時代と共にかたちを変え、ものづくりが生き続けるまち 八王子市中野上町 0041walk参加レポート
町を歩けば美味しい野菜を作っている農家さんがいて、素敵な家具を作る職人がいて、耳を澄ますと織物を作っている音が聞こえる。
衣食住にかかわるものづくりが溢れている場所、東京八王子市の中野上(なかのかみ)町にやってきました。
こんにちは!八王子出身の森口理緒です。普段は織物産地である山梨県富士吉田市で、地域おこし協力隊として織物関係の活動をしています。でも今日は山梨県を飛び出し、同じく繊維産業が盛んだった八王子市中野上町へやって来ました。
中野上町は織物工場や染め工場、ニット工場、染料屋さんと、小さな街の端から端まで繊維に関わる工場がたくさんあった地域で、町を歩くといたるところでノコギリ屋根の空き工場を見つけることができます。
この日は中野上町を自転車でぐるっと回りながら、中野上町のものづくり仲間たちに会いに行くツアー「0041walk」に参加します。
中野上町は住宅地が多いものの、家と家の間に鉄工場や紙器工場、天然酵母を作る工場など、繊維産業以外の多種多様なものづくりが生きている地域です。
さらに最近になり、感度の高い木工作家たちがこの街に集まり、空き工場や空き倉庫をアトリエとして蘇らせています。
工場というより、こうばや工房という言葉が似合う規模感で、工業と工芸の間のものづくりをしている人たちが集まっています。
東京の八王子にある1つの住宅街で、なぜ様々な分野の作り手たちが集まっているのでしょうか。0041walkで様々な分野のものづくり仲間を訪ねる中で、その秘密に触れられた気がしました。
そこには、かつての街の営みがカギとなり、新たな作り手を引き寄せる魅力があったのです。
0041walkを主催するのは2018年に立ち上がった中野上町の商店会、「0041商店会」です。この地域に集まったクリエイター、アーティスト、工場が中心となり、ジャンルを超えた地域の連携を生むために発足しました。ちなみに「0041」とは、中野上町の郵便番号下四桁を示したものだそうです。
日本の繊維やものづくりを発信する古民家「つくるのいえ」から出発
0041walkの出発点は、昨年末にオープンした繊維やものづくりを発信するスペース「つくるのいえ」です。つくるのいえオーナーは、中野上町の染色工場、奥田染工場の奥田博伸さん。かつての織物工場が隣接した古民家をリノベーションし、全国の繊維やものづくりが集まる場所として生まれ変わりました。奥田さんは0041walkの主催の一人でもあり、自身もものづくりをする傍ら、日本の繊維産業に関する情報発信をしています。
つくるのいえではこの日、装いの庭が主催するマーケット「なつの装い」や中野上町の織物や編物、野菜、パンを販売・展示する「中野上町マーケット」も同時開催中です。
つくるの家のちょうど向かいにある、青山良ニットさんが30年ほど前に製作したニットサンプルが展示してあります。当時の流行がよくわかる、ド派手で凝ったニットを発見しました。中野上町は織物と編み物、どちらの産業も盛んだった地域であることがわかります。
いつも素敵な帽子をかぶっている、装いの庭の藤枝大裕さん。デザインに込められた背景を伝え、デザインとものづくりの価値を再発見する場ときっかけを作っています。今回は夏に纏いたいデザインとして、山梨県北杜市を拠点に活動するブランド、「telyou」をはじめとした3ブランドの展示会が行われています。
telyouの作るバッグは肩にかけた際、物を取り出しやすいように工夫されています。実用的なアイデアを、可愛いワンポイントとして製品に落とし込んだものづくりをしています。
中野上町のたて編みニット工場、中山メリヤスさんの大変貴重なニットサンプルに大興奮!
