ドイツのキッチンから始まった有松絞りの新しいストーリー。いま世界が注目する「suzusan」がつなぐ産地の未来とは

みなさん、日本伝統の染色技法である「有松絞り」を使ったsuzusanというブランドを知っていますか?

しゃかいか!の編集者兼カメラマンの市岡がドイツ・ベルリンで訪れた気鋭のセレクトショップANDREAS MURKUDIS。そこで偶然出会ったのは、“Hands in Japan / suzusan and Japanese handicrafts” というポップアップ展示を開催準備中のsuzusanディレクターの村瀬弘行さんでした。



日本の伝統的な染色技法である有松絞りが施されたsuzusanの衣服たちは、今のライフスタイルやファッションの要素と合わさっていて、ユニークでありつつも「あ、素敵!」とスッと思えるものばかり。
2008年にドイツで始まったsuzusanは今、ヨーロッパを中心に世界29か国120店舗で取り扱いを広げているブランドになっています。


さらにディレクターの村瀬さんはsuzusanだけではなく、日本の伝統技術を用いた工芸品のプロデュースなども行っているのだとか。“Hands in Japan / suzusan and Japanese handicrafts”は、村瀬さんがプロデュースしたりセレクトしたプロダクトを集めたポップアップとのことでした。


日本から遠く離れたドイツで、日本の伝統工芸が堂々とそしてクールに展示されている光景を前に、「日本の伝統文化と現代の要素が掛け合わさったsuzusanはどうやって生まれ、なぜ今世界中で注目されているのか?」という疑問が沸々と湧いてきました。そして…!!

その秘密を解き明かしに、suzusanの商品が作られている愛知県名古屋市の有松地区へやってきました!
ちょうどこのエリアにあるsuzusanのショップがリニューアルオープンしたすぐ後の25SSの発表展示会に合わせて訪れました。

今回はドイツから一時帰国していた村瀬さんにインタビューし、suzusanの立ち上げから現在までのお話をたっぷり伺います。さらにインタビューを進めていくと、伝統産業が地域で続くことを一番に考えたブランドのあり方、地域や次世代に還元する取り組みについても知ることができました!
「有松絞りはもう過去のものだと思っていた」

村瀬さんが生まれ育ったのは、有松絞りの一工程を担うお家。当時は鈴三商店という名前で事業を行ってきました。しかしすでにその時は着物や浴衣が主な商品だった有松絞りの需要が減少し、技術者も少なくなっていた時代です。
「有松絞りはもう昔のもの」というイメージが村瀬さんの中にあり、後を継ぐことは考えてなかったそうです。そんな村瀬さんが選んだ道は、イギリスでコンテンポラリーアートを学ぶこと。
「実は日本の美大を受けたんですけど、落ちてしまって。それなら海外で可能性を探そうと思ってアルバイトで学費を貯めてイギリスに行きました。でも一年でお金がなくなって学費が払えなくなって(笑)。そんな時にシェアハウスしてた仲間の一人がドイツ人で、ドイツだったら学費が無料だと教えてもらってその2週間後にもうドイツへ行っていましたね。」
イギリスで再発見した有松絞りに灯る可能性
村瀬さんが有松絞りの魅力を再発見したのは、日本ではなくイギリスでのとある出来事でした。
「ヨーロッパのコンテンポラリーアートを勉強しに行っていて、それが自分の価値の高い場所にあったんです。その反対である東洋の伝統的な手仕事というのは日本のステレオタイプのような、過去のものという印象を持っていて、両方を紐づけすることはありませんでした」
しかし、4代目であるお父様の村瀬裕さんが有松絞りの技術を使ったプロダクトをイギリスで展示することになり、そのお手伝いに行った際に認識が変わったといいます。

「日本の方が有松絞りを見ると『おばあちゃんぽい』『古臭い』という反応があるんですけど、海外の方だと『初めて触れた!素敵!』って、すごくダイレクトに感動してくれたんです。僕にとっても、有松以外の場所で家業の仕事を見たことで新鮮に映りました。」
視点を変えたら、コンテンポラリーアートに見ていた美しさや価値と同じような認識を有松絞りに対してもできるのでは。そう考えて始めたのがブランド「suzusan」だったのです。
始まりはシェアハウスのキッチンで染めたストールから
2008年、suzusanはドイツで住んでいたシェアハウスのキッチンでストールを染めるところから始まりました。思っていたよりもミニマルなスタート!

