仏像が宙を舞う阿弥陀来迎を再現したい!伝統と挑戦の仏像彫刻所「土御門仏所」
こんにちは。しゃかいか!インターン生の堀田です。
突然ですがみなさんは、「仏像」についてどのくらいご存じでしょうか?
仏像にも色々な種類がありますよね。釈迦のいつの姿を表したものか、それとも釈迦以外の姿か。素材や仕上げ方法が異なれば、表情も違ったり。
きっとあまり詳しくない方のほうが多いと思いますが、熱烈なマニアも存在する仏像ワールド。そこにはきっとディープな世界が無限に広がっています。
私はマニアの者ではありません。ただ、仏像がどういう存在なのか、仏像を愛する人は仏像のどんなところを愛しているのか。そもそもあんなに緻密なものを、誰がどうやってどんな気持ちで造っているのだろう?と、仏像にはずっと興味を抱いてきました。
そんなところでこの度取材をさせていただくのは、京都御苑の近くに工房を構える仏像彫刻所「土御門仏所(つちみかどぶっしょ)」さんです!
土御門仏所は、仏像好きが高じてサラリーマンから仏師に転じたという三浦耀山(ようざん)さんが、修行ののち、2012年に京都市下京区の町屋を改装してひらかれた工房。
木を専門とした仏像彫刻を手がけるとともに、依頼を受けて行う仏像の修復や、一般向けの彫刻教室の開催なども行われています。また、仏像をドローンに乗せて宙に浮かせることで阿弥陀来迎図を再現する「ドローン仏」(!)を発表するなど、伝統的な仏像彫刻とともに新たな試みにも挑戦されています。
工房を案内していただいたのは、作務衣姿に丸メガネが素敵な仏師・三浦耀山(みうらようざん)さん。
仏像の造り方や仏像界隈のこぼれ話、そして三浦さん自身が「仏像が好き」から「仏像を彫る」までに至った経緯や、挑戦の裏側にある想いなど。興味津々な私たちの質問責めに対して終始穏やかに、にこやかに、お答えいただきました。
私はまだ仏像ワールドの入り口に立ったばかりの人間ですが、「ものづくり」の現場としての仏像彫刻の世界と、その魅力をたくさんお伝えできればと思います!
仏像に馴染みのある方も馴染みのない方も、ぜひ最後までお付き合いください。
仏像に使われる木にも歴史あり
暖簾をくぐり、居住スペースに接した通り土間を抜けたところには、お地蔵様が見守る中庭が。
軒下のあちこちには仏像の材料となる木がたくさん保管されています。
ここに置かれているのは買ったばかりの木で、乾燥が進んでおらず水分が多く残っている状態のもの。そのまま彫刻すると木が縮む際に反ったり割れたりしてしまうため、状態で最低でも1年間〜2年、長いもので10年(!)と、しっかりと自然乾燥させる必要があるのだといいます。木材を扱うほとんどの場合に必要な手順なんですね。
工房の中へお邪魔すると、木のいい香りが。作業机の上には、静かに存在感を放ちながら佇む阿弥陀様の姿!
こんなに間近で見たことはなかったので、圧倒されました。木でできていることもあって、温かさも感じます。
材木は主に最高級のものとされる長野県の木曽地方で採れたヒノキを使っていて、木肌のやわらかさと細かい木目が特徴。一般的なヒノキの木目は数ミリほどですが、木曽ヒノキは1ミリあるかないかぐらいの細かさなのだとか。雪の降る寒い地域で日陰で育てるため、成長が遅いことがその理由。
つまり、彫刻に使えるぐらいの大きさに育つまでは何百年とかかっているということ! 材木は私たちよりもうんと長い時間を知っているということになるので、仏の姿になる前からもう既に仏のような存在のようにも思えます。
仏像に使われる木はヒノキ以外も。
これらが古くから日本の仏像に使われてきた木で、左から順に「樟(クス)」「榧(カヤ)」「桧(ヒノキ)」「桂(カツラ)」「欅(ケヤキ)」「桜(サクラ)」「白檀(ビャクダン)」の7種類。
近くで見たり、触ってみると一つ一つ全然違うことがわかります。
今はほとんどがヒノキですが、仏教が日本に伝来した時に使われていたのは「樟」で、法隆寺などの古い飛鳥時代の木の仏像はほとんどが樟で作られていました。トトロの住んでいる木ですね!
