1300年にわたって受け継がれる、越前和紙の魅力を探す旅
ものづくりの現場が大好きなしゃかいか!が今日やって来たのは福井県越前市の武生(たけふ)。現代まで受け継がれてきた技や製品や現場に触れ、次世代に工藝、技や文化を受け継いでいこう、をテーマに福井県越前市で開催された「千年未来工藝祭」というものづくりのフェスにお邪魔しています。
越前和紙、越前打刃物、越前箪笥(たんす)という3つのテーマで、千年未来工藝祭に先駆け行われた越前市の手しごとを巡るツアーをそれぞれレポートします。
バスで武生駅を出発。TIMELESS LLC.の代表で「ててて商談会」をはじめ、各地でのものづくりや作り手のプロデュースに携わっている永田宙郷(ながたおきさと)さんに今日のツアーをコーディネートしていただきます。
まずは町の皆さんが日本一だ!と胸を張る「越前和紙」から
ツアー最初の目的地は150年近くもこの地で和紙屋を営む「杉原商店」さんです。
和紙の産地は日本三大和紙の越前・美濃・土佐など全国各地にありますが、理由は江戸時代に紙の利用が民衆にも広まった結果、商品作物としての価値が高まり各藩内で製造が奨励されたからです。しかし、日本全国数ある和紙の中も越前の皆さんは「ここで作られたものこそが品質、種類、量とも日本一だ!」と胸を張ります。歴史なのか作り方なのか、その理由を見つけたいと思います!
ツアー最初の目的地は「杉原商店」さん。創業は、明治4年(1872年)で150年近くもこの地で和紙屋を営んでいます。
杉原商店のご主人の杉原吉直さんです。
大正時代に建てられた蔵の中で越前和紙の歴史の物語を聞きます。
産地としての条件を備え、消費地に近い。好条件が揃った越前和紙のはじまり
越前和紙の起源は今から1300年ほど前の7世紀頃と言われ、奈良時代に建てられた正倉院の中に730年の越前和紙で作られた戸籍「越前国大税帳断簡」が残っています。その文書には「雁皮(がんぴ)を主とした溜め漉き。実に見事な紙で、技術の著しい進歩が見られる」という記載もあります。
また、杉原商店から車で5分ほどの場所にあり、2019年に創建1300年を迎えた「紙祖神 岡太(おかもと)・大瀧(おおたき)神社」は紙の神様を祀り、紙漉きの起源にまつわる伝説も伝わっていることからも、歴史のある紙の産地であることがわかります。
奈良時代に新たに伝わった紙がこの越前の地域に根付いたのは、和紙作りに適した産地としての条件と和紙が多く利用される消費地でもあったからです。
紙の原料となる楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)や三椏(みつまた)といった木材が豊富で、川や伏流水、井戸水など紙漉きに適した水源に恵まれていたことに加え、同じ頃にはじまった律令制のもと、記録するための紙が必要とされました。
武生の地は古くは越前国の政府があり「府中」と呼ばれ情報やもの、人が集まってくる地域でした。また、越前国のあらゆる神社をまとめた神社の元締めである「総社」もこの地にあり、仏教の普及しはじめた時期には写経用紙の需要も高まり、琵琶湖の海運を通じて京や難波といった大消費地に和紙が供給されていきました。消費地に近い産地という絶好の条件が越前の和紙を発展させていったようです。
サラサラサラと書けて滲まない品質の高さがかな書きに適していた
やがて中国から導入した製紙技術も日本人の手によって発達し、レベルの高い紙が生まれることになります。遣唐使が廃止され、国風文化が華ひらいた平安時代には、文字も漢字から変体した「かな文字」が登場。崩した続け字であるかな文字では、サラサラと滑りと筆の運びが良く、にじみにくく光沢のある雁皮を原料に使った品質の高い紙が多く求められました。国司となった父に同行し越前の地を訪れた紫式部が、源氏物語の鈴虫の巻で「中国からきた紙は粗悪だから、国産の紙で教科書を書くように」と光源氏に言わせているほどです。
「奉書は越前に限る」と言われた武家社会での和紙
武士の時代になり漢字を使った公文書が増えると、和紙の原料も雁皮から楮を原料に使ったものが求められるようになり、楮の紙の中でも最高級なものは「奉書紙(ほうしょし)」と呼ばれるようになりました。奉書とは「たてまつる」文書のこと。当時のお殿様や偉い人は自ら筆を持つことはなく、お付きの部下に口述筆記させ「●●様がこう仰せである」という形式で最後に花押だけを本人が書く「奉書形式」の文書では、シワの少なくキメが美しい純白の越前和紙が使われました。
