長野の郷土食、フワフワおやき!新しい魅力の発見と広がる輪 いろは堂
今日の見学のテーマは長野県の名物「おやき」です。
この北信地方でおやきが生まれた理由を知っていますか?この地域は降雪量が多く寒冷な気候、やせた土地。さらに急峻な山ばかりの耕作地が少ないので、稲作に適さず、米の代用として小麦・蕎麦を原料とした食品が発達。おやきもその代表の一つで、小麦粉や蕎麦粉を練って作った皮であん(=具)を包んで食べられていました。
おやきがこの地域の名物になった理由は、稲作が難しかったからだったんですよ。
今日お伺いするのは、長野県長野市の鬼無里(きなさ)地区。合併で現在は長野市の一つの地区になっていますが、山深いところ。現在は520世帯、人口は1,200人くらいで、合併前は過疎地域に指定されていました。近くには同じく合併された戸隠地区があり、こちらはお蕎麦で有名ですね。
伝説がたくさんあります
裾花川(すそばながわ)に沿って国道406号線を行きます。鬼無里の近くにはその源流があります。この鬼無里地区は、いろんな伝説があり「鬼無里」という名前の元になった紅葉伝説が有名。紅葉伝説は平安時代に鬼女とされた主人公の女性「紅葉」が、平維茂に退治されてしまう少し悲しい平安時代のお話ですが、こちら鬼無里地区のでは医学や文芸に優れ、村人を助け恵みを与えた尊い女性「貴女」(読み方同じ)として言い伝えられています。
他の伝説には木曽義仲に因むもの、遷都伝説、湖沼伝説などがたくさん。このような山深いところだと信じたくなってきます。伝説好きの方はぜひお越しください。
長野駅からだいたい車で40分ほど、鬼無里地区のメインストリートです。お蕎麦やさんなどの商店や物産センターが並ぶ通り。おやきのいろは堂さんも同じ道沿いにあります。
いろは堂さんに到着。おやきの丸印の中に「いろは」の文字があしらわれた暖簾がかかっています。おやき感が徐々にアップしてきました。
そしてこちらがいろは堂の伊藤拓宗(ひろむ)さんと、女将さんの園子さん。おやきの親子。
真ん中のスノーボードは、お店を改装するときにデザイナーさんに作ってもらった長野県のお野菜をモチーフをあしらったもの(非売品)です。今日はよろしくお願いします。
お店の中では、焼きたてのホカホカおやきをいただくことができます。そば茶をいただきながらまったりしてないで、
なにはさておき、まずはいただきまーす!
ぅんまい。生地がビックリするほどふわっふわで想像を超える食感!なんだか秘密が隠されていそうですが、それはまた後ほど。
もともとお菓子とパン屋さんでした
いろは堂の創業は1925年(大正14年)、今年で90周年です。もともと鬼無里のお隣の小川村というところで、伊藤さんのひいおじいさまが和菓子のお店を営んでいました。戦争が終わり学校給食が始まったころに給食用のパンも作っていました。おやきの製造をはじめたのは1965年(昭和40年)でそのきっかけは水芭蕉の群生地。長野県から視察に来ていた先生が「この地域の名物のおやきが食べたいっ!」と言われたので作ってみたところ、これが好評で「それでは、本格的に作ろう」ということでスタート。
しかし家庭で食べる郷土食だったおやきは「そんなものお金出して食べるかー?」と地元の人にもびっくりされたそうです。
売り歩いた、通い箱
お家の食べ物だったおやきは、なかなか簡単には売れませんでした。しかし笑顔を絶やさずに先代が売り歩いた結果、やがて味が広く認めらるようになり人気商品になっていきました。
写真の箱は「番重」といっておやきを入れて先代が通い箱として使っていたもの。農作業中の畑におやきを届けた際に、そのまま置いてきてしまいお客さんの蔵の中で眠っていたものが、50年の時をへて戻ってきました。
現在のお店と工場がオープンしたのは、1991年(平成3年)。
長野県のデザイナー故・原山尚久さんにお願いしてお店やブランディングをプロデュースしてもらいました。素朴で伝統的な家庭の味であるおやきの新しい楽しみ方を、おしゃべりしながら体験してほしい、という思いから生まれたお店。
普段は落ち着いた雰囲気の店内も、観光バスが立ち寄るようときには、お店が大賑わいになります。休憩するにはちょうどいい。
おいしわぁ〜。だいたい毎年ここに来るの、季節の商品を食べに。
お店と同じ建物におやきの工場があります。蔵をイメージした外観。
お邪魔しますー。働いている方は地元の方が中心ですが、長野で働きたいとIターンでこの工場に就職された方もいます。
まずは中身のあん作りから。
いろは堂のおやきの楽しみは、あんの種類の多さ。通年でいただくことのできるのはねぎ味噌や、ぶなしめじ、切り干し大根などなど。信州味噌で味付けをした「あざみ」も、いろは堂オリジナルで人気商品です。春にはふきやのびるやうど、夏には茄子やトマト味、秋には舞茸や栗、といったように季節限定のおやきをいただくこともできます。一年中楽しめる。
今日は人気の「野菜ミックス」のあんを見てみようっ!売れ筋や在庫の状況を見ながら、あん作りの計画が立てられます。あんの原料は、安定的な供給が必要なため他県のものも使いますが、信州の野菜を使うことがいろは堂の基本。
混ざりきらないところもあるので、ときどき手でも混ぜてあげます。
こちらは包まれるため待機している、ねぎ味噌のあん。このねぎ味噌あんは、料亭のご主人と一緒に考案しました。まんなかに入っているのはパン粉で、水分が多いので吸収させるためと塩出しのため。また細かくなった具材がパラパラにならないようにつなぎの役割もあります。パン粉たいせつ。
お隣の鍋ではなすを調理中。20キロのおなすで、おやきにすると4〜500個分。
ふわっふわのおやきの秘密、生地作り
次に生地作りの工程を拝見。あのふわっふわの生地の秘密にだんだん近づいてきた!
