織物産地の“いま”を伝え続けた9年間。“ハタフェス”発起人が語る、予想を超えた成長と未来に描くまちの姿【山梨・富士吉田】

富士山に最も近いといわれる、山梨県・富士吉田市

千年以上の歴史を誇る織物産業が息づくこの町で、毎年秋に開催されるイベントが、ハタオリマチフェスティバル、通称「ハタフェス」です。
2024年で9年目を迎えた今回は、なんと過去最高の2万4000人もの来場者が訪れました

いま全国各地で、産業観光や中心市街地活性化のためのイベントが開催される中、年々来場者数を増やし、異例の成功をおさめているハタフェス。
伝統産業の衰退が懸念される現代において、どのようにして人々を惹きつけ、町を活気づけているのでしょうか?

前半記事では、この町の歴史と今、そして9年目のハタフェスの盛り上がりをお届けしてきましたが、ここからはその舞台裏に焦点を当てていきます

初期メンバーとして、立ち上げから運営まで、多様な役割を担ってきた4名のキーパーソンに、9年間の変化とこれから迎える10年目のハタフェスの展望について聞いてきました。

「このイベントの終わり方を考えだしている。」
そんな予想外な声も聞こえてきた、今回のインタビュー。その真意とは…?!

誰よりもハタフェスを深く知る彼らの赤裸々な本音と、これからのハタフェスの未来にせまります!

お互いへのリスペクトが奇跡を生む。藤枝大裕さん

「変化というか、いやもう全然。9年前とは比べ物にならない規模になってきていますし、関わる人の温度感が全然違いますね。」

そう答えるのは、ハタフェス立ち上げ人のひとり、藤枝大裕さんです。

藤枝さんは、服飾専門学校を卒業後、撚糸メーカーで企画や営業の仕事を経験。その後「手紙社」に入社し、「布博」など人気イベントの立ち上げや運営に携わってこられました。

独立して山梨に移住した後は、テキスタイルやファッション業界への人脈とイベント開催の経験を活かし、第1回目からハタフェスの企画・運営に深く関わり続けておられます。

ーー 先ほどおっしゃっていた「温度感の違い」というのは?

藤枝さん:いちばん最初は、「若いのが何かやってる」みたいな感じだったのが、今はもう「ハタフェスがあるんだよね」「今年はいつなの?」と聞かれるんですよね。あとリピート率めっちゃ高いなと思う。

いまや「産地ファン」というものがうまれて、出店者それぞれに推しがいるんです。出店者にとっては晴れ舞台ですよ!

ーー 産地ファン!いい響きですね。

藤枝さん:こんな言葉が生まれる日が来るなんて、という感じです。
僕らが単純に「産地面白いよ」って言うんじゃなくて、面白がって広げてくれる人が増えてきているのがいちばん嬉しい。

でも、そんな人間が現れるとは思っていなかったです。全く新しい人類が生まれてる感じだと思います(笑)。

僕らは「何とかしないといけない」という先が見えない状態から手探りでやってきたので、苦労話をいっぱい聞かれるし、実際するんですけど、もうそういう時代じゃないなと思いますね。

単純に楽しんでくれる人たちがハタフェスを支えてくれる、それでいいなって。

ーー 素敵な変化ですね。来年はどんな10周年になりそうですか?

藤枝さん:やりたいと思っていたことが全部できてて、ハタフェスに関してはやりきってるんですよね。

機屋さんたちはこのイベントに向けて新商品の開発をするし、地元の若い子たちが興味を持って、買ってくれる。しかも、よその産地の人もハタフェスに出展して、新作を発表しに来るんですよ。そんなのってある?って。理想形として思い描いていたことが現実になっているという感じです。

だから「10年おめでとう」で終わるのかもしれない。でもそれくらい、本当にやりたいことをやらさせてもらっているイベントです。

ーー 藤枝さんは、どうやって今の理想の状態になれたと考えていますか?