編みタイツや漁業用の網など、資材を得意とするたて編みですが、中山メリヤスさんは複雑でファッショナブルなたて編みニットをたくさん作っていた工場です。工場はもう無くなってしまいましたが、サンプル帳が何十冊も残っていました。見本に書かれている情報には、貴重な技術やデザインをリメイクできる可能性を秘めています。
つくるのいえにいるだけでも、中野上町のものづくりに触れることができるのが0041walk。ますます中野上町に作り手たちが集まる理由が気になります。
展示会を見ているうちに、続々と0041walkの参加者が集まって来ます。総勢20名。
今日は徒歩ではなく、自転車で町を回ります。この日のために約20台分の自転車を用意してくれたのは、ご近所の自転車修理屋さん、「再来(サイクル)」の藤井清さんです。
藤井さんはプロ自転車チームの技師をしたり、2020年東京オリンピックの自転車競技のコース提案をされた経験もある方です。競技用から一般用まで、あらゆる自転車を使用目的に合わせて丁寧に修理してくださる、スーパー自転車屋さん!自転車に詳しい人も自転車選び初心者も、気軽に相談することができます。
藤井さんの誘導協力もあり、安全に道を走りながら街散策がスタートしました。
中野上町には、細い路地の間に住宅や工場が点在しています。人の営みが感じられる路地を走りながら、お互いの挨拶を交えながら街巡りをします。
八王子にやって来た作り手の先駆者 野口染物店
つくるのいえから自転車を走らせ5分ほど、看板に歴史と趣がにじみ出ている野口染物店が最初の訪問地です。
野口染物店は200年以上続く藍染め工房です。1800年代の始め、もしくは1700年代に創業された可能性のある、とても歴史のある工房です。
創業当時は京橋と八王子に染色工房があったそうですが、江戸末期に八王子へ完全移転しました。八王子に移り住んだ作り手の先駆者的存在です。
野口染物店では、ただ生地そのままを藍に浸けて染めるのではなく、浴衣地に型染めを行っています。模様が掘られた型紙の上から防染糊を付着させ、生地を藍に浸すことで糊がついた部分だけ藍色に染まらず、美しい模様を表現できます。野口さんが糊付けの工程を見せてくれました。
多くの型染めは生地の表だけに模様をつける場合が多いですが、野口染物店では表裏に柄をつけることができる、両型染めをしています。
長い反物に柄のリピートを切れ目なくつけるだけでも難しい作業なのに、生地を裏返し、表と全く同じ位置に細かい柄を乗せることができる、特別な技法の持ち主です!
誰もやらない両型染めをすることで、他の型染めと差別化を測るために始めたそうです。
伸び縮みする生地の両面に同じ位置で柄をつけられるヒミツは、生地を硬くする特殊な糊にあります。糊で生地を硬くすることで、生地を板から剥がして裏返す際に生地が伸び縮みせず、柄を表裏ピッタリ合わせられます。糊の量は絶妙な調節が必要で、他ではなかなか真似ができない技術なのだそうです。
表裏に柄が施された浴衣の魅力は、浴衣の裾が「ヒラッ」と裏返しになっても表地と同じ柄が見えることです。生地を2枚重ねなくても両面に柄があり、一枚なので涼しい浴衣になります。オシャレさと粋、機能性を兼ね備えた浴衣はとても優美。
江戸時代に作られた型紙が工房の中に積んでありました。
持ってみると、とても薄く、指に挟んでないみたい。しかし薄いのにクタッとせず、適度なハリ感がある不思議な和紙です。野口さんによると、今ではこんな薄い紙を漉ける人はいないかもしれないそうです。
和紙には、人の手で切り抜いたとは思えないほど細かく精巧な模様が施されています。
遠くで見たらただの紙にしか見えないほど細かい柄は、当時の下級武士が副業で作っていたそう。副業とは到底思えない職人技に驚きました。
釜は150年以上現役 天然藍をたっぷり使った染め体験
型で防染糊を付着させ柄をつけたら、発酵している藍で染めていきます。
