測って計って量りまくり!ハカリばっかりのミュージアム 松本市はかり資料館

矢口さんと記念ショット長野県松本市にやってきました!今日はハカリばっかりのミュージアム「松本市はかり資料館」を見学です。 こちらの松本市はかり資料館は松本城のすぐ近くの街道筋にある中町にあります。 この建物の持ち主はもともと田中さんという方で、田中さんのおじいさんが東京日本橋のはかり屋で修行。暖簾分けしてもらった後、松本に戻り「竹内度量衡店(どりょうこうてん)」を開業。度量衡専門店として信州地方のはかりを一手に取り扱っていましたが、その後、養蚕業の衰退とともに1986年(昭和61年)に閉店。しかし、1989年(平成元年)「松本市はかり資料館」として復活。現在は、たくさんの観光客のみなさんが訪れる松本市の名所のひとつになりました。 竹内度量衡店はかり資料館内観中に入ると、いろいるはかる道具が並んでいます。その展示は600点以上! はかりのお話をきく今日ガイドしていただく矢口さん。矢口さんは市役所に勤務後、別の博物館をへて、こちら松本市はかり資料館のガイドを担当。今日はよろしくお願いします! 度量衡の衡度量衡(どりょうこう)?

「度量衡」はさまざまなものを測る言葉です。度は建物などの「長さ」、量は商売や税金に必要なものを測る「体積」、衡は重さを示す「質量」や「秤(はかり)」を表しています。はかるにもたくさんの字があてられているのは「はかる」ことが古くから暮らしになくてはならないものであったことがわかります。 お蚕さん養蚕業で「はかる」ものがたくさんあったから

創業当時、明治時代の松本は製糸業の中心地。近くに「松本片倉清水製糸工場」ができ、製糸業が盛んな土地柄でした。 製糸業と切り離すことができないはかりに目をつけた田中さんのお祖父さんが、この場所で商いを始めました。養蚕業の盛んだった地域では、ご商売の糧だった蚕を「お蚕さん(おかいこさん)」と呼んで、大切に扱っていました。 雌雄選別機オスとメスがわかるはかり

この器具は「雌雄選別機(しゆうせんべつき)」といって、蚕のオスとメスを計ってみわけるための道具。蚕はオスよりもメスが10mg重いそうなのですが、それまで職人さんが外観をみて判定する人力に頼っていた選別作業は、この雌雄選別機の登場で、作業の早さや正確さが格段にアップしました。 検尺器長さを測る、検尺器

生糸の長さを計ることができます。 デニール計糸の太さを計るデニール計

生糸の繊度(太さ)を測るための道具。太さの単位を「デニール」と呼んだのでデニール計という名前になりました。上の検尺器で計った一定の長さの生糸を載せると右側の三日月型のメモリが動いて、その太さを計ることができます。決まった長さの重さを測ることによって生糸の太さがわかるという仕組みです。 分銅の形は銀行のマーク軒先の分銅の展示。両替商が使っていたこのマークは銀行を示す地図記号として使われています。 そしてこの形の原型は、なんと養蚕の繭! ガイドの矢口さんもっといろいろはかります

そして、こちらで見ることができるはかりは、養蚕業に関係するものだけではありません。 カーブ尺上のすこし曲がっている棒は「カーブ尺」という洋裁用具。スカートやコートの裾など、曲線を引くときに使います。 五号升きっちり量ります、五合升

こちらの五合升はフチのところに金具が施されています。これは装飾ではなくて、米や豆などを量るときに、キッチリとすり切って誤差なく測るために縁の部分の強度を補強する目的です。 モノを売り買いするときには損しないように、年貢を納める時には、多く取られすぎないように、という先人の工夫。 すり切りすり切り、平にするための棒は斗概(とがい)と呼ばれています。「はかる」ということに真剣だった姿が思い浮かんできます。 六合升六合升(ろくごうます)

この升は、中にパズルのようにぴったりとはまる木の立体があって、その立体を升の中にはめ込んだり組み合わせることで、余った部分で3合、2合、1合といった内容物の量を測ることができます。 組み合わせて量るパズルのように組み合わせて計りたいのですが、ナカナカ上手にはめ込むことができない。 はかりの基準は厳しい秤は勝手に作ってはいけません

はかりを作ることは、モノの売り買い、税、はては天文学や天気・暦にも関係してくるので、誰でも作っていい、というものではなく、とても厳格に管理されていました。江戸時代には幕府から許可をもらって、東国では守随(しゆずい)家、京都では神(じん)家という秤を製造、検定、修繕などを独占した座が決められていました。勝手に升を作ったりすると重罪。偽造通貨をつくるのと同じくらい大変な罪でした。 京升はかりを制するものは、天下をも制す!

日本で全国的に計量単位が生まれたのは大宝律令の時代。銅製の基準器を全国に配り、標準単位の維持に努めていました。しかし時代を経るにつれて、地方でさまざまな度量衡器が使われるようになり、流通経済でモノやお金・人の流れが全国的に活発になっていくと、再び単位の統一が課題になりました。 そして、太閤検地。豊臣秀吉が、基準器として京都周辺で使われていた「京枡(きょうます)」を全国で使用することに決めました。その後江戸幕府の時代になり、統治も強化されるとともにがっちり規格化された京枡が使用されるようになりました。 政治や経済、人の流れに密接に関係していた「升」を通して、統治者が「はかる」ことをいかに重視していたかを知ることができました。「オレのはかりかたに従え!」ってことですから、権力が弱いと実現できないですからね。 身長計携帯用の身長計。今の巻尺のご先祖さま的な道具です。 乳児用身長計乳児専用の身長計もあります。お産婆さんやお医者さんが使っていたんでしょうね。 ロバーバル機構ロバーバル機構

同じ重さの重りを、はかりの竿の部分に載せています。竿だけだと中心からの距離が違うと釣り合わないはず傾くのですが、中の平行四辺形とセンターの棒の接触するところが支点となって、重りの重量が同じであれば、釣り合う仕組みになってます。 ロバーバル機構2重りの場所を移動してみました。ほら釣り合ってる! この原理を応用して、理科の実験などで使った上ざら天秤はかりが作られました。 カウンティングスケールカウンティングスケールという、こちらも重さの釣り合いを利用して個数を数える道具。竿の部分に10個、50個、100個といった目盛りがついています。最初にこの原理を見つけた人も、それを道具にした人もスゴイ! 重さ当てゲーム重さを感覚で当てるゲーム!