藤枝さん:すごくいろんな要素が絡み合い、いい具合に交差して生まれた奇跡だと思ってます。でも単純にまぐれっていうわけでもなく、ちゃんと狙ってもいました。

要するに、地方だってプレイヤーはいっぱいいるわけですよ。町づくりとか、何かしたい人っていっぱいいて、たくさんやってきてもいるんです。

だから、そういう人たちと膝を突き合わせて、一緒に何かできないかを丁寧に話し合って、ハタフェスという事業が、それぞれの取り組みを全力で盛り上げることができる受け皿みたいになることで、仲間になれると思ってます。

結局、事業の予算内とか自分たちの仕事はここまでという壁をどこかでつくっちゃうケースが多いんじゃないですかね。そこをオープンにして、お互いがハッピーだったらそれでいいという考え方です。

でも、ハタフェスのようなやり方だけが正解だとは思わないです。その土地ならではのやり方っていくらでもあると思うので。

でも1回目のハタフェスは苦しすぎて、報告書が書けなくて…。しゃかいかの記事を報告書に載せました(笑)。

ーー なんと!光栄です。

しゃかいかは、2014年に布博の取材にも来てくれて、そこでメディア名を初めて聞いたので、「工場の人は全然でないけどいいのかな」って思いながら取材を受けたんですよね。

その後に僕が個人になってから、初回のハタフェスにもなんの迷いもなく取材に来た唯一のメディアでした。「ええっ来るんだ」って思った(笑)。

しかもツアーとかも全部参加してくれて、ものすごい記事を書いてきた。あの頃は誰も体験してないから、一番楽しかったと思いますよ。

(噂の記事はこちら。前後編とボリュームたっぷり!)

ーー いまや貴重な記事ですね…!ところで藤枝さんは、この先ハタフェスをどうしていきたいと考えていますか?

藤枝さん:難しいですけど、しいて言うなら…。この2日間で、すごく町に人が集まるし、こういう人たちがいる町だとイメージができるようになると思うんですよ。

だからこの2日間だけじゃなくて、実際にそういう人たちで町が埋まって、商店街がハタフェスになるみたいな姿が理想ですね。構造的に「この出店者の半分ぐらいが地元です」みたいな。

さっきは、やりたいことはもう全部できたとか言ってちょっと満足しちゃってたけど、次のフェーズに行く雰囲気は、もう皆さんから出てますね。
建物もいろいろガタがきてるからもっと出展しやすいものができたらいいなとか、そういう段階になってきていると感じます。

ちゃんとPRしたらこれだけ人が集まるんだということが証明できたから、受け入れ体制をもっとちゃんとして、その心地よさを高めていきたいです。でも、それってイベントの予算じゃなくなってくると思うんですよね。全部なおそうと思ったら、絶対億くらいかかるので…。

つまりは、そうやってもっと良い形にしていけるように、町全体をブラッシュアップしていくことかなと思います。

色んな取り組みがミックスされるまちへ。土屋誠さん

続いてお話を聞いたのは、クリエイティブデザイングループ「BEEK DESIGN」代表の土屋誠さんです。

土屋さんは、2013年に東京から地元山梨にUターンして以来、山梨の人や暮らしを伝えるフリーマガジン「BEEK」の制作をはじめ、山梨の魅力を編集やデザインで伝える仕事をされています。

そんな土屋さんもハタフェスの立ち上げ人のひとり。現在も広報・企画・運営やデザインディレクションなど幅広い面からこのイベントを支え続けています。

ーー 今年で開催9年目ですが、土屋さんはどんな変化を感じますか?

土屋さん:最初のころは地元の人からは「なんかやってんな」くらいだったけど、4、5回目からは町の人も楽しみに来てくれたり、歩行者天国に便乗して別のイベントをしてくれたりと、ハタフェスに向けて一緒に盛り上がってくれている感じがします。

あとは、イベントが終わってからも産地同士の交流が生まれたことですかね。
岐阜や長野のイベントにハタフェスとして出展したり、お互い行き合う関係性がどんどん増えてきました。

ーー いろんな変化があったんですね!初回はオープンファクトリーが多いイメージでしたが、コンテンツもちょっと変わりました?

