老舗ゴムメーカーの社内の意識を変えた
新製品開発とオープンファクトリーへの挑戦
錦城護謨(きんじょうごむ)
大阪府八尾市の錦城護謨株式会社さんにお邪魔しています。
「護謨」と書いてゴムと読みます。僕も今日初めて知りました。
錦城護謨さんのことを知ったのは、10月に開催された大阪東南部を中心とする地域のオープンファクトリー「FactorISM(ファクトリズム)2024」がきっかけです。
FactorISMは、町工場を一般に公開し、工場見学やワークショップを通じて製造業の魅力を伝える「ものづくり文化祭」として、2020年から始まった、地域のものづくりの魅力を体感できる取り組みです。
八尾市や東大阪市、堺市などモノづくりの集積地である大阪の東南部地域から、多彩なモノづくり企業の92社(2024年)が参加。「こうばはまちのエンターテイメント」を合言葉に、ものづくりの現場を一般開放し、人々の生活を支え、世界を魅了するものづくりを体験、体感してもらう文化祭のようなイベントです。
FactorISMの名前には、Factory(工場やモノづくりの現場)+Tourism(産地Tourismを通じて)+ISM(産地やこうば[Factory] の想い・主義[ISM]を伝える)という想いが込められています。5回目となる今回の開催のテーマは「醸す」で、開催される4日間(10月24〜27日)は、工場見学やワークショップ、物販などの他、トークイベントやマルシェ、子どもたちのダンスイベントやLIVEまで多彩な催しが行われ、地域全体の盛り上がりにもつながり、本当にお祭りのようです。
錦城護謨の代表取締役社長の太田泰造さんです。太田さんは実行委員長としてFactorISMを引っ張っています。FactorISMの工場見学に参加したご縁で、11月に改めてインタビューの機会をもらってお話を聞くことができました。
それでは、錦城護謨さんとゴムについて学んでいきましょう!
八尾のモノづくりのルーツは飛鳥時代
八尾市や東大阪市がモノづくりの集積地になった理由を太田さんに教えてもらいました。
「八尾市を含む大阪東部は、飛鳥時代には物部氏(もののべし)という豪族の拠点でした。瀬戸内から大和地方(現在の奈良県)への入り口となる大和川が流れる現在の大阪東部に、大陸からモノづくりの技術を持った人たちが現在の大阪東部に移り住んでモノづくりの中心になったようです。物部氏にも『もの』が入っていますね。
現在も矢を作る『矢作(やはぎ)』などの地名が残っており、大陸由来のモノづくり集団が当時のこの辺りの地域に住んでいたのが現在の八尾のモノづくりのルーツになったようです」
その後も、江戸時代から明治時代になると綿花がたくさんとれる場所ということもあり河内木綿の生産が盛んになり、やがて海外産の綿花に押されて河内木綿が徐々に衰退すると、木綿を織る織機に用いていた機械技術が金属加工や設備・機械製造業に発展したり、あるいは木綿を素材に用いていた繊維産業からアパレルへ転換したりと、変わってきました。他にも樹脂系やゴム系などの化学系の工場も生まれました。作るもの自体は変遷してきたものの、飛鳥時代以来、八尾や東大阪地域では脈々とモノづくりが継承されています。
「錦城護謨の周辺はかつての国鉄の貨物列車専用駅の竜華操車場でした。
60年前に工場を建てた当時、工場周辺には何もありませんでした。今でこそきれいな駅になっていますが、もともとJR久宝寺駅は貨物駅として使われ、各駅停車もたまにしか停まらないような駅でした。駅の周りに何もない地域だったので、当社も含め工場が建てやすかったのでしょうね。工場を建てた後に開発がはじまり、天王寺にも行きやすいので住宅地になり、新大阪に行くおおさか東線もできてアクセスが良くなり、結果的には素晴らしい立地になりました。
現在は、操車場が廃止された跡地が再開発され、高層マンションや住宅、ショッピングモールが立ち並んできれいな街になりました」
