“京友禅“に新たな風を!着物づくりのプロデューサー「木村染匠」が仕掛ける、和装業界を超えた取り組み

みなさんは、どのように着物が作られているか知っていますか?

「手描き友禅」は京都を代表する伝統的な染色技法のひとつ。職人が手作業で生地に模様を描き、鮮やかな色彩で絵画のように仕上げていく美しい技法です。手描き友禅の着物制作は、約12~20の工程があり、その全ての工程を取りまとめている役割を「染匠(せんしょう)」と言います。

今回は、その「染匠」として手描き京友禅を78年にわたって制作されている「木村染匠」さんを取材しました!

こんにちは!しゃかいか!インターン生のわかなです。今回私は、2024年9月5日に開催された、京都市主催のインターンシップ事業「京もの担い手育成事業」の工房見学に訪れました!

実は、これが私にとっての初取材。伝統工芸に興味があり、工芸関連の展示会やイベントに行ったり、ボランティアとして関わったりしていくうちに、ますますその魅力に惹かれています!より深く伝統工芸を知りたいという思いと、自分が見て知るだけではなく、他の人にもこの魅力を届けたいという思いがあり、しゃかいか!のインターン生になりました。

今回、取材のお声がけをいただいた「京もの担い手育成事業」とは、京都市の若手職人を対象に、職人の抱える課題を分析し、学生や社会人のインターンシップ生とともに解決に向けグループワークを行う実践型インターンシップです。これまでに、西陣織や京仏具、京焼・清水焼など10名以上の職人さんが参加しています。私はしゃかいか!に加えて、この京もの担い手育成事業にも昨年からインターン生として参加しています。

今回お話を伺ったのは、3代目社長の木村芳次さん(右)と、木村染匠で働く染色作家の奥野むつみさん(左)。2025年1月より伝統工芸士に認定され、現在は木村むつみさんとして活動されています。

木村染匠さんが創業したのは1946年。3代目木村芳次さんの祖父である木村秋義さんが京都御所南で京友禅の制作を始められました。

どのように手描き友禅が着られるようになったのか。着物の工程や染匠の役割、染色作家である奥野さんが染匠となった経緯などをたくさん伺いました!

京友禅が流行したきっかけは、贅沢を禁止した法律だった!

案内された先には、華やかな着物や訪問着、帯がたくさん!思わずぐるっと一周見回してしまいました!

木村染匠さんが制作された豪華な着物や帯に囲まれながら見学スタートです。

「京友禅という言葉を知らない方?」という奥野さんからの質問に、京ものインターン生の認知度はなんと100%!

京都以外からのインターン生もいましたが、京友禅は広く知れ渡っていますね!

「京都の中では、100年を超えないと老舗と認めてもらえない。目指せ100年で頑張っています!」と木村社長の意気込みを伺いつつ、まずは京友禅の成り立ちや木村染匠さんの歴史について、教えていただきます。

京友禅とは、すごく簡単にいうと京都で作られる模様染めのこと。友禅は「手描き友禅」と「型友禅」の大きく2つに分けられます。

型友禅については「岩井染工」さんの記事で紹介しています。手描き友禅との製作工程の違いがよく分かります。それぞれの着物の作り方を確かめてみてください!

手描き友禅はその名の通り、すべて手で模様を描きますそのため細かな色使いや線の繊細さが特徴。ぼかしの表現もでき、絵画的な染め上げになります。

では、手描き友禅はいつから始まったのでしょうか?

諸説ありますが、今から342年前、1682年に井原西鶴の書いた「好色一代男」という浮世草子に、友禅という言葉が初めて登場したとされています。この文献には、当時の町人文化の華やかな一端が記されています。

友禅染は、江戸時代の元禄期(1688年~1704年)に大いに発展しました。当時、呉服屋が人気の扇絵師・宮崎友禅斎に小袖の図案を依頼したことがきっかけで広まったと言われています。宮崎友禅斎は、従来の模様染め技術を活用しながら、豊かな色彩で絵画的なデザインを表現する技法を生み出しました。この多彩で絵画調の模様が特徴の友禅染は、瞬く間に多くの人々に愛され、江戸の町人文化を象徴する存在となりました。

彼の名前は、友禅という名の由来にもなっているそうですよ!

