新たな楽しみ方を発見!山口の魅力と可能性を掘り起こす山口ゆめ回廊博覧会ツアー参加レポート
お久しぶりの訪問レポートです。皆さん、お元気でしたか?
しゃかいか!は山口県に来ています。
山口県では「山口ゆめ回廊博覧会(通称:ゆめはく)」が2021年7月から開催中です。このイベントは山口県央連携都市圏域(山口市、宇部市、萩市、防府市、美祢市、山陽小野田市、島根県津和野町)がチームになってその魅力を全国に発信していこうという試み。期間中に約190ものイベントが開かれる中、今日はおいしいものを食べて飲んで、面白い人に会いにいくツアーに参加させてもらっています。もちろん見学や体験も盛りだくさんですよ!
山口県の魅力に出会う旅がスタート!
車中、今回ツアーをガイドしてくれるPR担当の坂井さんに山口のイメージを尋ねられましたが、すっと答えが出ない。「お仕事では数回お邪魔したことがあったり、そんな感じでゴニョゴニョ…」とごまかしてみたのもの、九州に向かう際に新幹線や車で通り過ぎるイメージ、トンネルが多いなぁ、くらいしか思い浮かばない自分にとっては縁遠い土地でした。山口県の人、ごめんなさい。
しかし幸いにも「そうですよね、じゃあ魅力を知る伸びシロがまだまだ残っている、ってことで今回は楽しんでいってくださいねー♪」と坂井さんは優しく言ってくれました。
今回の見学のルートは宇部市、美祢市、山陽小野田市という山口県の中央部を縦方向にぐるっと回る行程。ということで、一緒に学んでいきましょう!!
旅のお品書きです。
第1日目
1. 永山本家酒造場(日本酒)
2. ボクらの泳ぎかた(お好み焼き&野菜&お菓子&サウナ)
3. GLYCINES(ギャラリー&カフェ)
4. ときわ動物園(大陸ごとにゾーン分けして生息環境展示)
5. UBEビエンナーレ彫刻の丘(公園とアートのナイトツアー)
6. ときわミュージアム「世界を旅する植物館」(植物&演劇&食事)
第2日目
7. 秋吉台ジオツアー(山口の大地を学ぶ)
8. Guesthouse & Cafe Pub TRIP BASE COCONEEL(タコス&タコライス&パブ&ゲストハウス)
9. 花の海(いちご狩り&観光農園&システム農場&お土産)
山口の山はトガッている(ように思える)
ツアーにカメラマンとして参加の平川さんが「山口の山の姿は文字の『山』のようにトンガっている。他の地域の山に比べて鋭く見えるよ」と教えてくれました。言われてみれば確かにそんな気がします。本州の端で三方向を海に囲まれ、陸のへりは浸食されて海沿いの地域には平野が少ないのが地理的特徴。そのせいで川に沿って山あいに町が発展したのだそうです。
山口あるあるな風景、赤い屋根のお家と黄色いガードレール。
赤い屋根は県の北部によく見られ、赤褐色の石州瓦が使われています。石州瓦はおとなり島根県中西部、石見地方で生産される瓦で、赤い色の理由は原料の土の中に多く含まれている鉄分です。通常の瓦に比べ、非常に高い温度で焼成され高硬度で水を吸いにくいため、降雪地でも割れにくい耐寒性に優れた瓦として、石州瓦は山陰地方の山間部に多く使われています。
黄色のガードレールは県の花である夏みかんカラーが採用されたもの。夏みかんと山口県の関係は、江戸中期に長門市仙崎の夏みかんの木の原樹「大日比ナツミカン原樹」が発見されたことからはじまります。その後、人々に「夏橙(ナツダイダイ)」と親しまれ、明治期には俸禄を返還し困窮していた旧士族の暮らしを支えるために屋敷に夏みかんの木が植栽され、この地域に夏みかん畑が広がっていきました。現在は県の特産品となり暮らしを支える産業として、また季節の風物詩として夏みかんは山口の風景に欠かせないものなっています。山口で黄色のガードレールを見つけたときは、ぜひ夏みかんのことを思い出そう。
そんなふうに車の中で慌てて山口の基礎知識を仕込みながら、一つめの見学先に到着。テーマは日本酒です!
100年前から受け継いだ景色を次世代に受け継いでいく酒造り。
自分たちで米を作ることで気がついた、地酒の存在理由
永山本家酒造場
お邪魔させてもらうのは永山本家酒造場さん。その名を全国的に広めた代表的な銘柄「貴」は、マニアでなくとも酒飲みならば、一度は耳、あるいは口にしたことがあるのではないでしょうか。
永山本家酒造場は明治時代の中頃1888年に二俣瀬村(ふたまたせそん)と呼ばれていたこの地域に、初代永山橘太郎さんが創立。現在も同じ地で酒造りを続けています。旧山陽道と厚東川(ことうがわ)が交わる位置に建物があり、古くから交通の要所で村の経済の中心だったことがうかがえます。
現在のオフィス、趣ある建物は元の村役場です
国の登録有形文化財にも指定されているこの建物は、旧二俣瀬村の役場として1928年(昭和3年)に建てられ、宇部市編入後に二俣瀬支所として1965年(昭和40年)まで役場として使われていたものを、当役場のすぐ隣で酒蔵を営んでいた永山本家酒造場が買い受け現在はオフィスになっています。
中はおしゃれな空間です。2階には併設されたカフェがあり、窓からの景色を眺めつつ一杯のコーヒーなんてきっと最高ですね。酒樽の蓋がテーブルになっていたり。
でも、なんでカフェなの?その謎解きは後で!
代表の永山貴博さんにお話を聞くことができました。
「目の前の厚東川を北上していくと秋吉台にあたります。降り注いだ雨がカルスト台地で濾過され川に流れ込み、その汲み上げた水を酒の仕込み水に使っています。秋吉台からの水は石灰岩で濾過されるのでカルシウム分を多く含み、日本酒の発酵に適しています。そして、川が作ってくれた水田で米も実る。この二つの要素が永山の酒造りを育んでくれました。古くからある酒蔵は、ここに限らず酒造りに適した水の通り道があるからその地域に集まるものなんです。この地域も例に漏れず、酒蔵はそういった理由であるべくしてそこに存在すると考えています。
海外のワイナリーのすぐ近くに葡萄畑が広がる風景を目にすると、いいなぁって思います。日本酒はワインに比べどちらかというと工業製品的なイメージを持たれてしまいがちですが、本来は農産物加工品であることを忘れないことが大事で、私たちの酒造りでは、原料となるコメ作りから自分たちで行うことに誇りを持っています」
蔵を見る前に外に出ましょう、と見せてもらったのは二つの石碑。一つめの石碑には、もともと村役場で昭和天皇の即位を記念して建てた、といったこの建物の由緒が書かれていて、もう一方の石碑には、新たな道路ができたことが書かれています。
「新たに作られた道路は東西にはしる旧山陽道と交差しています。この地域の経済発展のために新たに南北方向に産業用の道路を作ったんですね。石碑に名前があるのは、このあたりの歴史を調べていくと必ず登場する渡邊祐策(わたなべすけさく)という人。今の宇部の礎を作り、市内の中心部に『渡辺翁記念会館』というホールが建てられるほどの有名人で宇部の恩人です。この石碑には、渡邊翁と近隣の住民たちが金三万円をもって目前の道路を作った、ということが書かれています。この石碑がこの地域が渡邊翁とともに発展してきたことを伝えてくれます。宇部の事業家は渡邊さんのように地域貢献に対する思いが強い方が多い気がしますね」
ここから見える風景は道路が新たにできた当時からほとんど変わってないそうです。見渡せる田んぼの8割ほどは永山本家酒造場のもの。この二俣瀬地区はかつて酒米を作っていましたが戦後になって食用のお米作りに転換。20年ほど前から再びこの地域での酒米作りが復活し、永山本家酒造場も2年前に米作りのために農業法人を設立し、自分たちで酒米作りに挑戦。スタッフは酒造りの時期が終わると、夏から秋は田でコメを育てます。
酒造りのためのコメ作り、その理由は
酒米作りをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
「お料理やお寿司でも同じかもしれませんが、農家さんと一緒にいい素材を作って、その良さを引き出して酒を造っていきたい、という考え方なんです。いい素材を引き出すには、どこまでその素材を信じられるか、だと思います。あくまで素材には素材の味というのがあるはずなので、我々はいじり過ぎてはいけない。良い素材があるならばその良さを生かしてあげたい、と思っています。いたずらにコメを磨き過ぎたり、香り高く造ってそれがおいしいと言われても、私はそれは違うと考えています。やり過ぎない、自分たちを押しつけないことが大切です。