「ストールから始めたのは、サイズ展開をつくらなくて良いから、という理由です。日本のファッションブランドが海外に出て一番抱える問題はサイズ問題だと思うんです。日本の女性は世界と比較すると小柄だけど、ヨーロッパの人は背が高くて骨格もしっかりしてる。でもストールはサイズがないから始めやすかったんです。」
「あとこれは偶然だったのですが、バイヤーさんにとっても都合がよかったんです。新しいブランドを入れると、今までのブランドの服をどけて新しい物を入れる決断が必要じゃないですか。でもストールなら、今売っている服に掛ければいいから競合にならないし他の商品の邪魔をしないんです(笑)。メゾン・マルジェラの服にsuzusanのストールを掛けてる、みたいな状況が生まれたり。あとはストールは畳んでトランクに詰めやすいから営業がしやすかったというのも結果的に良かったです。」
メゾンブランドの衣服の上に有松絞りのストールがかかってるって、なんてかっこいい状況なんでしょう!
ブランドにとっては始めやすく、バイヤーにとって取り入れやすく、お客さんにとっては新鮮に映る。この全てがハマったのは、もちろん村瀬さんのセンスやデザインの力があったから。しかしそれだけではなく、地道な営業活動で卸先を少しずつ増やしていったからこそ今に至るのです。
さて、ブランドsuzusanの運営を行っているのは株式会社スズサンです。スズサンでは様々な切り口から有松絞りに関する活動をしており、その一つがブランドのsuzusan。
株式会社スズサンの前身「鈴三商店」は、100年以上有松りを家業として営んできました。その後4代目の村瀬裕さんが「スズサン」に改称し活動していましたが、2014年に株式会社スズサンを設立し、これまで分業制で成り立ってきた有松絞りを社内で一貫生産できる基盤を作りました。ブランドのsuzusanを含め様々な切り口から有松絞りを広げる事業を行っています。
ハッピーなアウトプットの背景にある高度な技術

インタビューの日、有松のショップでは2025年SSの展示会が行われていました。テーマは「PLAY」。その響きから楽し気でハッピーなイメージが湧いてきます。
「ヨーロッパや社会全体が最近みんな真面目すぎるな、と思ってるんです。戦争も終わらなくて社会的な課題がたくさんある中で、”みんな真面目になりましょう”みたいな雰囲気を感じていて。ヨーロッパはいつミサイル飛んでくるかわからないような不安の中にあるので、日本よりも戦争を肌で感じるんですよね。そんな中で日本に帰ってきて、姪っ子が僕の目の前で楽しそうに遊んでて、それをボーっと見てたら、何も考えなくていいな。もっと楽しむことに集中すればもっと豊かになるよな、と思ってPLAYをテーマにしました」

コレクション全体は明るい色が主体。ギンガムチェックの生地に有松絞りでさらに色を重ねたものもあり、遊び心や可愛らしさが全体に広がっていました。
モデルカットでも無邪気な雰囲気が伝わる写真が多く見ていて楽しくなるので、ぜひチェックしてみてください!

