ローカルな京都でふれる、漆のある暮らし。堤淺吉漆店「うるしツアーズ」が描く、自然と人をつなぐ工芸の未来

平安時代のはじまりから、1200年以上。
京都では、伝統と新しさが混ざり合いながら、暮らしの文化が紡がれています。
ぶらりと路地を歩けば、懐かしい町並みの中に、今どきのカフェや書店、個性あふれるパン屋さんが顔をのぞかせます。
そんな京都のまちで、ちょっと気になる取り組みが始まりました。その名も「うるしツアーズ」。
手がけているのは、明治42年創業の堤淺吉漆店。
京都の中心・烏丸駅から徒歩約8分の場所に工房を構える、日本屈指の「漆屋(うるしや)」です。
「えっ、漆屋って、何をするところ?」と思われた方もいるかもしれません。
漆と聞くと、お椀やお箸など、つやつやした美しい漆器を思い浮かべる方が多いのでは…?

漆の原料は、ウルシの木から採れる天然の樹液。でも、採ったばかりでは使えません。
実は漆を塗る前に、「精製(せいせい)」という、とても大切な工程があるんです!
精製とは、余分な水分や不純物を取り除き、素材として安定させること。
そしてその仕事を担うのが、漆かき職人と漆塗り職人の間をつなぐ「漆屋」なんです。

なかでも堤淺吉漆店は、日本産漆の精製・調合・供給に関する大部分を担っているという、漆業界を支える重要な存在です!

さらに、4代目の堤卓也さんは、伝統の枠にとらわれない、さまざまな取り組みを展開されています。
たとえば、漆を塗ったサーフボードや…

漆文化を伝えるプロジェクト「うるしのいっぽ」。

2024年4月には、事務所兼倉庫をリノベーションした新拠点「Und.(アンド)」もオープンしました。ここは、漆を未来へとつないでいくための、学びと出会いの場でもあります。

そして今回。そんな堤さんが新たにスタートしたのが、“漆を日常の中で体験できる”という「うるしツアーズ」。
なんと、しゃかいかも特別にモニターツアーに参加させてもらえることに!
日常でうるしを体験できるツアー...?想像しただけでワクワクします!
今回の記事では、ツアーを実際に体験しながら、堤さんのプロジェクトにかける想いや、なぜこの取り組みを始めたのかといった背景もじっくりと伺っていきます。
それではさっそく、ツアーへ出発です!!

この日は、WEB制作チームのみなさんの撮影に同行し、実際の「うるしツアーズ」と同じルートをたどって、たっぷりと取材させていただきました。
「うるしツアーズ」では、こんなふうに京都のまちをめぐります!
1|佛光寺さんへ立ち寄り、d食堂さんでランチ
お寺と漆。ちょっと意外な関係性を、そっとひもときます。
2|堤淺吉漆店の工房で見学&ワークショップ体験
ふだんは立ち入れない精製の現場や、箸木地を使った「拭き漆」体験も!
3|京都ローカルなお店をめぐる(※オプション)
銭湯「サウナの梅湯」や、“呑めるパン屋”「mati」さんを訪ねます。
さて、どんな出会いと気づきが待っているのでしょうか…?読み終わる頃には、あなたの中にもきっと“うるしの風景”が浮かんでくるはず。
一緒にツアーに参加するような気持ちで、どうぞお付き合いください!
祈りとともに。佛光寺で漆の歴史に触れる
ということで、やってきました!

京都市下京区にある「佛光寺(ぶっこうじ)」からスタートです。由緒あるこのお寺は、なんと平安時代初期に創建されたといわれています。
堤淺吉漆店の工房からも歩いてすぐの距離で、まさにご近所さん。

あら、いいお天気。ヘルメットも輝いていますね。
澄んだ空の下で、いよいよツアーがはじまります!

「みなさん、漆のことはどれくらい知っていますか?」
そう問いかけるのは、堤淺吉漆店・広報のスワローさん。今回のツアーの案内人です。
オーストラリアにルーツを持つバイリンガルの彼女が、日本語・英語どちらも対応してくれるんですって。うーん、なんとも頼もしい…!
今回は日本人の参加が中心ということで、説明は日本語ですすめていただけることに。ちょっと安心。本日はよろしくおねがいします!
さて、話を戻して、みなさんは漆のことをどれくらい知っていますか?
すぐに思い浮かぶのは、漆塗りのお椀やお箸。あとは、伝統的な工芸品に塗られている印象がありますね。あと、ちょっと高級なイメージもあるかも……!
でも実は、漆は昔から、もっと身近なところで使われてきた素材なんです。なんと、昔は髪をとくクシなどの日用品にも漆が塗られていたのだとか。おどろきです。