土屋さん:そうですね。前にしゃかいかさんに来てもらったときは、工場のツアーとかワークショップを取材してもらいましたが、最近はマーケットイベントがメインですね。

機織り工場は距離もあるし車じゃないとまわれないので、機屋さんに町に来てもらって、イベントに出てPRしてもらうようになりました。

でもデザイナーさんとか、工場が気になる人は終わった後に来てくれるんだよね。それで全然いいかなと思っています。もうハタフェスがお客さんに見てもらう入口として機能しているんです。

それに、今は毎月第3土曜日に、市の取り組みとしてオープンファクトリーをやってるから、興味を持ってくれた人は、イベント後にフォローもできるという感じになってますね。

(毎月第3土曜日に開催される「ハタオリマチの小さな工場めぐり」)

マーケットイベントだからこそ、機屋さんにとっても「売れる」ことを意識した商品開発につながっています。そういう気持ちになって実際に売れると、嬉しいですよね。

ハタフェスは、他のマーケットよりもお客さんにデザイナーさんとか、機織りのことをわかってる人が多くて、その後の関係につながる場合がすごい多いんですよね。そういう繋がりを得られるのがハタフェスのいいところだし、単純に地元にこんなに人が来てくれるっていうのは喜びでもあります。

マーケットとして物を売る部分はもちろん、最近は「フジテキスタイルウィーク」っていう布とアートの祭典も始まって、いろんな関わり方が増えたので、機屋さん的にも刺激になってると思いますし、この町のポテンシャルはやっぱりすごくあると思います。

(次回の FUJI TEXTILE WEEKは 2025年の11月後半くらいに予定しているそうです)

ーー ハタフェスを立ち上げたときは、こんなに大盛況になると予想されてました?

土屋さん:全然!最初はここまで責任おってなかったし、どうせなら楽しくやりたいなぐらいの気持ちでした(笑)。

その気持ちは、立ち上げメンバーも変わらず持っていると思います。
これ以上大きくしようとも思わないし、町のサイズ感的にも今ぐらいで継続できればなって感じです。

(2024年のハタフェスの様子。どの会場も来場者でにぎわっていました!)

ーー 初回から富士吉田市側とも協力関係がありましたよね。

土屋さん:そうそう。富士吉田市役所の勝俣さんとも、もう9年目ですね。

(ハタフェス発起人のひとり、富士吉田市役所 富士山課所属の勝俣美香さん。)

初回の頃はポスターとかに対しても「なんで外のデザイナーを呼んでやるの?」とか言われたり、富士吉田市側の予算とかもいろいろ突っ込まれていたのを勝俣さんが全部受け止めて、上の人への説明をずっとやってきてくれてました。それが今や定番化して、受け入れられるようになったんだと思います。
しかも、私たちにはそんなことも言わずに、内部でやってくれて…。

この企画を、勝俣さんや富士山課のみなさんが応援して、チャレンジさせてくれたおかげで今があります。たくさんのミラクルな人の繋がりや協力が、今のハタフェスを作り上げました。

ーー 土屋さんは、今後ハタフェスをどうしていきたいと考えていますか?

来年10年目で、節目だと思っています。

観光課の目的である中心市街地活性化もだいぶなされてきていて、いい意味で使える空き家が少なくなってきた。僕的にはちょっとやりきったじゃないけど、役目は果たせたのかなとも思っています。
始まったものはいつか終わるじゃないですか。その終わり方も考えはじめています

マーケットとしても観光としても成り立ってるし、産業も絡んできて、その先はなんなんだろうということを考えますね。
機屋さんがフィーチャーされるけど、やっぱり準備工程がだんだん少なくなったりとか、いろんな目に見えない課題もある。糸からつくる人や染める人がいて、どこにも外注を出さずに全部この町で完結するんですけど、それがもうできなくなったら、今までの仕事の形も変わってきてしまう。機織りのそういう側面も考えつつ…。ハタフェスというこの産地を知ってもらうイベントがあるからこそ、富士吉田というまちの日常をみんなで考えていけると良いなと思っています。

東京造形大学を卒業した子がこの町でテキストブランドを始めたり、台湾から来た子が地元の布で商品を作りだしたりとか、そういう若手のブランドも増えてきてるのもすごく良いです。