藍は釜の中から、藍がぷくぷく発酵していました。
野口染物店では、徳島県産の天然藍を100%使用しています。藍の発酵と染めを行う味のある釜は、工房が京橋にあった頃から使われている、150年ほどは現役という代物。釜は土の中に入っているため、一年中温度が一定なのだそうです。
今日はこの釜に直接手を入れ、藍染め体験ができます。職人の仕事道具に手を突っ込めるなんて贅沢なこと。しかも好みの色合いに合わせ、何回でも藍をつけられるなんて、これまた贅沢。管理が難しい藍を使わせてくれる優しさに感謝しながら、ワークショップの始まりです。
釜では発酵具合により、藍に石灰を入れて発酵を促しているそうです。染料の濃さは藍の量や他の釜から染料を加えて調節し、色のバランスをとっているそうです。天然の藍は湿度や温度に簡単に左右され、色の調節と管理がとても難しい「生き物」。
6代目の野口汎さんは釜の様子でその日の天候がわかるほどだそう。毎日藍の様子を見ているからこその、プロの感覚です。
参加者は糸からジャケットまで染めたいものを持参し、好みの色の濃さに合わせて藍
をつけることができます。私が染めるのは、太番手の綿シャツです。
1回目は薄い染料が入っている釜へ入れます。染め物は薄い色から入れていくのが基本なんだそう。
どうせならと手も染めちゃえ、素手で釜に手を入れてみました。
釜の中は意外と冷たく、ひんやりしてとても気持ちいいです。化学染料が入っていないので、匂いもほとんどありません。藍は空気に触れた途端酸化するため、ムラなく染まるようにTシャツを全て浸かるようにします。中でバシャバシャ生地を動かすと染料も酸化してしまうので、静かにゆっくりと染み込ませていきます。7代目の野口さんに、染め方のコツを優しく丁寧に教えてもらいながら染めることができました。
やはりムラなく染めることは難しい。Tシャツをできるだけ広げて全体に藍を行き渡らせようとしても、薄い部分と濃い部分がはっきり出てしまいました。
自分で藍染めを体験することで、職人が生地全体に色ムラなく染めることがいかに大変か実感しました。
染めた後は、野口さんが表面についた余計な藍を水洗いで落とし、乾かしたら完成です。
1回染めたものと2回染めたものでは、色の濃さが全く違います。
水が豊富な中野上町は繊維のまちへ
野口染物店が京橋から八王子へやってきた理由は、中野上町の地形にあります。中野上町は近くに浅川や川口川(かわぐちがわ)が流れ、地下水や伏流水も豊富な地域。染色をはじめとする繊維産業は綺麗な水を必要とします。江戸から近いため商売がしやすく、モノづくりに適した場所だったため、自然とこの地に産業がもたらされました。
野口染物店で藍染体験をしている合間に、工場の周辺を散歩してみると、工場跡地がたくさんありました。
繊維関係の工場や繊維産業に携わっていた女工さんの宿舎が残っています。
野口染物店のすぐ向かいの工場は、かつて日本で最大の製糸工場でした。今は日本機械工業という、特殊消防車を作っている工場になっています。
明治から昭和初期にかけ、いかに八王子がシルク生地の生産量が多かったのかがわかります。
江戸から明治にかけ、シルク(絹)の生産が盛んだった日本を支えていた町が中野上町です。野口染物店は、大きな繊維工場たちの中にあり、町の変遷を知る貴重な工場なのでした。
文化が混ざり合う喫茶 名物オーナーのいる馬天使で昼食
藍染め体験と町歩きで体を動かした後は、エスニックな音楽が流れる喫茶店でお昼ご飯です。場所は野口染物店から自転車で3分ほどの場所にある、喫茶馬天使さんです。
喫茶馬天使はかつて八王子市明神町にありましたが、昨年場所を移転し、中野上町でリニューアルオープンしました。喫茶馬天使はテキスタイルデザイナーの皆川明さんが駆け出しの頃によく通っていた喫茶店として知られる場所だそう。ここにも、ものづくりの香りが漂っています。
皆川さんのシーズンカタログブックみっけ!
