「オリバーソース」百年物語。出会いと偶然と無数のチャレンジが生み出した、世界初のとんかつソース
みなさん、こんにちは!ライターのかまださちこと申します。今回のしゃかいか!でお邪魔したのは、神戸ポートアイランドに本社と工場を構えるオリバーソースさんです。
生まれも育ちも大阪の私にとって、とても親しみのある会社さん。どんなお話が聞けるのか、ワクワクしながらやってきました。
オリバーソースさんは2023年に創業100周年を迎えられました。
子どもの頃から知っているオリバーソース。
関西出身のせいか、原哲男さんのコミカルなテレビCMと定番のフレーズが浮かびますね(注:一定の世代以上限定)。じゅわ~~~っと鉄板で跳ねるブラウンソース。「説明不要!」その通り!
でも、どんな歴史を辿ってこられたのか、おいしいソースがどのようにつくられているのか。親近感がある割には、何も知りません。(ソース愛強めの方は知っているかも?)
そこで道満雅彦社長に創業時のこと、とんかつソース、どろソースの誕生秘話、ソースメーカーとしてのこだわりをお聞きすることに。
大正12年の「道満調味料研究所」から始まった!
ニコニコ笑顔で迎えてくださった道満社長。初対面なのにホッとします。
「どうぞどうぞ」と案内され、歴代ソースのパッケージが並ぶ部屋でお話を聞きました。
「いろいろ大変ですわー。資材は値上がりするわ、社員は高齢化するわでね。」といきなりのぶっちゃけ話に圧倒されつつ、「老舗メーカーも大変なんだ」とフムフム聞き入ります。
ひとしきりお話しされた後、「で、今日はなんの話?」と真顔の社長。関西人としては、このボケにイスから転げ落ちながら「取材ですよ」とツッコミ返すべきですが、今回は省略。「創業100周年ということで、オリバーソースさんのこれまでとこれからについて、お聞きしたいです…」と負けずに持ち直しました(笑)
今から遡ること100年前の大正12年、1923年のことです。
社長の御祖父、道満清さんが立ち上げた『道満調味料研究所』。ここからオリバーソースの歴史が始まります。道満ソース製造とか、ストレートな社名にしなかったところに、こだわりがチラ見え。
大阪の老舗の醤油蔵『浪速醸造』の次男として生まれた清さんでしたが、当時、家業を継ぐのは長男の役目。「自分は神戸でソースをつくる!」と家を出ます。
兵庫開港(1868年)以来、横浜などと並んで欧米との交流が盛んになっていた神戸。初代の清さんが神戸に乗り込んだときはすでに、いくつかのウスターソースのメーカーが操業を始めていたそうです。
ここで押さえておきたいポイント!
実は、日本のウスターソースは神戸が発祥。イギリスのウスターシャー州の州都、ウスター市で誕生したウスターソースが日本に伝えられ、神戸で製造が始まったのです!だから入口でユニオンジャックがはためいていたのですね。
その神戸に単身乗り込んだ清さん。『萬年印ソース』や人型のロゴマークを掲げた『人形ソース』ブランドで製造・販売を始めました。
ソースメーカーの社長として事業を続けていたある日、雑誌で第一回ミス東京に選ばれた女性、真鍋栄子さんの写真を見て一目惚れしてしまいます。清さんは自分ではなく、2代目となる息子、俊彦さん(現社長のお父様)の結婚相手にしたいと考えました。
思い立ったらすぐ行動、ということで遠い親戚縁者を探しだし何時間も汽車に揺られ、その女性に会うために東京に乗り込んだ初代と2代目ですが…あえなく撃沈!収穫なしに神戸に戻ろうとしたとき、栄子の妹さんが「私が行くよ」と申し出たそうです。
「それが私の母、不二子です」と社長。
ちなみに最初にアタックしたお母様、不二子さんのお姉様は栄子さん。社長によると、ミス東京を紹介した雑誌は彼女の姿を“八頭身”と表現しました。八頭身という言葉がマスメディアで使われ始めたのは、ここからなんだそう。その生みの親ともいえる人物が、オリバーソースと深い関係のある方だったと知ってびっくり!