(台湾出身のテキスタイルデザイナー 徐 笠さんのブランド。前半記事にも登場しました)

東京造形大学も、もう何十年と機屋さんと関わるプロジェクトをやってくれていて、働き手も結構いるからそれは本当にありがたいですね。

だから全体的にそういった色んな取り組みが重なって、ハタフェスだけじゃなく、まちの関わりが良い感じにミックスされるといいなと思っています。

山梨って本当に人が少ないので結構商売は大変なんだけど…、移住の人が増えたりインバウンドも結構あって、それがちゃんと成り立つ町になっているというのがこの町のよさですね。

まちを活性化させ、心の通う観光地に。勝俣美香さん

先ほどお話にもあがりました、行政の立場からハタフェスを支える、富士吉田市役所 富士山課所属の勝俣美香さんにもお話を聞いていきたいと思います。

勝俣さんは、2015年に富士吉田市役所富士山課に異動し、2016年にハタオリマチフェスティバルの初めての開催を行政側から支援。現在もハタフェスに深く関わりながら、飲み屋街「西裏」の活性化事業やテキスタイルとアートのイベントなど、地域活性化のための新たな取り組みを手がけています。

ーー 明らかに町が変わっている空気を感じています。勝俣さんの視点から見てどうですか?

勝俣さん:やっぱりハタフェスが大きな軸ですよね。市役所の中でのイメージもどんどん変わっています。

若い職員や市民に、この町を知ってもらうためにも良いイベントかなと思っています。
ボランティアとして任命するのではなく、地元の友達や同期の人たちに想いを持って手伝ってもらった方が、愛想が良くご挨拶ができるとか、気持ちよく仕事ができるメリットがすごくあるんです。

あと最近は、東北から九州まで、全国の産地の人たちが気軽に遊びに来てくれるようになりました。
富士吉田は生産量としてはちっちゃな織物産地なんですけど、その産地が何でこんなに元気なのかといろいろ取材していただいたり、注目をしてもらうようになったというのはすごく大きいなと思います。

ーー 他の産地との交流は土屋さんもおっしゃっていました。お互いに刺激しあえる関係性はいいですね。

勝俣さん:産地って言っても織物だけじゃなくて、その産地で頑張っているところとコラボレーションをして、お互いに行ったり来たりしています。例えば福井市の鯖江さんのイベントに出展するとか、逆に向こうにも出展してもらうとか。

そうすると、鯖江でまちづくりとかを頑張ってる人たちが「ハタフェス行ってこうだった」と、帰ってから伝えてくれる。それで、鯖江のイベントのファンが「今度ハタフェスも見にいこうかな」となるんです。いろんな産地と連携することによって、全国の人たちにハタフェスという存在を知ってもらうきっかけになっていると思います。

一度訪れたお客さんが、翌年にお客さんを連れてきて…という戦法は初回から変わらずですね。
口コミで広げるということを今後も貫いていこうかなと思っています。

ーー 他にもここ数年で変化を感じるところはありますか?

勝俣さん:富士吉田市はふるさと納税をすごく頑張っていて、中心市街地活性化のためにクラウドファンディングをしたときにも、目標額の4倍以上にあたる12億円が集まりました。

それでテキスタイルとアートのイベントや、西裏地域の活性化のための食のイベントなど、新たなチャレンジができています。

(西裏地域の飲み屋街の様子。新たなお店も迎えてリニューアル!)

また、今度は中心市街地にお店を出したい人に補助金を出す制度もはじめました。
おかげで出店しやすい環境になったので、今は空き家が少なくなってきています。その変化は町に対してすごく感じていますね。

あと最近は、本町通りから見える富士山が大きい!とSNSでめちゃくちゃバズっています(笑)。
当時しゃかいかさんに来ていただいたときは全然バズってなかったんですけど、今は外国の方もすごい来てくれます。その人たちはこの町の産業とかを何も知らずに来て、写真を撮って帰るだけですが…。

いつかそういう人たちにも刺さっていくような町になっていけばいいなと思っています。
ハタフェスによって全国的に有名になりましたが、今後は世界を目指したいと思っています。

ーー おお!世界を目指すとは、どういうふうに?