太田さんは、錦城護謨株式会社の三代目の社長です。錦城護謨は1936年(昭和11年)創業の老舗企業で、2026年に90周年を迎えます。創業者である太田さんの祖父が戦前にゴムを材料商社として事業を開始し、戦後モノのない時代、ゴムの卸先である取引先から「この材料作ってこんなの作れへんか?」と請われメーカーに転換し、60年ほど前に八尾に工場を建設。ゴムを用いた土木資材や地盤改良材の製造を始めました。
その後「より良い材料を」という想いから施工業務も行うようになり、材料に加え現場の調査・設計から施工まで、ワンストップで担う土木事業が約40年前に始まりました。
太田さんが社長に就任したのは2009年です。当時、土木事業に加え家電や水筒に用いられるパッキンなどの部品製造が主力だった錦城護謨で、新たに福祉事業を立ち上げました。
視覚障がい者向けの点字ブロックが、他方、車椅子利用者にとっては段差になってしまう。ある人のバリアを解消すればするほど、他の方のバリアが増えるという社会的な課題を解消したいという思いから、ゴム製誘導板「歩導くん」の製造販売を開始しました。土木事業が約7割、部品製造などのモノづくり分野はやく3割の錦城護謨で、福祉事業は3つ目の柱になりつつあります。
多様なゴム業界で錦城護謨が求められるもの
ゴムには硬さや柔らかさ、伸びや弾性など幅広い特性があり、用途に応じて異なる機能を持っています。例えば、弾むスーパーボールや跳ねない衝撃吸収材など、様々な製品が作られます。「ゴム」とひと言で括ることは難しく、異なる素材を混ぜ込むことで目的に応じた製品が作られます。現場の人たちの間では「ゴム」は、製造しているものや担当領域によって意味が異なり定義するには広すぎることから、「弾性材」や「高分子ポリマー」と呼んでいるそうです。
ゴムには天然ゴムや石油系合成ゴムなど50種類以上あり、異なる素材を組み合わせることもあります。錦城護謨の得意分野はシリコンゴムで、昭和50年代から取り扱い、豊富な歴史とノウハウを持ちシリコンゴムの取り扱いでは大阪でもトップクラスの実績を誇っています。シリコンゴムはゴムアレルギーがなく人体適合性が高いため、医療用の内視鏡や食品分野で広く使われています。
ゴムメーカー業界には三菱、東洋ゴム、ブリヂストンなどの大手が存在し、タイヤメーカーが化成品を製造するなど、作っているものも多種多様。規模や担当領域も様々で分業が一般的です。材料の調達、成型、検査などをそれぞれ別会社が担当する場合が多く、一気通貫で行う企業は多くありません。そのため、製品に対する責任の所在が曖昧になることもありますが、まさにここで錦城護謨の強みが発揮されます。
錦城護謨は設計から検査・出荷までをワンストップで対応できる、この点も取引先に選ばれる理由となっています。もともとは成型専門の会社でしたが、取引先の要望に応える中で業務範囲を拡大、現在の体制が構築されました。
錦城護謨は「駆け込み寺」のように他社で断られた案件を依頼されることも多く、基本的に「NO」とは言いません。技術的な限界はあるものの「できないものはできないけど、難しいものは挑戦する」という姿勢で取引先の信頼を獲得しています。
「もともとは大阪という土地柄もあり炊飯器や魔法瓶のパッキンなど家電関係のゴム製品・部品を多く作っています。新たな製品が生まれるきっかけは、お客様にモノづくりや技術を教わり協業しながらゴムという素材やコア技術を掛け合わせていく、というパターンが多く、例えば家電機器から始まった技術がOA機器に活用され、さらにスポーツ用品や医療に転用されています。お客さんと一緒に事業を推進してきたともいえますね。
いわゆる分野展開が自分たちの発展の中で重要なポイントになっています。
お客様とも上下関係というよりは、横並びになって並走しながら一緒になって作ってきたことが大きかったと思います。