それにしても、雑誌で見たミス東京にプロポーズしようと思いつき、家まで押しかけるなんて行動力ありすぎです(笑)
現社長のお母様の不二子さんは宝塚歌劇が好きで、モダンな雰囲気の神戸にも興味を持っておられました。
「歌が好きで踊りが好きで、絵も上手。もともと風流なことが好きな家系なんですよ」
そう話す社長の家系にも、通じるところがあります。
初代の清さんはシュッとして背が高く、ハーレーダビッドソン(バイク)を乗りこなし、謡曲の趣味も。風雅な“遊び人”の血は、ヨットをこよなく愛する現社長にも受け継がれているようです。
「不二子が言うてるソースって、どういうもんなんや?」~『とんかつソース』の誕生
いよいよここからがレジェンドの核心!『とんかつソース』の誕生秘話です。
今、スーパーに行くと当たり前にあるとんかつソースですが、世界で最初に開発し、世に送り出したのはオリバーソースさんなのです!みなさん、ご存知でしたか?(ソース愛強めの方はご存知かも)
社長のお母様、不二子さんは東京の女学生時代、アルマイト製のお弁当箱を使っていました。当時はご飯の上に梅干しを置く日の丸スタイルがお弁当の主流。梅干しの酸で弁当箱に小さな穴が空くのが悩みの種でした。
学校前のコロッケ屋さんに通っていたお母様。コロッケを弁当箱のふたにのせ、たっぷりのウスターソースをかけてくれるのはいいけれど、お弁当箱の穴からソースがぽとぽとしたたり落ちて服やカバンが汚れる…。
「どろっとしたソースをつくって!」とお願いしたところ、お店はメリケン粉で固めたウスターソースをつくってくれました。とろみのあるソースは人気を呼び、行列ができるほどに。
「東京で食べたあのソースをもう一度、食べたい。」
不二子さんが発したその一言に触発され、初代社長の清さんはとろみのあるソースづくりに乗り出します。
「不二子が言うてるソースって、どういうもんなんや?」。清さんは片栗粉、はったい粉、メリケン粉といろいろ試してみますが、すべて失敗。とろみはできても安定せず、時間が経つとサラサラに戻ってしまう。
するとご近所さんだった大手製薬会社の方が「薬を固めるのにコーンスターチを使っているよ。試してみたら?」とアドバイスをくれます。恐る恐る足してみたコーンスターチですが…これが大正解!2年経ってもとろみが失われず、味と風味をキープできることもわかりました。
つくりあげた瞬間の映像や写真は残っていませんが、初代や従業員のみなさんも小躍りして喜んだにちがいない。「やったぞー」という歓声が聞こえてきそうです。
ソース瓶を模した看板を前に、誇らしげに写真に収まるみなさん。
商品はできた。ネーミングはどうする?
コロッケがきっかけだから、コロッケソースでもいいけど…。
やっぱり、西洋からやってきた当時の最高級の食文化であるとんかつを使おう!
こうして1948年(昭和23年)、世界初の『とんかつソース』が神戸で誕生したのです。
秘伝のレシピを大公開!気前のよさがソース文化を育てた
「先代は売れるとは思っていなかったみたいですよ」と社長。まあ、シャバシャバのウスターソースが普及していた日常に、とろみのあるソースが登場したとて、それが何?ということでしょうか。
さらにさらに!
日本のソースメーカーのブランドといえば、基本は日本名。その中で『オリバー』という、こじゃれたネーミング。「カッコつけてる」なんてやっかみもあったのでは?と脳内で妄想が膨らみます。
そんな視線をモノともせず、クールにわが道を行くのがオリバーソースさん。1949年(昭和24年)、『オリバーとんかつソース』として堂々と売り出してみると…。どうなったと思います?
とんかつソースを売り始めた当初は、売れ行きもぼちぼちといったところでしたが、突然、ものすごい勢いで売れ始めます!姫路や明石からもトラックで駆けつけ、大量に買うお客さんが続出。
「いったい何が起こってるんや?」と目を丸くしつつ、ひたすらつくり続ける道満調味料研究所の人々。そのうち、つくり方を教えてほしいと頼まれた初代と2代目は、とんかつソースのレシピや材料の仕入れ先を惜しげもなく公開してしまいます。
今なら考えられないことですよね。レシピは食品メーカーにとって最高クラスの企業秘密ですが、「おもろいやんか」と教えちゃいました。気前がいい!
その結果はやはり。日本中のソースメーカーがとろみのあるソースの製造を開始。1955年(昭和30年)頃、爆売れしていた『オリバーとんかつソース』の勢いも衰えます。
同時に、爆発ヒットの理由も判明。たこ焼きとお好み焼きに使われ始めたことが需要を押し上げていました。つまりそれまで、たこ焼き、お好み焼きのソースは、とんかつソースではなかった?