コメ作りの大切さに気づくことができたのは、顔の見えないお米を使って何の意味があるんだろう、と根本的なところにぶち当たった時でした。うちも他の産地から最高品質の酒米を買うことがありますが、『生産者とともに造る』という我々の地酒のビジョンをより明確にし、今後は徐々に自分たちやこの地域の皆さんとともに作る酒米の割合を増やしていき、顔の見える人が作った米を素直に酒にすることを続けていきたいです。
素材や環境を大切に考える理由がもう一つ。地域の高齢化が進んで田んぼをやっていく人が減っていくのを目の当たりにしてきた、という点も大きいです。大きな田んぼをやってたおばあちゃんがある日亡くなって、息子さんは田んぼをやらない。そういうことが何軒か続いた時に、これはまずいと思いました。他産地から酒米を仕入れて酒を造るって何か違うな、何をやってんだろう、とその時思いました。
地元の田んぼが休耕田になって荒れているのに、自分たちが田んぼを守っていくアクションを起こさずに、他所から買ったお米で地酒を名乗るのは意味がない、という地酒の存在理由。それに気づいたのは意外に最近でここ5年くらいですね。そうなるという未来は私も予想できてたはずなのに、実際にそれを目の当たりにしないとなかなか気づけないものなんですね」
永山さんは真正面から地域に向き合い、コメ作りを通じて地酒の存在理由という、より根源的な点にたどり着くことができました。
続いて、酒蔵に移動。
「蔵の建物は古く、このような体育館ほどの大きさの木造建築は県内でもおそらく残っていないはずです。横柱だけ支えている構造でこのサイズの木造建築は珍しいと思います」
威厳のある蔵の佇まいに圧倒され、昔からの杜氏さんがいて徒弟的に技術が受け継がれているのかな、と勝手にイメージしていましたが、どうやら違うみたいです。蔵の中では、20代~30代の若い従業員さんがたくさん働いています。
「上の世代の方が素晴らしいのを否定するのではありませんが、環境の変化の中30代の持っている脳はすごく柔らかくて、もっとその考えが広がれば世の中全体良くなるんじゃないかと個人的に考えています。私は今46歳ですが、30代の頃の失敗してもいいからやっていこうよ、というエネルギーは明らかに減ってきているのを実感しています。だから若いみんなを見ていていいな、って思います。無茶やってもピンピンしてるじゃないですか。田んぼチームのスタッフも外で楽しそうにしています。若いやつらが田んぼで楽しそうにしていると、地域のおじいちゃんおばあちゃんも楽しそうにしているので、それでいいんだなと思います。
今年もこの地区で山田錦の特等米が出たんです。食用米は一等、二等、三等、規格外と分類されますが、酒米の場合、さらに特等、特上というランクがあります。飯米だと整粒(割れていない粒)の割合が7割あれば一等米です。特等ではその割合が80%以上になるので本当にきれいに粒が揃った状態にならないと認められません。今年うちのスタッフが作ったお米が特等に選ばれたので、もう少し今のコメ作りを続けてみても良いかなと思います」
技術と原料、日本酒造りでどちらがより大切なのか?問題
永山本家酒造場の日本酒造りで欠かせない『テロワール』という考え方。日本語では「産地特性」や「生育環境」などと訳され、原料の生育地の地形や気候や農業技術などその地域や土地の持つ性格や共通性を指す言葉です。永山さんの考える日本酒造りにおけるテロワールについて聞きました。
「テロワールはこの業界で必ず出てくる話で、醸造技術や工業製品的なものに対して農業や環境、どちらがより大事なのかという課題です。単純に選べるものではありませんが、少なくとも一般の方にお伝えする上では、私は環境や農業の方が大事だと考えています。私たちは与えられた環境を加工しているに過ぎない。という考え方に立っています。理想論かもしれませんが、酒造りにとって大事なことは100年前から受け継いだ景色を次世代に受け継いでいくことだと思います。
最近危惧しているのが、文化的なものがある日突然プツッと消えてしまうことです。この地域の神楽も2008年に一度途絶えてしまいました。このままじゃいかんということで、スポンサーにさせてもらい、神楽を復興するための会を立ち上げて再開するお手伝いをさせていただきました。酒蔵はそういう脈々と続いていたものを残そうよ、と支援しなきゃいけない役割だなと思っています。仕事をする中で、先祖ってこういうことをやってたんだろうな、ということに気がつかされます。そんな貢献ができてたからこそ昔は酒蔵って地域になくてはならない存在でした。
しかし、今は街にスーパーや大型店舗ができて便利になると地域の人もその地の文化をだんだん忘れてしまう。そうやって寂れていった商店街が日本中に山ほどあります。そうなる前にその土地ならではの文化の大切さに気づいてアクションを起こすべきだと思います。デザイナーの妻と話をする中で、必ずしもキラキラした新しいものがいいわけじゃなく、その地にあったものをいかにデザインとして残していくのか、が大切であることを知りました。彼女から影響を受けた部分もあると思います」
酒蔵がカフェを作った理由
酒蔵の役割は酒造りだけではなく、その土地の文化も残すこと。消えゆく文化もある中で新しいこともしていかないといけない、そんな意味合いでこのカフェのような空間があるのですね?
「古ければいいわけじゃなくて、大事なのは古い伝統や良さを残しながら、でもちゃんときれいじゃないといけない。例えば水回りも最新のものの方が気持ちよく使ってもらえるし、みたいなことです。その点はちゃんと抑えておかないといけません。古民家再生でも、古い建物の良い部分は残そうとしながらも生活の重要な部分はきれいにして、断熱構造も備えつつ囲炉裏がある佇まいを愛でる。そこは大事だと思います。
有形文化財に指定されたこの建物も古き良きだけではなく、キチンとそれを生かせる。働く人たちが快適に仕事ができる環境を整えることが大事だと思います。見るだけじゃなくてきちんと使わないといけない。残すべき部分は残す提案をしてくれるデザイナーにきちんと手を入れてもらう、そして使う、だからこそ良さが残っていくのだと思います」
「日本酒自体に一定の危機感を持つ中で、若い人たちにもっと飲んでほしいという思いがあったのですが、なかなか落とし込むことができませんでした。カフェを併設することで私たちがターゲットである20~30代のアウトゴーイングな女性がカフェに来られて、SNSなどで情報をどんどん上げてくれる。
蔵ってとても良い空間だとは思うのですが、特に女性はそもそも入っていいものなのか、入りづらいのではないか、と思っていました。そういう心配はあるけど、カフェならばすぐに行ってみようとなるはず。そういう気軽さがカフェだからこそできる良い点。宇部は最近スターバックスができたばかりでカフェが少ないんですが、おしゃれなカフェができたから行こうという動機付けはすごく大事だと思います」
山口県は今、南北方向が楽しい!
最後に山口の楽しみ方を聞きました。
「個人的には山口宇部空港から縦方向、南北の移動が面白いと思っています。空港から少し北に来てここにカフェがあり、もう少し先には大嶺酒造さんもカフェをやってたり。少し先には『ボクらの泳ぎかた』という手づくりのサウナもあります。もう少し北に行けば、大谷山荘さん、星野リゾートの「界 長門」があったり、さらに北の長門に行くと、道の駅のセンザキッチンがあったり塩作りをしている百姓庵さんもあります。今、山口宇部空港からの縦ラインというのがすごく面白いと思っています。人がずっと面白いですね。ちょこちょこ一緒にイベントをやったりしています」
お話を聞いてすっかり日本酒の口になってしまったので、お土産に永山本家酒造場の看板商品、自社米100%の「ドメーヌ貴」を購入。正真正銘の山口のお米から作られた山口の地酒を楽しみたいと思います。
永山さんに教わったばかりの、今とっても熱いという南北ルートを北へ。
厚東川沿いの国道490号線で小野湖(おのこ)の近くにある「ボクらの泳ぎかた」に向かいます。
静かな湖畔の森の小屋は、お好み焼きと野菜とサウナと...え〜っと
お兄ちゃんたちの楽しい遊び場だった!!