勝俣さん:これからのこの町には、アーティストやクリエイターが挑戦できる場がすごく必要だなと思います。チャレンジできる町になっていったら、新しい文化が生まれて、この町が残っていくきっかけになるんじゃないかと思って。それで、4年前から「FUJI TEXTILE WEEK」というアートイベントを始めました。

ただ、3年続けたんですけどアートって、ビエンナーレとかトリエンナーレがあるように、毎年するもんじゃないっていうことがよくわかりまして…。やっぱりすごく大変なんですよね。

まずは、空き店舗決めをして、アーティストを決める。アーティストと空き店舗のマッチングをして、今度はアーティストの人が空き店舗を見てアート作品をイメージしていく。今度はそれを織物屋さんに織ってもらうという流れです。
それを市の予算が決定してから半年でやるっていうのは、ものすごく大変で…。なので今後は、2年に1回として、来年(2025年)に開催する予定です。

この産地はもともと裏地で有名だったんですけど、時代とともに裏地があまり使われなくなって、リネンとか洋服とかネクタイとか座布団とか、いろんなものを織る町になりました。
しかも、大きな工場だとロットが大きくなっちゃいますが、この町には小さな工場も多いので「このぐらいでも織れるよ」といってくれる機屋さんも多いんです。

だからこそ、若い人が富士吉田から始めようと、チャレンジできる町になっていければいいなと。アートの取り組みを続けて、レジデンスをもっと増やし、テキスタイルを中心としたまちづくりをこのまま進めたいなと思っています。

ーー 来年度はハタフェス10年目で節目になりますが、どうしていきたいと考えていますか?

勝俣さん:まさに、考えてるところですね。

今、富士吉田市としては、西裏地域の活性化を頑張っています。
富士五湖地域は流行っているのですが、夜楽しめるところがないんですよね。でも、西裏に行けばいろんな店があるから、最近は「西裏のチラシください」とホテル側から言われることもあります。
だからやっぱり、西裏地域をもっと面白い町にしていくために頑張らなきゃいけないなと思っています。

西裏のイベント、アートイベント、ハタフェス…、これらが相互に絡み合うまでにはあと5年はかかりますね。

でもやっぱりこの動きの始まりはハタフェスであり、この動きをいろいろな形に変化させてこのまちの活性化に繋げていきたいです。

ーー 5年後、どんな町を目指していきたいですか?

勝俣さん:人に会いに来るような町になりたいです。

富士山の写真だけ撮りに来るだけじゃなくて、「誰々に会いたいね」とか「せっかくだからうどん屋さんにもいきたいね」とか。そういった心の通う観光を目指しています。2年前ですけど、booking.comでは最も居心地の良い町3位だったんです。

そういうまちづくりをずっと続けていくことで、思いのある人たちが事業者となって、町を活性化していくようにしていきたい。お金だけじゃなくて、「この町がいい」とか「この空気が好き」とか、この町のいいところを好きになってくれて、笑顔があふれる町になっていけばいいなと思います。
ちょうど5年後に60歳になるので、本当に私の夢が叶えられて退職できたら嬉しいですね。

ーー ビジョンがしっかりと見えてらっしゃるのが本当にすごいです…!

勝俣さん:いやでも、ほんとハタフェスのおかげです。

こうやって年々開催するごとに、どこを目指さなきゃいけないっていうのがちゃんと見えてきて、自分の中で考えがまとまってくるんです。

でも、実行する人がいないと、行政がやりたくても終わっちゃうから…。
思いを受け継いでくれる人が見えたらあとは信じるのみです。ハタフェスも、もう初期メンバーの3人に賭けています

ハタフェスのような時間が流れるまちにしたい。赤松智志さん

最後にお話を伺ったのは、合同会社OULO代表の赤松智志さん

地域おこし協力隊として富士吉田市に移住した赤松さんは、これまでに宿泊施設「SARUYA HOSTEL」の立ち上げや高校生が地域の豊かさを伝える編集社「NPO法人かえる舎」の副代表をつとめ、現在は合同会社OULOとして富士吉田市のまちづくりやコミュニティづくりを文脈とした様々な事業に取り組んでいます。
この町で生活し、ハタフェスを「まちづくり」という観点から支える、発起人のひとりです。

ーー 今年で9年目を迎えますが、町の変化は感じますか?