「当然といえば当然ですよね。うちがつくるまで、この世にとんかつソースはなかったんですから」と社長。
あ、そうか。
『オリバーとんかつソース』が世に出るまでは、粉もんはウスターソースで食べていた。のせてもこぼれない、酸っぱさがなく甘みもある。野菜と果物の風味たっぷりのとんかつソースを生まれて初めて口にしたときの当時の人々の感動は、大きかっただろうなあ。
自社商品が持つ価値に気づいたときには、「とんかつソース」は各社が売り出している状況。会社にとっては残念な結果になりましたが、オープンさと気前のよさ、なんでもおもしろがるお茶目な性格がソースの可能性を広げたともいえます。
日本の食文化史に記述されるべき功績であることは間違いありません。
「粉もの文化の震源地は、間違いなくここ。ここにあるんです」
静かに、力強く語る社長の目に引き込まれます。
攻める商品名で勝負!『どろソース』
1966年(昭和41年)、「道満調味料研究所」から「オリバーソース」に社名を変更。お好み焼き専用・焼きそば専用ソースを発売、テレビCMで吉本新喜劇の原哲男さんを起用し、2代目社長のもとで知名度も売上も順調に伸びていきます。
道満雅彦社長が就任したのは1991年(平成3年)。意気揚々と前を向き、自分の手で新しいものを生み出したいと考えていた社長は、『どろソース』の開発に成功します。
「どろというネーミングも大胆でしょ?ふつうは考えませんよね」と笑う社長。
言われてみれば…。自社の食品にわざわざ「どろ」と名付ける会社もないかもしれません。でも、どろっとしている『どろソース』に、これ以上ふさわしい名称もないような。
実はこの『どろソース』、大正12年の創業時にすでに存在していました。
ウスターソースをつくる過程で、避けられないのが、底に溜まる“澱(おり)”。
みなさんのご家庭にあるウスターソースやとんかつソースも、使い切った後、底に少しだけ溜まっている部分があるはず。それが澱で、この部分こそが『どろソース』の主原料なのです。そう、あの澱はおいしい。捨てちゃいかん!
ただ、昔はどの会社でも使いようがなく、捨てざるを得ませんでした。オリバーソースさんも産業廃棄物として、お金を払って処分していたのだそう。
そこでピン!とひらめいた2代目社長。
「もったいないから売ろう」と思いつきました。ソースの上澄も溜まった澱も商品として使い切ることにしたわけです。「まさに元祖食品ロスじゃないですか」と、思わず感嘆の声を上げるTAM代表の爲廣さん。
しかし結局、味が安定せず、長続きはしませんでした。
試行錯誤を重ねてその課題を解決し、商品化に漕ぎつけたのが現社長。決め手はコーンスターチでした。とんかつソース誕生の立役者となった原料がまたもや登場です。コーンスターチくん、キミはエライ!
やっぱり社長はオリバーソースの3代目。新製品を開発するだけでは満足できず、もう一段、おもしろいことをしたいと思いを巡らします。
そして、どろソースの完成を記念として「採算度外視の最高級品をつくったろうやないか」と思い立ちました。
液状に仕立てた加工原料は極力使わず、タマネギやリンゴは丸ごと、香辛料も粉のまま、上質の材料をふんだんに使った超贅沢なソースをつくり『クライマックス』シリーズと名付けて販売。通常よりも澱の割合が多く、それは美味しいソースになったそう。
「上はウスターとして、下はどろソースに。これなら両方売れるぞ」とワクワク。スーパーの棚に並ぶ1本100円の他社製品の隣に、ウスターは800円、どろソースは400円と強気の価格設定で攻めてみたところ…少しずつ売れ出した。すごい!勇気を出して買った人にインタビューしてみたい。
「冷凍にしてこの味は革命だ!」と言わしめたコク
『どろソース』も右肩上がりで人気は上々。風のウワサで聞こえてきたのは、神戸名物のそばめしに『どろソース』が合うということでした。
ウスターソースならべちゃっとしてしまうチャーハンが、味が凝縮された『どろソース』で炒めると少ない量でもしっかり味がつき、パラパラご飯になるらしいとか。
「コテに載せると、ご飯がにゃんパラリっと落ちるんですよ」
にゃんパラリ?初めて聞きましたが、イメージが湧きます。「パサッ」じゃなくて、ニャンコのようなしなやかな感じですね。
ユーザーニーズを素早くキャッチした大手冷凍食品メーカー2社が、オリバーソースの『どろソース』を冷凍そばめしに採用し、これまた大ヒット!「冷凍にして、この味と食感を再現できるなんて革命だった」と、ニチロの担当者は興奮気味におっしゃったのだそう。
