ギョギョッ!ど迫力の越中式定置網漁法と氷見の漁村文化を学ぶ 魚々座(ととざ)
今日は富山県氷見市に来ましたよ。 氷見市は、藤子不二雄Aときんつばに氷見うどん、そして漁業で有名。 こちら氷見漁業交流館「魚々座」は2015年4月にオープン。氷見の漁村文化を未来へ伝え、人と人の交流を通して「きずなを編み上げる場所」として、新たな観光・交流の拠点として大きな期待がかかっています。 大きな網にウォー!
入ってびっくり。広々とした空間に日本初の海中に仕掛けられた様子を再現した越中式定置網を天井から吊るしてあります。お魚になった気分になります。 ガイドしてくださるのは、魚々座の蓑島館長です。今日はよろしくお願いします!
魚々座の役割は7つ
魚々座は、漁村文化の継承、魚食の普及、体験観光、環境保全、地域のきずなを再生するコミュニティアート、家並みの保存、ブランド発信という7つの役割を担っています。 館内を一緒に回りながら、色々と教えていただきます。 天然のいけす、富山湾
氷見市は富山湾に面していて、湾の西側に位置しています。 能登半島が日本海のほぼ中央にあり張り出しているので、対馬海流入り込んでくるので、暖流系の回遊魚も入りやすく、300メートルあたりの深さでは、水温1〜2℃の水温冷水系の生物が生息していて、寒いところのも暖かいところのも両方の魚がいる「天然のいけす」です。
漁場として好条件がいくつも揃っています
特に氷見沿岸では大陸棚が発達していて、一気に湾底まで落ち込む斜面の海底谷「フケ」は、最も深い部分だと1,200m以上の水深。このフケにプランクトンを培養する有機塩が豊富に含まれているので、エサを求めていい魚が回遊してくるのだとか。 湾の向こうには、うっすらと立山の山なみを見ることができます。これらの山々からこの富山湾に落ち込む、急峻な地形が特徴。3,000m級の立山連峰から海底まで合計すると4,000m以上の「峡谷」になっています。
全国ブランドの、ひみ寒ぶり
お魚が豊かな氷見市でも、最も有名なのがブリ。 春先に九州付近で産卵したブリたちは、夏に北上&冬に南下する回遊を繰り返しながら、3歳になるとブリへと成長、秋の終わり頃から初冬にかけて富山湾にやってきます。富山湾では産卵前の脂ののったものが来遊。
ほぼ毎日ブリ!オンシーズンの氷見の漁師さん
ブリ漁が最盛期の時期には町全体が活気づきます。 捕ってきたブリは大きいので食べきれないから、切り身を親戚に配る、そして別の親戚がブリを買って、そのまたご近所さんが〜、とブリ祭り状態。 この町の漁師さんは、冬にほぼ毎日ブリをいただいているのだとか。ウラヤマシイです。 また、ブリはご存じ出世魚なので、この地域では嫁の世継ぎ先へ贈る風習が残っていて、縁起ものとして重宝されています。 ブリ以外にも、豊かな海の資源に恵まれています。 ちなみに鰤、鮪、鱸、鯛、梶木、烏賊、蛸、甘海老のお刺身。お魚づくしの町。 カニとがつみれが入った、かぶす汁(漁師風魚の味噌汁)もおいしい。 忘れずに見学のレポートも! テント船。古くから氷見の船大工に伝わる木造和船の技で作られました。 「テント」の由来はアウトドアのテントではなく、船の舳先が天に鋭く突き刺さる姿から天に登る「天登」と呼ぶようになった、と言われています。その他にも諸説あるそうです。 実際に漁で使われていた船。漁師さんのお家から寄贈されたものです。 魚々座のこだわりは、展示物をできるだけ地元の人の協力で集めた、という点。 船底の板には、船をメンテナンスした後に改めてはめ込む時にわかりやすくするために、板の番号が振ってあります。なるほど便利! 見るだけではなくて、触ることもできます。 網元さんのお家から寄贈された展示は、お銚子とおちょこがズラリ。漁師のみなさんにお酒を振舞っていた活気ある姿が思い浮かびます。 かつて網を浮かせるための浮きに使っていた「ビン玉」。現在の樹脂製の浮きに代わる前に使われていました。 漁に関するものだけではなく、お家で使われていた道具もたくさん展示されています。 たくさんあるけど、飽きないなぁ。 展示物を集めていく段階で「これ何かわならないけど、あげるわ」と言われていただいた物もたくさんありました。 中には、キッチンスペースもあって、お料理教室や魚に関するワークショップも開かれます。 奥には飲食できるエリアや休憩スペースがあってのんびりできます。 氷見は、越中式定置網のふるさとです