ボクらの泳ぎかた
「ボクらの泳ぎかた」は小野湖のほとりにあります。暖簾には「おこのみやき」とありますが、曜日ごとに提供するものと人が変わり、たとえば日曜日はお好み焼き、別の曜日には農家さんが野菜の販売、別の曜日にはお菓子の販売、といったように日替わりで売っているものや食べられるものが入れ替わるという楽しいスタイルのお店です。
オーナーの安田和門(やすだよりかど)さん。
本業は鉄工屋さんで、平日は宇部市内を中心に工場の中でプラントのメンテナンスの会社を経営。このお店は2年前にオープンしました。
「もともとは自分らの遊び場を作ろうと思ってこの小屋を改装しました。ここをシェアして、小屋もボロボロやったんで自分らでやりかえて、ほぼDIYで作りました」
売り物は大好きなお好み焼きに決定。
「お好み焼きがピタッとハマったんですよね。鉄板のカウンターは僕の本業の鉄工所で作ることができるし、対面でバーカウンターみたいな感じで喋りながら提供できる、ラフさもちょうどよかったし自分もお好み焼きも好きやし。お好み焼きは店の見た目と全然合ってないなと自分でもわかってたんですけど、それも含めて良い。やはり好きなことをね。自分らの遊び場やし。店の外も竹藪で湖が見えない状態だったんですけど、友人に手伝ってもらって湖が見えるようユンボで整地しました」
この場所には安田さんの好きなものがいっぱいつまっていますが、外にも楽しいものがあります。
サウナ!
地面から突き出た生き物か何かの顔のように見えるのは、なんと安田さんの自作のサウナです。
「もともとサウナが好きやったんです。ユラックスや墨田区の黄金湯といった全国の聖地を巡りました。この春まではテントでサウナやってたんですけど、いちいち片付けるのがなかなか大変で。
鉄のパイプを曲げて骨組みを作って、メッシュを貼ってワラと赤土を混ぜたものを固めて作りました。全部独学です。日本のサウナって蒸気の温度がめちゃめちゃ高い傾向があります。ひな壇で上と下でとても温度差があって足が寒いのに頭ばっかり熱くて...それが僕はあまり好きじゃなくて。天井をめちゃめちゃ低くして、和風タイプであぐらかくように、茶室風に。上下に圧迫してるから、温度が均一になります。そういう理屈で作ってみたら、割といいんです。蓄熱効果がすごく高くて、はじめ3時間くらい薪をくべると一日冷めずにいけます」
この日は火は入れませんが、中に入って少しぬくもった気分になりました。
「冬は結構葉っぱが一枚も無くなって、夏は葉で日陰になってちょうどいいです」
サウナであったまった後には小野湖に飛び込めるのもこのサウナの特徴。小野湖に飛び込むためのブランコ風ロープや岸に上がる階段も作りました。
何でも自作してしまう安田さん。こんなのも作ってしまいました!
焚き火で使う鉄板。アウトドア好きなお客さんの依頼を受けて制作しました。
実はこの薪ストーブも安田さんの手によるもの。お店で絶賛販売中です。サイズをはじめカスタマイズももちろん承ります。
この日たまたま来ていたのは「野菜の日」を担当しているうえだ農園の上田さん。近くで農家を営んでいます。今日はキクイモを持ってきていました。昔からうえだ農園の野菜が大好きだった安田さんに誘われ「ボクらの泳ぎかた」に参加。野菜の販売の他にも、トマトソースなどの加工品の販売や野菜の料理もここで提供しています。
湖のほとりにあるにいちゃんたちの楽しい遊び場。僕も仲間に入れてー、と言いたくなる。
現在のお店のスケジュールは、日曜はお好み焼き、金曜はお菓子と野菜、土曜は野菜で、サウナはイレギュラー。
ちなみにサウナにお越しになる際には、薪や火入れの準備をするので、Instagramでメッセージ入れてね、ということですのでよろしくお願いします!
素敵なギャラリーカフェで見るアート&エヴァっぽい工場の景色で
宇部らしさを味わう
GLYCINES(グリシーヌ)
宇部市内に戻り、気持ちいいカフェにやってきました。
こちらはGLYCINES(グリシーヌ)というギャラリーカフェです。
オーナーの谷川涼子さんです。
東京の吉祥寺でギャラリーを営んでいましたが、地元の宇部にUターン。お父様が営んでいた医院の建物を活用し、元の休憩室だった3階はギャラリーとカフェに、病室だった2階はシェアハウスに改装しました。
医院は4年前に閉院し建物を取り壊してしまう話もありましたが、谷川さんがこれまでやってきたギャラリーの仕事を宇部でやれたらと思い、2020年4月にスタート。最初はこの3階から手を加え、徐々に2階に手を加えていく予定でしたが、入居者も次々に決まり、2・3階を半年で一気に改装することに。
「1970年代の建物が好きでもったいないな、という思いもありました。当初は東京の2拠点で考えていましたが、コロナのこともあり宇部に戻ってきました。吉祥寺のスタッフもこちらに越してきて、今はカフェやギャラリーの企画や展示を引き続き担当してくれているんです」
気持ちいい風の吹き抜ける3階からは、海側は宇部の工場地帯、山側は緑と隣に建っている谷川さんご自宅の洋風のお庭を楽しむことができます。ここから見える2つの風景はとっても宇部を表していると思います。
ゼッタイ使徒でてくるやろ、これ
工場地帯側はエヴァンゲリオン的な風景が広がります。
作者の庵野秀明さんが宇部市出身ということもあり、エヴァンゲリオンの作品に登場する風景が宇部にはたくさんあります。
「ギャラリーでは、12月は『クリスマスマーケット』と題して、カレンダーやカードの展示があり、中旬には山陽小野田出身の田上允克(たがみまさかつ)さんという画家の展示もやります。展示の他にはライブに使うこともあり、ここはよく響くし雰囲気が好きって方もいらっしゃいます」と谷川さん。
「宇部はビエンナーレもあるので、わりとアートに対する意識を持つ人が多く、特にモダンアートは好きな人が多いという印象を持っています。コロナの制限が緩和されてきてからはお客さんも増えてきました。みなさん、きっとアート的なものに飢えていた、というのもあるでしょうね。クチコミで広げてくださる人もいるし、地元のメディアでも取り上げてもらえます。作家さんがお客様を呼んできてくれることもあります。
40年ぶりに戻ってきたので、誰との繋がりもなくなってしまってて地元でもほぼ知らない人ばかりからのスタートでした。ギャラリーが新しくできると作家さんも見に来られることがあるのですが、一人でお越しになった作家さんがたまたま同級生でした。今では同級生の集う場所になりつつあります」
「正直な話、私は宇部にすごい思い入れがあるとか活性化したいとか、そんなふうには思ってなくて。今ただ自分がやりたいことをやっているだけです。この場所に楽しいなと思って人が集まってくれれば、それが最終的には宇部のためにつながっていくのかな、と思います。宇部を変えないといけないという気持ちはあまりなく、ただこの場所があったから私は活用しているだけ。
ここをスタートするタイミングで、周りの方に『何かやるんですか』と聞かれて『うまくいきませんよ。とにかく更地にして売りなさい』ってすごくたくさんの人に言われたんです。
ここを売ってしまうとチェーン店や外食チェーンになってしまって、その結果どこの町も同じ風景になっちゃうのがすごくもったいないと思いました。元病院だって活用できるんだよ、というのを見せたいというのはありました。
お声がけは有り難いなと思いましたが、何でもかんでも新しいのが良いな、とは思わないし、私は以前にヨーロッパで暮らしていたせいもあり、新しいものだから全て良いわけではなく、現在あるものを上手に使う大切さがとても身にしみています」
谷川さんのお話を聞いて、アートと工業が共存する宇部のまちの輪郭に少し触れることができたような気がします。アートやギャラリーと聞くと少し緊張しますが、宇部の人たちにとっては日常に溶け込んだとても身近なものなんだな、ということがよく理解できました。この旅を通して自分もそんなふうになれたら良いな、と思います。
次は宇部のもう一つのシンボル、ときわ公園にGO!
生き物を通して人間や自分を考え直す動物園。
もちろん、かわいいお猿さんや鳥さんたちもいっぱいいるよ!