アイテム一つ一つを見ていくと、実際に村瀬さんが子供の気持ちに帰って描いた絵を表現している洋服もあります。 これも有松絞りの技法を用いて表現しているのです。
アイテム一つ一つを見ていくと、実際に村瀬さんが子供の気持ちに帰って描いた絵を表現している洋服もあります。 これも有松絞りの技法を用いて表現しているのです。

「アウトプットは超ハッピーだったりカッコよかったりするのですが、使っている有松絞りの技術はかなり高度なんです」と教えてくれた村瀬さん。
ここからは、有松絞りの特徴や歴史とともにsuzusanを掘り下げていきます。
100種類の技法!世界で最もバリエーションがある有松絞り
さて、そもそも有松絞りとは何でしょうか。
「絞り」とは布を染めるための技術の一つで、布を部分的に紐で括ったり縫うことで柄になるように布を染めます。

山折り・谷折りに細かく畳んで縫った生地を染めたもの。白い部分には全く染液がしみ込んでいないので、とても強く括っていることがわかります。

括る作業は見た目以上に力がいる作業。括るたびにグッ、グッという音が響きます。
絞りは紀元前から布を染める技法で、日本でも各地で絞り染めの布が作られています。
その中でも有松絞りは、江戸時代初期の1608年に有松が開村したのと同時期に他地域から取り入れられたもの。東海道を歩く人に有松絞りの手拭いを売る形態から始まったそうです。江戸時代の幕開けとともに始まった、比較的新しい技法なのです。
絞りの世界では後発と言える立ち位置の有松絞りですが、テキスタイル業界で日本の絞り生地といえば一番に有松絞りが思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
それは、江戸時代に尾張藩の庇護を受け、絞りの布は有松でしか生産してはいけないという専売制になったことが要因の一つです。そのおかげで有松は絞の一大生産地として発達していった歴史があるのだそうです。
絞りの技術がある地域では、大体3つほどの技法を用いて絞りをしているケースが多いのですが、有松には100種類以上(!)の技法があることが特徴。これは世界の絞り技術と比較して圧倒的に多いそうです。100種類の技法があるということは、その掛け合わせで無限に柄が作れるということ。有松絞りの表現の幅がいかに広いかが垣間見えます。

社会のトレンドを見分けて絵を刷る「影師」
有松絞りの生産体系は分業制で、浴衣の生地を作るために7〜8工程も必要。そんな分業体制の中で、株式会社スズサンの前身である鈴三商店はもともと「影師」という役割でした。忍者みたいなかっこいいこの名は、絞りのデザインの下絵を布に描く職人のことを指します。

写真左のように布に型を置いて、柄のガイドを刷っていきます。右の布がそのガイドをもとに括った後のもの。鈴三商店ではこの刷る工程を担っていました。
明治中期に鈴木定七さんが有松絞りの図案、型彫、絵刷りを担う職として始め、その後2代目の鈴木三郎さんが「鈴三商店」を開業し、絞り加工のコーディネート業をはじめます。
世間のトレンドを見極めて売れる図案(柄)を考える、プロデューサー的な役割を担っていた株式会社スズサンの工房には100年前の絵型が残り、その絵型も参考にしながらsuzusanでは毎シーズンのテーマや柄などを決めているそうです。

ちなみにこの影師という名前、布を絞って染めた後には下絵は消えてしまうので、「自分の仕事が残らない」という理由からそう呼ばれてもいるのだとか。まさに痕跡を残さない忍者のような仕事です。
昔からトレンドや社会の動きを見てアイデアを生み出す役割だった影師的な役割は今にも通じていながら、自分たちから発信する立場へと変化していったのが、ブランドsuzusanなんだと感じました。
自分たちでやれば需要を自分たちで生み出せる
「実は父(4代目の村瀬裕さん)も有松の中では革新的なことをやっていて、有松絞りのランプなどを作っていました。だから僕は0→1ではなくて、父の活動もベースになっている部分もある。ただ、受注生産だとどうしてもビジネスになりづらいところがあったんです」

仮にOEMで絞りの生産を受けてたとしても、トレンドなどに左右され発注量にムラが生じてきます。だったら自らマーケットに出て需要を生み出していくことがいいのではと思ったのが、村瀬さんがブランドを立ち上げた経緯の一つ。
さらに村瀬さんが2008年に有松へ一時帰国した際は、絞りはほとんど有松で作られておらず海外製だったそうです。この地域で作られてるものが全然無いことに疑問を感じた村瀬さんは、自分たちで作るところから販売までをやろうと思ったそうです。
自分たちでやるために必要なのは人材。後ほど紹介しますが、suzusanには若手の作り手やスタッフが多いのです。どうやって産地に作り手を増やしているのか、その秘密は後ほど判明することになります!

