お金も技術もピカイチ!キラリと光る世界一の貨幣製造技術を見る 造幣局 東京支局
今日はお金の作り方を勉強。貨幣の製造現場、造幣局 東京支局にやってまいりました!
造幣局は全国に3つ、桜の通り抜けで有名な本局はご商売の街大阪に、貨幣の全ての製造工程が見られる広島支局、そしてこちら東京支局があります。
この東京支局では、貨幣製造工程や、貨幣・勲章等の展示をしている博物館、プルーフ貨幣製造の工場を見ることができます。
プルーフ貨幣は、流通を目的としたものではなく、記念硬貨や通常の貨幣でも収集家用の特殊な加工が施されたもので、新幹線鉄道開業50周年千円銀貨、東日本大震災復興事業など、さまざまなものを記念して作られています。
FIFAワールドカップTMの記念貨幣もあります。これら記念貨幣も通常貨幣も財務省から、例えば「今年は500円硬貨○○枚、100円硬貨○○枚作って!」といった「貨幣製造計画」が届き、それに基づいて製造されます。
地方自治法施行60年記念の都道府県記念貨幣の展示もあります。全国の都道府県ならではのモチーフが採用され、500円と1,000円の2種類の硬貨が発行されています。今年は○○県、のように毎年いくつかの都道府県ずつ製造され、来年2016年にすべての都道府県が出揃うことになります。
高知県の記念硬貨がNO.1ぜよ!
みなさん、ご出身やそれぞれ思いのあるところのをお買い求めになるようですが、一番人気は、坂本龍馬さんがあしらわれている高知県です。1,000円は銀貨で表面にはカラーが施されています。これらのデザイン案は各都道府県からモチーフのアイデアが出され、それに基づいてデザイン案をを造幣局が提示し、決められていきます。造幣局の中にはデザイナーがいて、この東京支局には現在3名が所属しています。
世界一美しい硬貨と言われている岩手県の中尊寺がデザインされた記念硬貨。MDC(世界造幣局長会議)コインコンペテイションで金賞を受賞したデザイン。
硬貨の場合、原料を圧延という工程で所定の厚さに引き伸ばされていきます。
貨幣の「鋳塊(ちゅうかい)」と言われる原料です。500円玉だと銅、亜鉛、ニッケルが含まれています。
この鋳塊を炉で加熱、鋳塊が延びやすい高温の間に所定の厚さに圧延する「熱間圧延」、常温で貨幣の厚みにまで仕上げて巻き取る「冷間圧延」という二つの圧延工程で写真のようなロールになっていきます。このロールで500円玉何枚になるかは…すいません。わかりませんごめんなさい。
この薄く延ばした板は、丸い形に打ち抜き「円形(えんぎょう)」というという状態にします。これを「圧穿(あっせん)」工程と言います。
以降の貨幣の製造工程は工場見学でまた後ほど!
100円玉4,000枚の袋を持ち上げることもできます。40万円分は19.2kg。幼稚園か小学校1年生の男の子一人分くらい(平成25年度データ)です。
1円玉を急にたくさん作らなければならない時代がありました
年ごとに発行された貨幣の枚数の表です。
消費税法が施行された1989年(平成元年)から以降数年間急に1円玉の製造量が急に20倍以上に増加。当時は税率3%だったので1円玉が大量に流通することが予想され、当時の大蔵省(現財務省)から「1円玉たくさん作りなさい」と指令が届きました。当時、局員のみなさんは大忙しだったんだとか。
偽造硬貨対策を日々研究しています
500円硬貨が少し黄色くなったなぁ、という時期ありませんでしたか?
紙の五百円紙幣に代わり、500円硬貨が登場したのは1982年(昭和57年)、当時の素材は銅、ニッケルでしたが、2000年8月に現在のデザインと材質(銅、亜鉛、ニッケル)に変更され、やや金色がかった色味になりました。
これは、韓国の500ウォン硬貨(当時のレートで50円)が同じ材質で、重さがとても近かったので、500ウォン硬貨を少し削ったり穴を空けたりすることで重さを調節し、自動販売機で500円硬貨として通用させる事件があったためです。
500円硬貨は普通に流通する硬貨の中では「高額面貨幣」と呼ばれ、このため様々な偽造を防止する技術が求められることになりました。それまでも日本の貨幣の製造技術は世界一の水準でしたが、さらに研究開発や技術が追求され今流通している500円玉にはさまざまな偽造防止の技術が使われています。
偽造対策その1 「斜めギザ」!