「漆って、“祈りの対象となるもの”にもよく使われてきたんですよ。」
そう話しながら案内いただいたのは、境内にある阿弥陀堂(あみだそう)。
佛光寺の阿弥陀堂は、阿弥陀如来を本尊として祀るお堂です。ここには、極楽浄土へと導くとされる阿弥陀如来が本尊として祀られています。

私たちもそっと手を合わせ、仏さまの穏やかな表情にしばし見入ってしまいました。(ヘルメット姿で失礼いたします…!)
この阿弥陀堂は、佛光寺の本堂(御影堂)と並んで建てられているお堂で、静かに心を整えながら仏教の教えに思いを馳せることができる場所です。
ところで、日本の寺院建築や仏像には、古くから漆が多用されてきたことを知っていますか?
佛光寺でも、堂内の装飾や建材の一部などに漆が使われているそうです!

「漆には、防水効果や殺菌効果など、さまざまな特性があります。木を守る効果があるので、寺院建築にも漆が塗られるようになったんです。」とスワローさん。
漆を塗ることで、何十年、時には百年以上も、美しい状態を保つことができるそうです。
驚くことに、縄文時代に塗られたものが、今も土の中から美しいまま出てくることもあるのだとか。漆の生命力の強さに圧倒されます……おそるべし、ウルシ!
ただし、ひとつだけ弱点が。それは、紫外線に弱いということ。とはいえ、それでも耐久性はとても高いのだといいます。
「うちの会社ではサーフボードにも漆を塗っていますが、7年前に塗って何度も使っていても、漆が剥がれていません。サーフボードは日差しを浴びることで塗膜が透けて木目がより際立つようになります。塗膜は薄くなっていくのですが、まだ漆は充分に残っています。」と、スワローさんが教えてくれました。
すごい…。サーフボードって、あんなに日差しを浴びるのに!?
さらに、漆は塗り直せば新品のように蘇るのだそう。だから、ひびが入ったり壊れたりしても修理しながら長く使えるのです。
最近人気の「金継ぎ」も、割れた器を漆で接着し、金粉などで美しく仕上げる技法のこと。漆は、ただ塗るだけでなく、「直す」ことにも使われるんですね。
改めて、漆は私たちの暮らしの中で、長く大切に使う文化を支える素材なのだと実感します。
漆の器で味わう、自然と人のつながり
やってる〜?

あ、ごめんなさい。お腹がすいて浮かれてます。
続いて向かったのは、佛光寺の境内にある「+d食堂」です。
こちらは、地域のロングライフデザインを発掘し、その地域らしさを伝えるD&departmentさんが運営する飲食店。

本日のメニューは、おでんが主役の「白だしつゆ定食」。お出汁がほわっと匂って、お腹の虫が大暴走。おでん好きにはたまりません。
炊き込みご飯や小鉢など、全部おいしそうですが、みなさん汁物に注目です!

気付きましたか?今回のツアーでは特別に、こちらの漆器を使って食事を楽しむことができるんです!
このお椀、実は「アサギ椀」と呼ばれる器。江戸時代に庶民の間で親しまれていたものを、現代によみがえらせようと立ち上がったプロジェクトから生まれたものなんです。
堤さんをはじめ、漆職人さんや木工職人さんたちが力を合わせて、丁寧に作り上げた一品です。
普段から漆器を使用している+d食堂ですが、このアサギ椀を実際に使って食事ができるのは、ツアー参加者だけの特別体験。なんだかうれしいですね!

さっそく手に取ってみると、漆を塗った表面はつるつるでさらさら。まるで赤ちゃんの肌のような、なめらかな手触りです。
「漆って、普通の塗料とちがって水分を飛ばして乾くんじゃなくて、水分を保ったまま湿気で固まるんですよ。」と、スワローさんが教えてくれました。
人間の70%は水分。だから本能的に漆器に触りたくなるんじゃないかと言われているそうです。たしかに、ずっと触っていたくなる心地よさ…。こう、やさしく大切に扱いたくなる柔らかさがあります。
ところで、先ほど佛光寺で「祈りの対象になるものに塗られてることも多い」という話を聞きましたが、器を持つ手も、祈る手にちょっと似ていませんか?
現代の人々は自然とのつながりが希薄になりがちですが、昔の人々は日々の暮らしの中で自然に感謝しながら生きていました。
「自然と人をつなぐものこそが漆なんじゃないかと、私たちは思っているんです。」
そう語るスワローさんの表情からは、漆に対する愛情と信頼が伝わってきます。