有松絞りをカシミヤのニットに?!
さて、個人的にsuzusanの洋服で特に面白いと思ったのは、ニット×絞りのアイテム。
もともと和装文化の中で技術が育まれてきた有松絞り。織物に絞りをしているのは見たことがあったのですが、ニットとかけ合わせているのは初めて見ました。

「実はsuzusanでも特に人気なのはニットなんですよ。ニットは主にホールガーメント(無縫製ニット)を使っています。絞るとき糸で括ったり縫ったりすることで服に力が加わるので、縫い目があるニット製品だと布地がねじれてしまうのですが、ホールガーメントだと縫い目がないのでそれが無くて。伝統的な絞りと最先端の編み技術の相性がよかったんです。」
ヨーロッパは冬が長く、6月まで朝晩冷えるためカシミヤを着る人が多いのだとか。春夏まで長く着られるニットは重宝するのだそうです。
さらにヨーロッパのライフスタイルと有松絞りは、生産側にも良い点があります。
「有松絞りは手ぬぐいや浴衣に使われていたので、基本的に夏物の商品を作る産地だったのですが、ニットを加工することで夏物の仕込みが終わった後の閑散期にものづくりができるようになって、生産量にムラが無くなったのが良かったです。もちろん絞りは布に力をかなり加えるのでニットがダメにならないように作るのは難しいのですが、そこは加工をする職人たちと協力して慎重に作っています。」

染める素材を変える。とても大きな視点の転換だと思いました。こうしたアイデアが生み出される秘密は、村瀬さんが持っている有松絞りの捉え方や伝えるターゲット、そしてブランドをする意味の中にあるようです。
ペルソナはキッチンに醤油がなくて箸の使い方がわからない人
日本にいるとついつい同じライフスタイルや感覚を持った人に目を向けてしまったり、伝統工芸のイメージに引っ張られてしまいそうですが、日本の習慣に慣れ親しんだ人は世界ではとても少ない。日本のマーケットに合わせた商品を作らずとも、それ以外の人たちを見たらマーケットが広がる、という感覚を大切にしているそうです。
「だから僕は絞りの生地が当たり前ではない人に、どうかっこいいと思ってもらえる商品を作るかを大切にしています。我々のペルソナは、キッチンに醤油や箸がない人々なんです」

目的は伝統産業を受け継いでいくこと

suzusanの商品を世界に広げていくことは、単にファッションブランドを成長させたい、という思いとは違うといいます。
「自分はファッションデザインをやりたくてブランドを始めているわけではなく、どうやったらこの産業を後世に残せるのだろうかというところから考え、1つの答えとしsuzusanというブランドが生まれたのです」
「知人のマーケターがよく、テクニックはブランドではないと言うんです。まさしく一番大切なのは「なぜ」の部分なんだと思うんですよね。これだけファッションブランドが世界にあって服も捨てるほどある中で、自分たちはなぜブランドをするのか。ドイツでアートを学んだ時コンセプトがいかに大事か学んだので、この「なぜ」を語れることが一番の価値につながるのではと思っています。ただし技術のことは語りすぎず、日本の伝統的なものですと大きくは言わないようにしていますね。”素敵なモノを手にして、タグをみたらmade in japanだった”くらいの風通しのよさがいいと思っています」
伝統産業に触れるきっかけになるインターン
ここからはsuzusanとは別の活動から、株式会社スズサンを深掘りしていきます。
「有松有松絞りの技術が受け継がれること」を目指している株式会社スズサンが行っている様々な取り組み。その一つが学生インターンの受け入れです。しかも10年以上も続いていることに驚き!

