創業370年19代の八丁味噌の蔵元には、味噌への愛情と歴史と豆知識がいっぱい カクキュー
今日の見学は八丁味噌のカクキューさん。
創業は江戸時代、370年以上の歴史を持つ八丁味噌の蔵元。当代でなんと19代目!
今川義元に仕えていた早川家の先祖の新六郎勝久さんは桶狭間の戦いで今川義元さんの死後、武士をやめ、号を久右衛門と改めたということです。
岡崎のお城から八丁だから八丁味噌!
カクキューの本社は愛知県岡崎市八帖町、昔は八丁村というところで、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八丁村で作られていることから八丁味噌と呼ばれているんですよ。味噌だけに豆知識。
家康公生誕の地、岡崎はお祭りの最中
最寄りの駅は名鉄岡崎公園駅。今年2015年は徳川家康さんが亡くなって400年目、生誕の地こちら岡崎でも「家康公四百年祭」が行われています。
本社の建物は昭和2年(1927年)に建てられたもので、白い柱を強調した教会風のモダンなデザイン。オフィスは今も現役です。
大豆や発酵や醸造関係はもちろん、徳川家、岡崎市の歴史の書籍もあります。
お話を伺うのは、総務部企画課の早川昌吾さんです。よろしくお願いします!
八丁味噌がここで生まれた理由
味噌は全国で作られていますが、高温多湿なところで熟成させるには豆味噌が適していると言われています。旧八丁村でお味噌が作られたのは、この気候的な条件に加えて、味噌に必要な原材料の産地が近くにあり、矢作川による流通や、人通りの多い旧東海道沿いという恵まれた立地が理由にあげられます。
黒塗りの板張り壁としっくいの白い土壁の色彩の対比が美しい蔵が並んでいます。
毎日たくさんの見学者の方が訪れる場所。近くの小学生の写生大会にも使われています。
入り口すぐの昔の看板。昭和の初めころまで旧国鉄の岡崎駅で使われていたもので、「矢作橋の上で野武士時代の蜂須賀小六と日吉丸(豊臣秀吉)」が描かれています。絵本太閤記の中の出会いのシーンの絵がモチーフ。
昔のお店。看板や道具は実際に使われていたものもあります。今の本社の場所に移る前には、東海道沿いにお店がありました。参勤交代の大名も訪れたかも!
大豆、塩、水。以上
八丁味噌は、原料である大豆の全てを麹にした豆麹で作られる豆味噌で、原料は大豆と塩、水だけ。
保存性に優れているので、三河武士の兵ろうにも使われていたのだそう。
そばを流れる矢作川の水運を活用して、知多半島の半田市や忠臣蔵で有名な吉良町といった三河地方で採れる塩の運搬もしていました。
菰巻き(こもまき)の大きな桶(甑=こしき)の中で、洗った大豆が蒸されていました。
その後、拳の大きさほどの味噌玉に握られて、二階へ運ばれます。二階では麹がつけられ、発酵に入り、麹菌が増えるのを待ちます。二階で発酵させるのは、室温が一定に保たれやすく、発酵に適しているから。
大きなたらいで、発酵が進んだ味噌玉を塩と水でこね合わせます。
水と塩のこね具合が大切
一連の作業を主人が見守っています。
水と塩の割合が味噌のでき具合を決めるので、最も気を使うところ。ご自分も水を量りながら作業をチェック。
このお人形さんは先代のご当主がモデル。優しい目をしていらっしゃいます。
できあがった味噌の元を仕込み桶(六尺と呼びます)へ運びます。
中にいる職人さんが足袋を履いて「踏み込み」を行います。ただ保管するだけじゃなくて、この桶の中では、職人さんが上手に空気を逃がしながら、味噌玉を踏んでいく作業をしています。現在では専用の作業服と長靴で作業しているそうです。
この重石は、以前は矢作川から採っていましたが、今は規制されて川から石を採ることができないので、大切に使っています。
6トンの味噌ができます
この仕込み桶は「六尺(ろくしゃく)」と呼ばれていて、天保3年(1839年)にできたカクキューの中で最も古い六尺。
この大きな木材は柱じゃなくて、桶を作るための大きな鉋(かんな)。その名は「正直(しょうじき)」。六尺ほどの大きな桶を作る際には、鉋を動かすのではなく、削られる桶の部材の方を動かします。
二夏二冬以上過ごします
八丁味噌の製法の特徴は二年二冬以上寝かす、天然醸造。味噌は加熱して室温を上げるなど調節して作る方法もありますが、八丁味噌独特の濃厚なしぶみや旨味を出すために、昔ながらの二夏二冬(2年間以上)発酵させる方法を守っています。