南北朝時代、越前の守護大名だった斯波高経(しばたかつね)によって「越前で作られた和紙はすごいぞ!」と宣伝された結果、室町時代後期から越前和紙の評判は全国に広まり、「奉書は越前に限る」と言われるまでになりました。鎌倉時代から数百年続いていた紙商いの同業組合である「紙座」の権利は、戦乱の時代になっても守られ続けました。それだけ紙の収益は領主にとって魅力的だったということです。
江戸時代になると和紙の生産は各藩の中で行われ地産地消が進みます。そんな中、福井藩では「御紙屋(おかみや)」という制度を設け、紙専用のお奉行様も配置し「五人衆」という限られた商人にのみ幕府や藩の公文書用の紙「御用紙」を漉き販売する特権を与え保護しました。江戸の将軍様にも献上されるほどになった越前和紙は、江戸中期には種類・量とも増加し「日本一の和紙」と言われるようになり、当時の越前和紙の仲買商たちは江戸の長者番付に載るほどだったと言います。こうして江戸時代が終わるまで、越前は「奉書だけを作っていけば食べていける」と言われる和紙の一大産地であり続けました。
武士の時代は終わっても越前和紙の隆盛は続く
武士の時代が終わり奉書を買うお殿様がいなくなっちゃったので、そりゃ困ったということでお札用の紙も作りました。
明治元年(1868年)明治新政府の日本で統一の初めての紙幣「太政官札」用の紙を漉いたり、昭和天皇即位の際に使われた「御大典」に使われた紙は、杉原商店の東京支店だった小伝馬町の「杉原紙店」から納められました。
「光の魔術師」の異名を持つ画家、レンブラントも魅了する雁皮の和紙
奉書紙、紙幣の他にも書道で使う和紙や襖の上貼りに用いられる鳥の子紙、画用紙、版画用紙、賞状用紙、証券などあらゆる紙がここ越前の地で生産されています。このように紙種の豊富さも越前和紙の特徴のひとつで、それを支えるのは紙の特性にあった木材が豊かだからです。
繊維は太くて長く強靱であるため、公文書用の奉書紙、紙幣用の他に障子紙、表具洋紙、美術紙など幅広い用途に使われる楮。繊維が柔軟で細くて光沢があり印刷適性に優れているため、日本銀行券の原料として、また金糸銀糸用紙、箔合紙、書道用紙、美術工芸紙に用いられる三椏。繊維が細く短く光沢がある優れた原料で、金箔銀箔を打ちのばす箔打ち紙や襖の下貼り用の間似合紙に用いられる雁皮など。利用目的にあった原料を使い分けさまざまな和紙を生み出す、多彩な製紙技術が存在する証です。
発色に優れ弱い印圧でも深い闇が表現できる雁皮で作った紙は、「光の魔術師」の異名を持つ画家、レンブラントも魅了しました。江戸時代、国交があったオランダ人であるレンブラントは東インド会社を経由して日本から大量の雁皮を仕入れていたという記録が残っています。
「当時雁皮を原料とした和紙を製造する技術は越前くらいしかありませんでしたので、レンブラントが使ったのは越前和紙だったのではないか、と推測されています。雁皮の紙はとても発色が良く弱い印圧でも深い闇が表現できます。レンブラントは紙に対して研究熱心で、世界中の紙を集める中で一番良いのはこの雁皮の和紙だっていうことをわかっていたのかもしれませんね」と杉原さん。
穴が空いた紙、立体で漉いた紙。三次元へと活躍の舞台を移す越前和紙
越前和紙のもう一つの特徴は大きな紙を漉くことができることです。
最近の越前和紙は、筆記や書道、絵画という書くためのものから、インテリアや建築分野に活躍の舞台が移ってきています。アマン東京の内装や国立競技場のVIPルームにも使われ、建築材として内装へも使えるようになりました。
「おそらくみなさん、書道で初めて和紙に触れることが多いと思いますが、こんなことができるのか!こんなものが作れるの?とこれまで想像もつかなかったようなものがいっぱい、このまちで作られています。過去の伝統を引き継いだものづくりとともに、その技術を基にいろんな用途や目的が生まれています。この穴の空いた紙には文字書くにもかけない!(笑)」
「昔は襖に穴が空いていると紙としては不良品だったんですが、既成概念を取っ払っちゃうと面白いですよ。最近の傾向では日本で高級ホテルを作るとき、日本らしさが求められ、壁面や広い面を演出する時に和紙が使われます。オフィスでも銀行の受付や役員室を和紙で作ることもありました。書くだけじゃなく、和紙はどんどん広がりを見せています」
まだまだ産業として売っていかないといけないから、遺産じゃない
越前和紙の技術が発達していったのは、紙漉きが本業だったからです。