取材当日はショップで大学生の横井さんが受付業務をしていました。
「豊明市内の大学で英語を勉強しています。大学で有松の町を巡った時に有松絞りを知りました。3年生になったタイミングでインターン先を探していた際、企業一覧にsuzusanの名前があり、伝統工芸品と現代的な要素が合致していることに興味を持って応募しました」
インターンでは工房での作業からエンドユーザーに届ける接客まで、5日間でほぼ全ての業務を体験できます。なんと数か月先まで埋まっているのだそう。ものづくりから販売まで全てを見れるインターンなんてなかなか無いのでは。

「自分たちの事業や伝統工芸に触れてもらうことで、有松絞りでなくても、将来何かしらで私たちや伝統工芸に関わってもらえるようになったら良いな、と思って受け入れています」
さらに驚いたのは、クリエーションを行っているドイツへインターンに参加できるケースもあるのだとか。村瀬さんとお仕事ができるなんてとても貴重!ドイツでは近隣のパリやミラノなど、最新ファッションに触れられる機会もあります。
インターンを受け入れることで、suzusan側にも利点があるそうで、今の学生が何を考えどんなブランドや音楽を好むのかを知ることができる、と村瀬さんは言います。
suzusanショップリニューアルオープン!
ここからは有松の町を歩きながら、お店や生産拠点に移動していきます。
ここからはsuzusanでプレスを担当している杉戸さんにご案内いただきながらお話を伺います。
まず始めはsuzusanの旗艦店。ここは2024年8月にオープンしたばかり!
ここの1階はsuzusanの衣服やストールを中心としたショップがあり、2階にはブランケットやクッションカバーなどのインテリアファブリックのショールームがあります。
村瀬さんの好みやセンスがインテリア一つ一つにも表れていて、商品だけではなく什器や置いてあるレコードなどを見ているだけでもワクワクします。



江戸時代から続くお土産もプロデュース TETOF 1608

杉戸さんの案内のもとショップを出て有松の街並みの中に入って歩いていくと、株式会社スズサンのもう一つのお店TETOF 1608にたどり着きました。ここでは有松絞りの歴史の始まりでもあった手ぬぐいやその他のお土産製品を販売しています。

なんと有松で一番古いと言われている建物にお店があります。


店内に並べられているのは手ぬぐいやハンカチ、手ぬぐいでつくったバッグなど。何種類もの括り方で作られている商品から、有松絞りの表現の広さを見ることができます。

店内には絞ってる加工途中の布や実際に使用している道具もありました。その産地ならではの道具や工夫を間近で見ることができるのはとても貴重です。
suzusanの服にちょっと手が届かない、、けど欲しい!
そんなときに有松絞りの高度な技術や、suzusanのセンスが感じられるTETOF 1608の商品はとても嬉しい。
ここでスタッフをしている中村さんは職人として括りの仕事をしながらお店番をしているそうです。ここに来れば実際に有松絞りを作っている風景を見ながらお買い物ができるのです。
公務員から絞りの世界へ。産地へ移住した若手職人

中村さんはまだ入社して間もないそうですが、以前は公務員として働きながらsuzusanが開催している絞りの教室に通っていました。そこで有松絞りに魅了され、約半年間で週3回の教室ほぼ全てに参加するほどのめり込み、その間にsuzusanの求人を見て入社を決めたそうです。
現在は総柄の絞りにチャレンジ中だそうで、着物ができる約一反分の生地(12m)すべてに絞りを施しています。
有松をまるごと体験し学べる Studio Suzusan

中村さんが通っていた絞りの教室は、さらに別の場所にありました。その名もStudio Suzusan。
有松絞りを体験できたり学ぶことができるこの教室は一昨年の6月にリニューアルオープンしたばかりです。