馬天使の看板料理はカレーやパスタですが、チゲ鍋やチャーハンなど、喫茶店ではあまり出てこない料理もあり、チゲ鍋好きな常連さんもいるそうです。
オーナーの保高さんが振る舞う料理は、どれも優しい味付けです。ボリュームがありながらも、飽きずにあっと言う間に食べることができました。
料理が盛り付けられたお皿は、一つ一つがとても可愛い。規格から外れた有田焼のお皿を使っているそうで、同じデザインでも微妙に色合いが異なります。お店の雰囲気にピッタリの暖かい色合いのお皿を見ているだけでも楽しい空間です。
オーナーの保高さんの適度な距離感と安心感のある空間、創造力が掻き立てられる書物と音楽に包まれた、何度でも通いたくなる喫茶店でした。
欧州ヴィンテージ家具の再生技師 MICHIO OKAMOTO WAREHOUSE
塀と民家の間をくぐり抜け、突如現れる倉庫のような建物。中を覗くと、木製家具の温かみに包まれた、シックでおしゃれな空間が広がっていました。
ここは北欧家具のリペアと受注販売を行なっているMICHIO OKAMOTO WAREHOUSE。
オーナーの岡本道雄さんは、主に1950年代から60年代のヴィンテージ北欧家具を輸入し、リペアしてお客様に届けています。
岡本さんはもともとヴィンテージ家具などを使った空間づくりを主な活動としていたそうですが、家具をそのまま空間に入れるのではなく、先何十年もその空間で生き続ける家具として蘇らせたいとの想いから、ヴィンテージ家具のリペアを始めたそうです。お客様の要望やその人のイメージに調和するよう、何十年も使い続けられる家具に仕上げています。
岡本さんはイギリスで修復技術を学んだそうです。日本では「修復」と聞くと神社仏閣を修復する技師のイメージが強いですが、ヨーロッパでは建築学として家具のリペアを学べる機会が多いそうです。DIYの文化が根付くヨーロッパならではの環境で学んだ岡本さんが、1から新しい家具を作るのではなく修復をしている理由は、家具産業の歴史にあります。
かつて家具は、富裕層のみに許された嗜好品でした。1950年代や60年代の家具は、上質な木材と惜しみない時間をかけて作られた高級な家具がたくさん残っており、その中には今では絶滅危惧種になっている木で作られたものもあるそうです。
新しく木を切るのではなく、上質な木と上質な技術で作られた過去の作品をまた使えるようにすることに意味を感じたといいます。
工房の二階には、お宝のようなリペア前の家具がたくさんあります。
テーブルが何台も積まれた一番上に椅子が置いてありました。修復前の家具でも見せ方がとても洒落ていて、岡本さんの空間に対するこだわりが垣間見えます。
技と経験の蓄積を知る 家具リペアデモンストレーション
「家具の修理」と聞いても、一体どんな作業をするのでしょうか。岡本さんが普段見る機会が少ない家具のリペアをデモンストレーションしてくれます。
家具の状態や種類によりますが、修復の工程はぐらつきを組み直し、塗装を全て剥がしてオイルステインやオイルフィニッシュで塗り直すことが多いそうです。
塗装を全て剥がした椅子に、乾燥を防ぐ着色剤の「オイルステイン」を塗り、上からセラックニスとチークオイルを塗っていく工程に入ります。
高温多湿な日本で木造建築が多いのは、木が呼吸をすることで湿度を調節してくれることが理由の一つ。木には無数の穴が空いていて、スポンジのように水分を吸ったり吐いたりするそうです。
岡本さんは、一般的に行われているスプレーガンによる塗装は行わず、木に塗料を浸透させる古典的な「たんぽずり」という塗装方を行っています。
スプレーによる塗装は、木の表面を塗装膜で覆う為、木肌を感じる仕上げにはなりません。
「たんぽずり」は、綿を綿布で包んだ物で木の毛穴にセラックニスを浸透させる為、
とても手間と時間がかかりますが、細かい艶調整や雰囲気のある木肌感のある仕上げが可能です。
料理を食べただけで使用している食材や調味料、調理方法がわかるように、修復歴20年以上の岡本さんには、家具を見ただけでどんな手順を経て修復された物かわかります。
あらゆる業界の人から空間づくりや修復の依頼を受ける岡本さんの経験や技術、こだわりを感じる事ができました。
八王子はクラフトにはちょうどいい規模感
岡本さんのアトリエはもともと東京都小平市にあったそうですが、工房兼ショールームをつくる際手狭さを感じ、大きさがピッタリだった中野上町の空き倉庫を選んだそうです。
岡本さんが八王子に移ってから、オーダー家具WALDENやCASE GROUNDなどの木工作家が八王子へ移転してきました。WALDENの工房は、元繊維工場をリノベーションした建物です。同業者が集まったことで、得意分野を補う仕事のシンクロが起きたそうです。
そして岡本さんはつくるのいえのコーディネートをした張本人でもあります!つくるのいえは、空間づくりを得意とし、上質な古いものを大切にする岡本さんが八王子にいたからこそできたスペースなのです。
繊維産業と同じように、木工は人の手先と感性を必要とするクラフト寄りの産業です。ものづくりに向き合える規模感の工房を構えられる立地や元工場の跡地があることが、木工職人が中野上町に来る理由だと感じました。
ちょっと雨がぱらついてきましたが、みんなでわいわい自転車を走らせれば、濡れるのも気になりません。
プリップリの原木椎茸が栽培されていた!橋本農園
なんて愛くるしい生え方。ここは、プリッとした肉厚ジューシーな原木椎茸を栽培する橋本農園さんです。何百本もの原木が整然と並べられた椎茸農園は、畑とは少し雰囲気が違います。
橋本さんは、椎茸栽培歴46年。最初はニワトリの飼育をしていましたが、オイルショックの際餌の値段が高くなり、テレビで椎茸特集をやっていたのを見たことがきっかけで椎茸栽培を始めたそうです。テレビの情報から椎茸栽培を1から始め、46年間椎茸一筋で続けられる行動力にびっくりです。
使用しているのは、山梨県や埼玉県秩父市から取り寄せているナラの木。重さは一本大体10kgほどです。
けっこうずっしり!