春から秋まで農作業をして冬の農閑期に紙を漉くという兼業の産地が全国に多い中、越前和紙は昔から最高の紙を作ることができる産地として認識されていたため、お殿様が全部原料を調達してきてくれていましたが、それではいけないということで、自分たちで原料を植えたり育てたり、あとは紙を漉く補助剤の「ねり」「とろろ」など粘りをだす調整剤も自ら育てるようになりました。越前は紙漉き専門の産地で「一年中紙を漉け」と言われ続けた特殊な産地だったので、紙の技術はどんどん発達してきました。
現在福井県には、紙を漉く職人は60軒くらいあり、機械で作っている工場などもあり規模もさまざまです。全国で和紙の伝統工芸紙は現在80人ほどいますが、その約半数が福井県に在住する越前和紙の職人です。人間国宝の岩野市兵衛さんという方もいます。石州半紙(島根県浜田市)、本美濃紙(岐阜県美濃市)と細川紙(埼玉県小川町、東秩父村)が「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」という無形文化遺産に登録された中、越前和紙はまだ登録されていません。
「ここの越前和紙が世界遺産に登録されなかったのは、現在仕事として成り立っているため保存対象のレガシーというよりは『まだ遺産じゃなくてリアルな産業なんだ』と保存会が存在しなかったからです。産業として続いているから保存会を作るよりも売っていかなきゃという気持ちが強く、商売をまだまだ続けていこうという気持ちがみんなあるからなんです」
杉原さんの越前和紙の深いお話に続いて、紙の神様にお参りに行きます。
ツアーの2つ目の訪問先は、「岡太(おかもと)神社・大瀧(おおたき)神社」です。
こちらは日本で唯一の紙の神様を祀っている神社で「川上御前(かわかみごぜん)」の伝説が残っています。
はるか昔、岡本川(現在の神社近くを流れている)の上流に美しい女神が現れ「このあたりは田畑が少なくて暮らしにくいでしょう。しかし、清らかな水に恵まれているから紙を漉けば、生活が楽になるでしょう」と里の人々に紙漉きの技法を教えてあげました。里の人たちは紙漉きでくらしが豊かになり、川の上流の美しい女神を「川上御前」と崇め、岡太神社に祀るようになりました、というのがこの岡太神社に伝わる伝説です。
紙の神様を祀る神社は全国でもここだけだそうです。
同じ場所に建つ大瀧神社の創建は推古天皇の時代に勧進されたのが起こりで、その後奈良時代の719年に「泰澄(たいちょう)」という、白山を開創したお坊さまがこの地に「大瀧神社」建立しました。縁起によると、毎朝紫雲たなびく里を気になって訪ねてみると、前年に開いた白山が目の前に見えたので祈ったところ、遙か白山が光明を放ち、児(ちご)が来現したので、この地に神仏習合の大瀧寺を建立しました。この由来から大瀧神社は、小さな白山と呼ばれ、中世に入ると加賀国、越前国、美濃国(現石川県、福井県、岐阜県)にまたがる山岳信仰である白山信仰の拠点として栄えました。
日本一複雑な屋根を持つ建物は、国の重要文化財
今、僕らが立っているのは、岡太神社・大瀧神社の下宮です(ここから参道を約30分登ると奥の院があります)。この下宮の建物は建築の美しさと歴史的価値から国の重要文化財に指定され「日本一複雑な屋根を持つ神社」として知られています。
屋根の複雑さのわけは拝殿と本殿という二つの複合した社殿を1つの屋根で覆っているから。唐破風と千鳥破風の重厚かつ躍動感のある複雑な形状の屋根は「山の峰を集めたようだ、幾重にも寄せ合う波のようだ」などと例えられ、歴史好きのみならず建物マニアも惹きつけています。
壁や柱には中国故事由来の彫刻が装飾されていたり、
赤茶の石と青の笏谷(しゃくだに)石が組み合わさった基壇も見ものですよ。
ガイドのおじさんがいて御朱印もいただけます。
立派なお神輿があります。
こちらの神社は現在でも地元の信仰が厚く毎年5月3日には例大祭があり、神様が神社をお下りになって紙祖神である川上御前の伝承を舞う「紙能舞(かみのうまい)」が奉納されたり、地区を練りまわる「神輿巡り」が行われます。
いよいよ越前和紙の紙漉きの技を見に工場へ
越前和紙の成り立ちや歴史、紙の神様にお参りした後は、越前和紙を作る工場、明治元年創業の「山次製紙所」にやってきました。こちらでは和紙を手で漉いて、趣味や装飾用に使う「美術小間紙(こまがみ)」を作っています。
ご案内いただくのは笑顔が素敵な山次製紙所の山下寛也さん!