おいしいごはんを味わいながら、漆についての話に耳を傾ける…なんて特別なひととき!
お互いに自己紹介をしながら会話も弾み、自然と笑顔があふれます。
さてさてみなさん。ここまでくると、漆のこともっと知りたくなってきませんか?
「漆を塗った器って、実際どんなところがいいの?」
そんな疑問にお応えして、教えていただいた“漆器の魅力”を、ここぞとばかりにご紹介します!
その1|熱が手に伝わりにくい
陶器のお椀って、熱々の汁物を入れると持つのがちょっと大変だったりしますよね。でも漆器のお椀は、木地(きじ)でできているから、熱を和らげてくれるんです。
手に持っても「あち!」とならないので、両手でそっと包み込むように持つことができて、ほっこりした気持ちに。ぬくもりを感じながら、ゆっくり食事を楽しめるのも漆器ならではです。
その2|軽くて丈夫!
漆器の木地は、とても薄く、軽やかにつくられています。そこに何度も漆を塗り重ねていくことで、見た目からは想像できないほどの強度が生まれるのだとか。軽くて丈夫。まさに、日々の暮らしにぴったりの器ですね。
その3|地域によって“味わい”がちがう
じつは漆器には、地域ごとに仕上げの特徴があるんです。たとえば京都では、刷毛目をうっすら残したような塗り方もあります。刷毛の跡が見えることで、手仕事の温もりが感じられます。
一方、他の地域では、表面をよりなめらかに仕上げるスタイルが主流。つるんとした光沢のある器もまた美しいんです。それぞれの土地の気質や美意識が表れていて、比べてみるととっても面白い!
見た目の美しさだけじゃない、心地よい手ざわり、実用性、そして長く使える強さ。
漆器って、知れば知るほど「いいなぁ」と思えてきませんか?
……ということで、「ほしくなってきた!」という方へ。
今回私たちが使ったアサギ椀は、堤淺吉漆店の拠点「Und.(アンド)」での取り扱いはもちろん、+d食堂に隣接する「D&DEPARTMENT KYOTO」でも購入することができます!

堤淺吉漆店とは以前からお付き合いがあり、ショップではオリジナルの漆器やキットも取り扱っているのだとか。

あ!

アサギ椀を発見!黒色バージョンもあるんだ。どっちもすてきで選べない…。
木地師と漆職人の技術を未来に残すために生まれた、想いのこもった器。
ストーリーを知ってから手に取ると、不思議とぐっと身近に感じられます。

そしてもうひとつ。こちらは、漆と木でつくられたストロー「/suw(スウ)」。
京都市京北町で伐採された木材の端材を使い、漆を塗って耐久性を高めた、環境にやさしい天然素材のストローです。使い捨てではなく、繰り返し使えることにこだわってつくられているのだそう。
どの商品にも、漆の技術、日本のものづくりの文化、そして未来の環境への想いが込められているのを感じます。
「伝統工芸」だけではなく、今の暮らしに寄り添うかたちで、静かに息づく漆の魅力。体験を通して、それが少しずつ伝わってくるような気がしました。
ひとの肌と似ている?漆の樹液が採れるまで

佛光寺から、歩いてすぐ。堤淺吉漆店の拠点「Und.」へ戻ってきました!
まず最初に見せていただいたのは、ウルシの木です。

漆に使われる樹液は、このウルシの木からしか採ることができません。
しかし、自然に育つだけでは十分な樹液は採れず、適切な管理が必要なのだそうです。
「ウルシの木って面白いんです。10〜15年育った状態でやっと樹液がとれるようになるんですけど、自分の力だけでは育つことができないんです。人の手が加わってやっとこの大きさに成長します。」とスワローさん。
鹿など野生の動物に食べられないよう、ワイヤーでフェンスを作ってあげたり、他の木に栄養をとられないように大切に育ててあげるのだそうです。
こうした人の手によるケアがあってこそ、ウルシの木は樹液を生み出せるのですね。

樹液を採取するのは、漆かき職人さんの仕事。
といっても、木の幹からドバッとたくさん出てくるわけではありません。
ウルシの木の表面に少しずつ傷をつけて、時間をかけながらていねいに採取するという、とても繊細な作業なのです。
専用の道具を使って、まずは木の表面の樹皮を削り、漆の流れやすい道筋をつくるところからスタートします。
漆を採る流れは、ざっくりこんな感じ:
1|木の表面に、最初の小さな傷をつける(木がびっくりしないように控えめに)。
2|4日後にその傷の上に少し長い傷をつける。
3|にじみ出てきた樹液を、スプーンのような専用の道具ですくって、容器に集める。
スワローさんいわく、ウルシの木は「人間の肌とちょっと似ている」のだとか。
傷をつけると、そこから血液のように樹液がにじみ出て、それが乾いてかさぶたのような膜をつくります。