奈良、平安時代に時代が下ると中心になったのがこちらの「榧」。将棋や囲碁の碁盤にも使われるそうで……。
材木置き場にはなんと碁盤が! これはメルカリで購入したものだそうで、いつか仏像に生まれ変わる予定。いや、すごくおもしろいものを見た……。
そして平安時代中期〜後期になってくるとヒノキが中心となり、それが今も主流に使われています。よっぽど「この木でやってください」という要望がなければ、ヒノキで彫ることがほとんどなのだそうです。
仏像の中に込められているもの
木の仏像の造り方は大きく2種類。一本の木の塊から仏様を一体彫り出す「一木造(いちぼくづくり)」と、いくつかの木を組み合わせて造る「寄木造(よせぎづくり)」というものがあります。
当初の日本ではほぼすべての仏像が一木造でしたが、平安時代の中期〜後期になってくると寄木造が主流に。工房では小さいものであれば一木造で造るそうですが、サイズの大きいものは寄木造で作ります。
こちらは寄木造の仏像。肩のラインと腕に継ぎ目があるのが見えるでしょうか。
基本的には前後、左右で分かれるようになっています。
こちらは側面を外した状態。
そしてこちらが外された側面のパーツ。接着はせずに、分解ができる状態になっています。
こちらは半分になった胴体の部分。
真っ二つになる仏像の姿にどよめくしゃかいか!一行。
ですが、実は仏像を彫刻しただけではまだ魂が入っておらず、造り終えたものに魂を入れる「開眼法要」というものを行うことで初めて仏になるため、分解したり、写真を撮ったりしても大丈夫なんです。
修復を行う際も、預かる前に寺の方で魂を抜く儀式を行い「ここからはもう仏様でなく木の塊だから、分解してもいいですよ」という形になるのだそう。博物館などに展示されているものも、そういった儀式をした上で並んでいるのではないかとのこと。確かに、その観点で見たことはありませんでした。
……というわけで安心してパカっと開けてみるとわかるのですが、仏像の中って空洞なんです。
空洞にする理由は二つで、一つは軽量化。二つ目は表面部分と芯になる部分の乾燥による収縮の違いによって起こる割れを防ぐため。
そして仏像の体内からこんなものが発見された、といったことがたまにニュースでやっていたりしますよね。作ったきっかけになったお経やお釈迦様の骨が入っていたり(仏舎利というらしいです)、有名なものだと京都の清凉寺の釈迦如来像の中からは麻で作った内臓が発見されたことも。(行けば見られます!)あとは仏像の中にまた仏像を入れることもあるのだとか。仏像in仏像はすごく気になります。
仏像の中を空洞にするのは機能的な技術であると同時に、そういった大切なものを納める場所にもなっているというわけですね。
仏像の中にものを入れるのは結構珍しいことなのだと思っていましたが、お寺さんの方での記録として「いつ作ったか」「仏師は誰に頼んだか」「作ったきっかけ」などの記録を残すことは今もあるのだそう。またそれが何百年と残っていくというのにはロマンを感じます。
お釈迦様は約8等身
一木造にしても寄木造にしても、まったくただの木の塊の状態から、あのように繊細で緻密な仏像の形をどうやって彫り出すのでしょう。絶対に守らなくてはいけない決まりなどはあるのでしょうか。
壁に貼られているのはすべて等身大の図面。仕事の際は必ず等身大の図面を描いてから、木取りを行うところから始まります。カレンダーの後ろに貼られているものは2メートルほどとかなり大きいですが、こちらも三浦さんが過去に彫られた仏像です。
等身はだいたい決まっていて、この仏様の場合は足元から髪の生え際までを10等分するという作り方をしています。その10分の1である顎から髪の生え際までを基準として「一つ」と呼び、その「一つ」が何寸かで大きさが決まっていく。そのため、例えば胸幅は二つ分、顔の幅は一つの1.5倍、へその位置は足元から六つ分にあるとか、膝の位置が三つ分、体の奥行きが二つ分……など、ある程度のパターンが決められているのだそう。
頭が10個分ではなく、顎から髪の生え際までが10個分なので厳密には10等身ではなく、だいたい8等身ぐらいでしょうか。
よく見ると、格子が書かれているのが見えます。
地面から水平に線が書けるトースカンという道具(こちら手作り!)を使うため、形を削っていった凹凸のある状態でも、基準となる格子を書き込むことができるのです。
中でも難しい作業はどういった部分なのかお聞きすると、やはりそれは「顔の表情」とのこと。