こちらは「ひながた」と呼ばれる着物のデザインがまとめられたデザイン画集。友禅染をつくるためのデザイン画と加工方法が描かれています。

今でいうファッションブック。友禅が流行ったきっかけにこの冊子が関わっていたんですね!

また友禅染が流行した背景には、江戸時代に発令された「奢侈禁止令」が関係しています。当時、金糸銀糸をたくさん使ったものや絞りを大量に使った総絞りなど、華やかな服が主流でしたが、この法令により贅沢が禁止に。

そんな制限がある中でも、おしゃれさを求めた江戸時代の人々によって、絵画的で華やかな模様染めができる友禅染は人気になっていったそうです。

分業制の着物づくりを支える「染匠」の役割とは?

「染匠」は第二次世界大戦後にできた職業と言われています。それ以前は、染匠ではなく悉皆屋(しっかいや)と呼ばれていたそうです。

戦前は麻や木綿の着物が多く着られており、絹は一部の有力な方が着る高級品でした。しかし戦後の高度経済成長期を経て、国民が裕福になり、絹の着物を着る人が増えていきました。そうして絹への染色技術が求められるようになるとともに、あらかじめ販売用の新しい着物を製作するという染匠の役割も重要となったそうです。

絹の着物を着る人が増えたことで、成人式に振り袖を着るという風習も昭和30〜40年以降にできたんだそうです。意外にも最近だったことに驚きました!今でもママ袖(母親の振袖をきること)として代々受け継がれていく文化はありますが、振り袖を持つ親が減っており、レンタル振り袖をされる方が増えているそうです。

分業制であることが他の産地と違う京友禅の特徴なんです。」と奥野さん。染匠は着物を仕上げる12~20工程を取りまとめる、いわば「着物のプロデューサー」なんだそうです。配布していただいた資料に目を通すと、その工程の多さがよく分かります。

さらに工程管理だけではなく、小売店や呉服屋、個人のお客さまからご要望を伺い、デザインや制作費用までマネジメントして一枚の着物を制作していきます。染匠は1人で何役もこなしているんですね!

こちらの着物には、その分業制の特徴があらわれています。
よく見ると、黒と白の部分に絞りが使われているのが分かりますか?

絞りと友禅の併用は技術的に難易度が高く、京都にある染匠でも数社しかできないそうです。そのうちの1社が木村染匠さん!染め、絞りと各工程に職人さんが揃っているのはすごいですね。

ここで「振り袖って、何色ぐらいで作られていると思いますか?」と奥野さんから質問。

振り袖には平均40~50色使われているそうです。写真の振り袖はなんと70色も使われていて、制作期間は1年以上!

一部分だけ見ても、色数の多さがよく分かりますね!色使いもとても綺麗です!
デザインが複雑になるほど、その工程も多くなり、製作期間も長くなります。

「この着物には20人くらいの職人さんが携わっています。それだけ多くの人が関わってつくられていることを知ってもらえたら、着物は決して高いものではないということがわかっていただけると思います。時間をかけて作るということは、文化や歴史が詰まっているということなので、着物に憧れてもらえるように、その良さを伝えていきたいです。」と奥野さん。

製作工程や関わる職人さんなど、作り手側に視点を置くと価格の適正さが見えてきますね。

なぞるだけではない!修正しながら描く糸目糊置

下絵の次の工程である糸目糊置(いとめのりおき)を見せていただきました!

