれていて先が丸くなってチビているのがわかります。
これでいくつものお好み焼が食べられたのでしょうねー。
広島お好み焼の起源は、一銭洋食といわれています。
水で溶いた小麦粉を薄くひろげた生地に、ネギやとろろ昆布、魚粉、天かすなどをのっけて焼き、半分に折ってウスターソースを塗って食べられていた昭和初期の子どものおやつです。戦後、麺などいろいろな具材が加わり、広島お好み焼が誕生しました。
広島の戦後の復興をささえたお好み焼
昭和20年8月6日に広島市に原子爆弾が投下され、数え切れないほどの人が犠牲になりました。
そして焼け野原になった広島の復興をささえたものの一つが、お好み焼でした。
近くの軍需工場の拠点であった呉では重工業が盛んだったため、戦後鉄板が手に入りやすく、その多くが広島お好み焼のお店で使われることになり、広がりを後押ししました。
さらに広島への海外からの救援物資として送られてきた小麦粉。それを使って調理できた一銭洋食に、手に入りやすいキャベツやモヤシなどを加え、ボリュームが増していきました。さらに、そばや卵、肉などが加わり現在の広島お好み焼になっていきました。
広島お好み焼の具が重ねられている姿は、だんだん平和になって、物資が豊かになっていく象徴だったのかもしれませんね。
お好み焼店の名前に「○○ちゃん」が多い理由
広島のお好み焼は、「みっちゃん」や「さっちゃん」など「ちゃん」がついたお店がよく見られます。
お客さんに親しみを持ってもらうためというのはもちろん、自分や子供などの名前をつけて店名として大きくのれんに書くことで、戦争で別れた家族に居場所を知らせるという理由もあったそうです。
重ねる!広島お好み焼
広島お好み焼の特徴は、具材の種類の多さ。
これだけ重ねます。
この展示には海外からのお客さんもビックリされるんだとか。
さらに栄養面でも炭水化物(粉やそば)やビタミン(キャベツ)、たんぱく質(豚肉や卵)などがバランスよく摂れ、ミネラル(青のり)などトッピングを工夫することでさらに多彩な栄養を摂ることができる食べ物なんです。
そして、キャベツはエライ!
広島お好み焼にはたっぷりなキャベツが定番。
美味しくて栄養もたっぷり。
ミュージアムには、歴史や原材料の他にも入れ替わりでさまざまな企画展示があります。
お好み焼店さんと一緒に作ったソース
オタフクソースの会社のことももちろん展示されています。
オタフクソースの創業は1922年(大正11年)。もともと商店としてお酒や醤油を売っていました。1938年(昭和13年)にはお酢づくりも開始。この時はじめて創業者である佐々木清一さんにより「お多福酢」というブランド名が生まれました。戦後すぐの昭和25年には「これからは洋食の時代!」とアドバイスを受けウスターソースの販売を開始。
しかし後発メーカーだったため、あまり売れません。そこで当時ウスターソースがお好み焼に使われていたため、直接味を見ていただけるお好み焼店などの飲食店に販売に出かけました。そこで、ウスターソースはお好み焼にかけるとサラサラしていて鉄板に流れ落ちてしまい、すぐに蒸発してしまうという店主の声が。それをヒントに、「とろみ」のあるお好み焼ソースの開発がスタートしたのです。それから、ソースを作ってみては、お好み焼店で味をみてもらいアドバイスをいただきながら試行錯誤を繰り返し、1952年(昭和27年)「お好み焼用」ソースが発売されました。
ソースの原材料はおこのミュージアムで見ることができます。このおっきなソースをひっくり返すとその秘密が隠れています。
甘さとコクの秘密「デーツ」!
原材料を少しだけ教えてもらいました。
この果物はデーツといいます。
食べました!