「やっぱり仏像を見にお寺にいった人はまず顔を見ると思うんです。だんだんマニアックになってきて僕らなんかは手から見たりするんですけど(笑)。手から見る人はあんまりいないと思うんです。ぱっと見たときに最初に見られるのが顔なので、そこが一番神経を使いますね」と三浦さん。
顔というのは不思議なもので、目尻を1ミリちょっと上げるとか、口を少し上げ下げするだけで全然違う表情になってしまうもの。私もたまに人物の絵を描くので少しわかります。
そして仏像においては「左右対称」がとても大事。人の顔が左右非対象なのに対して、神秘性の高い人とは違う存在である仏の顔は、左右をしっかり対称に作るというのが、重視される点。
トースカンなどを使い、常に目尻や眉の高さが狂ってないかや、唇がちょっと右側の方が広くなってないかなど、かなり細かく図りながら、彫刻していきます。
「顔」はどのように決まる?
仏像の表情や仏像自体の形も時代によって変遷していくのだそうで、例えば法隆寺など飛鳥時代のかなり古い仏像は細長い顔に、アーモンド型の目にアルカイックスマイルな口元が特徴。次の天平あたりになってくると、ちょっと丸顔になったり。それがまた平安時代になると少し厳しい顔になって、さらに貴族文化が華やかになってくる藤原家の時代になってくると柔和な優しい顔に。
そして鎌倉時代には運慶快慶などの写実的な力強い仏像が作られてきて……と、そこまでは盛んだった仏像造りも、以降は徐々に特徴がなくなっていきます。江戸時代になるとかなり分業化・量産化などが進んだことから大きな仏像よりも小さな仏像がたくさん作られ、今とあまり変わらない馴染みのある形に。
明治以降は一度「廃仏毀釈」で仏像作り自体がかなり廃れてしまったため、昭和になってから、三浦さんの師匠ぐらいの世代の人たちがまた仏像を作り、盛り上がって今に繋がっているという流れなのだとか。
そんな時代によって表情の異なる仏像ですが、仏師によって好みがあり、彫刻する仏像にはそれが反映されるのでしょうか?
その答えは半分YESで半分NO。何時代の仏像が好きかというのはそれぞれあって、平安時代の仏像を好きな人は、その時代の表情を求めたり、写実的な人間の顔を作りたいという人もいたりと、個性は出てくるのだといいます。
三浦さんは京都の千本釈迦堂の「六観音菩薩像」という、運慶快慶と同世代の時代の肥後定慶(ひごじょうけい)という慶派の仏師が作った仏像が好きで、常にお手本にしているのだそう。
「もちろん鎌倉が好きだとは言いつつ、飛鳥時代のも好きですしほかにもいっぱいありますけどね。ただ、彫る参考にしようと思うのは鎌倉時代。見るとなるともっと平安時代とかの古い時代の方が荒々しかったりして好きですね」
と、結局はどの時代の仏像もお好きなのでは……? といったように仏像愛が溢れていました。
ただ、仏師が作るのはあくまでも信仰の対象としての仏像。あまり生々しい表情にはしないようにするなど、この先何百年と祀られるものと考え、自分の個性は出さず、むしろ抑えるような気持ちで彫っている方が多いのではないかとのこと。
「彫刻家的な側面ももちろんあると思いますが、彫刻家の方々が自分の個性をいかに表現するかというアーティストであるのに対して、僕らはいかに昔から日本の仏像の形を残していくか、伝えていくかという方に重きを置いていますね」
仏像彫刻の道具
こちらは普段彫刻で使う彫刻刀やノミ。
この引き出しは全て三浦さんの彫刻刀。何百本といろんな種類のものが入っています。
小学校では5本セットの彫刻刀を使ったことがあるかと思いますが、比べ物にならない量の道具を使い分け、木の塊から仏様の形を出していきます。
もんじゃ焼きが作れそうなぐらい大きなノミから始まり、細いもので1ミリほどの彫刻刀まで、徐々に細かくなっていきます。
基本的には彫刻刀鍛冶から「黒刃(くろば)」と呼ばれる刃の部分のみの状態で購入し、自分の持ちたいサイズの柄を自分で作ります。
そして見て欲しいのがこちらの小さな小さな鉋(かんな)。あまりにも可愛いので使わないのに欲しくなってしまいました。「豆鉋(まめかんな)」といわれるもので、よく家具職人が使っているもの。仏様をピカピカにするのに使います。
彫刻作業をされているお弟子さんの奥側には、いかつめの工具や機械も。
木をカットするところから始めるため、こういった電動工具も揃っています。
9蓮の花びらを彫られている最中でした。めちゃくちゃ綺麗ですね……!