ニッケル黄銅貨幣になった500円硬貨には「斜めギザ」という偽造防止加工が施されました。大量に流通する貨幣では世界初の斜めギザ。これにより偽造防止力が向上します。
斜めギザをさらに進化させた「異形斜めギザ」!
地方自治法施行60周年記念貨幣では、斜めギザをさらに進化させた「異形斜めギザ」を採用。
呼び方がもはや必殺技のようになっていますが、これがスゴイ!異形斜めギザとはピッチ・角度が微妙に異なるギザを部分的に施されたもの。この貨幣の模様の圧印と同時に貨幣側面の周囲に斜めギザ加工を施すという技術は、日本の造幣局が独自に開発した技術で、日本をはじめ、アメリカ、イギリスなどでも特許を得ています。
偽造対策その2 見る角度によって数字が現れる「潜像加工」!
見る角度によって500の数字が見えたり、消えたり。この特殊処理は「潜像加工」といって、光の入射角反射角で反射光で生まれる光の明暗の差を利用したもの。イギリスの2ポンド貨などに使用されていて世界でも数例のみの技術です。
潜像加工はさらに進化を続けていてこの外に輪っかのついて蒸気船の記念硬貨では、煙突から出ている煙、外輪の中、波にもグラデーション化が施されていて、見る角度によってはより立体的に見えるようになっています。
偽造対策その3 「微細線加工、微細点加工」
500円硬貨の上下にある「日本国」と「五百円」の文字の周りに刻まれたとても細い線模様。これは「微細線」と呼ばれていて、髪の毛以下の細さ。
さらに貨幣の中央部の桐のデザイン部分にもとても細かい点(穴加工)が施されています。これは「微細点加工」といって、転写などによる偽造を防止する効果があります。これらは金属彫刻の最先端技術を貨幣に応用してもので、技術自体が非常に高度なので、偽造防止効果もとても高くなります。
これらの偽造対策は、造幣局内にある研究開発部門が日々努力を積み重ねた賜物で、貨幣製造NO.1の日本の造幣技術を支えています。すごいすごい!誰かに言いたくなる。
コイン選別の原理を勉強することができます。このコイン選別機はコインを転がすと1円から500円玉のが分かれて入るんですよ。
本当かなぁ〜??
キチンと分けられています。スゴイ。でも50円玉、100円玉、500円玉がひとつの場所になっています。
実はこの原理、磁石に挟まれたプラスチック板を転がるコインに、うずの電波が発生し電磁石として作用します。この時、磁石とコインの間に引き合う力が生じるので、コインの転がるスピードにブレーキがかかります。コインの材質はそれぞれの種類によって違うので、このブレーキの力に差が生まれ、落下する位置が変わって分けられるという仕組み。50円玉、100円玉、500円玉がひとくくりになっているのは材質が似ているから、というのが理由なんです。
100円均一ショップでかった道具だけでつくることもできます。夏休み期間は自由研究のお子さんたちで大人気のコーナー。くわしい材料や作り方は造幣局で見てみてくださいね。
おなじみのキャラクターたちもプルーフ貨幣セットのメダルになっています。
※現在、上に掲載したキャラクターの貨幣セットの販売は終了しています。
伝統工芸も継承しています
こちらもおなじみの歌舞伎の図柄。ただし、これは貨幣ではなくメダル。造幣局では金属工芸品の製造も行っています。
金属工芸品では七宝焼(しっぽうやき)の技法が使われています。七宝焼とは金属製の下地の上に釉薬(焼き物に絵柄をつけるアレです)を乗せ高温で焼成し、綺麗な色がつきます。一見造幣局と関係ないように思えますけれども…
さらに勲章・褒章も作っています。秋の叙勲の紫綬褒章、とニュースになるあの勲章です。この造幣局にも展示されているのですが、内閣府賞勲局の管轄なので、今回はお見せすることができません。残念!
国民栄誉賞のたても!
造幣局はこういった大きなイベントのメダルや勲章をつくる装金事業の他にも、貴金属の品位証明や地金・鉱物の分析も事業として行っています。貨幣を作るということと同時に価値を証明することも行っているんですね!