桶の上には円錐状に石が積み重ねられていきます。この円錐状の石の積み方は今もそのままで、職人さんが一つ一つ手で積む。じわじわと圧力が均等にかけられることで、中の味噌がちょうどいい具合に発酵されていきます。
カクキューの蔵は全部で7つ。全部で400~500本程度の桶があります。
休憩中の桶。
桶の職人さんが少なくなってきたので、繰り返しメンテナンスしながら大切に使われています。
中をみてみるとまだ味噌が。
桶がもう一度使われる時には、使用直前に洗われます。乾燥して木が縮まないように、という工夫。
昔ながら、だけじゃない工程もあります
そうそう!このでっかい桶から味噌を取り出す作業って大変だなぁ、って思っていました。
この味噌桶転倒機では、文字通り桶が回転して味噌がドバーっとでてきます。ここを人がやるのは時間もかかるし、とっても大変。
味噌の醸造までのステップは昔ながらの製法が受け継がれていますが、新しくできるところはやってこう、ということで導入されたマシン。
袋詰めの工程へ。この中では充てんと袋詰めの工程が行われています。
内袋にいれる充てん作業。八丁味噌は、半固体なので指定の分量をパックするにはナカナカの修行と経験が必要。
ギューっとされた味噌はキレイに並びます!
1日にたくさん袋詰めするみなさん、本当にお疲れ様です、ありがとうございます。
史料館の中では歴史も勉強できます
MISO、ヘルシーな食べ物として珍重された八丁味噌は海外にも!
町奉行 大岡越前守からの書状!
年号の「享保」という文字だけ読めたぞっ。
明治2年、早川家が苗字帯刀を許された証文。
オーナーである早川家は代々「久右衛門」の名を継承していたのですが、「休右衛門」と“休”の文字になっています。そそっかしいなぁ〜当時のお役人さん、ということではなくて、これが正解。実は当時の城主に久姫さま、というお姫様がおわしになり、尊い方の名をはばかって「休」の字を一時的に使っていたんです。
岡崎領を示す石碑
創業370年のお店だと、歴史にまつわるものがたくさん集まってくるのですね!
代わりに倒れてくれた木にありがとう
なんのことかな?と思いきや、江戸末期、1/4ほど江戸方面に出荷していたカクキューさんは、商売が傾くほどの事態に。「うーん」と進退窮まった時にお店の中の木が倒れて、カクキューさんのご商売が持ち直したのだとか。
こちらの石碑は、木が倒れた時の記念碑として建てられたものです。
歴史のある会社はいろんなエピソードがあって楽しいっ!
見学の後には、もちろん試食することもできます。「きらり広場」というスペース。実はNHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」のロケ地だったんですよ、といま知りました本当に申し訳ありません。
この赤い味噌が名古屋エリアの当たりみゃー。
名古屋エリアでお味噌汁といえば、この赤味噌のお汁が普通で、麦や米味噌を使ったものは、わざわざ「白味噌汁」と言い換えるほどです。
八丁味噌を試飲してみます
関西出身の僕には最初は少ししょっぱかったけど、飲むほどに濃くシブ甘な味わいが舌に残ってとまりません。これが豆の味噌か〜と感心。
赤出し味噌(左)と八丁味噌(右)を飲み比べることもできますよ。
となりにはレストランもあり八丁味噌をつかったお料理をたくさん楽しむことができます。
味噌アイス、ちょうどいい渋めの甘さが舌に残ってGOOD!お茶と一緒にいただくといいと思います。
歴史ある蔵元ということで、とても敷居が高いのじゃないかなと、とても緊張していましたが、昔ながらの製法の解説、働いているみなさんの笑顔や史料館の豊富な展示内容にびっくり。
これが時代の境目をいくつも越えて愛される理由かもしれないな、と思いました。
早川さん、とっても丁寧で楽しいガイドを有難うございました!
【詳細情報】
合資会社 八丁味噌
電話番号:(0564)21-0151(代)
住所:愛知県岡崎市八帖町字往還通69番地
工場見学・売店
八丁味噌の郷 株式会社 カクキュー八丁味噌
電話番号:(0564)21-1355(代)
URL: http://www.kakukyu.jp/
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