生糸が紡いだ150年。明治モダンの風薫る、世界遺産「富岡製糸場」がつなぐ‘‘革新’’の歴史

「ザンギリ頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」
西洋文化が花開き、日本が大きく変わろうとしていた明治初期。
激動の変化の波のなか、この国の存続をかけて作られた工場がありました。
それが、富岡製糸場。
群馬の小さな町でつくられた生糸は、のちに日本、そして世界にまで革命をもたらします。
みなさんが昔教科書で見た富岡製糸場が、実はそれほどすごい場所だったということ、ご存じでしたか?
教科書の1ページでは絶対に分からない、つややかな生糸が彩った明治モダンの世界をいっしょに探検しに行きましょう!

はじめまして!新しく「しゃかいか!」編集部のメンバーになりました、小島と申します。
みなさん、ハーブティーはお好きですか?
私はハーブティーが大好きで、常に数種類の茶葉を家にストックしています。
今まさにパソコンに向かっている私のそばにあるのは、マルベリーのハーブティー。
マルベリーとは、桑の実のこと。
この桑の葉っぱこそ、今回の記事の主役となる、蚕の主食なのです!
蚕はこういう味がお好みなのかな?
葉と実では味がまったく違うかもしれませんが、一瞬、自分が蚕になった妄想をしてしまいました。あの寝心地よさそうな繭にくるまれて眠ってみたい…。

ところで、蚕ってどんな生き物かご存知ですか?
蚕はカイコガの幼虫のことで、さなぎになる前に糸を吐き、繭をつくります。
1つの繭糸の長さは、なんと1,200〜1,500メートル!だいたい東京スカイツリー2倍分の長さです。長すぎる…!
蚕は、生糸をとることを目的に、人間が長い年月をかけて品種改良した家畜です。
家畜なので、1頭、2頭と数えます。なんだか不思議な感じがしますね。
蚕は口や脚が退化しているため、人間の手助けなしでは生きることができません。
富岡では、古くから養蚕が盛んに行われてきました。
養蚕農家さんは、蚕のことを「お蚕さま」と呼び、美しく元気に育ってほしいという祈りをこめて、大切に大切に育てているそうです。

いざ、富岡製糸場へ
蚕についてばっちり予習したところで、富岡製糸場に向かいましょう!
富岡製糸場へのアクセスは、上信電鉄「上州富岡駅」から。
道中、カフェやお食事処、お土産屋さんなどが軒を連ねています。
15分ほど歩くと、到着!

左手にある受付でチケットを購入します。
富岡製糸場では、解説員さんによるガイドツアーや、自分のスマートフォンで聴ける音声ガイドなどがあります。
今回は、ガイドツアーに参加させていただきました!

さっそく見学に出発…の前に、ちょっとだけ歴史のお勉強。
時は幕末。1853年(嘉永6年)、ペリー率いる黒船の来航によって開国した日本は、欧米との圧倒的な軍事力の差に驚愕します。
このままでは、日本もほかのアジア諸国のように植民地にされてしまう!
そんな危機感を持った明治政府は、「富国強兵」をスローガンに掲げ、早急な近代化を目指します。
そのために政府が目をつけたのが、生糸。当時、生糸は日本の最大の輸出品だったため、その生産を拡大することで海外から資金を稼ごうとしたのです。
こうして、国家の存続をかけた最重要プロジェクトとして、富岡製糸場の建設が決定しました。
政府は、横浜で生糸検査人をしていたフランス人のポール・ブリュナを指導者に招き、西洋の技術を取り入れて製糸場を作ります。
そして、建設決定からわずか2年後の1872年(明治5年)、操業が始まりました。

…と、ここで疑問が。
建物が完成したのは1872年(明治5年)7月ですが、稼働が始まったのは同年10月。
なぜか3ヶ月あいていますね。
そんなに大急ぎで作るほど重要な工場なら、すぐにでも稼働させたいはず。この空白期間に何があったのでしょうか?
実は…あ、ちょっと前置きが長すぎましたね。みなさん早く見学に行きたくて、うずうずしてるんじゃないでしょうか。
この話はあと回し。そろそろ見学に出発しましょう!