こちらは大阪城落城の際の遺物で竹の形をした鋳型に流し製造した鋳塊、これも貨幣として使われていました。
江戸時代の中期から後期、さまざまな貨幣が鋳造されましたが、金や銀の含有率が低下したためかえって混乱した、というのを教科書で習いました。見た目にもだんだん品質が低くなっているのはわかります。為政者の必死さは伝わってきますが、受け取る側が「これは嫌だな、受け取りたくないな」と思うのもうなずけます。
明治以後は、新貨条例によって政府による貨幣がきちんと管理されるようになりました。以降さまざまな貨幣が作られました。
戦争が始まると金属は供出しなければならず、貨幣も例外ではありませんでした。金属ではない貨幣をつくる必要があり生まれた陶製の貨幣。しかし、これも流通する前に終戦となり、使われることががありませんでした。
貨幣を見ると時代の世相がよくわかります。
日本だけではなく世界の貨幣も見ることができます。こちらは西アフリカのリベリア共和国の貨幣。こちらからみるとおじいさんの顔で、
逆から見るとおばあさんの顔になります。向きを変えても流通価値は同じ。
欧化の先駆けだった造幣局
造幣局の歴史の展示もあります。こちらは造幣局ができた当時の大臣書簡の文書。大隈重信さんの署名が見えます。造幣局は1871年(明治4年)に大阪で創業。写真の文書の宛先「首長トーマス・ウィルリヤム・キントル殿」とあるように、お雇い外国人が貨幣の技術指導を行っていました。
日本で初めて洋式帳簿が使われたのもここ造幣局。現在も使われているこの様式は明治時代の造幣局から使われ始めました。
明治時代初めの出勤簿。日曜日は休日、といった概念がそもそもなかった日本で出勤簿が使われ始めたのもここ造幣局。ハンコや「休」の文字の中に筆書きの花押も時々見えます。時代の境目を感じる!欧化の先駆けがお金を作るところからまずはじはじめよう!というのが面白い。
年に一度、貨幣の精度を確かめるために貨幣大試験で使われるハカリ。実際にこの天秤を使って職員さんが測り、財務大臣が確認し「これでよし!」となります。
金と延べ棒にふれることができます。
重さは15.314kg、取材当日の価値で72,190,196円也。
あんまりやりすぎると警報機がなって警備員さんがとんできますから注意しましょう。
造幣局の敷地の中にはミントショップというミュージアムショップがあります。“mint”は植物のハッカのミントという意味もありますが「造幣局」という意味もあるんですよ。
お店の中では貨幣セットや金属工芸品を購入することができます。
では、そろそろ工場を見んと!
左がプルーフ金貨の製造工場、右の建物では勲章を作っています。
丸く打ち抜かれた円形に貨幣の模様をきれいにつけるために熱を加えて柔らかくするマシン。
「焼鈍(しょうどん)」という工程です。
焼鈍によって表面できた酸化膜(金属と酸素が結びついてできた膜)を酸で洗浄します。
バレル研磨機で表面を磨いていきます。この中には2.4mmのボールと研磨剤(泡)が入っていてピカピカになります。プルーフ貨幣はピカピカでないといけません。
圧印完了!お美しいです。
こちらは1円のプルーフ貨幣。普通の一円玉よりも模様がはっきりわかりますが、プルーフ貨幣の場合は、この圧印を2度行います。このため、通常の貨幣に比べて模様がはっきりと美しく刻まれます。しかし!プルーフ貨幣を普通にお店で使ってしまうと、たまにお店の人に「偽物ですか?」と聞かれてしまうこともあるんだとか。美しいゆえの宿命。
記念貨幣はケースに入れるまでが大切なお仕事。ケースに入れる前にエアーでホコリやチリを吹き飛ばします。この工程はクリーンルーム内で作業が行われます。
今日はジャングル大帝のカラー記念メダルも作っています。
※現在、受付は終了しています。
目視で確認。工場に入るまではどんどんどんどん作られていくのかな、と思っていましたが、とても人の手間がかかっています。通常流通する貨幣だと1分間に750枚の製造量ですが、こちらのプルーフ貨幣は1日で1,000枚。とても丁寧に作られています。それぞれの工程は先輩から直に教わるのだそうです。マシンはあるものの人から人へと技術が伝わっていきます。職人といってもいいくらい。
貨幣は種類ごとにピックアップされケースへ入れられていきます。
造幣局の中にはお金の昔と今を見ることができました。
電子マネーが進み貨幣の流通量は減っていってしまうことと思いますが、技術に裏付けられた貨幣の信頼があってこそ、お金の価値が保たれることがよくわかった見学でした。
いろんな意味でお金を大切にしないとな、と思うことができました。
造幣局 東京支局のみなさん、今日は有難うございました!
(text:西村、photo:市岡 ※一部の写真は造幣局 東京支局さんの提供)
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