赤松さん:そうですね。ただ、町の変化といっても、会場や地域の変化とか、市全体としての変化とか、2つか3つくらいの見方があると思っています。

ーー なるほど。詳しく教えてください!

赤松さん:まずは、ハタフェスの開催エリアの変化ですね。

今までハタフェスを10年近くやってきていて、すごくお世話になっている商店街の会長さんやお店の方々は、ハタフェス立ち上げのときから応援してくれていました

というのも、それ以前に僕が仲間と一緒に商店街の中でSARUYA HOSTELを立ち上げて、すでに地域の方々との関係性ができていたんです。

(提供:SARUYA KIKU 客室 / フォトグラファー 吉田周平)

ある意味、ハタフェスが、第3、4の矢として乗っかってきたようなタイミングでした。

なので、ハタフェスがゼロからそういった関係性を作っていったわけではなくて、いろんな人たちの取り組みの上に、ハタフェスがうまく乗っかり、ハタフェスらしい色がちゃんと出せて、定着していったと思っています。だからこそ、やっぱり先人には感謝とリスペクトがめちゃくちゃあります

例えば町歩きをされてる渡辺一史さん、富士吉田市役所の部長です。

(Mr.フジヨシダこと渡辺一史さん。今年度のハタフェスでもまち歩きツアーのガイドを務めており、その知識量には圧倒されました…!)

渡辺さんたちが数十年、公私の活動としてずっと町のことをやってくださっていて、いまだにハタフェスの仲間として、コンテンツを担ってくださる。こうやってハタフェスを開催できているのも、みなさんが私たちを信頼して応援していただいているという前提があります。

だから、うまくその波に乗らせていただいて、イズムを継承する気持ちでやれていることが、10年近くやれていることの理由のひとつだと思います。先人たちとうまくコラボできてるってことですよね。今でも地域からの応援体制は変わっていなくて、「もっともっと頑張って!」と逆に増してます(笑)。先頭に立って新しいチャレンジをする、まちの担い手がこの10年で変わってきていると思います。

あと、ハード面の変化でいうと、空き店舗が前向きに動き出しているケースがあります。

1、2回目で会場として使ってた空き店舗に、ハタフェスをきっかけに新しいお店が入ったり、「ハタフェスで使えたからいい感じに使えそうだよね」といった声もあったりとか。町に対してオープンなマインドを皆さんに持っていただけているという変化がありますね。

(空き家がカフェになった「喫茶檸檬」。今も魚屋さんだった頃の看板が残っています。)

ハタフェスは、登りを立てたりでっかい会場を作ることはしないで、どれだけ日常の中に非日常っぽくイベントを溶け込ませられるかを考えながら会場を決めています。町の風景に馴染むお祭りを作るイメージです。

(ふらっと歩いていると現れる、町に馴染んだイベント会場)
(歴史ある神社も会場のひとつ)

だから、僕たちとしても、ハタフェスで使用した空き家にお店が入ったら日常がこう変わるという市民やオーナーさんに対するメッセージでもあるんです。

ただ、もうすこし広い視点で見たときに、「なんでそんなに中心市街地ばっかりを盛り上げるんだ」と、いった市民からの声はやっぱりあるらしいですね。

でもそれは逆に、人がたくさん来て、注目していただけるようになってきた証拠だとも思っています。
1回目は4000人レベルの集客だったのが、9回目の今回が2万4000人の規模に大きくなっているので、割合として市民の人たちの参加率も上がってきてるはずなんです。

だから、外から人が来ることがちゃんとポジティブなことなんだということを認識してもらうためには、市民の人たちともマインドを合わせていき、一緒にやれることを増やすということはすごく大事だと思うんです。

ハタフェスは、富士吉田を知って、遊びに来てくれる回数を増やすことが本来の目的。だからこそ、市民の人たちともその目的を共有して、お客さんが次に普段の富士吉田に遊びに来てくださった時に、今度は市民の皆さんが日常の中でどう迎え入れてくださるか、そこを考えることがとても大切だと考えています。

実際に市民からの注目度も高くなってきているし、ハタフェスにポジティブな印象を持ってくれている方々もちょっとずつ増えてきている実感はあるので、僕たちの想いが届いているのかなと年々感じています。

ーー 初回のハタフェスのとき、今のこの景色は見えてたんですか?