しかし、『どろソース』はあくまでもウスターソースやとんかつソースの副産物。生産できる量は限定されるし、澱が沈澱するまで長期間寝かせなければなりません。冷凍食品用だけでなく、スーパーで販売する分も必要です。圧倒的に量が足りないため、他のレシピで似たものをつくろうとチャレンジもしたけれど、やっぱりできませんでした。
とうとう在庫が切れたとき、冷凍そばめしも一旦販売を停止に。「オリバーのどろソース以外は使わない」と、きっぱり言い放った冷凍食品メーカー。消費者のソース愛を裏切らないぞという、頑固なまでのこだわりが食文化を守ってきたのだとつくづく思います。
阪神・淡路大震災で工場消失~「最先端の工場で、業界一のソースをつくろう」
『どろソース』人気もあり、業績は順調に伸びていました。
研究開発棟を含む新工場を完成させたのは1994年8月。12月に大型の汎用コンピュータを導入し、販売管理システムのテストも開始。最先端の技術を取り入れた工場が稼働を始め、12月に過去最高売り上げを記録した直後の1995年1月17日火曜日、5時46分、阪神・淡路大震災が発生します。
自らも足に怪我を負いながら、自宅から工場に駆けつけた社長。
製造設備も新工場もホストコンピュータも。
神戸市兵庫区松本通にあった本社社屋と工場の多くが全焼・倒壊し、水道・ガス・電気・電話などのライフラインが止まりました。
本社のあった区画では、100名もの方が命を落としたと言います。
失ったものはたくさんありますが、なによりショックだったのは若手社員、佐藤也寸志さんの死。震災の4日前にソースを仕込み、当日、そのソースを仕上げようと早めに出社していたのだそうです。
悲しみの中で3ヶ月後、仮オフィスと工場で再開。社長も加わって、ほぼ手作業でのソースづくりを続けることができたのは、「オリバーソースを使いたい。待ってるよ」と、お尻を叩いてくれた食品メーカーやお好み焼き・たこ焼きチェーンの励ましがあったから。
ここから再始動だ、とエンジンを吹かせるも新たな問題が浮上します。
本社のあった場所で、区画整理事業が確定。以前からの計画でしたが、震災復興という目的のため、オリバーソースは所有地の多くを失い4分割されることに。
こんな状態では6tトラックが入れない、タンクローリーが曲がれない、気がつけば周囲はマンションだらけ…。どうする?社員みんなで話し合い、「この土地を離れて、ポートアイランドで心機一転スタートしよう」と決めました。
まるで荒野のような、第二期埋立工事が終わったばかりのポートアイランド。今とはまったく違う風景です。
空港どころか、見渡す限りの更地が広がる大地。月の砂漠のような場所に、第一号の企業として乗り込んだのがオリバーソース。車が止まっている場所が、現在の工場のあるところです。
その地に建てた本社と工場が稼働を始めたのは、1997年(平成9年)7月のこと。
当時としてはかなり画期的なファクトリーオートメーションを取り入れた最新の工場を建て、さあがんばるぞ!と製造を始めたとき、またもや厳しい現実が立ちはだかります。
震災から早や2年半。その間、食品メーカーさんとは取引があったものの、「日本中のスーパーの棚からオリバーの商品がなくなっていたことに気づかなかったんですよ」と社長。
「寝返りが打てなかったんです。胃に穴が空いて、戻してしまうから」
経営者としての不安や苦しみはいかばかりか。幾度もの苦難が折り重なっての心労は、想像するに余りあります。それでも、諦めることはありませんでした。
「最先端の工場で、業界一のソースをつくろう」
決意を新たにするみなさんのもとには、震災で亡くなった佐藤さんが最後に仕上げたソースの原液がありました。火災に見舞われながらも、5tのタンクだけは奇跡的に焼け残ったのです。
その原液を仕込み、震災から10年目の2005年(平成17年)、『クライマックスシリーズ』として限定生産。シリアルNo.0001は佐藤さんのご遺族に進呈しました。その後、15年目、20年目と計3回、限定生産と販売を実施。
20年目に発売した3000セットはテレビで紹介されたこともあり、発売開始後8分で完売したそう。
このときに原液も使い切りましたが、その後も毎年1月17日には、社員みんなで『クライマックスシリーズ』を仕込みます。1月17日に仕込むのは、この商品だけ。
仲間への鎮魂と、あの日のことを忘れないために。