椎茸を生やすには、土に苗を植えるように椎茸菌を木に埋め込む必要があります。
機械で均等に穴を開け椎茸菌を埋め込み、乾燥を防ぐために蓋をします。一連の作業を行う専用の機械があるそうです。
一度菌を植え込んだら、木全体に菌が行き渡るまで1年ほどかかるので、木の管理に神経が必要です。菌を植えた原木は1本で6回使うことができ、春と秋に椎茸が生えてきます。梅雨の時期は湿気が多く水っぽいしいたけになるので除湿し、冬は乾燥するため水を撒くこともあるそうです。
椎茸は木にしがみついているように、ちょこんと生えています。一つ一つ大きさや生え方が違うので、「私はこの椎茸が好き!」と各々好みの椎茸を見つけては愛でている参加者たち。見つめるとだんだん愛着が湧いてくるから不思議!
美味しい椎茸を見分けるコツ
橋本さんに、美味しい椎茸を見分けるコツを教えてもらいました。
向かって左の椎茸が新鮮で美味しい椎茸。右は少し痛みがかっている椎茸です。
右の椎茸のように、フニャッとせず、表面にプリッとした張りがあるものが美味しい椎茸だそうです。表面がしぼんでいて黒ずみ、水分を多く含んでいるものは痛みがかっている証拠です。
しいたけは収穫から2、3日で柔らかく真っ黒になり、臭いも出てきます。そのため朝のうちに収穫し、そのまま近所のスーパーなどに出荷します。常に新鮮な椎茸を届けるため、お休みほとんどはないのだそうです。
いただいた椎茸を後ほど試食しました。オーブンで焼き、シンプルに醤油でいただきます!
オーブンの中、煌々と照らされる椎茸。軸も太く、見るからに肉厚で美味しそう。
ぷりっぷり、ジューシー!
噛めば噛むほど中から汁がじゅわっと出てきます。醤油をつけずとも旨味がしっかり出ています。口の中が椎茸の香りで満たされてとても幸せでした。
これで0041walkツアーが終わりました。
今も残る繊維工場へ 奥田さんの特別ツアー
ツアーを終え、つくるのいえに戻った一行。
ただ、参加者の「工場がもっと見たい!」に応え、街イベントならではの即興繊維工場巡りツアーが始まりました。
奥田さんが織物工場と自社のプリント工場を案内してくれるそうです。
世界の織機と多様な織物 岡村織物
つくるのいえからゆっくり歩いて3分ほど、ご近所に機屋さんがあります。近づくと、かっしゃん、かっしゃんとシャトル織機の音が聞こえてきました。
日本、イタリア、ドイツなどの様々な国の機械で、ネクタイやストール生地を織っている岡村織物さんです。創業は1929年ごろ。かつては服地や資材用の生地も織っていました。
岡村織物の名人、通称”中野上町の仙人”こと2代目、岡村清さんが迎えてくれました。織物開発が得意で、1964年に開催された東京オリンピックの際、金属を織り込んだフェンシングのユニフォームを開発した経験もある技術者です。ちなみに、織物だけでなく写真家でもある清さんは、87才の今でも展示会に写真を出しているそうです。
岡村さんは普段シルクのネクタイを織っている織機で0041walkのロゴをあしらった生地を織ってくれました!この日のために柄組織を作り、しかも「納得いかないからもう一回作る」と、2回も織ったそうです。
八王子に工場があるため、デザイナーやアパレルと直接やり取りをしてきた岡村さんは、新しいアイデアを形にすることが純粋に好きな方です。
ご近所の奥田さんは、「開催まで時間がない中、頼んでもいないのに0041walk生地を織ってくれたことに驚いた。ものづくりにはコストがかかるのに、イベントでみんなに見せたくて織ってくださったんだろうね。本当にものづくりが好きだからこそできるんだよ。」とおっしゃっていました。
クリエイターが何度も依頼したくなる 奥田染工場
ラストは0041walkの主催者でつくるのいえオーナー、奥田さんの工場に来ました!