仏様が乗る台座のこの部分です。薄く重なっている花びらはどのように彫刻しているのだろうと思っていましたが、一枚一枚彫刻したものに細い竹ひごのようなものを取り付けて、差込む形で組み立てていくのだそう。
台座の餝金具は、以前しゃかいか!で取材させていただいた「錺金具竹内」さんのものでした!
仏師は神様も彫る!
新しい仏像を彫刻するのは、お寺さんや個人の方からの依頼を受けた時です。お寺さんからの依頼は、例えばお堂を新しく作る際などにそこに祀る仏像が必要になるため、新しく仏像を彫ってほしいというもの。個人の場合は自宅の仏壇用として仏像を彫ります。最近では「わらべ仏」のようなかわいらしい仏像を、仏壇などに祀るというよりは身近に置いて日常の祈りができるような形で造ってほしいという方も多いのだそう。
しかし、実は仏師は仏像以外のものも彫刻することがあるということはご存知でしたか?
こちらは神社からの依頼を受けて彫刻した神社に置かれる、神様の依り代となる「御神鏡」の台座の部分。仏像彫刻がメインではあるものの、実は神社系の仕事もたまにあるのだといいます。なんならキリスト像を彫ったこともある(!)のだそう。というのも、宗教美術、宗教彫刻となると、仏師に話が来ることが多いのがその理由。昔は僧侶であり仏師でもあるという人が多かったそうですが、今は得度されている仏師の方は一部。てっきり仏師の方は皆お坊さんだと思っていました!
文化財としての修復と、信仰の対象としての修復
土御門仏所では、新しい仏像の彫刻のほかにも、全国のお寺さんからの依頼を受け、仏像修復も行なっています。
取材の際に修復中だったのは、江戸時代の十二神将と言われる仏像。欠損していた手などの部分は木で作り直し、隙間を漆に木の粉を混ぜて粘土状にしたもので埋め、残っている部分に馴染むように着色し直す作業をされています。ちなみに、修復に使われていた漆は以前しゃかいか!で取材させていただいたことがある、「堤淺吉漆店」さんのものでした!