ガイドツアーの所要時間は、約40分。この回の参加者は10人ほどでした。
ガイドさんの声がよく聞こえるよう、配られたイヤフォンをつけて、準備はばっちり。
「それでは、こちらへどうぞ〜!」
ガイドさんの呼びかけに、みなさんワクワクした表情で場内を歩き出します。

まずは、こちらの掲示板。富岡製糸場の全体図です。
大小さまざまな建物が、広い敷地内に点在しています。
右上に、逆向きの「コ」の字型のような建物群がありますね。
この3棟(東置繭所・西置繭所・繰糸所)は、製糸場の主要な施設で、国宝にも指定されています。
和洋の融合が美しい、繭の貯蔵庫「置繭所」

赤茶色のレンガがきれい!こちらは、東置繭所(ひがしおきまゆじょ)。
乾燥させた繭を置いておく、繭の貯蔵庫です。
操業当初は、年に一度、春にしか繭が収穫できませんでした。そのため、収穫した繭を保存する巨大な倉庫が、敷地内に2棟建てられました。

こちらは、西置繭所。
敷地内の東にあるのが東置繭所、西にあるのが西置繭所です。
両方とも全長約104メートル、貯蔵可能な繭は2棟合わせて約64トン!とんでもない量です。
東置繭所・西置繭所は、「木骨煉瓦造」という西洋の建築様式で作られました。
木材で骨組みをつくり、壁面をレンガで仕上げています。
この方式で建てられた巨大建造物で、日本に現存するものは他にないそう!
とっても貴重な建築です。
屋根には、伝統的な日本瓦を使用。レンガと日本瓦、和と洋の融合によって作られました。

あれ?よく見ると、レンガの色がまばらですね。
当時の日本では、レンガの存在を知る人すらほとんどいませんでした。
そこで、フランス人技術者の指導のもと、日本人の瓦職人がレンガを焼き上げることに。
見たこともない赤茶色の塊。それを焼くところから作るなんて大変そう…。
やっぱり苦労されたようで、技術が未熟だったことから、レンガの色がまばらになっています。
レンガだけでなく、瓦や木材、礎石など、多くの建築資材は群馬県で調達したそうです。
製糸場の心臓!世界最大規模の「繰糸所」

お次はこちら!製糸場の心臓部、繰糸所です。
ここで繭から生糸を取る作業が行われていました。

こちらが繰糸所の内部。
全長なんと約140m。柱のない大空間に、左右に機械がずらっと並ぶさまは圧巻のひとこと!

と、ここでガイドさん。
「柱(はしら)がないので、走ら(はしら)ないでくださいね」
ガイドツアーの参加者さんたちから、ふふっと笑いがもれます。ちょいちょいギャグを挟んでくるおちゃめなガイドさんのおかげで、楽しく学びながら見学できました!

建物の特徴は、この天井の三角形。
「トラス構造」と呼ばれるもので、この構造によって柱のない広い空間を実現させています。

操業を始めた当初、ここにはフランスから導入した繰糸器300釜が設置され、300人の工女が生糸を取っていました。
ヨーロッパの製糸工場ですら、150釜が一般的な時代。当時の富岡製糸場は、世界最大規模の製糸工場だったのです。
当初は一部の作業を公女の手で行っていましたが、1966年(昭和41年)以降に日本製の自動繰糸機が導入されると、手作業が大幅に減ったことで、さらに多くの生糸を生産することができるようになりました。
現在は、1987年(昭和62年)に操業停止したままの状態で保存されています。

ここで糸取りにあたった工女は、日本全国から集められました。富岡製糸場で製糸技術を身につけたあとは、自分の故郷に帰り、今度は指導者としてその技術を広めました。
ほんの数年前までは、刀を携えた武士が歩いていた時代です。当時、女性が雇われて仕事をすることは、とても先進的なことでした。
女性の活躍という意味でも、富岡製糸場はまさに近代化の象徴だったんですね!