まるで、木が自分を守ろうとしているかのよう。
先ほど、お椀に対して「赤ちゃんみたい」という表現をしましたが、なんだかどんどん生きている実感がしてきました。母性が芽生えそうです…。
と、ここでスワローさんからクイズ。
「この1つの傷から、どれくらいの樹液がとれると思いますか?」

うーん、どれくらいでしょうか…。血液と近いならドバドバとはでない気がしますが。
答えはなんと、たったの1〜3g。
しかも、1本の木から採れる漆の量は、約200gほど。これは、リンゴ1個分に相当する重さです。そう考えると、本当にわずか…!
ウルシの木を何年もかけて育て、丁寧にケアし、傷をつけすぎず、でも必要な量だけ少しずついただく。それでも採れるのは、ほんの少し。
その背景を知り、漆が「貴重な素材」といわれる理由が、じわじわと実感として伝わってきました。
ふだんは非公開!漆の精製をじっくり見学
ここからはいよいよ、普段は一般公開されていない精製の現場を見学していきます!
工房の中は、まさに漆の倉庫!全国各地から届けられた漆がずらりと並びます。

これらは全て、漆が入っていた木の桶。積まれた数に、思わず圧倒されます!
堤さんによると、日本国内で採取される漆の大部分が、この場所で精製されているそうです。
桶には、運搬中に傷がついたり盗まれたりしないよう、縄や藁でしっかりと包装が施されています。最近は少しずつビニール材に切り替わる場合も増えているそうですが、昔ながらの包装方法からも、漆の大切さが伝わってきます。

「同じ漆でも、産地や時期によって匂いも味も全然違いますよ。」と堤さん。
………味?
「食べたことあるんですか?!」という参加者からの質問に、「うん」とあっさり一言。
漆の樹液や精製された漆塗料は、直接触れると肌がかぶれると知られているのに、本当に食べられるの…?
実は、ウルシの若芽は山菜の一種として、食べることもできるんだそうです。
「食べると舌がピリピリするんですよ。」と堤さん。どんな味か全く想像がつかない!
でもかぶれる人もいるので、みなさんは食べないようにご注意ください!

見せていただいた漆は、まるでカフェラテのような柔らかい色。
この状態を「荒味漆(あらみうるし)」と呼び、木くずや不純物が混ざった、精製前の漆のことを指します。
漆は、採取した場所や時期、漆かき職人さん、育った環境などによって、色や香り、性質がまったく異なるそうです。だからこそ、堤淺吉漆店では、届いた漆を一つひとつ分析しながら、それぞれに合った方法で丁寧に精製していきます。
まずは、不純物を取り除く作業から。

スワローさんが案内してくれたのは、荒味漆を入れる攪拌(かくはん)用の機械。

「この綿も一緒に入れます。」と、ふわふわの綿を見せてくれました。
綿…?不純物を取り除くのに、さらに綿なんて入れて大丈夫!?
なんでも、漆と一緒に回すことで、綿に不純物が付着する仕組みなのだそうです。なるほど。
攪拌のあとは、遠心分離機へ。

この大きな緑色の機械に漆を流し込み、すごい勢いで回転させることで、綿と一緒に不純物を取り除き、きれいな漆だけを抽出します。
この状態になって、ようやく「生漆(きうるし)」と呼ばれる段階に。ここからさらに用途に応じて、漆を調合していきます。
漆の性質は、水分中の粒子の大きさでも変わります。粒子が細かいとツヤが出て、粒子が大きいままだとマットな仕上がりに。
回転スピードや工程の微調整で、乾きの遅い漆、艶のある漆、艶のない漆など、お客さまの要望に応じた漆を作り出していくのだそうです。まさに、オーダーメイドの調合!

ところでみなさん。「漆黒(しっこく)」という言葉を知っていますか?某名探偵アニメや某ゲームシリーズなど、シュッとした作品タイトルで聞きがちですが…。
あらためて辞書でひいてみると、
>しっ‐こく【漆黒】 の解説
>黒うるしを塗ったように黒くてつやがあること。また、その色。「—の髪」
(goo辞書より引用)
なんと、漆の黒が由来なんです!