ここでは4つの体験コースと、4代目であり株式会社スズサンの会長である村瀬裕さんから絞りを学べる教室を開催。
「suzusanはブランドを成功させていくことだけが目的ではなく、有松絞りが継承されて町で続いていくことを考えています。ブランドは1つの手段。そのためにこうした体験や教室など、いろいろな取り組みを通してsuzusanや有松絞りに親しんでもらう入口を作っているんです」
プログラムには有松絞りを体験することに加えて、有松の街並みを歩きながら歴史を知ることができるコースもあり、本当に様々な角度から有松絞りを知るきっかけがありました。

海外のsuzusanファンが有松まで
Studio Suzusanには、海外のファンも来て体験や学びをしていくのだとか。
「生産背景や作り手の労働環境、環境負荷などを気にする購入層の方も増えているので、そういった方々に有松で工程を見ていただいたり体験していただくことが増えました。英語が堪能なスタッフもいるので心強いです」
生徒から社員へ。スズサンで産業に携わり地元をさらに知っていく

「伝統産業なのに若い人が多く働いていたり、次々にインターンの方が来ることに日々驚いています!」と語ってくださったスタッフの赤坂さん。
一去年の7月からこの教室を担当しているスタッフの赤坂さんも、TETOF 1608にいた中村さんと同時期にスズサンへ入社したお一人です。
様々な職を経験した後、より地域の事や伝統産業に興味が湧き、絞りの教室に通っていたそうです。その間にスタッフ募集の紙を見て入社を決めたとのこと。
「有松絞りへの門戸を様々な角度から広げる」という言葉はお客様に対するだけではなく、伝統産業に携わることに興味がある人にも門戸を広げていることなのだと思いました。
生徒にも生産者にもなれる曖昧さ
この教室にはもう一つ、産地にとって良い効果がありました。
この教室は10年以上開催されており、10年近く教室に通っている人もいるそう。教室のベテラン選手たちの中には、スズサンから絞りの発注を請け負う職人になっている人もいるとのことです。
例えば、教室に来たときにスズサンから発注を受け、次の教室で納品する。そんな仕事の仕組みが出来上がっており、生徒と生産者の境目がとても曖昧なのです。

有松絞りで大変なのは工程の手順を覚えることだといいます。誰でも挑戦しやすい半面、のめり込めばそれだけ覚える技法も増えていきます。
さらにスズサンの商品は綿の織物からカシミヤのニットまで他素材なので、技法との相性も考慮した括りをしなければなりません。こうしたときに教室で学んだ知識を蓄積した生徒さんたちの技術力が必要になってきます。
有松絞りの生産拠点が海外に移っていった時期もあったことを聞きましたが、もともとはこの地域で生活をしながら有松絞りに関わってきた作り手たちに支えられていました。村瀬さんがまた会社と外・生徒や生産者という境目を曖昧にして風通しを良くすることで、その風景をまた取り戻しているのではないでしょうか。
デザイナー1人の力に依存しないクリエイション

さて何度か「風通しの良さ」という単語が出てきましたが、それはsuzusanのクリエイションや運営でも大切にしていることだと、村瀬さんがお話してくれました。
「(つくりたい服は)こういう感じ、というイメージだけ僕が渡して、大喜利のようにスタッフみんなが作り上げるのが理想です。コロナになってリモートが増えて、やってみたかったこの形が最近できるようになっています。自分だけが決めすぎてないからこそ、職人たちからのアイデアや上がってきたサンプルからヒントを得て、時にはそのまま採用したりしています。自分は最初と最後の辻褄を合わせる役割だと思っています」

そのため、スタッフの皆さんとセンスを共有することが大事だといいます。有松の現場で生産管理を担当している西谷さんはその大事な1人。
西谷さんは大手セレクトショップで働いていたとき、suzusanとDiorがコラボレーションをした記事を読んでスズサンへ入社希望したといいます。染めの現場から入り、現在は生産管理をしています。上がってきたものの感じが良いかどうか、村瀬さんのイメージに近い製品かをジャッジする役割をしています。
よーく見れば柄の出方や雰囲気が製品ごとに少しずつ違う有松絞り。その良し悪しを判断することはとても難しいのではないでしょうか。曖昧な部分が多く、しかもファッション感覚も持たなければいけない。だからこそ村瀬さんと同じ感覚を共有しつつ、村瀬さんが自分のこだわりを持ちすぎずに風通しを良くすることを大切にしているのかもしれません。
世界中から有松に人が集まる風景を