元々はこちらの薬師如来像(修復済み)が中央に置かれ、その周りを先ほどの十二神将が囲んでいて、そのまわりに千体(!)の小さな仏像が並んでいるというもの。
こちらの箱の中に並んでいるのがその千体仏の一部。こちらも、埃を落としクリーニングしたのち、欠損部分を継ぎ足し着色をし直したり、欠けているものは同じ形で新しく作り直すなどで千体そろえた状態です。
「仏像の修復」において一番気になっていたのが、修復の際にどこまで修復するのかということ。見せていただいたものは、欠けている部分を埋め、残っている部分に合わせた着色を施すというものでした。これ以外にも、全くピカピカな状態に戻したりすることってあるのでしょうか? そもそも修復とはいえ、手を加えるのはなかなか勇気のいることにも思えるけれど、そのあたりはどのように考えるのでしょうか。
修復の程度についてお聞きしました。
基本的には、元々のオリジナルものがボロボロになっているのであれば、直す必要のある部分以外はその状態をなるべくそのまま残すという方針。一度修復された部分がボロボロになっている場合は、その部分を剥がしてしまうという手段をとるということもあるのだそう。
文化財修復という視点だと基本的にはオリジナルを残すというのが大前提で、いわゆる日本の指定の重要文化財などに関しては彩色をやり直すことはまずありません。
一方で一般の仏像、特に浄土真宗などの場合は「現役の信仰の対象」として金ピカの方がいいみたいなこともあり、古いものは新しくするときに金箔を剥がして新たに貼り直して欲しいというようなことになるのだそう。どういう方針で修復するかは施主さんと相談して決めていくことになっているというわけです。
ほかに修復にまつわる話だと、ペンキを塗ってしまっていたり、エポキシ樹脂など接着材を使っていたりだとか、昭和のあたりではそういった雑な修復がよくあったそうで、特に田舎の仏像は地元の大工さんが修復してることも多く、釘を打ちまくったりするなどの形跡があるものも。あまりにもやりたい放題な修復は一度剥がそうか、という形で進めることは結構あるのだといいます。
ただその背景には、「全国の仏像の数と、それを直す人の数の圧倒的な差」があり、専門家に頼むお金がない人や寺が、ボロボロだからどうにかしたいというときに誰かが引き受けて、知識がないなりに直しているのであって、そこに悪意はありません。
幸い仏像は立体のため、壁画のようにどうしようもないぐらい変わってしまうことはあまりありませんが、例のスペインのイエスの壁画修復や、中国の石仏にペンキが塗られたというニュースもそう。日本でも石仏の苔が剥がされたニュースがありましたよね……。
「悪意は感じないので、やっぱり修復っていう意識ではなくて、その綺麗にする・したいというのは今でもあるんじゃないですかね」と三浦さん。
たとえ善意でも、保存という観点からすれば余計なお世話かもしれませんが、そんな言葉を聞くとなんというか、少しいたたまれない気持ちになりました。
新しい仏像の見せ方
こちらは新しい仏像の見せ方ということで三浦さんがつくられたものがいろいろと並んでます。
最近は「わらべ仏」というかわいらしい仏像の需要も高まり、仏壇に入れるというよりは、もう少し身近なものとして置き、日常的に祈る拠り所として人気なのだそう。
お弟子さんが彫刻中だったのは……仏じゃない?
誕生釈迦像が乗る白象でした!
こちらは三浦さんが好きだとおっしゃっていた千本釈迦堂の六観音菩薩像のうちの1人、「十一面観音」でしょうか。とってもかわいらしいです。
こちらはすごくコンパクトな仏壇。
磁石のついた木の板を壁に貼り付け、鉄板に漆を塗ったものを重ねます。気分によって花びらや仏様の位置を変えることもできます。
まだ販売はしていませんが、仏壇を設置するスペースがなくてもこれなら置くことができるのではないか?と考えたアイデア。
ドローン仏誕生秘話
ドローンの雲に乗った如来像とご対面。
「ドローン仏」は、ドローンの上に乗った仏像がお寺の宙を舞い「阿弥陀来迎」を表現するという挑戦。
阿弥陀来迎は、阿弥陀如来がお供の菩薩たちを連れて、亡くなった人を極楽浄土から雲に乗って迎えに来るという仏教の教えです。
昔の人たちはこういった絵を壁に貼ったり、お堂の壁の高い位置に雲に乗った仏像を貼り付けることによって宙を浮いているように見せるなど、様々な方法でこの阿弥陀来迎を再現しようとしてきました。
それを現代の技術を用いればと三浦さんが思いついたのが、仏像をドローンに乗せて飛ばし、阿弥陀来迎を立体的に表現するというアイデア。昔から宙に浮かせたいという思いがあったところ、2016年ごろにアーティストのライブでドローンを用いた演出が話題になったときに閃いたのだそう。
ドローンが一般でも手に入りやすくなったころ、「ちょっとやってみよう」とアマゾンで購入したトイドローンに仏像を乗せて飛ばしてみるという三浦さんの自由研究から始まります。
2018年には1体、2019年には3体、2021年には7体の仏像の飛行に成功。
2022年にはドローン事業を行う企業の協力のもと、プログラミングで制御させることで10体の仏像の隊列飛行が叶いました。
ドローンに乗せられているのは3Dプリンターで作られている仏像。中が空洞になっているため、ものすごく軽い!