下絵の青花線をもとに、糸目糊を置いていく工程。下絵の線をただなぞるだけではなく、良いところは活かしながら形が悪いところは直していきます。

糸目糊置には、後の工程にある挿し友禅をする際に、染料がにじまないよう防染する役割があります。

「完成したときは下絵の職人さんの線は残らず、糸目の線だけが残るため、下絵の職人さん以上に絵心が必要なんです。」と木村社長。糸目の線の間隔は狭いところが多く、職人さんが集中して引く線を覗き込むように見ました。

昔はもち米の真糊を使用していたものの、最近はゴム糊と使い分けをしているそうです。ゴム糊は防染力が強く、乾きが早いのが特徴で、模様のコントラストもはっきりと出るんだそう。

引かれたゴム糊を触り「ゴムだ!プクッとしている」とインターン生たち。

この工程で使われているのは「糊置き筒」と呼ばれる道具です。先端に先金を付けて、絞り出すように糸目置きをします。先金は詰まることもあり、最初に線を引くときは玉になりやすく、掃除しながら描くそうです。

糊置き筒が2つありますね。右側は渋紙で使った筒です。左側の筒は、代用としてカレンダーが使われています。道具を作る職人さんが減っているため、今ある道具を大切にしつつ、このように代用して製作されているんですね!

技術や文化をもとに、様々な角度から京友禅の魅力を発信!

3階へ移動し、事業内容について木村社長からお話を伺いました。

主な事業は京友禅の着物制作で、問屋さんを通じてデパートで販売しているのだそう。

また、着物を制作する技術を活かして、着物以外のデザインのお仕事も。

そのうちの1つが京都マラソンの完走者に贈られるメダルのリボンのデザインです。

こちらは京都マラソン2024の完走メダル。京都市さんからの依頼でマラソン大会をイメージしてデザインされたそうです。

なんと、2025年の京都マラソンも木村染匠さんがデザインされます!マラソンに出場される方は、完走してメダルを手に取っていただきたい!

またこちらは、漫画家の山崎零さんとコラボレーションした塗り絵。実際にある”ひながた”が塗り絵になっていて「キモノをデザインする」体験をすることができます。

塗り絵だけではなく、着物ができるまでのお客さんとのやり取りや、制作秘話が入っており、物語も楽しめる内容となっています。

木村染匠株式会社 公式オンラインショップより

生活スタイルの変化や機械技術の発展、コロナ禍での発注依頼の減少など、呉服業界は年々状況が悪くなっています。そんな中で一番問題なのは、着物に憧れる気持ちが育っていないこと。その現状に危機感を覚え、2021年5月に販売された「乙女のキモノぬり絵」。木村染匠さんに保管されている1万枚以上の図案を活用し、和のデザインの魅力を広く知ってもらい、着物を誂えることの喜びを知ってもらいたいという思いが込められています。

写真の背景にあるのは、塗り絵の元になった着物です。

「一般の方だけでなく、日本の文化を紹介したい、和装文化を教えたいという団体さんからの購入があったのは予想外の反応でした」と奥野さん。

小学校の教材として使われたり、孫に着物の楽しみを教えたいという理由でも購入されているそうです。塗り絵という身近なものを通して、着物や日本文化を広めることができそうですね!

その他の事業として、着物生地を挟み込んだ合わせガラス「京友禅硝子」の製作も。

BAR 帆で使用されているテーブルトップ

こちらは京友禅の手の込んだテキスタイルをインテリアとして日常に取り入れていただきたいという思いから誕生しました。ホテルや商業施設、駅などにも使われているそうです!

また着物生地を挟むだけではなく、京友禅の技法である「金彩」を用いて金箔や銀箔を封入するなど、様々な空間の演出をされています。こちらは友禅生地のパネルと泊や押し花を封入したガラスを組み合わせたインテリア商材で、四季をテーマに製作されたそう。

空間の雰囲気を変えることができる装飾硝子、着る京友禅とは違う楽しみ方ができますね!

こちらのガラスには何が挟まっていると思いますか?