和紙の風合いを生かしたお酒のラベルなども作っています。
越前和紙の紙漉きを見せてもらいます。
通常、和紙は(1)木の繊維を水に浸け、洗う(2)その繊維を煮て(3)灰汁を出して晒し(4)塵出し(5)繊維質をたたいて分解する叩解(6)分解した繊維をもとに紙を漉いていく抄紙(7)圧搾と乾燥(8)仕上げ、というような工程で作られます。
煮出した原料の中に「ネリ」と呼ばれるネバネバした液体が投入されました。このネリはトロロアオイという植物の根部から抽出される粘液で、楮や三椏など和紙の原料となる繊維を均一に分散させたり、撥水効果を高める役割があります。これを混ぜたものを型ですくい、前後左右に揺らす。この左右にも振ることで、繊維の方向が交差しよりコシのある丈夫な和紙になります。
山次製紙所の紙漉きの道具は、一本のひもを支点にして、もう1つのゴム付きのひもで揺らします。よく見る紙漉きの風景では2本の紐で前後のにのみ動くものがありますが、寛也さんによると最初はぐらつきますが自由に動かすことができ、山次製紙所の紙漉き器具の方が慣れてくるとこちらの方が扱いやすいのだそうです。
これを簾にうつして圧搾工程へ。
ちなみに、切れ目があるのは日本酒のラベルになるからです。
ロール上のボイラーで乾かし、完成します。
完成した和紙は、ちぎると和紙特有の「ミミ」ができます。このミミを生かしたラベルを日本酒のボトルに貼り付けると味わい深くなります。
しゃかいか!も、今日は特別のご好意で紙漉きを実際に体験させていただきました!
華やかな越前和紙を彩る技を披露!
文書に使う和紙だけではなく、紙。千代紙・折り紙・包み紙、祝儀・儀式用の紙など装飾の多い越前和紙では、作り方次第でさまざまな表情があらわれます。例えば、簾にシャワーをかけると穴の空いた和紙になります。
越前和紙に見られる技法「ひっかけ」
越前和紙の豊かな表現はまだまだあります。名づけてひっかけ技法。原料を薄い金属の型板に“ひっかけ”て簀に付着させ、ベースとなる地紙に漉き合わせて、さまざまな柄の装飾を施します。
型に流し込みくぐらせて原料を引っ掛けるから「ひっかけ」です。
竹の簾の上に絹で織ったものを柿渋を塗った丈夫な布をおきその上に原料を流し込みます。
このひっかけ技法で作られた和紙は、お祝いや行事などに使われることが多く、おめでたい柄が多いそうです。
和紙の世界を自ら広げていく
山次製紙所では、茶缶や紙箱、缶バッチなど和紙を使ったさまざまなプロダクトも展開中。
「きっかけは、とあるブランドのネクタイです。仕事で東京に出かけた際にそのネクタイをナカナカの値段で買ってしまった時に『なぜ買ったのだろう』と考えました。買った場面を思い返してみると、その商品の持つ物語性に触れることができたからだ、という理由にたどり着きました。自分自身もそんな物語のある和紙や製品を生み出していきたい」と山下さんが語ってくれました。
越前和紙の可能性は今もなお広がっている
今回の越前和紙の産地を巡るツアーで、新たな価値を生み出そうとする現在進行形の人や現場に触れ、伝統をベースにしながらも本当にまだまだ生き生きとした産業なのだ、と実感することができました。
和紙職人として伝統技法を継承しつつプロダクトを生み出すことに挑戦する山次製紙所の山下寛也さん、インテリアや三次元で越前和紙の素材として活躍の舞台を探し続ける杉原商店のご主人杉原吉直さんをはじめ、和紙づくりに携わる作る人と売る人が一体となり、現在もしたたかに華やかに広がる越前和紙の世界。1300年経つ今も人々の営みを支えているのは、きっと紙の神様が見守り応援しているからだと思いました。
見学ツアーの次のテーマは「越前打刃物」です。
ぜひ、ご覧ください。
【詳細情報】
千年未来工藝祭
URL:https://craft1000mirai.jp/
株式会社 杉原商店
住所:福井県越前市不老町17-2
電話番号:0778-42-0032
URL:http://www.washiya.com/
神祖神 岡太(おかもと)神社・大瀧(おおたき)神社
住所:福井県越前市大滝町29-5
電話番号: 0778-42-1151
URL:http://www.washinosato.jp/
山次製紙所
住所:福井県越前市大滝町29-5
電話番号:0778-42-0553
URL:https://yamatsugi-seishi.com/
株式會社ヒュージ(千年未来工藝祭プロデュース)
住所:福井県福井市順化2丁目3-8 前川ビル 2F
電話番号:0776-21-0990
URL:https://hudge.jp/
(text:西村 photo:市岡)
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