いろんな業種のお客様とお付き合いしているので、5,000品以上作っています。ゴム業界は商社が間に入っていることが多いですが、錦城護謨の場合はほぼ直接取引です。技術開発系なので、一緒に作っていくために情報交換が活発になるよう直接取引であることが大切で『新たな製品や部品を作りたいので、一緒にできないかな?』という相談話も多くいただきます」
かつては「辞める人が順番待ちしている」会社だった
しかし、取引界からの厚い信頼を獲得していた錦城護謨も、従業員が自社の技術や仕事の価値を感じられないという悩みがありました。
太田さんが社長に就いてからも、作業に終始し、やりがいや誇りを欠いたまま離職してしまう社員も多く社長就任直後の頃には、とある若手社員に「社長、辞める人が順番待ちしていますよ」と言われたそうです。
「なんで働いているの?と他の社員に尋ねると『お金』とはっきり言われました。
自分もお金のために働いてはいますが、人生のほとんどの時間を費やす仕事の目的がお金だけって悲しすぎないかと思いました。
それに、周りにたくさんのクラフトマンシップや技術を持つ人がいることが、社内のみんなに全然伝わっていないことがとても残念で、それを何とかしたいという思いがありました」
取引先からは高い技術力への評価を受けているのに、社員から悲しいことを言われる...このギャップを解消しようとする気持ちが、新たな取り組みへのきっかけになりました。
そうした中、八尾市の「YAOYA PROJECT」が、地域のものづくりを世界に広めるための取り組みとしてスタート。錦城護謨もこのプロジェクトに参画することとなり、技術部門の鈴木さんがプロジェクトの人選と推進を任されました。その中で目をつけられたのが、広報担当の水田竜平さんでした。
水田さんは大学で土木工学を学び、「土木 大阪」で検索して錦城護謨を見つけて入社。会社名の読み方が分からず、面接で初めて「護謨」が「ゴム」と読むことを知りました。面接の席で「錦城護謨が第3志望です!」と正直に伝えた強者です。
水田さんの所属は土木部門でしたが、会社全体のことを考えて「こんなことをやったらいいのに」「こんな商品を作ればいいのに」とノートをつけていました。社内で水田ノートと呼ばれています。
新規事業が立ち上がる前から、水田さんは鈴木さんを捕まえてそのノートを示しながら、こんなことしてみたらどうですか!と訴えていました。そんな水田さんを「土木に面白いやつがおるで」と新規事業チームのリーダーである鈴木さんが目をつけて新規事業に引っ張っていくことになりました。
現場で新入社員だった水田さんと一緒に働くこともあった太田さんの当時の印象は、次のようなものでした。
「土木の現場ではここでは言えないようなことも色々やらかしてくれたけど(笑)、自分たちの会社のことが好きで、一緒に働く仲間をなんとか幸せにしたいというマインドをしっかり持っていたのでぴったりな配置だと思いました。そこで土木から大抜擢して新たなチームに参加してももらいました。彼しかいないと思った」
合言葉は「社長には内緒やで」
水田さんが加わった新規事業チームは、モノづくりから2名+土木2名でスタート。チームは完全に独立して動き、社長の太田さんですらその進捗を知らない状態だったそうです。
そんな新規事業チームが立ち上がってしばらく経ったある日、太田さんは八尾市の担当者から、社長は台湾に行かれるのですか?と言われました。
「台湾?何の話、は?と思わず口にしました。実はYAOYA PROJECTで台湾へ視察に行くことになっていて、台湾の打ち合わせの席ではじめて彼ら(新規事業チーム)がグラスを作ろうとしていることを知ったんです」
ゴムのグラスは100円均一の店頭にもあるし、決して珍しいものではありません。そんな中、水田さんたちが目指したものは、自分たちの技術を見せるためのプロダクトでした。
ガラスと見紛う程の透明なゴムのグラス“KINJO JAPAN”の開発段階では、現在の形に至るまでに、実は世に出なかった「完成品」のグラスがありました。水田さんたち開発メンバーもその完成品に大きな達成感を感じていました。しかし...