ときわ動物園
ときわ公園は宇部市が誇る、遊園地、動物園、ミュージアム、植物館などさまざまな施設を持つ公園で、NHKの「21世紀に残したい日本の風景」で総合公園として全国で第1位にランキングされるほど。まだ来られていない人はきっと大きさや楽しさの面で「公園」のイメージがひっくり返ると思いますよ。
遊園地にあるメリーゴーランドと彫刻がいかにも宇部らしい組み合わせ。でも、どんより曇り空と相まってどこかに連れ去られそうで少し怖い。
こんなふうに宇部の街の中ではたくさんの彫刻に出会うことができます。あまりにもさりげなくあるので、信号待ちしている人が全く動かないなと思うと彫刻だったり、音出してないサックス奏者がいるなと思うとブロンズ像だったり。油断ならない街ですね。
「ときわ動物園」にやってきました。今回はここを見学させていただきます。
今日は特別に職員さんにガイドをお願いしました。
動物園なんてひっさしぶり。でもこんなんだったかなぁ。
ときわ動物園では「生息環境展示」という特徴ある展示方法を採用
「ときわ動物園は5つのゾーンに分かれています。ときわ動物園では動物の生息地ごとに展示をしていて、各ゾーンにはその動物が生息する植生を再現しています。園路や展示場にはたくさんの植物を植えて、ゾーンごとに見る人がまるで野生の地を旅するような没入感で、動物と同じ空間でいるような気持ちになってもらえるような方法を採用、展示する動物の生息地を再現し、野生本来の姿を見てもらえるような工夫がされています。これを生息環境展示といいます」
ときわ動物園の敷地面積自体は広くなく、ぐるっと回るように園路をレイアウトされ、他の動物や来館者が見えないように設計が工夫されているそうです。
アジアの森林ゾーンにやってきました。
「東南アジアの熱帯雨林を再現していますが、テナガザルは野生ではほとんど地面に降りて来ず、現地では声は聞こえるけど姿は地面からだと見ることが難しい動物です。テナガザルが入っているお部屋なんですが、スマトラ島現地のお家のイメージで作ってあります。檻がなくても逃げないのは、水堀を配置しているからです。テナガザルは泳ぐことができないので、池や水堀で囲うことで外に出てこないようになっています。
ぐるっと回って次の動物は「ハヌマンラングール」。インドの言葉でハヌマンというのは神様の名前。大事にされている猿なのでインドではたくさん生息していますが、日本で見られるのはときわ動物園だけです。
カワウソとボンネットモンキーは、同じ展示場にいて喧嘩もしません。野生の地でも同じ生息地にいて『同居展示』と言います。お互いになんとなくいるな、という感じみたいですよ(想像です)」。
動物園で家族を考える / ボンネットモンキー
ときわ動物園ではゾーンごとに「家族」や「衣食住」などのテーマが設定されています。
「昔、ここのボンネットモンキーは、船の形を模した猿山にいたんですけど、リニューアルの際にときわ動物園の全体的な展示の方針として、まず動物を見下ろすような視点に持っていかない、もしくは同じ目線で見る設計にしました。
そのように動物と同じ目線で見てもらうことで、動物を下に見るのではなく、動物の仲間である人間についても考えてみましょう、という工夫です。シロテテナガザルを見ていただきましたが、その群れは血のつながった家族で構成されています。では人間と同じようにおじいちゃんおばあちゃんまで一緒にいるか、というとそうではなくて、テナガザルの子どもは自分が繁殖できる年齢になれば群れから出ていき、その後は元いた家族との関係が続いていくわけではありません。人間が持つ家族の意識と、テナガザルたちや他の動物たちの群れとの違いを考えてみましょう、と見る人に問いかけています。展示ごとにあるテーマについて考えてもらいながら見てもらう、というのもときわ動物園の特徴です」
言葉を喋るのは人間と一緒にいるから / インコ
青いルリコンゴウインコと赤いベニコンゴウインコ。
「家で飼うインコはおしゃべりすることがありますよね。このインコたちはペアでいるので鳥の会話をします。鳥同士のコミュニケーションが存在しているのでほとんど人の言葉は喋らないんです。
中南米のエリアは「食べる」がテーマ
「中南米のエリアでは、木の高いところにいるクモザル、中くらいの高さに住んでいるオマキザル、低いところに住むリスザル、水辺に住むカピバラというように生息する高さが違う動物を展示し、アマゾンの生物相を再現しています。生息する高さで食べるものが違っているのですが、動物たちはそれぞれの食べ物を獲得しやすい場所で生活しています。このエリアのテーマは『食べる』です。
私たち現代の人間は食べ物が常にありますね。しかし、野生動物は常に食べ物を探し求めて生活しています。野生動物は一日の大半を食べ物を探す時間にあてていますが、動物園の動物たちは食べ物を探すことなく手に入れることができるので、野生とは違い時間を持て余しがちです。野生での本来の行動である”食べ物を探す”という行動を誘発するために、飼育員は餌が簡単に取り出せないよう工夫したフィーダーを配置したり、餌を隠しておくなどいろんな工夫をしています」
すごく綺麗な髭を持つ「ブラッザ・グエノン」
髭が水戸黄門みたいだ。
アフリカ大陸とは違う、独自の進化を遂げたマダガスカルの生き物たち
マダガスカルには、マダガスカルにしかいない動物が多くいます。その理由は、マダガスカルにいる動物が、大陸には見られない独自の進化を遂げたからです。地球にはもともと一つの大陸しかなく、プレートが動くことで大陸が移動して今の地球の姿になりました。今から約1億6000万年前、アフリカとインドが離れた後、マダガスカルがインドから分離したのは今から約8500万年前でした。早い段階で大陸から離れた島となったことで、独自の進化を遂げることとなったのです。
「このキツネザルたちは原始的な特徴を持つ猿と言われています。ワオキツネザルは鼻先が尖っていて猿っぽくない顔。手で物も掴めるんですけど、あまり器用ではなくて、食べ物を直接口で食べることもします。目立った天敵がおらず、大陸とは違う独特の進化を遂げた動物のいるマダガスカル。大陸とは異なる進化をしていても、そこに住む動物は他の地域の動物たちと同じように環境に適応し、生活の場や自然界での役割を担っています。それがこのゾーンのテーマ、『ニッチ』です」
ときわ動物園では山口県のゾーンもあります。
「山口県なら知ってるわ、と思われる方も多いとは思いますが、色々な野生動物を本当に見たことがあるかというと、子どもさんだけでなく、大人でも見たことがない人がいるのではないでしょうか。
山口県には、ニホンザルやタヌキなどさまざまな野生動物が生息しています。野生動物は時に人にとって農作物を荒らす害獣として扱われることもありますが、一方で、動物たちにとって人は生息地を奪う脅威でもあります。このゾーンは人と野生動物が共生していくにはどうすれば良いのか?を考えてもらうきっかけを作る場所でもあるんですよ」
展示と動物福祉の両立の難しさ
動物を展示することと、動物にストレスがかからないように飼育することの両立は、なかなか難しい点があるようです。
「ここは動物園デザイナーの若生謙二先生の設計によるものですが、『ランドスケープイマージョン』という手法で、生息地の環境に入り込んだような体験ができることを大事にしています。私たちもお客様に動物をたくさん見ていただきたいと思いますが、草木や岩など、自然物を多く配置した生息環境展示では、時間や条件によっては見えない動物も出てきてしまうこともあります。
動物が全く見えないのは動物園として良くないですが、動物たちにとって”見られる”ということはストレスでもあるので、最近は動物福祉の観点から、人の視線から隠れたり休憩する場所を作って、動物が自ら過ごす場所を選択できるようにする展示も出てきています。ときわ動物園では、そういう観点からも展示場に木や岩があって、動物が隠れたり、日陰で休んだりすることができる場所を作るといったこともしています。
動物が居たいところでストレスなく過ごせる場所があることで、お客様にとっては動物が見えづらいということもあります。そのため、観覧場所の前に暖かいところを作って動物が集まってくるようにしたり、『見えなかったらこっちにいるよ』といった看板を作って、動物を見ることができるポイントを示したりしています。
来園するお客様が、できるだけ生息地に入り込んだ疑似体験ができるよう、園内では人工物が目立たないようにしています。そのため、飼育員がサルのフィーダーや遊び道具を展示場に入れる場合は、自然物を使ったり、人工物を少し加工して使い、看板や掲示板も自然物を可能な限り利用する、といった苦労もあります」
動物園をぐるっと一周してみて、はじめて見る動物やかわいいお猿さんにも出会うことができましたが、考えることの多い見学でした。生息環境展示や動物福祉という考え方も知ることができて、動物園は進化していっていることを実感。動物を通して人間や自分を相対化することのできた時間でした。職員さん、今日は有難うございました!