赤松さん:いやあ、そうっすね。2万人とかっていう数字は全く想像もしてなかったし、別に目指してもなかったですね。

人がたくさん来ることの良さはあまり考えていなかったので、逆に増えないようにする必要もあって…。
というのも、4万6000人の町の規模に対して、2日間で2万4000人以上の来場者となると、いろんな見えないところでハレーションが起きて、町の中でいろんなストレスが各所で起きてるはずなんですよね。地域の住民もそうだし、駐車場問題とかも発生していますし。

だから自分たちのコントロールできるちょうどいい規模の中で集客して、お客さんも自分たちもそれなりの満足度で安心安全に楽しくできるレベルの人数感を最初は想定していました。「1万人とか来たらやばいよね」みたいな、それぐらいだったと思うんですよ。
だから、楽しいことを仲間をちょっとずつ増やしながらやっていったら、本当に雪だるまみたいにバーって回って、結果的に大きくなっちゃってるところがあります。

僕らとしては、「この建物にお店がこういうふうに入ったらいいな」とか「イベントのときにここをこういう人たちが歩いてくれたらいいよな」とか、そのシーンとしての描いてた風景はあったけど、イベントとしての全体像は、自分たちが全く想像もできていなかったところに今きているという感じです。

(ハタフェス1回目の写真。赤松さんとしゃかいか!西村さん)

ーー 赤松さん自身は、何が理由でこんなに多くの人が来るようになったと思いますか?

赤松さん:あらためて自分の中の整理として考えてみたんですけど…

やっぱり、今回の取材でもお話されてる初期メンバーのそれぞれの強さや得意分野がちゃんと生かされてるんです

土屋さんの編集力や企画力によって、クオリティのラインを保ってくれているし、藤枝さんは元々テキスタイルとか繊維業に強いので、出展のクオリティもそうですし、やっぱり人脈力やネットワーク力がある。

でも、土屋さんや藤枝さんは普段富士吉田にいる人ではないので、地盤をちゃんと保ち、日頃の関係性やコミュニケーションを取る役目として、僕が機能できているのかもしれません。
7回目ぐらいまでは僕も出展の担当もしてたのですが、今は完全に市役所や地域との調整役として、全体をマネージメントする役割になっています。

お二人の企画編集力や、人脈力、そして僕が担ってる部分のバランスがちょうど取れてることが、ハタフェスが継続して満足していただけているポイントに繋がってるのかなって。自分なりにちょっと振り返ってみたりはしてますね。

(写真からも仲の良さが伝わってきます!)

ーー 確かにすごいバランスですよね。ちょうどよくプラスもマイナスも補い合いながら毎年フルスイングしてる感じが。

赤松さん:そうですね。本当にみんなお互いをリスペクトして任せているので、それぞれがやっていることに対しては全然口出さないですもん。

ーー 今回インタビューさせていただいていても、名前がすごく出てきて、お互いへのリスペクトを強く感じました。

赤松さん:本当、そこに尽きるんだろうなあ。それぞれが言い合ったりとか口出ししたりすると、そのバランスが崩れていく可能性があるなって。というより、言わずに信じてるんだと思います。

ーー 来年が節目の10年目になりますが、そこに向けてどうしていきたいと考えていますか?