「初めての製品開発でできあがったサンプルに自分達は満足していましたが、デザイン担当の小林さん(合同会社シーラカンス食堂代表)が素材の特性を活かしたさらなる改良案を考えており、金型費用を懸念しつつ躊躇していたものの最終的に提案してくれました。
小林さんの意見を受けて、チームは即座に『これよりも良くなるならやりましょう!』と応じました。金型代がかなりの負担となることは目に見えていましたが、絶対に妥協したくなかったんです」
この製品は世の中で生きていく価値がある
次の一手は金型代を回収すべくクラウドファウンディングへの挑戦。
開始後の反応は驚くべきもので、なんとたった1〜2時間で目標金額に到達し、その後も支援額が増加し続け、最終的には目標額の約900%を達成しました。
実はクラウドファウンディングの結果を心配していた、という太田さん。
「クラウドファウンディングする前は不安しかなかったですけどね。自分たちの技術の自己満足ではないのか?自分たちの満足度はあるものの、本当にニーズがあるの?とそういう意味で不安でした。
KINJO JAPANは自分達の技術を積み重ねた完全なるプロダクトアウト型でした。セオリーであるマーケットインを無視していたし...。
しかし、実際にクラファンが始まり、そのWEBページを再読み込みするたびに数字が伸びていってめちゃくちゃうれしかったです。金型代回収できる云々の前に、このプロダクトは世の中で生きていく価値があるんだということを証明することができた。このグラスには可能性がある、と。
試作段階でも『なんかおもちゃみたいに見えるで』とか『飾りにはええんちゃう』と社内で言われていました。しかし、クラファンの反応を目の当たりにして、正直ホッとしたし心からうれしかった。金型の投資が全部回収できたわけではないですけどね(笑)」
その後、金型の構造的な改良を経て無事、透明なゴムのグラスKINJO JAPANは完成。アウトドアシーンでもガラスのグラスのように使えてリッチな気分になる、小さい子どものいるお家でも安心して使える、と好評を博しました。
プロジェクトの成功は、単なる目標の達成だけではなく、製品に込められた技術と情熱が評価されたことを意味しています。
「ゴム製品は材料の技術、金型の技術、成型の技術といろんな技術が掛け合わさってできています。何度も言いますが、ゴムのグラスは100均でも売っているくらいでどこでも作ることができますが、透明のここまでの品質というのがまさに技術力の見せどころです。初めてで本当にできるのか?という思いを持ちつつ、難しいのかさえはっきりしない。試行錯誤を重ねながら、なんとか形になった。自分たちの象徴、フラッグシップになるプロダクトなので中途半端なのは絶対嫌でした」
はじめての自社製品の目的は、インナーブランディング
「新規事業チームのみんなは本当にすごいなと思っています。偶然もあるかもしれないが、やはり必然のいろんなストーリーの積み重ねで成功につながっていると思うから。合言葉の『社長には内緒』というのも、もし社長の自分が知っていたら、フォローもするし責任も取らないといけないはずのところですが、何かあった時に彼らが責任を取らないといけない。それだけの覚悟を示していると思ったから、この成功に対しては尊敬しかない。KINJO JAPANという新製品で、経営者である自分でもできないことを彼らはやり切ったんです。
太田社長が作ったグラスすごいね、と言われることもありますけど『俺、知らんで』と否定し続けないといけませんでした、それが大変(笑)。
「錦城護謨の最大の財産はそういった人間が多くいることです。先代や先輩たちの残してくれたものに感謝しています。すごい財産です。おかげさまで退職の行列ができていると言っていた社員にも『すごいいい会社になりましたね』と言われました。
自分にとってのKINJO JAPANの成功の指標は社内への影響、いわゆるインナーブランディングでした。水田をはじめとする若手には、これから一緒にやっていくことになる仲間たちのロールモデルになってほしいと伝えています。
錦城護謨の未来を作っていく中でチャレンジやイノベーションが必ず必要になるはずですが、その体現体、実際にやっている人になってほしい。みんなが憧れるような存在になっていってほしいと考えています。彼らに感謝しています」
KINJO JAPANのもう一つの効果
新規事業のプラスの影響は社員の意識の変化だけではありませんでした。
透明なゴムのグラスというプロダクトがBtoBのビジネスチャンスを創出する土台になりました。BtoCで成功したKINJO JAPANが、BtoBにも影響を与え、新たな取引先との協業を生んでいます。
キャンプ用品メーカーのスノーピークのLEDランプシェードは、錦城護謨が製造しています。このランタンシェードには、KINJO JAPANのエッセンスが詰まっています。ガラス製だと割れてしまうのでアウトドアでは使えませんが、ゴムの割れないという機能と透明になる技術の組み合わせが生かされた製品です。
スノーピークと錦城護謨のような発注者と加工業者は通常、上下の関係になってしまい、どこそこのブランドの製品のあの部品を作っているかを外に言えないのが常識です。しかし、コラボ製品としてスノーピークも錦城護謨と作った製品ですとキチンと示してくれ、錦城護謨もプレスリリースではスノーピークとのコラボ製品であることを訴えることができました。