透明感のある黒色の漆を「漆黒(ジェットブラック)」と呼びます。これは、漆特有の美しさを持つ黒色なんだそうです。
透明な黒が重なり合ってできている色なので、深みがある、特別な黒になります。

「全く同じ漆を作ることは二度とできません。」という堤さん。
機械の回転スピードによっても、最終的に出来上がる漆の状態が変わってくるのだそう。
漆はそれぞれ、艶、乾き、透明度などが異なりますが、職人さんは、それらの漆の特性を熟知しているので、6種類から8種類ほどの漆を調合して、お客様の要望に近い漆を作り出しているのだそうです。

まさに、熟練の職人技…!!
こうしてようやく、塗ることができる状態の漆が完成します。
何年もかけて育てられ、丁寧に採取され、精製されてきた漆。
今度は私たち自身が、実際にその漆にふれる番です。
次はいよいよ、拭き漆のワークショップへ!どんな仕上がりになるのでしょうか?楽しみ!
はじめての漆塗り!拭き漆ワークショップ

いよいよここからは、漆にふれるワークショップの時間。箸木地に自分の手で漆を塗るという、貴重な体験をさせていただきます!
今回私たちが体験するのは、「拭き漆(ふきうるし)」と呼ばれる技法。
拭き漆は、一般的な漆塗りとは少し違って、塗ったあとに余分な漆を布で拭き取るのが特徴です。
この工程を何度も繰り返すことで、木目を美しく浮かび上がらせながら、独特のツヤと深みのある色合いが生まれるのだそう。

スワローさんの指導のもと、箸に丁寧に漆を塗っていきます。てるてる坊主のような形のティッシュで、ぽんぽんぽんぽん。

……これが、思ってたより、むずかしい!
「ここまでみてきた、貴重な漆を無駄にしてはならない…。」と、自然と真剣な表情になります。
黙々と進める私たちに、「あえてムラが残ってる感じにしてもいいし、ちょっと薄くしたかったら軽めに塗ってもいいですよ。」と、スワローさんから優しいアドバイスが。
塗る人の個性が出てくるのも、漆の面白いところですね。「これは…あえて、なんで!」と、不器用な仕上がりをごまかす言い訳もできます…。
ただし、ひとつだけ大事なポイントが。
「ただ、1日1回しか塗れないんですよ。拭き取ったらそれで完成です。」
え!二度づけ禁止の串カツみたいな感じですか!?塗ってから拭き取るまでの一度きりの勝負。緊張感が走ります!

慎重に紙で表面を拭き取って、塗りの作業は終了。完成です!

できたできた!うれしい〜。
とはいえ、ここで終わりではありません!

「塗り終わったお箸は、持ち帰って固化してから保管してくださいね。」とスワローさん。
漆は空気中の湿度を利用して乾燥するため、乾燥専用の箱=ムロを使って保管するそうです。
ムロは段ボールで簡単に作ることができますが、湿度を保つために、湿らせたティッシュを入れたり、ビニール袋で密閉したりと、ちょっとした工夫が必要です。
自宅に持ち帰ったら、まずは1週間ほどムロに入れて湿度70%前後をキープ。その後、ムロから出して1ヶ月ほど自然乾燥させれば、完成です!
時間をかけて、じっくりと育てていくような感覚。箸に込めた思い出も、いっしょに定着していくようです。

ちなみに、作業スペースには、これまでに漆を塗ってきたさまざまな製品がずらりと展示されていました。
「水と空気以外は塗れる」という職人さんもいるくらい、漆はほとんどのものに塗れるのだそうです。漆の無限の可能性を感じます…!
実は今回のツアーも、そんな漆と何かを掛け合わせていくプロジェクトの一環。

「様々なものと掛け合わせて、漆をいろんな分野に繋げていきたいんです。」
そう話してくれた堤さんの言葉通り、このツアーには、“漆のこれから”を感じられるシーンがいくつも詰まっています。
実は「うるしツアーズ」には、基本の「ベーシックツアー」と、より深く楽しめる「フルコース」の2つのプランがあり、私たちは今回、フルコースで参加させていただきました。
ここから先は、フルコースだけで体験できる、オプションスポットへ。
舞台となるのは、京都のまちに根ざした、とっておきのローカルなお店たち。
漆とコラボすると、どんな風景が生まれるのでしょうか?
銭湯と漆がコラボ!?梅湯で出会った新たな風景
さて、そんな“漆のある暮らし”を体感できる次のスポットへ!