工女たちは、製糸場内の寮に住んでいました。自分の部屋には、好きな歌手や役者のブロマイドを貼っていたとか。まるで現代でいう「推し活」のよう!なんだか親近感を感じてしまいますね。
操業当初の富岡製糸場での暮らしは、1日3食つきで、毎日お風呂に入れたとか。
1日の労働時間は7時間45分、休日は日曜日。
この労働環境、どう思いますか?
もう少しお休みがほしいかも…なんて思ってしまいますが、当時にしてはとても恵まれた環境だったそうです。

繰糸場の中で、フランス式繰糸器を使った糸取りの実演をされていました!
鍋のなかに繭が浮かんでいますね。
繭から糸を引き出すために、まずは繭をお湯で煮て柔らかくします。

繭から糸を引き出して…

引き出した糸を、穴のあいた白い小皿のようなものに通します。
複数の繭から糸を引き出し、それをまとめることで規定の太さの生糸にしていきます。
糸をとっている繭が薄くなったら、その繭を外し、新しい繭を足す。 この繰り返しです。

こちらは、糸取りの様子を分かりやすくした模型。
糸は後ろの器械につながっており、高速で巻き取られていきます。そのため、新たな糸を継ぎ足す作業にもかなりのスピードが必要。まさに熟練の技!
当時の工女さんはこうやって糸取りをしていたんですね。
まるで小さな町のよう! 製糸場での暮らし
富岡製糸場には、製糸工場だけでなく、指導者や工女たちが住む家や診療所なども建てられていました。
そのさまは、まるで小さな町のようだったとか。

こちらは、診療所。
体調を崩した従業員は、ここで治療を受け、必要に応じて入院もしていました。
操業当初、治療はフランス人の医師が行い、かかった治療費や薬代はすべて工場側が負担していたそう。福利厚生面が充実していますね!

こちらは、首長館。別名、ブリュナ館。
その名が示すとおり、フランス人指導者のポール・ブリュナが家族とともに暮らした家です。
さて、みなさんは「フランス」と聞いて、何の飲み物を想像されますか?
そう、ワインです!ブリュナもここでワインを嗜んでいたそう。
ですが、ワインなんて見たこともない当時の日本人。
何を飲んでいると思ったか?それは…生き血!
かくして「富岡製糸場に行くと、生き血を抜かれる」という、なんとも恐ろしいデマが広がってしまいました。

さきほど、富岡製糸場の完成は1872年(明治5年)7月だったにもかかわらず、操業開始は10月だったとお伝えしましたね。
その理由は、このデマのせいで工女が全く集まらなかったから。募集をかけても、ただの1人も集まらなかったそう。
困り果てた当時の工場長は、自分の娘を1人目の工女とすることにしました。工場長の娘が工女となったことで、ようやく人が集まるようになったとか。
ちなみに、ブリュナのお給料は、当時の総理大臣に匹敵するほど。それほどまでに、政府はこの富岡製糸場を近代化の要と考えていたんですね。

こちらは、女工館。
ブリュナがフランスから雇い入れた、4人のフランス人女性たちが住んでいた宿舎です。
彼女たちは、糸取りの先生として、工女たちに製糸技術を指導しました。
女工館の特徴は、コロニアル様式。高床式にすることで、換気を良くしています。
からっとした気候のフランスとは異なり、湿気の多い日本で、少しでも楽に過ごしてもらうためにと工夫して建てられたそうです。