「今までの自分たちの常識では無理だと思っていたんです。でもこのプロダクトと技術を伝えたいと燕三条駅までお伺いさせていただき、お願いをしました」
錦城護謨の技術に惚れ込んで一緒に製品づくりを経験したスノーピークとは、パートナーとして対等な関係を構築することができました。
「KINJO JAPANはBtoC向けの製品ですが、こんなふうに価値が転換することがあります。BtoCからBtoBに回す、このエコシステムをどれくらい大きな循環に育てられるかが、自分たちのマネタイズの大きなポイントと考えています。
単純にこのグラスで売り上げを上げていこう、ということではありません。なんだかんだ言ってもBtoBの会社なんです。不得意な戦場で戦うのではなく、BtoBに回す循環を生み出すことが自分たちの中で一番確率の高い戦い方です」
新規事業やイノベーションに取り組む企業が多い中、その成功率は高くありません。錦城護謨の経験は、その背景にある「目的の明確さ」と「情熱」の大切さを教えてくれます。
新規事業の立ち上げが売上やビジネスだけを目的にしていると、短期的な利益を追求し、最終的に数字合わせに終始する可能性が高くなります。錦城護謨の場合は、目的をインナーブランディングに絞り、社員の心の疲弊を乗り越えるため、技術の価値を外部に示し、仲間たちが誇りを持てる環境を作り出すことを最優先に目的を設定しました。
「KINJO JAPANは、とことん突き詰めてやり抜き過ぎて原価がめっちゃ高い。超原価になって儲からない(笑)しかし、決して妥協しなかった点こそが良かったのでは?と今となっては思います。なんのために…商売のためにやると原価も気にするけど、目的が自分たちの技術を見てもらうことなので『お前らの技術そんなもんなんかい』と言われたくなかったから。
いくところまでいこう、やれるまでやろうというだけの思いでやり遂げることができたのかもしれません」
KINJO JAPANの誕生ストーリー(note)はこちらからご覧ください
視覚障がい者のインフラを作る
錦城護謨の情熱は、福祉事業にも注がれています。
「世の中がダイバーシティ、多様な社会となっていく中で、障がい者の方とどうやって共生していくかが社会的に大きな課題となっています。特に東京オリンピック・パラリンピック2020でインクルーシブなマインドが社会に必要とされているのではないかと感じています。
日本社会には、障がい者の方に対して全面的に支援をするという考え方が根強くあります。例えば、視覚障がい者の方に声をかけて『お手伝いしましょうか?』と声をかけることは素晴らしいことですが、その一方で、障がい者自身が自分のことを自分でやりたいという思いも尊重されるべきです。何かをお願いするのが負担になることもあるので、自立を促進する支援が重要です。
自分で行動できることが、障がい者の方にとっての大きな価値になります。例えば、トイレに行くときやカフェに行くときなど、日常生活の中で『自分でできる』という経験は、健常者には当たり前でも、障がい者の方にとっては非常に意義があるものです。誘導マットなどの製品は、こうした自立をサポートするためのツールとして重要な役割を果たしています」
錦城護謨は医療分野に使われる製品も作っていますが、福祉事業の製品はむしろ土木事業とのつながりにあります。
「誘導マットは社会インフラだと思うので、そういったものをきちんと整えています。土木事業では地盤、土地の強度を上げるものです。僕らがどこでも行けるのは道や高速道路があるから行けるわけで一般の人にとってのインフラ。誘導マットのような製品は、視覚障がい者の方にとっての『インフラ』として機能します。これは、一般的な道路や高速道路が私たちにとっての移動の基盤であるのと同じように、障がい者が移動するための基盤となるものです。社会インフラの視点から見ると、誘導マットの設置は障がい者の自立を支援し、生活の質を向上させるための助けになります」
“知らないこと”の視点が掛け合わさることでイノベーションが生まれる
錦城護謨では大学とのコラボも盛んに行っています。
近畿大学のゼミとは、新商品の開発や、オープンファクトリーやワークショップなどイベントの企画立案や運営を学生が担っています。また、SNS用のショート動画制作などに若者の視点を取り入れています。
女子美大では、端材を活用したアップサイクルの取り組み。ゴムの切れ端をプロダクトやアートに変えるアイデアを一緒に考えています。
大阪樟蔭女子大学とは、大学生が錦城護謨の社員食堂で、栄養とパワーを兼ね備えたランチ「パワーランチ」を考案。さらに、学生向けの採用パンフレット制作などもお願いしています。
他にも長期インターンシップの受け入れを通して、社内に新鮮な風を取り入れています。
「一番の効果は目線の違いですね。自分たちが思っている世界は限られていて、限られた景色だけを見ている。しかし、学生さんが加わることで全く違う目線がかけ合わさってイノベーションにつながる。学生さんという社会に出ていない“知らないこと”の視点が掛け合わさることで生まれるイノベーション。それが一番かなと思います。
全然違う目線や価値観との交わりです。
それと...社員のみんなのテンションが上がる!
