幕末から続く肥前ビードロを受け継ぐ職人たち 副島硝子工業
肥前ビードロ!今日は副島硝子工業さんの工房に来ています。
日本で唯一続く技法で作られるガラスの器
燗瓶(かんびん)!なめらかなガラス独特の光沢と味わい。これで一杯やってみたいものです。
この手作りのガラス食器は「肥前びーどろ」と呼ばれていて佐賀市の重要無形文化財に指定されています。こちらのガラス食器の製法は、江戸末期に生まれた技術を受け継ぎ、佐賀市で110年以上続いている作り方。
型をいっさい使わない「宙吹き(ちゅうぶき)」の中でも特殊な技法「ジャッパン吹き」、今ではこちらの副島硝子工業さんでしかお目にかかることができません。
これが「ジャッパン吹き」だ!
日本で唯一見られる「ジャッパン吹き」。二本のガラス竿を扱いながら形をつくっていきます。ガラス表面のなめらかな艶がでる秘密は、できるだけ空気以外のものに触れないように作るから。型を使用せずに日本のガラスの竿を操りながら、職人さんの頭の中にあるイメージの形を空中で作っていきます。2本の竿をつかうので別名「二刀流」とも呼ばれています。
鉄の吹き竿の代わりにガラスの友竿(ともざお)を使うので、空気以外のものに触れることがないく、よりなめらかな肌合いに仕上がります。
口のところのビュ〜(イメージの音です)って伸びてるところ。2本の竿をビュ〜って伸ばした形跡がわかりますね。中でやるから表面のツヤツヤの美しさがたまりません。
肥前ビードロのはじまりは幕末。
佐賀(鍋島)藩10代藩主鍋島直正公が、嘉永五年(1852)に精煉方を設置したことが始まりといわれています。当時は尊皇攘夷か開国かの時代。自藩の国を富ませる目的のため、外国から新しい技術を取り入れるのに熱心な先進的なお殿様だったみたいです。
「精煉方」は、もともと薬瓶・銘酒瓶などの生活必需品(金魚鉢なども!)や、学術研究所のために必要な道具を作った場所で、当時では珍しいガラス窯が築かれ、おもに科学実験のためのビーカーやフラスコが作られました。
その後、開国・明治維新に入りランプや食器を作るようになっていた精煉方は、精煉所という民間会社となりました。
そこから明治36年に独立した副島源一郎さんが副島硝子工業を創業。これがルーツ。
お殿様の時代からずっと続いているなんて少しびっくりです。伝統感じた!
新しい商品にもチャレンジしています!
現在では肥前びーどろを製造する唯一の工房となりましたが、伝統の技法を守るだけではありません。新しい製品にもガンガン挑戦し続けています。
虹色のコップ「虹色しずく」、カラフルで可愛らしいのが女性に人気です。
銀彩千代口(ぎんさいちよぐち)
銀まぶしのおちょこ「銀彩千代口」、銀箔を施したグラスはお祝いに使われることが多いのだそうです。
最近の人気なのは、結婚式の引き出物を作るお手伝いをするサービス。
世界でひとつだけのオリジナルグラスを新郎新婦自身が作って配るという趣向です。
写真撮影もついてるので、披露宴の演出にも使えますよ。
アツアツのカップルが、さらに熱々になること間違い無し!
工房の横にはお店兼事務所があっていろんな作品を見ることができます。
今日見せてもらうのは定番商品の「縄文ロック」!
ロングセラーとなっている「縄文シリーズ」のグラス。
すっきりした透明生地に青と赤の縄模様をつけた素朴だけど味のある風合いが特徴です。
中では若い職人さんがお二人働いています。
藤井崇(ふじいたかし)さん(35歳)。職人歴は17年。高校生の時にテレビ番組で「ガラスがぐにゃっとしているところを見て」一目惚れ。翌日、学校の先生に「どこに行けば職人になれるの?」と聞いて、卒業後、副島硝子工業さんに就職。熱いオトコ。
いったん石川県の能登島に武者修行で実績をつんだのち、戻ってきました。
副島正稚(そえじま まさのり)さん(32歳)。
広島に2年くらいサラリーマンとして勤めた後、実家である副島硝子工業さんへ就職。
種どり
この釜の中には「ツボ」が入っていて、炎がずっとまわっています(「オープンポッド」といいます)。中の温度は1,100℃〜1,300℃!
原料を仕込むのは前日からです。朝から火を起こすと全然間に合わないので、前日から種の状態にしておかなければなりません。もっと中まで見たかったのですが、目が溶けそうなくらい熱かったのでこの距離でご勘弁ください。
リン掛け
熱々のガラスは釜から出した直後はドロドロ。しかし取り出してすぐ表面から冷え始めるので、加工しやすいように、油を混ぜた液体で形を丸くしておきます。
ブロー台を使って中に空気を吹き込んで、カップ状に成型します。先ほどの釜と比べて少し温度は低く約600〜700℃くらい。
縄の目の柄をつけます。
この時、縄用の溶けたガラスを竿で支えています。二人の共同作業。
口部分を切り落とすために、また別のガラスの種をそこにくっつけて、小鳥竿で支えます。
この工程をポンテ焼きといいます。
釜で冷まします。
ガラスは水や空調で急激に冷やすことができないので、1日かけてゆっくりと冷まさないといけません。
つまり前日に作った製品が取り出されるのはだいたい翌日以降。
ここで二人は交代。
終業前の20分ほどを教育の時間にあてて、実際に作業をします。師匠に横に立ってもらって、マンツーマンで指導。
作業が終わると、前日から冷ましておいたものを取り出します。
これは、正稚さんが作ったもの、師匠の崇さんのチェックが入ります。
銀まぶしの具合や形の均一度合いなどを見ます。
翌日のガラスの種を仕込む
しかし、色のついた硝子はもう一度溶かしても使うことができないので廃棄になります。
まるで武道の型をみるよう
びっくりしたのは二人の動き。息ぴったりというにはありきたりな表現なのですが、あまりにも無駄のない所作。一つのグラスが出来上がるたびに釜→リン掛け→ブロー台→成形...釜と二人は決まったスピードで工房の中を回りながら作業を進めていきます。
作業する位置に移動するというよりも、二人の動きの先にマシンや道具や配置されている感じ。
例えば縄付けの工程の際には、藤井さんが竿でグラスを回そうとしているところに、すでに副島さんが小鳥竿を構え添える、少しの無駄がありません。まるで武道の美しい型を見ているようです。
そして当然二人はしゃべりません。つまり喋る必要がないくらい、呼吸があってるってこと。
「お二人は仲が悪いのですか?」と聞いてしまったくらい。(休憩中はタバコをすって普通に楽しそうに会話していましたよ)
ずっと眺めているうちに、もしかしたら二人は肥前ビードロの100年続いてきた技とともに武士の魂も一緒に受け継いでしまったお侍なのではないか、きっとそうだ!「武士道とは死ぬことと見つけたり」と、妄想したりしました。
夏はビールが日本一うまい職業なんですよ!
「暑い時期はしんどくないですか?」と聞くと藤井さんが笑顔で返してくれた言葉。
若い二人が継承する100年続く肥前ビードロの技は、きっとまた100年後も残っていると思います。
これから暑くて大変な季節ですが頑張って、次お伺いした時には僕も一緒にグイッとお願いします!
(text、photo:西村)
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