勢揃い。
3Dプリンター製の仏像といっても、PC上でモデリングをしたものではなく、三浦さんが彫刻した仏像を3Dスキャナーで読み込んだものが原型。(パーツ付け替え可!)
ちなみに3Dプリンターが置かれているのは、通り土間の古いかまどの横。いい光景です。
ドローン仏は仏教行事としても取り入れられ、実際に京都の龍岸寺というお寺では年に2回ほどドローン仏を用いた法要が行われています。お坊さんや雅楽隊を呼び、木魚と雅楽が鳴り響く中10体の仏が宙を舞います。
法要は毎回満席。様々なメディアでも取り上げられ、SNSでも話題に。賛否はあるものの、「やる価値はあるんじゃないかなと思います」と三浦さん。2018年に開始してから6年経つ中で、最初は1台ずつ手動のコントローラーで飛ばしていたところをプログラミングで制御する技術協力をしてくれた人が現れたり、3Dプリントしたままの白い仏像を乗せていると箔押師の方から「金箔を貼りましょうよ」と声がかかったり、一つのアイデアにいろんな人たちが面白がって、色々な技術を提供してくれているのが面白いと感じるといいます。
「古いものをただ守るっていうだけでは、どうしても衰退の一途を辿ってしまう。そこを今の時代にあるものを組み合わせてどう表現できるかのチャレンジですね。実際、伝統工芸全体が今そういう流れにありますけれどもね」
これは電磁石で浮く仏様。くるくる回ります。
昔から宙に浮かせる阿弥陀来迎を見せたかったけれど、宙に浮かせることはできなかったから雲を模した台座に乗せることで浮いていると見立てた。欄間に彫刻することで再現した。
その時代その時代でできる見せ方を工夫してきた中、今の時代ならばドローンを使えば本当に宙に浮かせられるのではないかという発想で生まれたのがこのドローン仏。仏像がドローンの雲に乗って宙を舞う光景は斬新でユニークですが、阿弥陀来迎を再現したいという長年の願いの先に生まれた、とても自然でピュアな発想なのです。
「これが今後主流になるかと言われるとそんなことはないと思っています。ただ、工芸の人たちとドローンや3Dプリントなどの最先端の技術の人たちが関わり合える素材としてのドローン仏はやっぱり面白いなと」
ただ、実際に「ドローン仏で葬儀をしてほしい」という要望があった方の葬儀でドローン仏がお迎えに来るということを龍岸寺さんで実施されたそう。「宗教行事として受け取ってもらえてきているという流れは、多少あるのではないか」と三浦さんは語られました。
見る側から彫る側へ
ここからは改めて三浦さん自身についてのお話を伺いました。
仏像好きが高じて仏師になったという三浦さん。仏像が好きになったきっかけは、みうらじゅんといとうせいこうが国内外の仏像を訪ね歩く紀行文シリーズ「見仏記」でしたが、見ることが好き、という状態から「彫る」に至ったきっかけは、なんと街の情報誌に掲載されていた求人広告だったといいます。ただその時はサラリーマンとして働いていたこともあり、まだ「ちょっと興味あるな」ぐらいだったそう。
しかし当時はWindows95が発売されたころ。ようやくパソコンやインターネットなどが一般に出始めたころで、仏師の情報は入ってくることはありませんでした。そんな中たまたま目にした仏師の求人広告。「こんなチャンス、今回を逃したらもうないんじゃないか?」と、仕事を辞め弟子入りすることに。
三浦さんの師匠は滋賀県在住の仏師・渡邊勢山さん。滋賀の山の頂上で13年の修行を積んだのち、2012年に独立。京都御苑近くの古い町家に工房をひらかれます。
この場所に工房を構えた理由をお尋ねすると、三浦さんの奥様のご実家が空き家になっていたから、とのこと。「まるで代々続く老舗のような顔をして……ねぇ」と、三浦さんは笑いながらあたりを見渡します。
独立前は分担して作業をしていたのが、仕事を取ってくるところから全て1人でこなさなくてはいけなくなるため、当初は本当に大変だったそう。さらに、滋賀で修行していたため京都の職人とのつながりは一切ない状態からのスタート。はじめはホームページやSNSなどを使って発信するところから始めたといいます。
ドローン仏の法要を行う龍岸寺さんとの交流は、住職の池口龍法さんからお寺で仏師の話を檀家さんにしてほしいとの誘いを受けたことが始まり。