こんなに自分の技術に興味を持ってくれるんだと活気が生まれます。
中にだけいてると滞留して新鮮さが失われるけど、新たな風が生まれるのを感じます。
若い人にちょっとカッコつけたくもなるし(笑)
個人的には、外部の学生さんと一緒にこんなにやっている会社はないんじゃないかなと思っています」
素材に手を加えて誰かを幸せにする仕事
「モノづくりの現場の魅力はなんといっても、リアルな五感で仕事に携われること。
いろんな仕事はどれも尊いし価値があると思いますが、モノづくりの現場の場合は、素材だけではまだ価値がないけれど、それに自分たちが手を加えるとめちゃくちゃ価値が生まれたりします。誰かの問題解決になったり、誰かを幸せにすることができます。リアルに自分が手を加えて触れたものが価値を生み出し、モノづくりの良さや楽しさが体感できます。
錦城護謨では、モノづくりもあるし、土木は土地を作っているし、福祉は誰もが共存できる空間を作っています。生み出すことはとても価値があるし、めちゃくちゃ楽しい!
VRや最先端のITを駆使した体験も素晴らしいですが、温度感、工場の音や熱気、大きな機械が動く迫力ってやはりデジタルの世界では味わえない、リアルな世界の五感だけ味わうことができます。
ファクトリズムはまさにそうなんですけど、五感につながるような仕事に携わると肌感ややりがいにつながっていくと思います」
万博を使い倒そうぜ、使わないと損!
太田さんは、EXPO 2025 大阪・関西万博への参加も積極的です。
1970年の万博は自分が生まれる前の出来事だが、多くの人がいまだにその思い出を語るのはすごいことだと感じており、来年の万博は一生に一度の機会。大いに楽しみたいと思う一方で、中小企業が協賛やスポンサーになるのは難しいため、万博の恩恵を広く行き渡らせることが重要だ、と太田さんは考えています。
「自分自身が中小企業の経営者というのもあるし、ファクトリズムのような工場・工房を盛り上げる活動をしている立場でもあり、せっかく来たものはみんなが活用しないともったいないと思っています。いろんな関わり方... いろんな使い方が考えられます。
万博をフル活用してみんなが携わっていける、みんなが万博の果実を享受できる仕組みを作ること、ある意味草の根的な活動をすることがすごく重要だと思います。具体的な細かい点はこれから考えることになりますが、根本のところではみんなに行き渡るような万博になることが大切だと思います。きっとめっちゃ楽しいですよ♪
なにせ錦城護謨が土地改良しましたからね」
FactorISMがアフター万博一番乗りだ!
「万博終了直後の2025年のファクトリズムでは、万博で得たレガシーを引き継ぎ、来られなかった人々にもその経験を届ける場にしたいと考えています。2020年のファクトリズム立ち上げ当初から万博を目標に準備を進めてきましたが、2026年以降はファクトリズムの次の目的を再定義し、中小企業の工場や工房が技術を伝承し、人とモノづくりをつなぐ場として進化させることを目指します。
みんなで、ワイワイガヤガヤきっと面白いですよ。
面白い人ばかりの祭りみたいなるはずです」
予定の時間を軽く超えたインタビューは、あっ!という間でした。
2025年のEXPO 2025 大阪・関西万博、FactorISMと大阪がめっちゃ盛り上がりそう。
僕らも来年のお祭りを楽しみに待ちたいと思います。
【詳細情報】
錦城護謨株式会社
住所:大阪府八尾市跡部北の町1丁目4番25号(本社工場)
電話:072-992-2321(代表)
URL: https://www.kinjogomu.jp/
text:西村 photo:藤山
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