奥田染工場は、シルクスクリーンで生地にプリントをしている工場。生地に版を置き、手捺染で生地に柄を施す工場です。工場に入ると、長い捺染台が6台ほど並んでいます。
長い斜めの捺染台に生地をピタッと貼り付け、版を上から置き色つけを繰り返していきます。手で擦るため、力加減や版の置き方に技が必要ですが、それが色の温かみや凹凸感がとなって生地に表れます。
奥田染工場では生地に色を施すだけではなく、色を抜いたり糸を溶かしたりと、特殊な加工もしています。
大学でテキスタイルを学び、シルクスクリーンプリントで作品を作っていた参加者の1人は、奥田さんの解説に大興奮していました。
奥田染工場にしかない技術とその作品を見て、創造力が掻き立てれるデザイナーは多いのではないでしょうか。それくらいシルクスクリーン技術の魅力が詰まった工場が東京・八王子にあることを知り、同じ八王子出身者としてちょっと誇らしい気持ちになりました。
0041walkの参加者にイベントの参加理由を伺ったところ、「奥田さんに会いたくて来ました!」とか、「奥田さんと話してみたくて来ました!」との声がたくさんあります。
日々センスや技術が試される工場を仕切っている奥田さんの活動や感性、言葉、雰囲気に触れたくて会いに来る方がたくさんいるのです。
繊維産業で築かれた基盤が今のものづくりへ
0041walkのもう一人の企画者、装いの庭の藤枝さんにも話を伺いました。藤枝さんは中野上町のリサーチやイベント企画を通じ、「都心からの距離が近く、ある程度の広さを確保できるからものづくりが必然的に集まっている」と感じたと言います。
繊維産業に必要不可欠な水が豊富で、商売のために都心へのアクセスが良かった八王子。そこで生まれた小さな繊維工場跡地が現在、作り手を呼ぶ魅力になっているようです。地形により形成された繊維工場地帯が、その規模感に合う別の工場として生まれ変りつつある流れは、必然的のようにも感じます。
繊維産業は量産体制を取りながらも、新しいアイデアやデザインを日々生み出し続けている産業です。人の手と機械の両方を使いながらものづくりをしている繊維産業と、現在中野上町に集まっているものづくりは、分野は違えど似たような形態になっています。
東京にありながらものづくりに適した面積が確保でき、天然資源も豊富な中野上町は、ものづくりの遺伝子が形を変えて脈々と受け継がれているのではないでしょうか。
今回探検した工場だけではなく、天然酵母を作る工房や美味しいコッペパンを作る懐かしいパン屋さん、紙の包装材を作る紙器工場など、手仕事が生きたものづくりが中野上町内だけでもいくつもあります。あらゆる分野のものづくりや人に触れることができる、東京の街八王子中野上町に皆さんもぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
八王子市は明治維新後、電気の開通時期が早かったため工業が発達したり、大井競馬場の先駆けとなる八王子競馬場ができたりと、産業が活発だったそうです。0041walkに参加し、産業が発達していた名残を街中で見つけることができました。
現在クラフトの要素が入ったものづくりが再び注目されている中で、それらの名残を活かしたものづくりに対応できる場所が東京都内にあるんだ!と嬉しくなり、東京がものづくりに富んだ場所になる可能性があることにワクワクした一日でした。
(text:森口、photo:市岡)
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