コツコツ、コツコツ。店ごとのソースをつくる
スーパーの棚から消えたオリバーソース復活の鍵となったのは、同社の原点ともいえる“粉もん”でした。
頭を切り替えて、販路をチェンジ!お好み焼き屋さん、たこ焼き屋さんなどへの直接販売に軸足を移したのです。粉もん文化を生み出した同社のソースが、粉もん屋さんに受け入れられないはずがありません。
手間ひまはかかるけれど、お店を訪問して味の要望を聞き取り、店舗ごとにソースをアレンジ。まさにコツコツ、コツコツ。地道な努力で販売先は全国に広がり、売上も震災前を上回るほどに。
現在は、230種類以上ものソースを製造しています。
そのソースが、どのようにつくられているのか。製造現場を見せていただきました。
オリバーソースさんの工場見学は普段着でOK。製造室は完全密閉。見学ルートと製造スペースを完全に分けているので、着替えの必要はありません。
1997年当時にこんな斬新なスタイルを取り入れている工場は、少なかったでしょう。新しもん好きはいつも最先端なのです。
ソースづくりの第一段階は、原材料を大きなバットに投入するところから。商品によって原材料は変わりますが、仕入れているのは年間700種類!1つのソースだけでも80種類ほどの材料が使われています。
リンゴにタマネギ、トマト、香辛料もナツメグ、セイジ、コリアンダー、コショウにクミンシードなどなど。あの複雑で奥深い味は、いろんな食品のコラボで実現していたんですね。
見学ルートから大きな木が見えます。これはソースの材料にも使われているデーツ(ナツメヤシ)の木。シンボルツリーとして敷地内に植えたら、こんなに大きくなったそう。
写真の一斗缶(銀色の四角い箱)の中身は淡路島産のタマネギペースト。タマネギのみを煮込んだペーストは甘味がたっぷり。おいしそう…。
混ぜ合わせられた材料は空気に触れることなく自動で釜に送られ、95~110度の蒸気でグツグツ炊き込まれます。
煮込み釜の容量は5000リットル!人が丸ごと入れる大きさです。日本酒の釜みたい。見学用レーンにも、おいしい匂いが漂ってきます。
炊き上がったソースは隣の部屋で分析。糖度、酸度などをチェックし、微調整を行います。
野菜も果物も一つひとつ風味が違うので、ソースの味も毎回調整が必要。調整が終わったソースを殺菌したら濾過→検査→タンクに移して完成です。
500mlのペットボトルなら、1秒に2本充填(写真は業務用サイズ)。95度に熱して詰めた後、60度まで一気に冷やすのが風味を損なわない秘訣とか。
ところで、『どろソース』はどこに?
あ、ありました!煮込み釜のうち、下の部分が漏斗のような形になっているタンク。下に溜まった“どろ”をそこから抜いて1~2年寝かせたあと、ようやく完成するのが『どろソース』。手間も時間もかかっているんですね。よく考えたら、贅沢だなあ。
完成したソースは段ボール箱に詰められ、保管庫へ運ばれます。ここで登場するのがパレタイザーロボット。最新ファクトリーオートメーションの一つです。
段ボール箱がつぶれないよう絶妙な力で挟み込み、自動搬送ロボットのパレットに積み上げていきます。
パッパッパッと、ダンスのように軽やかでリズミカルな動きのロボット。ピラミッド状に積み上げることでバランスを取るので、崩れることがないのだそう。
パレットに一定数が積み上がったら、自動搬送ロボットが「よっしゃ」とばかりにレーン上を移動し、保管庫へ。搬送ロボットは保管した日時を記憶し、出荷時には古いものからピックアップします。賞味期限の管理も万全。賢い!
工場内には、お好み焼き店を再現したスペースも。
お好み焼きの味を左右するのは、鉄板の厚み。最高級の1インチ(2.54cm)厚の鉄板を置き、新製品の開発時にここで実際にお好み焼きを焼いてソースの出来を確かめます。
続いて、新製品開発室にもお邪魔しました。オリバーソースの秘密がぎっしりの心臓部に潜入!ということで、多少緊張しましたが…。
気前のよさは御祖父ゆずり?「入って入って」と社長。
3名の開発担当が日々、レシピを検討。
1年間に100種類ほど試作を行い、そのうち商品化に至るのは3本ほど。厳しい世界です。
商品化されなかったソースの試作品。きっとおいしいに違いない…。
「こういう風味のソースをつくってほしい」オリバーソースには、日本全国のお店やメーカーから、いろんな依頼が寄せられます。
一番困るのは、「これと同じものを」とソース自体が持ち込まれたとき。
足すのはブラックペッパー?酸味?