こちらは、検査人館。生糸の検査を行った、検査人のために建てられた宿舎です。
操業を始めた際、検査人として若いフランス人男性2人が招聘されました。ですが、検査人はここには住まなかったと言われています。
当時、このあたり一帯は、蚕のエサとなる桑の畑ばかり。娯楽が少なく、楽しくなかったのか、検査人はしばしば無断で横浜まで遊びに行ってしまっていました。
それが原因で、検査人はクビになってしまったそう!
いったいどれだけサボりまくったんでしょうね…。
その後、ここは1階を事務所、2階は皇族や政府の高官たちが訪れた際の貴賓室として使用されました。
日本の宝、そして世界の宝へ
これまでに見てきたような環境で、良質な生糸が大量生産され、世界に輸出されました。海外から資金を獲得した日本は、軍事力を強化し、近代国家へと歩みを進めていきます。
当時は「生糸が軍艦を作る」と言われたほど!
富岡製糸場は、まさに日本の近代化を支えていたのです。

それだけではありません。富岡製糸場の影響は、世界にも!
西洋から導入され、ここ富岡の地でさらに発展した製糸技術は、今後は富岡から海外へと伝わります。
この技術伝搬によって世界中で生糸を大量生産できるようになったことで、長いあいだ一部の特権階級のものだったシルクは、一般大衆にも広まることとなりました。
こうして世界の絹文化に革命を起こし、世界中の人々の生活や文化を豊かなものにした功績が認められ、2014年(平成26年)6月に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、世界遺産に登録されました。

(富岡製糸場の最寄り駅「上州富岡駅」に掲示されている看板)
これまで「むかし教科書で見たな〜」くらいにしか思っていなかった富岡製糸場。
ですが実際に訪れてみて、当時の工場や働いていた人たちの暮らしの様子を感じると、「とんでもなく凄い場所だったんだな…」と身をもって知ることができました。
ガイドさん、終始楽しいご案内をありがとうございました!

国宝、世界遺産として登録された富岡製糸場。
その歴史的価値が損なわれることなく守られているのは、誇りと使命感をもって、この文化財を後世に伝えようとする人々の存在があります。
彼らは、過去をどのように未来へとつないでいこうとしているのでしょうか?
その問いの答えを探るべく、富岡市役所富岡製糸場課の佐藤 鈴蘭(さとう すずか)さんにお話を伺いました!

インタビューの会場として案内していただいたのは、レトロなお部屋。
実はここ、先ほど見学した「検査人館」のなか。

そう、あのクビにされてしまったという、検査人が住むはずだったところです。
検査人がクビになったあと、応接室として実際に使われていたという素敵な空間でインタビューさせていただきました!
維持費は年間1億!それでも保存をつづける理由
富岡製糸場の凄いところの一つが、150年以上前の建造物が創業当時の姿を残したまま良好な状態で保存されているところ。
いったいどのようにその価値を保ってきたのでしょうか?
その理由を、佐藤さんはこう語ります。
「富岡製糸場を経営していた片倉工業さんが、操業を停止してからも「売らない・貸さない・壊さない」の三原則のもと、富岡製糸場をずっと守ってきてくださったからです」(佐藤さん)

第二次世界大戦後、安価な化学繊維が出回ったことなどにより、富岡製糸場は経営が悪化。そして1987年(昭和62年)、ついに115年間の歴史に幕を下ろします。
操業停止後も、片倉工業は先の3原則を掲げて維持管理に務めました。かかった維持費は、年間でなんと1億円ほど!それでも操業停止からの18年間、管理を続けたといいます。
すべては、偉大なるこの遺産を未来へ残すため。
2005年(平成17年)、片倉工業は建造物の一切を富岡市に寄贈。その意志は、市へと引き継がれます。
そして2014年(平成26年)、念願の世界遺産登録が決定。世界遺産に登録されるには、前提として、有形の不動産として状態よく保存されていることが必要です。
片倉工業や市による保存活動があったからこそ、富岡製糸場は世界遺産に登録されたんですね!
ただ守るだけじゃ足りない。大切なのは「活用」
貴重な文化財としてその価値を後世に伝えつづける富岡製糸場ですが、文化財の保存だけでなく「活用」にも力を入れているといいます。
「2012年(平成24年)から、富岡製糸場全体の保存整備を約30年計画で行っています。その際、文化財は保存するだけでなく『活用』が大切という考えのもと、どのように活用するかという視点から工夫して整備を行っています。
2020年(令和2年)には、西置繭所に多目的ホールとギャラリーがオープンしました。多目的ホールは全面ガラス張りで、コンサートやイベントなどを行っています。一般の方にも貸し出しをしていて、『国宝を借りる』として打ち出しています」(佐藤さん)
国宝を借りる!?なんてロマンティックな響き…!