次は同じ公園のUBEビエンナーレ彫刻の丘へ向かいます。
24時間彫刻に触れることができるアートなナイトツアー。
たまたま運よく結果的に
UBEビエンナーレ彫刻の丘
ときわミュージアムにやってきたー、と言ってもあたりはすっかり夜、そして屋外。動物園をはじめ、他の場所を見ているうちに晩秋の日は暮れて、時間はすっかり黄昏どき。今日、ガイドをしてくれるために、待ってくれている学芸員さんはどこかなー?
と焦っていると無事出会うことができました。遅くなってしまい申し訳ありません。
まずはこのUBEビエンナーレ彫刻の丘について教わりました。
ときわ公園はもともと「常盤池(ときわいけ)」という灌漑を目的とした池を、大正時代に宇部創業の父、渡邊祐策さんをはじめとする有志の手で整備され総合公園として生まれました。池を見下ろす南東の丘は、2年に一度開催される「UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)」の会場で、園内には受賞作品をはじめ100点近い作品が常設展示されています。
夜は夜ならではの楽しい見方がきっとあるはず、ということで一緒に見ていくことにしましょうー。(一部写真をお借りしてお届けします)
「常盤湖を囲むように公園があり、東京ドーム約40個分の広さ。歩くと5.7kmの周遊園路が広がっています。ここが常盤湖を望む斜面で一番ひらけた場所で、1961年(昭和36年)にここを野外彫刻展の会場にしようということで、この場所を作りました。2年に一度UBEビエンナーレで野外彫刻展を開催してきましたが、来年(2022年)には第29回展が開催され今は入れ替え時期にあたっていて作品は少なめになっています。ビエンナーレでは1年目で作品を公募し、次の年に作品を展示します。模型で応募してもらい選ばれた作品を10倍のサイズに拡大して展示する、という方法をとっています。ときわ公園の作品は触って楽しめる、ということになっているので柵をしているもの以外は触っても抱きついてもらっても構いませんよ」
他の作品はどんどん入れ替わりますが、「蟻の城」という名のこの作品だけは変わらずにこの場所に立ち続けています。まさに宇部市のシンボル。
「この作品は1962年に現地制作されました。宇部興産の廃材が使用されてよく見ると色んなパーツを使っているのがわかると思います。パイプや上の方にはバネがついてたりとかパンチングメタルがあったり、廃材を溶接して大きな作品になっています。
今ではリサイクルアートはたくさんありますが、半世紀以上前にこの考え方を取り込んでいる。当時は具象彫刻がメジャーだった中で抽象彫刻を野外に展示すること自体がすごく新しかったと言われています。縦5メートルで横幅が6メートル。こんなに大きなもので、しかも抽象作品を野外の公共スペースにおくということが、当時はとても新しく、日本初の大規模抽象彫刻と言って良いと思います。作者はお亡くなりになりましたが、現在はお弟子さんに修復の協力をいただきながら10年に一度程度塗り替えをしています」
夜だからこそより楽しめる作品もある
イタリアシチリア島の作家による「スターフィッシャーマン」という作品。
漁師の網に隕石が引っかかったというイメージで、池の中から星が飛び出しているようなイメージ。ちょうどライトアップしている時間帯なのでまさに燃える隕石に見えます。公園内に設置の彫刻なので、24時間見ることができるのもこのミュージアムの大きな特徴です。
「お散歩の方とか夜遅くのランニングの方とか。朝も夜も結構どの時間でも人がいますね」
置き場所は作品のコンセプトによって決まる
作品名は「ク・ラ・ゲ・だぞー」
「真ちゅうで作った作品です。下の道から見上げると空をクラゲが歩いているように見えます。そういう写真を最近インスタグラムでよく見かけます。夕方には向こうの方角が夕陽になるのですごいかっこいいですよ。
彫刻を置く位置は展示の際に作家さんの作品のコンセプトやどんな場所に置きたいかを聞きながら、案を出して最終的には建築家と協議の上で決めます。この丘も何気なく見えますが、大高正人さんという建築家が設計しています。丘のなだらかさとか、道の太さだったり一つ一つのブロックの大きさも考えられています」
森の掟という作品です。
外から照らしてもらって中に入ってみると…広がる星空!森とか山とかの柔らかい形をイメージして、パッと見わからないくらいの小さな穴がたくさん空いています。お昼だと太陽の光で木もれ陽のようになり、太陽が動くので見る時間帯によって光の粒の形や位置も変わります。
標的と人という作品は、蟻地獄のような形をしています。ベトナム戦争の時代に生まれた作品で、日本では子どもたちが楽しく遊んでいるけど、別の場所では弾丸から逃れるために走っている子どもたちもいる、というそんな対比を訴えかけるような作品です。
「コンセプトはシリアスですが、放課後や休日に来る宇部の小学生たちは中でグルグル回って遊んでいます。結構ツルツルしているのですが、子どもはみんな平気で入りますね。そういう点でも人気の作品です」
お邪魔したのは日が沈んだ後になってしまいましたがそんな中、心よくガイドしてくれた学芸員さんのおかげで、彫刻の丘のナイトツアーをたっぷり楽しむことができました。有難うございます!今度はお昼にぜひゆっくりと散歩しながら来たいと思います。
第29回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)は2021年12月現在、公募は終了し実物大作品制作の真っ只中で本格的な展示は2022年秋から。
しかし!これまでの作品の一部はUBEビエンナーレ彫刻の丘のほか宇部市内各所でも見ることができるので、公式サイトか観光案内に問い合わせしてみてください。ガイド希望の方は、宇部市の彫刻ボランティアガイド(宇部市ふるさとコンパニオンの会)のご利用をどうぞ!
植物館で楽しむアートでおいしいナイトミュージアム♪
ときわミュージアム「世界を旅する植物館」
ときわミュージアム「世界を旅する植物館」に来ました。
ここはかつてサボテンセンターでした。宇部市出身の植物研究家でサボテンの大家、伊藤芳夫さんの手によって1960年に宇部常盤サボテンセンターとして開館。1950年代からの「昭和のサボテン・多肉植物ブーム」を背景に数多くの施設が生まれる中、当時は日本3大サボテンセンターの一つに数えられるほどの規模を誇っていました。しかし1991年の台風によって建物が倒壊。その後は熱帯植物館として、さらに2017年にプラントハンター西畠清順さんによって、植物の原産地の植生を意識した8つのゾーンに特徴的なシンボルツリーを植栽し、世界を旅するように珍しい植物や花、果実に出会うというコンセプトのもと、ときわミュージアム「世界を旅する植物館」として生まれ変わり、現在では宇部市民にとどまらず、多くの市外からの来園者を楽しませています。
そして、夕食をいただくのはここ、ときわミュージアム「世界を旅する植物館」。
「つみくさあそび」という演劇&お料理&植物館が融合したショーを楽しみながら夕食を楽しむ催しなんだそうです。
作と演出は羊屋白玉さん。国内外の芸術祭に招聘されその土地の人たちと協働する数々の作品を発表。ニューズウィーク日本誌で「世界が認めた日本女性100人」にも選ばれています。
と、情報は以上。
いったいどんな料理が出てきてどんな劇が演じられるのかとても楽しみなのですが、ガイドの坂井さんは、ネタバレするから、とか出てきてからのお楽しみとか何とか言って、一向に何も教えてもらうことはできません。
果たしてゆめはくツアー第1日めの締めを飾るディナーは一体どんなことになるのでしょうか?
出てきたのは、お料理だけじゃなかった
植物館の入り口を入ると第一のゾーン、熱帯アジア。
ここでいただくのはお通しとアペリティフ。ゆめはくに参加する市町の宇部の干しエビや山口市のリンゴ、美祢の梨などの食材を使ったお料理が提供されています。
そして、食事をサーブしてくれるのはこの人たち。ウツボカズラさんたちです。
入れ物はウツボカズラをモチーフにしたグラス、その名も「ガラスカズラ」。山陽小野田市のガラス作家さんが作った作品です。
そう、植物館の中にいる植物を擬人化した出演者によって、植物を見ながら食べる、という趣向です。
植物館内の8つのゾーンを象徴する植物をテーマに食べながら植物の気持ちを味わうことができます。
料理は一流シェフの手によるメニューなので、とてもおいしい!