もともとお寺でのテクノミュージックライブ開催やアイドルプロデュースなど、若い人たちにも門戸を開きたいという思いで新しいことをされていた龍岸寺さん。ドローン仏は始めは発表する予定はなく、三浦さんが飛ばしたいから飛ばしていたとのことですが、イベントの企画会議に呼ばれた際に試作段階の映像を見せると大好評。イベントのオープニングアクトで実演することになったのだそう。
龍岸寺さんは「仏具界隈を盛り上げる、職人達の部活動。」というコンセプトで活動する「佛佛部(ぶつぶつぶ)」の拠点にもなっています。仏師・三浦さんをはじめ、塗師、箔押師、宮大工、錺師など京都の仏具職人を中心に、お寺文化を愛する専門家が垣根を超えて集まる佛佛部。職人たちから教わる本格ワークショップ「念持仏造立教室」の開催や、手作りの仏具が収められた「佛佛玉」が飛び出す「仏具ガチャ」、3Dプリンターでできた仏像が2500円で引ける「ガチャ仏様」(スペシャルエディションverはなんと漆塗り!)など、伝統の型にとらわれることのないお寺ワークショップの開発やお寺アイテムの展開などを試みています。
佛佛部は「大人の本気の部活」とのことですが、社寺建築を手がける「匠弘堂」の代表である部員の横川さんは、改装の採寸に龍岸寺に来ていたところ、たまたま佛佛部の作戦会議をしていた三浦さんたちと目が合い、そのまま入部した(させられた?)なんていうエピソードも。本当に部活動の勧誘みたいです(笑)
そうやって少しずつ繋がっていくのがおもしろいですよね。
仏師という仕事の魅力と、これから
伝統的な手法を受け継いだ仏像彫刻に加えて新しい取り組みや挑戦も行われている三浦さん。
仏師の仕事の魅力は、「耐用年数が非常に長いものをつくっている」ということ。
1000年前のものが残っているということは、1000年後も残ります。新しい彫刻はもちろんそうですが、修復も同じ。1000年前のものを修復することによって、その先の1000年に繋ぎます。
「新しい見せ方を考えるのも好きなんですけど、やっぱり彫刻も好きなんですよね。ここ2、3年はドローンなどの方にぐっと行っていた分、揺れ戻しがあって。全部手で彫りたいとか、大仏のような大きいものを作ってみたい、というような思いが今は結構強いです」
仏師の仕事は代々続いてるものだと思っていたのですが、実は弟子入りするパターンの方が多いのだとか。明治時代の廃仏毀釈で一度途切れているというのもあるけれど、今いる仏師を遡ろうとすると明治以降ぐらいまでしか遡れないんじゃないかといいます。京都の有名な仏師でもおそらく3〜4代目が一番長いぐらいで、他の工芸とはまた違った事情があるんですね。
三浦さんにも現在3人のお弟子さんがおられますが、お弟子さんをとろうと思ったのは、自身も師匠に何も知らないところから育ててもらったからだといいます。
「そこから今につながっているので、自分も道を作りたいという想いがあります。やっぱり、続かないと意味がないのでね」
それぞれの時代を反映する仏像の表情、工芸の視点から見た際の仏像の特異さ、ただ直すだけではない修復、彫刻家と仏師の違い……今回は仏像ワールドの入り口から、仏像の様々な側面からのお話をお聞きしました。そういう見方もあったのか! 仏師は仏像以外の彫刻も受けることがあるんだ! などと驚きながら、さらに知りたくなることがいっぱいで、ますます興味が膨らみました。
仏像、ひいては仏教という、ずっと身近にありながらなんとなく遠いものだと思っていたものが、実はそんなに遠いものじゃないと気づく。新しいことを知ると見えるものが増えて、また新しい発見が生まれる。今回の取材では仏師の方ならではのお話をたくさんお聞きできたことはもちろん、そんな世界が広がるような感覚を味わうことができ、自分自身にとってもいい体験になりました。
あらためて三浦さん、ありがとうございました!
土御門仏所
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text:堀田りん photo:本田コウイチ(一部、土御門仏所さんよりご提供)
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