材料がわかっても、同じレシピでつくっても、メーカーが変われば、決して「同じ」にならないのがソースの不思議な世界。オリバーソースの工場設備で、どうすれば再現できるのかを検討していくのが難しいのだそう。
こちらはソースの味を決める材料とその割合などが書かれたもの。取引先の店舗ごとに配合を調整し、微妙な風味、味わいの違いを形にしていきます。
一見普通の部屋のようなラボ。ここが新しいソースを生み出す拠点です。
失敗だらけ。それでも人生はおもしろい
創業100周年記念の商品も見せていただきました。10年間ビネガーに漬け込んだ香辛料を使い、バランスのいい味に仕上がっています。香りの立つ、高級感漂う一品。限定商品のため、みなさんが手作業でパッケージングを行っています。
もう一つ、100周年の記念誌も発行。会社の100年史といえば、重厚なハードカバーで表紙は社長の直筆文字とか、座右の銘が入っていたりして…。
と思っていたら「いやもうそんなん、誰も読まへんよ」と社長。週刊誌風の写真集にして、袋とじのページもあるとか。(袋とじの意味がわからない方は、近くの大人にお聞きください)
まるで昨日のことのように、見てきたかのように、百年の物語を聞かせてくださった道満社長。目の前に何度も個性豊かな人々が現れては、自分の人生を生ききる姿が浮かびました。
お話の最後に社長がふと呟いたのが「セレンディピティ」。“予想外の素敵な出来事”を意味する言葉です。
振り返れば、オリバーソースの100年はセレンディピティの連続。ただの幸運ではなく、いつもチャレンジをしていたから巡ってきたチャンスだったと思います。
200周年に向けてのビジョンは?という問いかけにというTAM代表 爲廣さんの「なにも考えてません」と道満社長。ホント?
「次のことは次の人が考えたらいい。私が言うことでもないですから」
こだわりを持ちながらも、自分の考えを押し付けない。それも初代から続く気風のよさなのかもしれません。
一つだけ、変えないと決めているのは“プロダクトアウト”。
企業がモノやサービスを提供するときには、2つのやり方があります。一つはマーケットイン。これは消費者や市場のニーズをリサーチし、それに合わせて商品やサービスを開発すること。
対してプロダクトアウトとは、企業が自分たちの考えで商品をつくり、それを市場に投入していくやり方です。
業種を問わず、多くの企業がマーケットインの手法を採用する時代。オリバーソースは創業時から、プロダクトアウト一筋でした。
「こういうものをつくろう」と一心不乱に取り組み、自信を持って売り出す。もちろん、お客さんの声には耳を傾けますが、意見に流されることはない。妥協もしない。価格で勝負することもない。
ある意味ガンコで、でも一方で新しいもん好き、おもしろがりのキャラクターは先代譲り。
『とんかつソース』を世に出したメーカーとしての伝統は守りつつ、一世一代の賭けともいえるリスクもとった。それが100年続いた秘訣ですね」と深く頷くTAM代表の爲廣さん。
アイスキャンディのようなお好み焼きバー。
紙パックのとんかつソース。
ほかにも、新しいもん好きの社長が生み出した商品は数知れず。
「失敗だらけですよ。その中からごくたまに、ヒットが生まれるんです」と社長。
それでも、人生はおもしろいとおっしゃる。
本当ですね。
チャレンジするからこそおもしろく、次のチャンスがやってくる。それをだれかが必ず見ていて、手を差し伸べてくれる。
震災後の一時期、広い土地を確保するため、やむを得ず神戸を離れようと思ったことがあったそう。移転することもできたけれど、オリバーソースは神戸に留まりました。
「私たちはこの地に育てられた。それに神戸の企業は、みんな友人。仕事上の関わりがなくても何かと集まっては話をしたりして仲間意識も強いんです」
神戸には、オリバーソースがある。
連ドラをワンクール一気見したような、心地よい疲れに包まれて、神戸を後にしました。
お話を聞いた後に食べた『どろソース』も『とんかつソース』も格別の味。私がつくるチャーハンは相変わらず、にゃんパラリにならないけれど(笑)
オリバーソース株式会社
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text かまださちこ photo 藤山
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