パラボラッチョの木を目の前に「パラボラッチョのおなかのなか」という魚介のコンソメゼリー寄せをいただきます。
僕が一番気に入ったのはサボテン風の魚介のパイ仕立て。シャキシャキしたズッキーニ(山陽小野田市産)の食感とマグロと白サバ(いずれも萩市産)のパイの相性、山口県の南と北の合作がとても楽しいお料理でした。
これらの料理は宇部市のレストラン「CAPTAIN」のオーナーシェフ、藤谷幸司さんの手によるもの。地元山口県の食材を生かし生産者の思いをフランス料理にのせて提供しています。今回の料理は全て、羊屋白玉さんと協働し、メニューを決めました。
ときわミュージアム「世界を旅する植物館」には、何と!あのニュートンの万有引力の法則の発見のきっかけとなったりんごの木の子孫、東京の小石川植物園に寄贈された木の枝を分けてもらい接ぎ木して育った木、がいるんですよ。
植物を見て食べながら観劇して、時にはバラの愛らしいささやきや小麦の心の叫びを感じながら、最後にりんごの器(食べられる)にクリーム煮が入った肉料理でコース料理を完食。
ラストはカーテンコールで終劇♪とてもアートを楽しみながらおいしい夜を過ごしました。
(写真:小林春美)
赤道から運ばれてきた石灰岩が
ごぼうと観光で人の営みを支える
秋吉台ジオツアー
ツアー2日目のスタートは絶景から。
秋吉台のジオツアーに参加します!
コロナが落ち着き遠足が解禁されたのか、小学生たちがいます。
秋吉台はみなさんご存じ!山口県を代表する景勝地。雄大な草原の中にゴツゴツした岩が点々と広がる姿が思い浮かぶのではないかと思います。僕も小学校の社会で習った気がしますが、このような地形はカルスト地形と呼ばれています。
でもカルスト地形って、秋吉台のこの風景のイメージが強すぎてそもそも何か、はここに来るまで改めて考えたことはありませんでした。でも安心してください。そんなみんなと僕のためにガイドさんが改めて教えてくれます!
カルスト地形とは、石灰岩が長い時間をかけて雨水などによって溶かされて生まれた地形です。
石灰岩はサンゴや貝の殻など生物の死骸が堆積しぎゅっと固まって形成されます。ではこの山口県のまん中がかつて海の底だったのかというとさにあらず、この秋吉台の石灰岩は赤道近くの暖かい海の中で形成され運ばれてきたものだそうです。
30秒で理解できる秋吉台のカルストの成り立ち!
(1)赤道付近の海底でマグマがドカーンと吹いて海山が形成
(2)その海山山頂付近にサンゴ礁ができ石灰岩のもとを形成
(3)海底プレート上のサンゴ礁付き海山が西(ユーラシア大陸方向)に向かってゆっくり(爪の伸びる速度くらい)移動
(4)その移動中にサンゴ礁は厚みを増し続け、下の方のサンゴは押しつぶされながら石灰岩を形成
(5)移動する海山山頂付近で、石灰岩が徐々に大きくなる
(6)海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込むとき、石灰岩がはぎとられ大陸プレートのへり(今の中国あたり)に残る
(7)日本列島が大陸から離れることで、石灰岩のかたまりも現在の山口県中央部に移動し、秋吉台のカルスト台地を形成
ここまで要した時間は約3億5千万年。そんな長い長い旅をしてきた台地がここにあります。
そして、なんと!今、ぼこぼこ見えている岩は実は地中でつながった一つの大きな石なんですって。
「大きな石灰岩の表面が風化や雨で溶けて、肌荒れのようになってボコボコ見えているのが今の状態。完全に大きな一つの岩です。土を掘っていけば大きな岩にたどり着くんですよ。秋吉台のもう一つの名所の洞窟の秋芳洞も一つの大きな岩の中にできた穴で、雨水や地下水のとても大きな通り道の跡です。大きな軽石を想像してみてください。表面のざらざらがこの秋吉台の眺めで、中の気泡が秋芳洞です。秋吉台には観光で人が入ることのできる洞窟は3つですが、その他にも450以上もの洞窟があるんですよ」
見えている岩どうしが土の中で繋がっているなんて、しばらく信じられませんでしたが、丸い石っころではなく、とてつもなく大きな軽石の岩盤といったイメージですね。ちょっとイメージすることができました。
秋吉台の風景が有名な観光スポットとしてたくさんの人に親しまれている理由は、カルスト地形の岩の他にもこのだたっ広い草原にあります。実はこの草原の景観を保つために地元の人の手による山焼きが行われます。
「毎年2月に行われる山焼きは秋吉台の一大イベントです。今、草原になっているところに周囲から一斉に火を入れます。日本各地で山焼きは行われていますが、この規模で火入れするのはここだけです。もともとの山焼きの始まりは秋吉台で畑をしていたり牧草をとっていたり萱をとっていた当時に、他の場所と同じようにちょっとずつ山焼きをしていましたが、明治の中頃に陸軍演習地になり、一斉に火入れをするようになりその後も慣習としてずっと続きこの風景が保たれています」
秋にはススキのカーペットが黄金色、冬には雪で真っ白、2月の山焼き直後は真っ黒、春には新緑の中に岩の白の美しいコントラスト、季節によって4色の秋吉台を楽しむことができます。
秋吉台は中央を流れる厚東川によって東西二つに分けられ、特別天然記念物及び国定公園に指定された東側では、自然環境は厳しく守られています(石を持って帰るのは御法度!)。
ちなみに、秋吉台をはじめとする日本の石灰岩が他の地域のものと比べて白い理由は、ヨーロッパなどの石灰岩は大陸の沿岸でできるため、砂や泥が多く混じりますが、日本の石灰岩は海の真ん中で形成されたものがプレートに乗ってやってきたものなので、不純物が入りにくく、より白くなるんだそうです。
秋吉台のごぼう
「秋吉台のことを地元の人は単に『台(だい)』『台山(だいやま)』と呼びます。今も秋吉台の上には集落が一つあり、秋吉台の中で農業も営んでいる方もいらっしゃいます。
秋吉台の中には『ドリーネ』という穴ぼこがあります。実はこの穴の底は平らでかつて畑として利用されていました。秋吉台に降った雨はドリーネに集まり、その後地中に染み込んでいきます。だから秋吉台には地面を流れる川は存在しません。このドリーネに吸い込まれる水に栄養分が豊富に含まれているために穴の底の土壌が豊かになりいい野菜が育ちます。
現在は数軒ですがまだ秋吉台で畑をされている農家さんもいます。作物は基本的には根菜類、ごぼうや大根。小豆も育てられているみたいですね。ごぼうは特に美祢市の特産品にもなっています。ごぼうは水を好まず水はけの良い砂地で育てるのが普通ですが、ここのごぼうは赤土で育ちます。下が石灰岩で水はけが良いので粘土質の赤土の中でも育つことができます。粘り気の強い赤土の中で育つために生育速度は遅いですが、香り高く味も良い柔らかいごぼうが育ちます。そのごぼうはアクがとても少ないので、お刺身で食べることができるんですよ!」
この中でごぼうが育っていたのか!でも、穴の中への移動は大変。作業のたびに降りていって終わるとまた登って出てこないといけません。ここで農業するのはさぞ大変だったのだろうなぁ、と思いました。
猪の痕跡。秋吉台にはごぼうだけじゃなく、いろんな生き物が住んでいます。
ゴールは、Mine秋吉台ジオパークセンター「Karstar(カルスター)」です。お茶しながら秋吉台を大パノラマで眺めたり、食事したりお土産を買うこともできますよ。
「ジオパークのガイドをやっているのは、子どもたちに対して視野を広げて欲しいからです。地質を知ることももちろん大切だけど、子どもたちと一緒に歩いてみていろんな見方があるよね、って伝えることを大切にしたいと思います」とガイドさん。
石灰岩がこの地域の人の営みに関係していることを知ることができました。永山本家酒造場さんのところの田んぼの水と仕込み水もここから来てるって言ってましたよね。
秋吉台にはじめての僕でもよく理解できたので、ガイドさん付きのツアーがおすすめです。歩き回ってペコペコのお腹を満たすため、次はランチへGO!