実はこれ、昆布です!東京の国立博物館で標本として並べられているものだそうです。

続いて、こちらはなんでしょうか?花びらのようですね。

バラの花です!色もはっきりしていて、花脈まで見えて綺麗ですね。

合わせガラスは空気に触れないため「枯れない、(紫外線カットができ)焼けない、汚れても拭ける」という多くの特徴も。実は、この合わせガラスの加工ができる工場を自社で持っておられるため、着物地以外の素材にも対応できるそうです。

今回お見せいただいたものは、公表できる実績のほんの一部。奥野さんから木村染匠の強みとして「超やる気ある!」という言葉をお聞きしました。その言葉通り、さまざまなことに積極的に取り組まれていることを感じることができました。  

和装業界に激震が走った!「染色作家」が「染匠」へ所属した理由

個人作家として活動されていた奥野さんと木村染匠さんの出会いは、世界各国・地域をモチーフに着物を制作した「KIMONO プロジェクト」

木村染匠さんが担当したアルメニア共和国の染色を奥野さんに依頼したそうです。

「KIMONO プロジェクト」参加作品 アルメニア共和国

2020年に制作された着物がこちら。絵画みたいですね!国を表すということもあり、着物といわれてイメージするものと違いますね。

「この着物制作で自分の壁を破れた」と話す奥野さん。難しいぼかしの染色は、大学受験のために学んでいた水彩画の表現を使っているとのこと。木村染匠さんとのコラボでは、より自分らしく描かせてもらえたそうです。

「KIMONO プロジェクト」参加作品 セントビンセント及びグレナディーン諸島

奥野さんは同年、個人でもKIMONOプロジェクトに参加されています。こちらはセントビンセント及びグレナディーン諸島を表現した作品。噛みそうなぐらい国名が長いですね!

この国は独立してまだ55年ほどと歴史が浅く、民族衣装がないとのこと。独立前の国家にも伝統的なものに価値を感じる文化がなく、保存をしてこなかったそうです。そのため、青、緑、黄色のナショナルカラーが入ることで国を表しています。

日本では昔のものが保存されていて、古いデザインがさっとでてくる。それはすごいことなんです」と奥野さん。確かに、伝統的なものを残すということを当たり前に感じていましたが、1000年以上も前のものが、保存されているのはすごいことですね!

「民族衣装や伝統文様がない国がある、ということをこれまで考えたこともありませんでした。制作にあたり留学生と話して、それを着物に落とし込んでいくという作業は自分にとって世界が広がりました。他国の文化を学ぶという経験があって、私はこれからも日本の伝統工芸の職人を続けていきたいと思えたんです。」と、奥野さんは着物制作に込める思いを語ってくださいました。 

奥野さんの現在の活動に大きな影響を与えたKIMONOプロジェクト。このプロジェクトとの出会いは、奥野さんがお世話になっていた師匠の工房から独立を決意した頃のことだったそうです。職人としての生活は非常に厳しく、「職人を辞めて別の仕事を探したほうがいいのではないか」と不安に悩む日々が続いていたといいます。

そんな中で出会ったKIMONOプロジェクトは、奥野さんにとって木村染匠さんとの出会いだけでなく、人生のターニングポイントにもなったのだそう。

さて、こちらは木村染匠さんが保有している様々な資料。初代の木村秋義さんが収集家で、図録などを買い集めていたそうです。現在も1万枚以上のひながたを所有しており、知的財産の多さが伺えます。これらの資料は奥野さんが染匠に所属するきっかけにもなったのだそう。

「独立して作家として活動をしているのに、なぜ木村染匠にはいったの?ってよく聞かれるんです。その理由は木村染匠でしか得ることのできない歴史や資料と、技術やセンスに触れられること。ここでなら更に自分の幅を広げられると思ったんです。」と奥野さん。

そんな奥野さんの思いと、当時新しい販路の開拓に取り組んでいた木村染匠さんの思いが重なり、業界としては異例の”独立して活動していた染色作家”が染匠に所属することになったそうです。