取材させていただいた日は、多目的ホールで「富岡シルク手編みニット展」が開催されていました!
「富岡シルク」とは、富岡市の養蚕農家さんが育てた繭からとれた糸で作ったシルクのこと。それを使用した編み物が展示されています。

思わずキュンとするかわいらしさ!ふんわりとあったかそうで、それでいて繊細で…。見ているだけで幸せな気分になれます。
ひときわ目を引くのが、あざやかなイエローの編み物。

写真の左側にあるこの糸は、富岡市でのみ生産されている希少な黄繭種『ぐんま黄金(こがね)』から取られています。この色は天然もの!手触りもなめらかです。
今回の「富岡シルク手編みニット展」のほかにも、たくさんの魅力的なイベントが開催されています。
「今年度は、ちょうど世界遺産登録から10周年のメモリアルイヤーでした。なので、それを記念したランチパックを山崎製パンさんと開発しました。
味は、桑の実ジャムと、シルクタンパク入りのカスタードの2種類。それを1パックにして、無償で配布するイベントを行いました。関東圏では、スーパーなどでも販売しましたね」(佐藤さん)
桑の実ジャムとカスタード!これは絶対においしいやつ…!
(画像提供 富岡市)
「ほかには、『AR宝探しラリー』を開催しました。AR(拡張現実)を活用したクイズラリーで、コンプリートするとガチャガチャを回して景品がもらえるというものです。
富岡製糸場にいらっしゃるのは、解説を聞いて理解できるような年代のお客様が多いです。ですが、小さなお子様がいるファミリー層にも、楽しく学びながら場内を回っていただきたいなと思って、このイベントを企画しました」(佐藤さん)
今後もさまざまな世帯の方が楽しめるようなイベントを企画されているそう。目が離せませんね!

革新しつづける、未来をつくる
最後に、これからどんな取り組みをしていきたいかを伺いました。
「富岡製糸場は、教科書で勉強して知っていても、実際には行ったことがない方もたくさんいらっしゃると思います。
富岡製糸場がなければ今の日本はないと言っても過言ではないほどの施設なので、どんなところが凄いのか、関わる人たちがどう頑張ってきたのかを知っていただけるような取り組みをしていきたいと思っています。
富岡製糸場は、観光スポットでありながら、教育施設でもあります。なので、修学旅行など学習の機会にもたくさん足を運んでいただけたら嬉しいです」(佐藤さん)

日本や世界に影響を与える革新の場であった富岡製糸場は、「革新しつづける、未来をつくる」をコンセプトに、これからも新たなチャレンジをしていくとのこと。
世界遺産は、決して過去のものではなく、次世代にその功績や想いをつなぎ、新たな未来を作っていくものかもしれない。富岡製糸場に関わる方たちの熱意や覚悟を肌で感じて、そんなことを思いました。
佐藤さん、貴重なお話をありがとうございました!

「世界中の人に、良質な生糸を。」
そのひたむきな願いと努力が、日本、そして世界に革新をもたらしました。
創業から150年。
幾人もの想いを紡いできた富岡製糸場は、今なお新しい価値を生み出しつづけています。
ここから描かれる歴史のつづきは、いったいどんな物語になるのでしょうか?
富岡製糸場のこれからの姿が楽しみですね!

富岡製糸場
住所:〒370-2316 群馬県富岡市富岡1-1
Web:https://www.tomioka-silk.jp/_tomioka-silk-mill/
開場時間:9:00〜17:00(最終入場 16:30)
休場日:年末(12月29日〜31日)
※点検・整備等で臨時休館の場合あり。最新情報は公式Webサイト等でご確認ください。
(text:小島千明、photo:市岡祐次郎)
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