変人と挑戦者が集うゲストハウス&パブでタコスランチ!
Guesthouse & Cafe Pub TRIP BASE COCONEEL(ココニール)
やってきたのは沖縄スタイルのタコライス&タコスが楽しめるお店「TRIP BASE COCONEEL(ココニール)」さんです。ランチの他にも夜はパブとしてお酒を飲めるお店になります。店舗スペースの隣にはゲストハウスも併設し、日本各地から面白い人たちが集まる場所になっています。
オーナーの松田寛之さんは美祢市の出身。実家はこのCOCONEELから歩いて10秒ほど。東京でバンドマン、サラリーマンとして15年過ごした後、3年前に奥さまとともにUターンで故郷に帰ってきました。
「実は移住したいと思うほど沖縄が大好きで、美祢に帰ってくるのとどちらが良いのか正直迷いましたが、一旦は地元に帰ろうということで美祢市に決めました。妻にとっては知らない場所だったので、美祢市の良いところを調べてこんな観光地があってスーパーがどこで便利だよ、と妻にプレゼンするうちに観光地なのに宿泊事業者が少ないことに気づきました。当初は就職するつもりでUターンしましたが、小さな宿なら個人事業でもやっていけるし競合も少なくて絶対いける!と信じてゲストハウスを開業することにしました」
「この建物はもともとおばあちゃんの定食屋でした。店を閉めた後は倉庫になっていたのをもったいないなと思って改装し、2019年の9月にオープンしました。この辺では珍しいタコライスとタコスを提供、夜はアイリッシュパブにしようと思いました」
沖縄で食べて以来忘れられないほどおいしかった味を再現しようと、松田さんが何度も試作を繰り返したタコス!
見てるだけでよだれしみ出る口の中。
いただきまぁーす!!
個性的(あるいは変かも?)な人が集まってくる宿になった
「ゲストハウスはバックパッカーの他にも、意外とファミリー層も使ってくれます。バイカーや自転車の人も多いですし、歩いて日本一周をしている人も。その人は財布も携帯も持たずに東京から歩いてきたんです。出会う人にご飯を奢ってもらったり、アルバイトをして交通費の分だけのお金をもらって、自らそういうルールをしっかり決めて。でもスマホを持っていたからどうしたの?って聞くと、ある人にもらったって。手ぶらで日本一周できるんですね(笑)。
昨日は、大阪から奄美大島に向かう人が泊まっていきました。奄美でサウナを立ち上げるそうです。仲間も誰もいない、家も決まっていない。そういう無茶な人が集まってくるんですね。ドミトリーで一人でくる人はそういう人が大半。そんな人たちの話を聞くのがめちゃめちゃ楽しい。相部屋のお客さんとはお互い変態だなぁって、ここでたいがい一緒にお酒を飲んで話をします。めっちゃ面白いですよ。人の話を聞くのが本当に大好きです」
原付バイクで秋吉台を疾走!「乗旅」からの~♪広がる仲間
「秋吉台を訪れる若い人はノープランの人が多くて、観光名所だけじゃなくて違う楽しみ方を自分で見つけたい、そんな人に使ってもらえるよう『乗旅』というサービスを作りました」
乗旅は、原付バイクを借りて秋吉台の中を走ることができるサービスです。雄大な自然の中を風を感じながら疾走できると大人気。山口名物夏みかんイエローのバイクもかわいいと女性に好評です。乗旅では近くの施設で受けられる特典があり、例えば秋吉台のコーヒースタンドと観光案内所が一緒になった『カルスター』ではシャーベット100円引きだったり、無添加素材を使用したワッフル屋さんや田舎でほっこりできる雑貨屋さんをはじめ、美祢市内の約20のお店や施設で利用することができます。
「もともとの友達はもちろん、自分が気に入ったお店や施設にお願いして乗り旅のことを説明して乗り旅の輪を広げていきました。ここをオープンしたての頃はお客さんもいっぱいきて 賑やかで忙しかったですが、経営者として孤独を感じてしまうこともあり、一緒に仕事ができる仲間が欲しいと思っていたさなか、今ではカフェをやっている人、僕と同じようにゲストハウスをしている人、いろんな仲間ができました。一緒に飲みに行ったり旅行に行くこともあります。本当に仲間って大切ですね。
今一番面白い人は山口大学を中退してアドベンチャーツアーで起業した村瀬くん。誰でも入ることのできる洞窟は秋芳洞を含め3つだけなんですけど、秋吉台には実はあと450以上の洞窟があると言われています。舗装や照明も一切ない真っ暗な洞窟をヘッドライトで行くツアー。事業として美祢の環境や資源を生かしたことをやろうというのが、この地域ではとても新鮮な試みです。彼のツアーとセットの宿泊プランも開発しました。
他にもこの場所には将来カフェを開きたい人や、パスタ屋さんをしたいという人が泊まりに来てくれます。僕はあまりアドバイスはできないですけど話を聞いたり、試しにコーヒーを淹れてもらったり、厨房の中で作ってもらったスパイスカレーやパスタをここに来るお客さんに出してみてシェアキッチンのように使ってもらったり。そんなお手伝いをすることもあります」
今、美祢市にはお店を開きたいという人がじゃんじゃんやって来ます。美祢市では移住を検討中の人が3泊以上連泊した場合、一泊3,000円で宿泊可能になる補助制度があります。その制度を利用して、飲食の開業準備をしている20~30代の若者たちが美祢にやってくるのだそうです。
松田さんの小さい頃、観光客の車で渋滞しているほと賑わっていた目の前の道。これから美祢がもっと熱くなれば、そんな光景がまた戻ってくるかもしれません。
松田さんはどこに行く?ここにいる?
「僕自身も2店舗目を準備に入って、3店舗目の物件も探している最中です。複数の店舗になって安定してくれば、僕自身は県外や海外を旅してたくさん面白い人に会って話をする、話をして得たヒントをここへ持ち帰って実験する、そんなスタイルが理想です。運営するスタッフも新たに雇って、仲間がもっと増えて地域全体で盛り上がっていけばいいと思いますし、すでに美祢市にはそんな流れが来ていますよ。そんな雰囲気は感じています」
今後、美祢のことを耳にする機会が増えるかもしれない。松田さんがどこかへ行ってしまわないうちに、僕もCOCONEELにもう一度来たいな、と思いました。
松田さんとお別れして、瀬戸内海の町へと向かいます。
いちご食べ放題&メルヘンなコスモス畑のもう一つの顔は
西日本最大スケールのシステム農場
花の海
田園風景を眺めながらのんびり移動していると突如現れる構造物!長大なコンベアは秋吉台の秋芳鉱山から石灰石を仙崎港まで運ぶ鉱山会社のもの、全長16.5kmもあるんですって。
セメント町!
山口県の南西部、瀬戸内海に面している山陽小野田市にやってきました。山陽小野田市は、明治時代になり小野田セメント(現太平洋マテリアル)をはじめとする鉱業や製油、薬品など工業の町として発展。山陽小野田市にはセメント町のほかにも硫酸町、火薬町といった混ぜると危険な感じの名前のバス停も残っていますよ。ぜひ探してみてね。
到着したのはそんな危険な名前とは真逆の「花の海」という可憐で素敵な名前の施設。工業の町というイメージがいきなりひっくり返る。花の海ではいちご狩りや農場体験ができたり、レストランや地元野菜を買えるお店があります。
ガイドしていただくのは金子陽平さん。株式会社花の海、総合交流部の部長さんです。
「いちごのハウスには、一日1000人以上のお客様が来場されますが。全長100メートルほどのハウスが3棟ありますので、ゆっくり満足いくまで楽しんでいただけます」
大人1,900円でなんと時間無制限食べ放題。場所も決められていないので、いちごが減ってきたら次のハウスへ移動なんてことも可能です。この広さなのでそう簡単にはいちごは無くなることはありません。期間は12月から春(5月頃)まで。いちご好きには天国です。
ここが本当のフォーエバ〜なストローベリィーフィールズだったのか♪
がんばれ、大きくなれ、と言いたくなる愛らしさ。
いちごは花が咲いてから40日ほどで花の中心から結実します。
ハウスの中では受粉するための蜂を飼っています。
「いちご専用の「いちご部」の者たちが、一年中いちごの作業をしています。夏入る前からタネを植えて苗作りが始まり、春まで5月末までいちご狩り用のいちごのお世話をして、期間が終わると土づくりを始めて、また苗づくり、と続いていきます」
きっと仕事は大変だと思いますが、僕も所属してみたい!いちご部。
いちご狩りが終わると、夏にはスイートコーン狩りとひまわり畑、秋はコスモス畑。その後、さつまいもと落花生の収穫体験と花の海は一年中楽しむことができます。
コスモス畑にやってきましたー。春はポピーやネモフィラ、夏はひまわり、秋はコスモスと、季節ごとに一面に広がる花畑を楽しむことができます。言葉のとおり花の海です。写真パシャパシャしたくなる!