氷見の漁業の特徴は、越中式定置網という漁法です。富山湾沿岸では「台網」と呼ばれ、織田信長や豊臣秀吉の活躍した天正年間頃に始まったと言われています。 その後、大正時代に阿尾(今の氷見)の上野八郎右衛門さんが当時宮崎県で開発された日高式大敷網の欠点を改良し、網口など開口部を魚が逃げにくいように小さくした”上野式大謀網"を考案し、これが現在の「越中式定置網」につながっています。さらに昭和40頃に「二重落し網」が考えだされ、網の素材も改良も行われ、大規模な網の敷設が可能となりました。 この越中式定置網の漁法が生まれるまでは、春はイワシ用の網、マグロを捕るための夏の網、ブリ用の秋網と季節ごとに形や沈める場所を変える必要がありましたが、越中式定置網が普及することで、一年間使えるようになりました。 大敷網(二重落し網)は、垣網(かきあみ)・角戸網(かくとあみ)・登り網(のぼりあみ)・身網(みあみ)の4つのパートで構成されていて、それぞれ、魚の通路を遮断して角戸網に誘導する「垣網」、魚が最初に入りこむところで、回遊する溜り場、すなわち運動場の役割を果たす「角戸網」、一旦身網へ導かれた魚が、容易に網外へ出ることをできなくする「登り網」、魚をとり上げる「身網」となっています。 左右で網の目の大きさが違う。網の役割によって目の大きさが変わっています。 3割捕って7割逃す、海と生きて行く知恵
魚の通路の入り口に近い「角戸網」の部分の網の目はやや大きめになっています。網の目を大きくすることで、成長前の小さな魚を逃すことができるから。 たくさん捕れればいいじゃない、ということではなく、海の資源が枯渇しないようにと海と長く付き合う漁師さんたちの知恵です。 一時は後継者不足に悩んでいた時期もありましたが、最近はこの越中式定置網の漁法を受け継ぎたい、と漁師のなり手が増えてきました。漁協をあげて若手の漁師さんを一生懸命育成中! お魚になった気分を味わってみます。 ギョギョッ!ハンモックもあるゾ! お魚になった気分、ふたたび。 館長さんもお気に入り。サボ..気分転換の時にはこのハンモックが活躍します。 こちらの漁網ハンモックの作者の荒川さん。網づくりの職人さんでもあります。 漁網をつかったストラップ作りのワークショップも行っています。 糸は鍋で煮て染色しました。 あら、カラフルな網ね、とってもおしゃれ!と思ったのですが、実際に漁でも使われるもの。それぞれ色の意味があります。 定置網の漁網は紫外線への耐久力を増すために黒が基本なのですが、オレンジは「しるし糸」といって網を修理した時に目立ちやすくしたもの。モスグリーンは魚の色、海藻にカムフラージュできるエンジ色。さらに新幹線の色に似た明るいブルーはというと、氷見の伝説の漁師さんが「この青は海藻やゴミがつきにくい」のだそうです。 ここは私の場所です
と荒川さん。 居心地が良くて、夏は過ごしやすくて冬はあったかそうだから、と冗談っぽくお話していましたが、願いは地域の人たちの集まるスペースになること。 氷見市には水は少ないから工場がない。水産加工が中心で「これが氷見のメインの産業」って言いにくくて、今も半農半漁で働く人たちが多い。でもせっかくある漁業というキーワードで、人が集まる場所ができた。今はできて半年くらい経つけど、子供たちがちょくちょく遊びに来たり、ご近所のおばあさんもふらっと立ち寄ったり。町内会長もほぼ毎日偵察といって遊びにくる。地元の人たちには自転車で来てもらえるように言ってます。雨が降ると帰りたくなくなるだろうから。(笑) 地域密着というとおおげさだけど、まずは近づきたくなるような空気づくりがたいせつ、と思います。 実はこれからも、海賊ごっこイベントや、外にハンモックをおいて寝てみる夏の夜体験イベントなど、さまざまなことを計画中なんですよ。 人口の減少は対策が追いつかないのが、正直なところ。すぐに増加に転じる特効薬はないかもしれませんが、じわじわと効いていく、魚々座がそんなきっかけになれば嬉しいです。と蓑島さんも。 この施設については、賛否両論の意見がありました。東京など都市部から来てくださる観光の方には評判はとても良いのですが、市民の方にとっては、展示物は見慣れたものだし、建物の中もなんだか黒くて暗い印象であるとか・・・。 しかし、市民の皆さんも徐々に施設になじんでくると、お客様に自然に話しかけたり、あらためてその魅力を再発見したものを解説したり、と、市民の方と市外の方がフランクに交流するような機会も生まれてきました。 手元にあるものを大切にしながら、人が交じり合う場を作ろう、というストーリー。とても素敵です。海と人、魚と人、人と人、さまざまな縁を編み出す企みは、しっかりと進んでいます。
【詳細情報】 ひみ漁業交流館 魚々座 電話番号:05769-6-1311 住所:氷見市中央町7番1号 URL:http://himi-totoza.com/ 開館時間:展示エリア 9:00~18:00(最終入館は 17:30です) 飲食コーナー 10:00~15:00(ラストオーダーは 14:30です) 休館日:毎週水曜
(text:西村、photo:市岡)
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