日本に繊維にまつわる産地はまだあれど、洋服の国内自給率が2%を切っていると言われている日本。そんな状況の中でも、自分たちで全部作れることを体現して社会に見せていきたいと語る村瀬さん。
「価値がないと言われても、海外に行けば拾ってくれる人がいるんだ」そう思いながら海外の大学へ行った村瀬さんの静かな挑戦心はsuzusanだけでなく、日本のものづくりにとって勇気をもらえて可能性を感じることができるメッセージだと思いました。
今後は、有松の面白い歴史を伝えられる人や機能を揃え、もっと世界中から有松に人が集まることを目指しているそうです。
情熱が伝播しチーム力になっている

「良い物をつくるとき、技術や知識は職人側に特に大事で経験やセンスはクリエイティブにとって重要です。でもそこに情熱が入っていないと、ただ硬くて冷たい物になると思うんです。そういえば15年前suzusanを立ち上げた時、 フランスやイタリアの有名セレクトショップで販売したいと周りのスタッフに言っていたのを思い出しました。それが今実現できてるのはそこの部分かなと思いますね。」
近くで見ている杉戸さんやスタッフの皆様に、村瀬さんの思いや情熱が伝播しているなと感じる場面がインタビューや見学中に多くありました。チーム全体に同じ熱量が流れていることが、suzusanの商品が魅力的に感じる理由の一つだと思います。

キッチンから工房へ。suzusanが再びつくる有松の風景
最後にやってきたのは、suzusanの商品を作っている工房。この場所で括りから染めまで行っています。ちなみにsuzusanのショップからTETOF 1608や教室Studio Suzusanを経て工場まで行くのに歩いて10分程度!とてもコンパクトなエリアの中にこんなにも拠点があるのかと驚きました。


立ち上げ当初、suzusanの商品は有松で村瀬さんのお父様だけで染めていたそうですが、現在は若いスタッフが入り技術が蓄積されてきました。
有松絞りの起源は、有松に移り住んできた人が有松の産品を作ろうとして他地域から技術を取り入れて作り始めた、という歴史があります。きっと黎明期には有松絞りのための設備はなく、台所などで染めていたのではないでしょうか。そんな有松絞りの始まりと村瀬さんがキッチンから始めたsuzusanの制作風景と重なっているように感じました。
産地の歴史に良い意味でとらわれずに行動することが、また新しい産地をつくっていくことなのかもしれない。むしろ産地すら飛び越えることが大切なのかもしれない。そんなことを考える時間になりました。

村瀬さんの言葉はハッとするものばかりで、私にとって心が自由になる時間でした。
村瀬さん、杉戸さん、そしてスタッフの皆様、素晴らしい取材の機会をいただきありがとうございました!
suzusan
Web : https://www.suzusan.com/
Instagram : https://www.instagram.com/suzusan_official/
株式会社スズサン
Web : https://suzusan-shibori.com/
Instagram :https://www.instagram.com/suzusan_japan/
suzusan Online Store
Web : https://www.suzusan-onlinestore.com/
直営店 suzusan
〒458-0924 愛知県名古屋市緑区有松1905(MAP)
Tel : 052-825-5636
直営店 TETOF 1608
〒458-0924 愛知県名古屋市緑区有松3016(MAP)
Tel : 052-825-5641
Web :https://www.tetof1608.com/
Studio Suzusan
〒458-0924 愛知県名古屋市緑区有松3305(MAP)
Tel : 052-825-5386
Web :https://www.studio-suzusan.com/
text:森口、photo:市岡
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