「昔の家にはお風呂がなかったところが多かったんです。だからこそ銭湯が生まれたんだと思うんです。いわば“みんなのためのお風呂”ですね。」
そんなお話を聞きながら訪れたのは、京都の街中にある人気銭湯「サウナの梅湯」です。
銭湯好きのあいだでは言わずと知れた名スポットで、いまでは若い世代を中心に新たな銭湯カルチャーを発信する場所として注目されています。

「でも、銭湯と漆って関係あるの?」と思う方もいるかもしれません。
実は、両者には“時代の変化によって需要が減っている”という共通点があります。
「明治時代以降、家庭にお風呂が普及して、銭湯の数は減っていきました。漆も同じで、ライフスタイルの変化とともに、昔ほど使われなくなってきてるんですよね。」とスワローさん。
銭湯と漆、全然違うカルチャーではありますが、どちらも本来は生活に根ざした、身近で大切な存在です。

「梅湯」は、もともとは地元の人たちに親しまれてきた昔ながらの銭湯でした。けれど数年前、廃業の危機に直面。そんな時、立ち上がったのが現オーナーの湊さんです。
生粋の“銭湯ラバー”として知られる湊さんは、「もっと若い人にも銭湯の魅力を知ってほしい」と、オリジナルグッズの販売や音楽イベント、アート展示など、銭湯の枠を超えたさまざまな取り組みをスタート。

今では、銭湯が“ただお風呂に入る場所”から、“文化を楽しむ場所”へと進化しています。
そんな梅湯の「伝統を残そう」という意識や姿勢や想いに共感した堤さんが声をかけ、今回の梅湯とのコラボが実現したのだそうです!
どんなコラボかというと……

こちらの「漆塗りの木桶」!
銭湯といえば「ケロリン桶」が定番ですが、そこにもうひとつの選択肢として、木桶を漆で仕上げたものを取り入れたのだそう。
漆には防水性や抗菌性があり、水やお湯に強く腐りにくいという特徴があります。まさに銭湯という場所にぴったりの素材。

桶の裏には、堤淺吉漆店のロゴマークも。かっこいい!
さらに現在は、ウルシの木で草木染めをした手拭いの開発も進行中とのこと。
漆って、塗るだけじゃなくて染めることもできるんですね…!!
スワローさん曰く、カーキとやさしい黄色に染めることができるのだそうです。
そんなお話を聞くと、完成がますます楽しみになります!

……さて、ここはどこでしょう。

大量の薪…!?
正解は、お湯を沸かすボイラー室。
実はうるしツアーズでは、ふだんは立ち入れないバックヤードも特別に見学ができるんです!
今ではガスや電気が主流ですが、あえて「昔ながらの薪で沸かしている」というのも梅湯の特徴のひとつ。しかも、水は京都の天然地下水!
そのお湯は、じんわりと体の芯から温まるような、やわらかい肌触り。まさに“包まれるような心地よさ”があります。

スタッフさんに、「どうして薪にこだわっているのか?」「薪はどこから仕入れているのか?」など、普段はなかなか聞けない話も直接聞かせてもらえる貴重な機会。
銭湯の奥深さを、ぐっと身近に感じられます。

いえーい!うるしツアーズ、楽しい〜!
終盤に差しかかり、ついついテンションが上がってしまいます。
そんな私たちと一緒に、「しゃかいか!」おなじみのポーズを決めてくれたのがこちらの方。

工芸と社会をつなぐ数々のプロジェクトに携わる、山崎伸吾さんです。
堤淺吉漆店とは6年以上の付き合いがあり、今回の「うるしツアーズ」ではプロデュースを担当。企画の立ち上げから深く関わってきたそうです。
「これは、“漆の景色”を取り戻すプロジェクトなんです。」と山崎さん。
いまでは“高級品”や“伝統工芸”として見られがちな漆ですが、数十年前までは、そば屋さんの器や日用品など、日常の中に当たり前のように存在していました。
「“漆を使ってます”って大きな声でアピールするんじゃなくて、さりげなく暮らしの中に溶け込んでいくような存在であってほしいんです。」
そう語る山崎さんの目には、懐かしくて新しい、漆のある風景がはっきりと映っているようでした。
今回の「うるしツアーズ」は、その第一歩。今後も京都市を拠点に、漆のある場所や人をつなげていく構想が進んでいるそうです。
「いつか漆がある場所をつなげる“漆マップ”みたいなものができたら面白いですよね。」と山崎さん。
未来の楽しみ方まで想像が膨らむお話に、ますます期待が高まっちゃいます!
鴨川ピクニックで体験する、漆のある暮らし

ついに、ツアーも最後のスポットへ。
締めくくりに訪れたのは、パンとワインとアテの店「mati」。
最近、京都でじわじわと人気を集めている“呑めるパン屋”の代表的なお店です。