おやきの生地の原料は、小麦粉そば粉、砂糖とお塩。そば粉は気温が高いと虫がついてしまうので、長期間の保管はNG!こまめに仕入れます。
そして、このイースト菌がふわふわ生地の秘密その1で、ふつうのおやきだとお饅頭のように生地は少しパサつくのですが、パンと同じようにイースト菌を加え発酵し寝かすステップを挟むことで、他のおやきとは一味違った食感を味わうことができます。
原料を混ぜた生地は、少しの間そのまま。毎日の気温や水温が微妙に違うので、寝かす時間を調節しているそうです。
生地、発酵中
ゆっくり休んでください、あとでいただく予定です。
ぐっすり眠られた生地はこちらのマシンで、1個分のおやきサイズにちぎられます。
待ち受けています。
丸められた生地はトレーにきれいに並べられます。
いよいよ包む工程。1日の製造量はなんと8,000〜10,000個、もちろん全部手包み。とてもぶ厚い餃子の皮を包む要領なのですが、生地は弾力があり具の量もまんたんなので、1年くらいの修行が必要。さらにスピードと正確さが要求されます。
こちらのおばあちゃんが、勤続ウン十年のおやき包みの達人!いろは堂の定年はなんと75歳。元気なあいだはドンドン働いて、さらに元気に!というスタイル。
生地の口をキュッと、最後にほんの少し加減しながら捻るのがポイントみたいです。
ふつうのおやきの製法は、焙烙(ほうろく、土鍋のひとつ)で表面を軽く焼いて乾かしたのちに、囲炉裏の熱い灰に埋め、蒸し焼きするのが基本。焼くからおやき。
いろは堂では、おやきを素揚げすることで冷めても固くならないようにしています。これがふわふわおやきの秘密、その2。イースト菌と素揚げ、この二つの工夫はパン職人出身の先代の技。「秘伝の製法のこと書いてしまっていいんですか?」と尋ねるても伊藤さん的には全然問題無し。そのへんは包み隠さず、ですね!それとも簡単にマネできないからかな。
サイズと形を整えるため、それと焦げ目をつけるために鉄板を置きます。
少し窮屈だけど、おいしいおやきになるために我慢がまん。
おやきできあがり。きちんと焦げ目もついた。こんにちは。
通販用に冷凍庫で保管されます。
日本観光博覧会で2008年、佐世保バーガーを抑えて見事!旅フェアグルメ大賞を受賞して以来、最近は通販が伸びてきていて、売り上げの一角を占めるほどになりました。
おやきの製造風景の動画もどうぞ!
お店の担当は女将さんの役目。いつもニコニコ接客でおやきを食べながら体もこころもあたたかくしてくれる笑顔。
おやきの新しい可能性にチャレンジするスペース
おやきのお店のおとなりにはカフェがあります。「カフェ いろはな」は、和の空間の中に北欧デザインが溶け込んだ、心地いい場所。
そして、おやきの新しい可能性にチャレンジするスペース。
メニューは生地を洋風にアレンジしたオリジナルドーナツの「Oyakiji(おやきじ)」や、ドーナツをカットし、信州サーモンやレタス、オニオンをサンドした「Oyakiバーガー」など、素朴な家庭料理であるおやきの新しい楽しみ方を提案しています。
店内はイッタラのグラスやロールストランドの陶器といった北欧テイストの食器や雑貨が並べられ、和の雰囲気と溶け込んだ気持ち場所。北欧を意識したのはここ鬼無里の土地の気候がにているからです。
同じ建物の2階には「ギャラリー鬼無里」があり、陶芸、墨画、絵画などを無料で開放。作品は約3週間ごとに変わります。このスペースでは作家さんの展示だけではなく、ご近所さんのちょっとした集まりやイベントにも使われています。
こちらのカフェ&ギャラリーは女将のアイデア。おやき専門として伝統の味を守り続けながら、新しい楽しみ方を模索した結果生まれた、もっとおやきの魅力に出会える場所になりました。敏腕女将です。
いろは堂は地元のみなさんにとっても大切なスペース。小学生の見学や体験教室、中学生の吹奏楽やピアノの発表会、奥様がたのお料理教室などにも使われていて、お店だけではなく地域の食文化を守る取り組みやいろは堂や物産センターを目的に来てくれる観光客の皆さんが鬼無里に目を向けてくれるような情報を積極的に発信中。
全国的に知名度を獲得したおやきの次なる夢は海外。伝統の味を守ることと一緒に、健康食としてのアピールやワインとのコラボなど新しい魅力の発見と提案をしながら、長野のおやきは海外へと舞台を移しつつあります。
おやきのポーズで記念写真。
いろは堂のみなさん、今日は有難うございました!
(text:西村、photo:市岡 ※一部の写真はいろは堂さんの提供)
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