赤松さん:これまで通り、当たり前のことはちゃんとやっていきながら皆さんへの感謝をちゃんとお伝えしたいです。あとは、10周年だから皆さんに期待していただけるものは考えなきゃいけないよねって、みんなで話しています。

でも、出店者の方々がいてこそのイベントなので、出店者の方々がそれぞれどのように10周年を一緒に迎えていただけるかが、すごく大事だと考えています。

例えば、クロージングライブを10周年っぽくしたり、それぞれの出店者さんに10周年をお祝いする何かを出していただいたりとかもするかもしれないですけど、10周年の節目を作りすぎちゃうと「じゃあ20周年も…」ってまた欲がでてきちゃう。それもハタフェスらしくないので、盛大にということはあんまりないかもしれないですね。

ハタフェスらしい10周年の迎え方と、「ハタフェス自体はどう終わるか」ってことをずっと考えています。

ーー 「どう終わるか」の話は、他の方の話にも出ていました。

赤松さん:はい。始まったことは絶対いつか終わると思うし、その終わり方が町にとってどういう意味があるのかを1回目から考えています。もしかしたら10周年で盛大に終わるかもしれないですね。

1年のうち、ハタフェスが開催されるのはたった2日間。残りの363日間、富士吉田の日常に、ハタフェスで培ったものをどう溶け込ませていくか。10周年を迎えるからこそ、真剣に考える必要があると思っています。

特別な2日間にしすぎるというよりは、10年間開催できたハタフェスがあるこの町にどういう変化が起きたのかということに、ちゃんと目を向けなきゃいけないなと思います。やっぱり日常に変化がないと、ハタフェスのことは語れないと思っているので。

町との関わりの中でハタフェスがどう位置づけられるか、いい存在であり続けられるか、みたいなことは常に考えています。

なので、10周年に向けてみんながどれだけ楽しみに準備して、それが町の風景としてどのような変化をもたらすのか…。もしかしたら1年間オープンできる何かが生まれるかもしれないし。
みんなのハタフェスなんで、勝手に言えない部分もありますけどね(笑)。

ーー 10周年の後のことも、なにかイメージされているのでしょうか?

赤松さん:ハタフェスの2日間だけで考えたら、お客さんや出店者さんの様子や実際のアンケートを見ても、本当に皆さんに楽しんでいただけていて、すごく平和なんですよね。
普段の町も、ハタフェスのときのような時間が流れる町にしていきたいですね。

やっぱり相性が良いのはハタフェスに来てくれるような方々で、そういう人たちに日常的に来てもらえる町になってほしいと思います。

そのためには、観光スポットだけでなく、地元のお店で買い物をして、泊まっていただきたいし、いろんな出会いや会話をして、交流すること自体がひとつの観光のスタイルになってほしいと思っています。
そういう時間の過ごし方ができる町にしていくとすると、まだまだ足りないものがありますね。

日常的な意味でいえば、素敵なお店がもっとやっぱ増えなきゃいけないと思うし、イベントのときだけじゃなくて、もう少し普段の観光の楽しみ方も考えなきゃいけないところです。この先、10周年が終わった後も、自分たちがちゃんと来てほしい人に来てもらえるような町にしたいよねという話をみんなともしています。

「何度来ても楽しめて、満足してもらえるような町をどう作っていくか」ということなのかな。僕らとしては、そこを目指していくんじゃないかと思います。

ーー 藤枝さん、土屋さん、勝俣さん、赤松さん、ありがとうございました!

ハタフェス発起人4名へのインタビューを通して、このイベントへの熱い想いや、関わる人々への強いリスペクト、そして揺るぎない仲間意識を感じることができました。

歴史ある織物の文化を未来へつなぐために、様々な立場から、自分がやるべきことを考え、行動している姿。そのひたむきな情熱こそ、ハタフェスが成功した理由であり、この町の素晴らしさなのだと思います。
毎日がハタフェスのように、活気に満ちあふれ、人々の笑顔で町がにぎわう…。そんなワクワクする未来も近いのかもしれません。

2025年、ハタオリマチフェスティバルは10周年目の節目を迎えます。
みなさんもぜひ、富士吉田市を訪れ、ハタフェスを体感してみてください!

次はどんな感動に出会えるのか、今から楽しみにしています!

「ハタオリマチフェスティバル」
主催/山梨県富士吉田市・ハタフェス実行委員会
電話番号:0555-22-1111 (富士吉田市富士山課)
URL:http://hatafes.jp/

(text:前田恵莉、photo:市岡祐次郎、篠原豪太)

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