食感は乾燥イチジクに似ていて、噛むと黒糖ようなコクのある風味と甘みが口の中に広がります。
原産地は中近東のこのあたり、1991年の湾岸戦争の時には、その影響でこのデーツの輸入がとまって「お好みソースができなくなるのでは」とマスコミにも取り上げられました。平和がたいせつ。ラブ&ピース&ソース。
ブラックペッパーをひく体験ができる石臼も!工場にも石臼があり、焼そばソースなどに使うブラックペッパーをひいているそう。
いよいよ本社工場へ。
お好みソースを作る工程は大きく分けて3ステップ。
混ぜて、たいて、詰める
先ほど見せてもらった原材料を調合した後、
加熱殺菌機を通ります。
このパイプの中で加熱されて、タンクに貯められます。
そのあとは充填。
ボトルにソースが注ぎ込まれます。仕切られた部屋で行われていきます。
昨年、お好みソースの容器は、少しシェイプアップしてスマートになりました。
満員の冷蔵庫の省スペースにすこしでも貢献するため。スマートボトルなので「スマボ」と呼んでね。覚えやすっ!
お好みソースのキャップも新しくなり、その名も「ピタッとキャップ」!
こちらはソースをかける時に、ソースがキャップにたれて汚れることを防ぐように、液切れを向上させたもの。
このキャップのおかげで、お好み焼店のようなシャープなゼブラっぽい見た目もできやすくなります。
ボトルの胴部分に貼り付ける三角シールとそこに記載される賞味期限のチェック。印字漏れがないか、かすれていないか、などを確認。
ん??水戸黄門のテーマが流れてきた♪
「人〜生、楽ありや〜、苦〜もあるさっ」実際はインストなので、フーフフッフッ〜♫だったのですが、これは三角シールがなくなってきた、サインの音楽。
曲のチョイスは社員さん。いくつかの曲の中から選べるんだそうです。
シールを補充して、音声がやみました。
これでOK!
この工場ではお好みソースを年間約2万キロリットル生産しています。
今日見せてもらった小容量の容器へのソース充填のラインを担当している社員は3人。
工場の中は厳しく衛生管理がされています。
写真は佐々木さんです。
首まで覆われた二重構造の衛生に配慮した制服で異物混入など徹底的に防ぐ工夫がされています。
社長と同じ名前の佐々木さんはこの工場の衛生管理のシンボル!
出来たての焼そばソース。
今日できあがったばかりなので、あったかい!野菜と果物と愛が詰まっています!
動物たちが頑張っています
段ボールに詰められたソースたちは、いよいよ出荷。
トラックへの積み込みのためゾウ、ゴリラ、キリン、トラ(をペイントしたマシン)が働いています。
今日は特にゾウが頑張っているように感じました。
みんな、これからも全国にソースを送るためにがんばってください!
そして出荷。
全国のスーパーやお店へ届けるためにトラックで倉庫へ運ばれます。
オタフクソースは「らっきょう酢」も作っているのですよー。ケースにももちろんお多福さんのお顔があります。
はい、ソース!
最後には記念写真までいただきました。シャッターの掛け声は「ハイ、ソース」。
思わずニッコリしてしまいます。
「ハイ、おこのみやき」というバージョンもあります。
お多福さんに込める願い
オタフクソースのシンボルであるお多福さん、けっして美人とは言えないのですが、そのお顔には、さまざまな思いが込められています。
いつも笑顔を絶やさない、ほそい目
謙虚な姿勢、ひくい鼻
かしこい知恵がある、広いおでこ
人の話をよく聞く、大きな耳
心も身体も健康、ふっくらしたほっぺた
無駄なことや人が傷つくことを言わない、小さな口
その顔は、人生の甘いも辛いも酸いも苦いも知り尽くした深い表情だったのですね。
このお多福をシンボルにした工場はきっと末長く愛される、と実感した見学でした!
【詳細情報】
WoodEgg お好み焼館 (オタフクソース株式会社)
電話番号:082-277-7116
住所:広島県広島市西区商工センター7丁目4-5
受付時間:9:00〜17:00
休館日:土・日・祝日及び年末年始、お盆、当社休業日
料金:工場見学コースは無料、広島お好み焼教室コースと体験コースは有料
(要予約。おこのミュージアムは自由に見学可能)
URL: https://www.otafuku.co.jp/
(text、photo:西村)
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