5キロだと思います!ぜったい5キロ。 3キロでした3キロでした。結構わからないものです。 赤ちゃんを抱いていたお母さんだと、感覚で覚えていて、それを目安に結構正確に当ててしまうのだそうですよ。母エライ。 感覚で測る、というのは計量単位の始まりにも関係していて、人間が両腕を広げた「尋(ひろ)」は水深を測るときに使われていて、釣りの時の「ふたひろの深さ」といったように今も言いますね。他にも「インチ」は手の指の幅※が元になっていたりします。 人によって厳密な数値は違うけれど、だいたい共通の長さや重さってこれくらいだよね、といったところから共通のはかり方を決めていこう、といったところから単位がスタートしたのではないかな?と感じました。 ※インチは大豆の粒を縦に3つ並べた長さがはじまり、という説もあります。 ローマのはかり世界のはかりも揃っています。 毛髪湿度計毛髪湿度計

人間の髪の毛に含まれる水分による伸縮を計測することで、湿度を計ることができます。中には実際に髪の毛も入っていますよ! 偽金発見器偽金発見器も!

これはとてもたいせつ。 あのドラマのアレギリシャ神話の正義の女神「テミス」。剣と天秤を持つ姿は、司法・裁判の公正さを表すシンボルとして、昔から法律に関係する場所、たとば法律事務所や裁判所などで飾る絵や彫像のモチーフとして登場しています。 あのドラマのアレです。

80年かかった外国との単位の統一 江戸時代を通して安定的に使われてきた日本の度量衡も、明治の近代化・欧化に伴い、海外の単位の導入や国内の単位との整理が必要になりました。1885年(明治18年)に日本も加盟した「メートル条約」もこれまでの国内の単位である尺貫法と併用されます。しかし工業製品の規格統一に向けて、1934年(昭和9年)にメートル法への一本化が決まります。それでも尺貫法はしばらく使用されましたが、1966年(昭和41年)土地と建物の計量について、取引や証明に尺貫法を用いることが禁止され、長く親しまれた尺貫法もようやく完全にメートルに取り替わることになりました。 最初に国際的に単位を統一しよう、と決めてから約80年、単位は生活に関係しているから、移行にもそれだけ時間がかかったのですね。 看板でかいおっきな看板 金庫竹内度量衡店で実際に使われていた金庫、りっぱなたたずまい。 鍵がイロハ鍵がイロハになってる! 漆喰の太さ漆喰の太さ、厚さが富の象徴です

この漆喰の太さは富の象徴でした。太くて分厚いほどお金持ち! 漆喰すごく、儲か..ご商売が盛んだったことが想像できます。 中町は火事が多かった漆喰のなまこ壁が美しい街、松本・中町。この蔵のなまこ壁は、観光名所としての景観を守っているだけではなく、実は火事を防ぐ目的もあります。江戸時代の綿屋の火事、飴屋の火事、山城屋の火事など昔から火事の多い街だった松本では燃えにくい壁であるなまこ壁が推奨されていたのですって。 松本はかり資料館では、市営なのではかり以外の展示もたくさんあります! 学ラン旧制松本高校の学ラン! 松本七夕おうかがいした時期は、ちょうど松本市の七夕の季節 松本地方の七夕は少し遅くて8月の6日・7日。 江戸時代からの風習で、七夕人形を飾るのは全国でもこの松本地方だけなのだそうです。 材木問屋三松屋はかり資料館の同じ敷地には、旧三松屋(材木問屋)のお座敷が移築整備され展示されています。 数寄屋造り1階は和風な作り。お茶をいただく(フリ)。 階段を登ると...階段を上ると… 急に洋風急に洋風!びっくり。これは明治時代に流行した「擬洋風建築」です。同じ松本市にある開智学校も洋風と和風の混ざった建物です。 松本市にゆかりの展示中には松本市にゆかりのある作家や芸術家の作品が展示されています。 松本ダルマ極太フサフサ眉のだるまさん

こちらは「松本だるま」といってご当地のだるまさん。フサフサの眉&ヒゲはお蚕さんのまゆの形になっています。養蚕を営む農家では必須アイテムです。 お腹の「大當」の文字は、お蚕さんが豊作であった年をみんなが「大當」と表現していたことに由来しています。当たり年になりますように、と願いがこめられています。 はかりの資料館外観松本市はかり資料館には、日本のはもちろん世界のはかり、はかりをめぐる物語、地域の産業だった養蚕のことは松本市の歴史が計り知れないほど展示してありました。

【詳細情報】 松本市はかり資料館 電話番号:0263-36-1191 住所:長野県松本市中央3丁目4−21 休館日:月曜日(休日の場合はその翌日) 12月29日から1月3日 観覧料:・大人200円(20名以上の団体は150円) ・中学生以下無料 アクセス: 徒歩 JR松本駅より約15分 バス JR松本駅松本駅よりタウンスニーカー 東コース「はかり資料館前」下車

(text:西村、photo:市岡)

関連するキーワード

関連記事

最新訪問ブログ

訪問ブログ一覧へもどる