香ばしいパンの香りがふわ〜っと漂ってきて、思わずお腹が鳴りそう…!
カウンターキッチンの中で、シェフのハミさんが丁寧に焼き上げるパンはどれも絶品。そこに、厳選されたワインやクラフトビールを合わせて楽しめるのが、このお店の大きな魅力です。
そして実は、ここは山崎さんの行きつけのお店。matiのオーナーさんとは長年の付き合いがあり、普段からよく通っているそうです。
今回のツアーでは、「京都で暮らす人が本当におすすめするお店とコラボする」というのも大切なテーマのひとつ。
観光だけでは出会えない、リアルな日常の風景に触れられるのが、このツアーの魅力でもあります。

今回は、パンとワインと一緒に、チーズや生ハムなどのおつまみが入ったピクニックセットを用意してもらいました。

そしてその横には、漆塗りの紙皿と紙コップが……!
このコップは、WASARAさんというブランドのもの。環境にやさしい紙素材でできた器に、堤淺吉漆店が漆を塗っています。
紙皿や紙コップと聞くと「使い捨て」のイメージですが、これは繰り返し使える特別な器。ツアー後に持ち帰ってもOKですし、お店に返却しても大丈夫です。(返却された方には、デポジットが戻る仕組みも検討中とのこと)

見た目はまるで焼き物のようですが、持ってみると驚くほど軽い!
実は生分解性の素材でできており、もし捨てられても自然に還るのだといいます。なんと3Dプリンターで成形されているそうです!
樹脂としてはそこまで強くない素材ですが、漆を塗ることでしっかりとした強度が出るのだそう。アツアツの飲み物はNGですが、90度くらいまでのお湯や抹茶なら問題なく使えるそうです。
ちなみに、このカップの形は、昔の焼き物のワイングラスがモチーフ。ワインが生まれた頃、人々は焼き物の器で楽しんでいた…そんな昔の記憶を、漆を通じて今に重ねるような、すてきな体験ができるのです…!

そして、いよいよ鴨川でピクニックタイム!
パンやチーズ、生ハムを詰めたピクニックボックスに、漆塗りの紙皿とコップ。
やわらかな川風に吹かれながらワインを片手に過ごす時間は、まるで映画のワンシーンのよう。まばゆい光に目を細めてしまいます…。(このふたり、絵になりすぎる…)

取材中…ではありますが、せっかくなのでワインを少々。
手に取った漆塗りのカップは、紙とは思えないしっとりとした質感で、口当たりもやさしく、どこかほっとするような使い心地。渋みのある色合いもまた、雰囲気にぴったりです。
気づけば、当たり前のように手になじんでいて、そんなさりげない漆の存在がなんだかすごくいい。matiさんの美味しいパンやおつまみと一緒に、鴨川の風を感じながらいただくワインは格別でした。
堤さんに聞く、漆と地球と未来のこと
最後に、堤淺吉漆店・堤卓也さんに、このプロジェクトを始めた経緯と想いについて聞きます。
「この話、長くなっちゃうけど……大丈夫かな?」
そう前置きしながら、堤さんは丁寧に語りはじめてくれました。
漆と地球を、次世代へ。全ての活動の軸にあるもの

「うちがやっているすべての活動には、“漆の文化”と“美しい地球”を次の世代へつなげたい、という想いが軸にあって。なんでそう思うようになったかというと、漆そのものがどんどん減ってきているという現実があるからなんです。」
堤さんたちは“漆屋”として、漆のあらゆる現場と日々向き合っています。
ウルシの木を植える現場から、塗装の現場、流通まで──すべての工程に関わっているからこそ、漆に関するいろんな数字やリアルな現状を日々目の当たりにしているのだといいます。
「もし漆が動かなくなってしまったら、自分たちの生活も成り立たなくなる。漆の現状を知ったからこそ、この想いが強くなっていったんです。」
それを実感したのは、自分自身がどんどん漆にのめり込んで、精製ばかりしていた時期だったそうです。
自分の中の漆に対する熱量が高まれば高まるほど、現実としては漆の量がどんどん減っているという事実に直面しました。
さらに、趣味のサーフィンを通して自然と向き合い、地球が傷ついていく感覚をリアルに感じるように…。
そして、「これって地球環境の問題ともつながってるんじゃないか?」と思うようになったのだそうです。
そんななかで、「何かアクションを起こさないと」と思い、最初に立ち上げたのが「うるしのいっぽ」です。

これは、漆を未来につなげるために「まずは一歩を踏み出そう」という想いを込めた活動で、漆の植樹や木地づくり、道具づくりなど、漆の背景にあるすべての“営み”を伝えていくことを目的としています。
そのあとにスタートしたのが「BEYOND TRADITION(ビヨンド・トラディション)」です。