ずーっと先まで花の海。海の向こうには北九州の山並みが間近にせまっています。
それにしても広いけどなぜなのか。ここはかつて広大な海だったんですよ。
花の海のもう一つの顔
花の海にはもう一つの顔があります。いちご狩りや収穫体験、飲食や地域産品の販売は一般の方向けの事業。実はホームセンターをはじめお店向けに花の苗を卸す、育苗事業も行っています。ホームセンターでよく見かけるポット苗です。
こちらも花の海!
「ホームセンターさんから注文を受けて花を育てます。種苗メーカーから当社に届いたタネをここで育ててホームセンターに出荷します。業界以外の一般の方の目にはほとんど触れることはありません。
花の海はもともとは山口市の阿東町という山間地域にある船方農場という会社の園芸部が独立してできた会社です。
土地が手狭になってしまったということで、こちらに移ってきました。山の方がルーツなのでひょっとすると海への憧れがあったのかもしれませんね」
花のハウスの長さは約200メートル。ハウスの中は花に水をやるのも肥料をやるのもほぼ自動で、はるか奥のタネを撒いたり苗を刺す場所からスタートし、生育が進むにつれこちら(出荷口)に移動してきます。
入り口に近いほど緑が増えてくるのは、まだ花が咲いていない若い苗だからです。
生産の部分はできるだけけ機械で自動で行い、水や肥料をあげるタイミングや天候や気温に対する微妙な調節など、主に判断する役割を人が担う、というように分業しています。
「過去の生産データから何月何日にタネを撒いて、何月何日にどの作業をして、というのがバッと出て基本的にはそれに沿って作業が決まりますが、日々判断が求められます。気温や天候はじめ、水や土壌のpH値(酸性なのかアルカリ性なのか)によっても生育に影響するので与える量をコントロールします」
ハウスの中の温度管理に厳格なことはもちろん、出荷に近づくにつれ天井を開けて外気に慣れさせたり、これから寒くなる時期には植物の生育を促す太陽光の性質に近いナトリウムライトを当てて日射量を補うなど、さまざまな要因をもとに判断しなければなりません。
花の海では、花のほか、全国の産地から野菜の育苗の注文も受けています。
「育苗は農家さんへの影響が大きいので失敗は許されません。この苗を作る技術があるからこそ、いちご狩りの苗も作れるし、花や野菜の苗も作れて、来場者の方には美しいお花畑もご覧いただくことができます」
ハウスの外には小さな葉牡丹がありました。お正月にはきっと皆さんのお手元に届くはず。
花の海は今も拡大中
もともとは稲のために開発された干拓地でしたが、その後の減反政策で耕作放棄地に。花の海が整地しながら徐々に拡大、現在では西日本最大級のシステム農場になりました。
「まだ干拓地の耕作放棄地は向こうにあります。農地が荒れるのが嫌だから何とかしたい。できるだけ花の海で引き取らせてもらって生かそうとしています」
花の海のレストラン&ショップでは、地元の野菜を使ったランチや自社の窯で焼いたパン、畑の野菜を自分たちで収穫してピザの上に乗せて焼くピザ作りも体験可能。船方農場のソフトクリームやスイーツも手頃な価格でいただくことができます。
「できるだけ地域の人に利用してもらうような店づくりを目指しています。観光農園ですが、地元の人に普段使いで愛される店を作りたいです。観光客ももちろん大切ですが、そこだけをターゲットにすると商売上厳しくなるし、働く人にも土日祝日だけ出勤してくれ、となってしまいます。野菜もランチも日常づかいしてもらえるように気をつけています」
金子さんがおすすめは、自ら開発した玉ねぎドレッシングです。
「このドレッシングは児童養護施設の子どもたちと一緒に苗の植え込みをして、収穫も子どもたちと一緒にしました。製造も地元の醤油屋さんで自分の想いが詰まっている商品です。来週にはまた子どもたちが来ていちご狩りのオープニングをした後、今年の玉ねぎの植え付けも一緒にするんです」と、とても楽しそうに語ってくれました。
素敵な名前の花の海は、素敵な花の育て屋さんでした。
金子さんの想いの詰まったドレッシングと、お野菜をお土産に購入させていただきました。
旅の最後はきららビーチ焼野の夕日で。
山口にまた来れると、とても幸せます
お酒に食べ物、アートに動物・植物、広大な秋吉台...学びも多くて山口の魅力や可能性をたっぷり味わうことができた満ち足りた旅でした。そして、たくさん面白い人に会えたことが自分にとっての何よりの実りだったなと思います。まさに魅力的な人の博覧会。しかし、今回の旅はまだまだ山口県の魅力の一端に触れたに過ぎません。通り過ぎるだけなんてなんて今までもったいなかったんだろう。何度も来ないとまだまだ足りないなと思いました。山口県の方言で「幸せます」という言葉があります。「幸いです、うれしいです、ありがたいです」といった意味で使われる素敵な言葉です。せっかくなのでこの旅のお礼をこの言葉で締めくくりたいと思います。山口にまた来れると、とても幸せます。
山口ゆめ回廊博覧会は2021年12月31日(金)まで開催中。
残り半月ほどになりましたが、坂本龍一さんの山口で生まれたメディアアート「坂本龍一 ART-ENVIRONMENT-LIFE 2021 坂本龍一+YCAM InterLab《Forest Symphony》」や今回参加の7市町にアーティストが登場し作品を届ける「アート巡回プロジェクト」などまだまだ盛りだくさん。
皆さん、旅への渇きが激しかった2021年の締めくくりを、山口で潤してみてはいかがでしょうか。
(文:西村吉晃 写真:平川雄一朗)
【詳細情報】
山口ゆめ回廊博覧会
株式会社 永山本家酒造場
住所:山口県宇部市大字車地138番地
電話:0836-62-0088
URL:https://www.domainetaka.com/
ボクらの泳ぎかた
住所:山口県宇部市小野7887
電話:090-5262-7174
URL:https://www.instagram.com/boku_oyooooo/
GLYCINES
住所:山口県宇部市浜町2丁目12-39 聖仁会ビル3F
電話:0836-39-9656
URL:https://arts-life.com/glycines/
ときわ動物園
住所:山口県宇部市則貞3丁目4−1
電話:0836-21-3541
URL:https://www.tokiwapark.jp/zoo/
UBEビエンナーレ彫刻の丘
住所:山口県宇部市野中3丁目4-29
電話:0836-51-7282(UBEビエンナーレ推進課)
8:30~17:00(土日祝は除く)
URL:https://ubebiennale.com/
ときわミュージアム「世界を旅する植物館」
住所:山口県宇部市野中3丁目4-29
電話:0836-37-2888(ときわ公園企画課)
URL:https://www.tokiwapark.jp/plantmuseum/
つみくさあそび
URL:https://yumehaku.jp/event/post_3338/
Mine秋吉台ジオパーク
住所:山口県美祢市秋芳町秋吉11237−862
電話:0837-63-0040(ジオパークセンター Karstar)
URL:http://mine-geo.com/
Guesthouse & Cafe Pub TRIP BASE COCONEEL
住所:山口県美祢市秋芳町秋吉2943-1
電話:090-5263-1017
URL:https://www.coconeel.jp/
URL:https://noritabi.b-h-o.com/
株式会社 花の海
住所:山口県山陽小野田市埴生3392
電話:0836-79-0092(平日 10:00〜17:00 / 土日祝 9:30〜17:00)
URL:https://hana-umi.com/
きららビーチ焼野海岸
住所:山口県山陽小野田市松浜612
電話:0836-82-1169(山陽小野田市役所 土木課 河川港湾係)
URL:https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/soshiki/25/kirarabi-ti.html
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