染匠に作家が入るということは、型破りなこと。それこそ激震が走るくらいの衝撃だったんだとか。

先人の知恵を受け継ぎ、現代のデザインへ

弟子入り時代は大変なことも多かったと言う奥野さん。工房時代の10年間は、大学で学んだ絵画の知識や技術、着物の構成などの基礎をもとに、師匠の作風を守った着物を制作されていました。作品において自分らしさを出すことはほとんどなかったのだとか。

しかし、師匠にしかできない技術や絵画的な構成など、多くのことを工房で学べたのだそうです。

「着物はチームワークが大事。年齢差がある人との関わりが今に活きています。工房内で分業制がとられていたため、全工程が学べたことは大きなメリットでした。」と奥野さんは話します。

「師匠が経験してきたことは、資料として残っているわけではないので、口伝でしか伝わらないこともたくさんあって。着物の制作中に起きた事故など、同じことが何回も起こるわけではないので、先人の知恵はすごく大事。次に伝えていかないといけないことです。

着物のことや人との関わりなど、工房時代に得られた多くの学びは、染匠としてプロデュースする立場になってからも役立つことが多いそうです。

独立して作家活動をしていた頃はフォーマルよりも、少しおしゃれ向きの着物を制作していた奥野さん。絵画タッチのキラキラとした表現を得意とされていて、2018年の独立後も、おしゃれ着の依頼が多く、自分が生きてきた中できれいと思ったものをデザインし続けているそうです。

「着物は大まかに分けると、自分が主役になるための着物と、主役になる誰かを立てて着る着物の2種類と考えて良いと思います。」と奥野さん。おしゃれ向きの着物は個性が強く、自分が主役になるときに着る着物なのだと言います。

これまではフォーマルな場で着るものを中心に展開していた木村染匠さんでしたが、おしゃれ着のデザインが得意な奥野さんが入ったことで、デザインの幅がさらに広がったそうです。

着る人、作る人がいる限り、これからも京友禅は続いていく

京友禅や染織などを学ぶ学校は多くあり、伝統工芸を仕事にしたいと言ってくれる学生は多いそうです。しかし、業界的に受け入れが厳しく、工房にすら入ることが難しいことも…。

そんな中、木村染匠さんでは人材育成に力を入れており、最近は2人の若手が入ってきてくれたそうです!

分業で着物を制作する京都において、前後の工程を理解しながら製作することは、着物の完成度を高めることになります。そのため、奥野さんが工房時代、全工程を学んでいたように、木村染匠さんもその生産体制を学べるようにしているそうです!

「生産量が減ってきていても、ネガティブなことだけでは決してない。着物をきたい人がいて、それを作りたい若い人がいる限り、産業は続いていきます。」と強く語る木村社長。

着物はまだまだ魅力的なものだとお聞きし、私自身、着物を着たいからこそ、着物づくりを受け継ぐ若い人たちがいることに嬉しく思いました。そして若手が働ける環境づくりを整え、着物を作り続ける姿勢がすごいと感じました。

今回の取材を通して、着物制作の工程は多いものでは20工程あり、多くの職人さんの技術が1つの着物に集結していると分かりました。そしてその職人さんたちを支える、手描き京友禅の着物制作に欠かせない「染匠」という仕事を知ることができました!

おしゃれ向きの着物など、着物には多様なデザインや種類があり、着る場所や時期に応じて適したものを選べることにも魅力を感じました。また着物だけでなく、京友禅の生地を装飾として展開したり、デザインの楽しさが分かる塗り絵を作るなど、和装業界を超えて技術を生かした取り組みを伺い、手描き友禅の新たな広がりを知ることができました。

木村染匠さん、貴重なお話をありがとうございました!

木村染匠株式会社

〒604-8312京都市中京区岩山通御池南入上巴町424

Web : http://www.kimurasenshow.co.jp/

Instagram : https://www.instagram.com/kimurasenshow/?hl=ja

text : 八杉和佳奈 photo : 本田コウイチ

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