こちらは、「伝統を超えていく」という名前の通り、漆を“伝統工芸”という枠にとどめず、現代のカルチャーやデザイン、サステナブルな取り組みと結びつけながら、新しい価値を生み出していくプロジェクト。
たとえば、漆を塗ったサーフボードや、映画制作、自転車カルチャーとのコラボレーションなどを通じて、「こんな場所にも漆があるんだ!」という発見や驚きを生み出してきました。
そこからさらに、「漆はもっと無限にいろんなものと掛け合わせられるんじゃないか?」という想いが生まれ、今の『うるし×無限大』という考え方につながっていったのだそうです。
では、今回のツアーはどのような経緯で生まれたのでしょうか?
ここからは「うるしツアーズ」にフォーカスして、堤さんの想いを聞いていきます。
漆を通して未来とつながる。うるしツアーズ誕生秘話

実はこのツアーの前から、堤さんは工房での見学ツアーをすでに行っていたのだそう。
新たに、漆と世界をつなぐ拠点「Und.」をオープンしたことで、今度はもっと文化的なコミュニティをつくっているようなスポットともつながり、漆をより身近なところから広めていきたいと考えるようになったといいます。
そんなタイミングでスタートしたのが、今回の「うるしツアーズ」。
コラボ先として選んだのは、自分たちが本当に「好き」と思える場所ばかりです。
「山崎さんがよく飲みに行ってる店とか、僕自身が昔からいいなと思ってた場所が中心です。“食器に塗る”とかはもうありきたりだから、だったら今まで塗ってないものにどんどん漆を塗って、“これ、漆なの?”みたいなことがやりたいと思って。」
「漆=特別なもの」として触れられがちですが、堤さんはむしろ「なんでも使うものにこそ漆を塗りたい」と語ります。
実際、銭湯の桶やワインカップなど、今回のツアーで登場した漆製品は、どれも空間に自然と溶け込みながら、確かな存在感を放っていました。

「やっぱり僕らにとって漆は、“木を守るため”に塗るもの。そして、“祈りの対象”に塗られるものなんです。自然に対して敬意を抱き、そこからいただくものに感謝や祈りを込める。石や木を掘って仏様の姿にしたとき、その仏様が朽ちないように漆が塗られた——僕たちはそういうふうに考えています。」と堤さん。
今回のツアーを通じて、漆が“高級で扱いが難しいもの”ではなく、「触っていい」「使っていい」「日常の中で楽しんでいい」と感じられるような、心地よい距離感を生み出していたのが印象的でした。
学生時代は農学部で学んでいたという堤さん。
農業・林業・水産業が、一番かっこいい仕事にならないと、日本は終わる——でも、その繋ぎ手に、工芸や漆がなれるのではといいます。
堤さんはそんな想いを胸に、できることから一つずつ、行動に起こしています。
たとえば、京都・京北で使われなくなった廃校や農作業小屋を活用し、木地やサーフボードをつくる場所をつくったり、実際にウルシの木を植えたり。
そこで生まれたプロダクトが「地域の財産」になり、ちゃんと地域にお金が還っていく。そんな仕組みを本気で目指しているのだと教えてくれました。
今回のツアーも、そんな活動の背景にあるストーリーを、体験を通して伝えていくためのひとつの手段。
「若い人たちが、“かっこいい” “楽しい”って思えるカルチャーと、漆に距離がないというのを感じてほしくて。そこに彼らなりの”漆をこんな使い方したらいいんじゃない?”ってアイディアが生まれたら、もっとおもろくなるんじゃないかなと思っているんです。」
材料屋として業界を支えながら、業界の未来を真剣に考えている堤さん。
その姿勢からは、揺るぎない芯の強さと、人と自然へのあたたかなまなざしが感じられました。
「漆の業界が良くなることは、地球が良くなることに繋がると思うんです。そういう産業であってほしい。」
堤さんが語る「漆」は、単なる伝統工芸ではなく、人と自然をやわらかくつなぎ、次の世代へと“想い”を手渡していくもの。

漆のある景色が、ふたたび私たちの日常に広がっていく未来は——もうすぐそこまで来ているのかもしれません。
うるしから学ぶ、古くて新しい京都の旅。
あなたも体験してみませんか?
うるしツアーズ
https://www.tsutsumi-urushi.com/experiences/urushitours/
株式会社 堤淺吉漆店
〒600-8098 京都市下京区 間之町通松原上る稲荷町540番地
https://www.tsutsumi-urushi.com/
text:前田恵莉、photo:市岡祐次郎
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